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択瑛法師

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

『樂邦文類』弁横竪二出文

辨横竪二出 桐江法師擇瑛(弁横竪二出 桐江法師択瑛)
 桐江の法師択瑛、横竪二出を弁ず。

竪出者。聲聞修四諦。縁覺修十二因縁。菩薩修六度萬行。此渉地位。
竪出とは、声聞は四諦を修し、縁覚は十二因縁を修し、菩薩は六度万行を修してこの地位を渉(わた)る。
譬如及第。須自有才學。又如歴任轉宮。須有功効。
たとへば及第の、すべからく自に才覚あるべきがごとし。また歴任転官のすべからく功効あるがごとし。
横出者。念佛求生淨土。譬如蔭叙功由祖父他力。不問學業有無。
横出とは、念仏して浄土に生ずることを求む。たとへば蔭叙の功は祖父の他力に由り、学業の有無を問わざるがごとし。
又如覃恩普轉。功由國王。不論歴任淺深。
また覃恩[1]、普転して功 国王に由って歴任の浅深を論ぜざるがごとし。
於横出中。有定散二善。故善導和尚立專雜二修。
横出の中において、定散の二善あり。故に善導和尚は専雑二修を立つ。
雜修者。謂散漫修諸善業。迴向莊嚴也。
雑修とは、謂く散漫に諸の善業を修し、荘厳に迴向するなり。
專修者。身須專禮阿彌陀佛。不雜餘禮。
専修の者は、身に須く専ら阿弥陀仏を礼すべし。余礼を雑えず、
口須專稱阿彌陀佛。不稱餘號。不誦餘經呪。
口に須く専ら阿弥陀仏を称し、余号を称せず、余経呪を誦せず。
意須專想阿彌陀佛。不修餘觀。若專修者。十即十生百即百生。
意 須く専ら阿弥陀仏を想すべし。余観を修せず、もし専修の者は十即十生 百即百生なり。
若雜修者。百中或得一兩人生。千中或得三五人生。
もし雑修の者は、百中に或いは一 両人、〔往〕生を得、千中に或いは三五人、〔往〕生を得。
今見世人。有一日禮阿彌陀佛 三千拜者。日稱阿彌陀佛十萬聲者。有晝夜習坐 專想阿彌陀佛者。並有感應。斯可驗也。
今、世人を見るに、一日阿弥陀仏を礼し三千拝する者、日に阿弥陀仏を称えること十万声の者、昼夜習坐[2]、専ら阿弥陀仏を想する者あらば。並に感応あり、斯れ験(しるし)なるべし。

  1. 覃恩(たんおん):天子が賞賜などの恩恵をほどこすこと。
  2. 習坐。ここの習は繰り返しの意で、幾たびも仏前に座してのこと。