いかんがえこう…ゆえに
『浄土論』『論註』の当分はすべて、願生行者の利他回向を明かすから「いかんが回向する。…大悲心を成就することを得んとするがゆゑに」等と読む。
親鸞聖人は如来の回向に転意されているから、すべて仏の側におさめた読み方になっている。 (信巻 P.242)
約仏と約生。