鳳潭
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
法霖師の創られた『対食の偈』は、仏教問答を論じあった当時きっての学僧、華厳宗の鳳潭師から浄土真宗には食事の言葉はないのかと問われ、即興で創られたといふ。→対食の偈
私は何時も言いますが『教行証文類』というのは凄く難しいのです。浄土真宗というのは無茶苦茶に難しい宗教なのです。何百年に一人、千年に一人出るか出ないかという程の天才が、それこそ精魂込めて書いた書物はそう簡単に分かるものではないのです。簡単に分かるものでないから八百年間も読んでも皆が「解らない解らない」と言っている訳です。だから聖道門の教えの方がズウーと解り易いです。天台にしても華厳にしても解ります。それが解らないのは頭が悪いのです。だけど浄土真宗はそうではない。これは本当にもの凄く難しい。聖道門の方は頭が悪いか、それとも修行しないかのどちらかです。修行するか頭が良かったらどちらかで分かるのです。どちらにしても人間の延長線上で分かるのです。ところが浄土真宗の教えだけはダメです。「極難信」というだけはあります。結構難しい教えです。だから法然聖人の『選択集』でもそうでしょう。あれは書いてある事はズウーと明晰なのです。ところが「何故にそうなるのか」と言われたら全然解らないのです。だから浄土真宗は難しい教えなのです。それを理解しようというのですから大変なのです。
そんな事で経の当分と、善導大師の釈と、更に親鸞聖人の釈と三重の構造になっていますから、それを解きほぐしていかないと解らないのです。その根底には「私には今は解らないけれども御開山の仰っている事に間違いは無いのだ」とそれくらいの事を思っていないとダメです。そこで「何故か」等という事を考えたら「分からない」と手を上げてしまいます。華厳の鳳潭という江戸時代の中期に出ました学者が「親鸞というのは気違いだ」といったのです。何故かというと「彼の書いた本を読んでも私には解らない」というのです。「私は古今東西の本を読んだが解らなかった本は無い」というのです。それが「親鸞だけは解らない」というのです。だから「私に解らないものを書くのは気違いに決まっている」と言ったのです。自分に分からないものを書くのは気違いだと言うのですから、しかしさすがに見抜いたのですね。それで論難してきたのです。たまたま浄土真宗には法霖師がおりましたので逆に論駁しました、さすがの鳳潭が黙ってしまったという事があるのです。法霖が『浄土接衝編』を書いたのは三十九才です。尤も四十過ぎて師匠の若霖が亡くなった後にすぐに能化なるのですけれども四十三才位で能化になるのです。三十九才から四十才代にかけて鳳潭と大論争をする訳です。この鳳潭という人は凄い人なのです。この頃に有名な富永仲基(一七一五-四六)という大乗非仏説を初めて論証した人がいます。彼は大阪の商人なのです。大阪にはそんな人が出て来るのです。大阪の一流の商店というのは暖簾が大事でしょう。だから長男には後を継がせないのです。自分の息子に後を継がせないのです。丁稚から叩き上げた商売について非常に堅実な、そしてそれだけの力を持っているものを何百人といる中から一人選び出して育て上げまして、それを純粋培養するように育て上げて娘と見合わして養子にするのです。長男とか次男という男には捨て扶持を与えるのです。そして勉強をさせたり、戯曲書いたり、本を読むのだり、詩を作ったり、俳句を作ったりして文人墨客になるのです。彼等には一生涯生活出来るように財産を与えて隠居させるのです。その様にして暖簾を護ってきたのです。だから船場の商人は殆ど養子なのです。たたき上げた養子なのです。その中で一番良いのが江州から連れて来たものが一番良いというのです。江州商人といわれ堅実な、しかも浄土真宗の信仰に裏付けられた大変堅実な人達です。
その富永仲基はもの凄い人で亡くなったのは三十一才くらいなのです。彼が「大乗経典は仏説ではない。釈尊のものではない」とを言ったのです。大蔵経を全部読み通してしまっているというのです。それも一遍や二編ではないでしょう。彼は時々仏教の講義を聞きに行っているのです。私が講義を聞いた中で聞くに堪えたのは鳳潭の講義だけだというのです。鳳潭の講義だけは聞くに堪えた。後の連中の講義なんて聞けるようなものではないといっているのです。その天才富永が誉めた程の人なのです。鳳潭という人は浄土宗、日蓮宗、浄土真宗となで切りした訳です。彼が『教行証文類』を読んで全然解らないと言うのです。何を言いたいのかさっぱり解らない。私が読んで解らないものを書くのは頭がおかしい、だから気違いだと言ったというのです。それは善意を以て読むか、悪意を以て読むかです。『教行信証破壊論』というのを浄土宗の人が書きますけれども、悪意を以て読んだら『教行証文類』というのはメチャメチャだというのです。
この『教行証文類』は信仰を持って読まないと絶対に手の付けようが無いという事です。昔は若いものには読ませてはいけないと言われていたのです。蓮如上人だって二十才を過ぎてから伝授を受けていらっしゃるのです。『教行証文類』は二十歳以前のものには読ますなと言われたのです。それ位の書物なのです。