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せうまう

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 焼亡(火事)か。また人名とする説もある。(消息 P.804)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山は、十二月十五日付の真仏御房宛の御消息(40)で「この十日の夜、せうまうにあうて候ふ。」とされておられる。(消息 P.804)
ご法義とは関わりがないので注釈版には載せていないが、『浄土真宗聖典全書』の『恵信尼消息』[1]に、

(一)

もんぞもやかせ給てや候らんとて申候。それへまいるべきものは、けさと申候めのわらは、としさん十六。又そのむすめなでしと申候は、ことし十六。又九になり候むすめと、おや子さんにん候也。又はつね、そのむすめのいぬまさ、ことし十二。又ことりと申おんな、としさん十四。又あんとうしと申おとこ。さて、けさがことしみつになり候おのこゞは、人の下人にぐしてうみて候へば、ちゝをやにとらせて候也。
おほかたは、人の下人に、うちのやつばらのぐして候は、よにところせき事にて候也。
已上、合、おんな六人、おとこ一人、七人也。
けんちやう八ねんひのえたつのとし七月九日
(花押)


(二)

わうごぜんにゆづりまいらせて候し下人どものせうもんを、せうまうにやかれて候よしおほせられさふらへば、はじめたよりにつけて申て候しかども、たしかにや候はざるらんとて、これはたしかのたよりにて候へば申さふらふ。
まいらせて候し下人、けさおんな。おなじきむすめなでし、めならは、とし十六。そのおとゝいぬわう、めのわらは、とし九。又まさおんな、おなじきむすめいぬまさ、とし十二。そのおとゝ、とし七。又ことりおんな。又あんとうし、おとこ。
已上、合、大小八人なり。これらはことあたらしく、たれかはじめてとかく申さふらふべきなれども、げすはしぜんの事も候はんためにて候也。
けんちやう八ねん九月十五日 ゑしん(花押)
わうごぜんへ
又いづもがことは、にげて候しのちは、さうたいなき事にて候うへ、子一人も候はぬうへ、そらうのものにて候が、けふともしらぬものにてさふらへども、おとゝしそのやうは申て、物まいらせて候しかば、さだめて御心へは候らむ、御わすれ候べからず候。あなかしこ、あなかしこ。
(花押)
いまは、あまりとしより候て、てもふるへて、はんなどもうるはしくはしへ候はじ、さればとて御ふしんはあるべからず候。
(花押)


の「もんぞもやかせ給て」や「せうまうにやかれて候よしおほせられさふらへば」の『恵信尼消息』(手紙)があるのは、この火事のことを指すか。また恵信尼公が建長八年七月九日と記しているので、御開山が火事にあわれたのは八十三歳の建長七年十二月十日であることが判る。(浄土真宗聖典全書二p.1029)


  1. 恵信尼公が越後から送った下人の譲状が火事で焼失したので、それを証明するために娘の覚信尼に送られた消息であろう。