凡数の摂

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ぼんじゅのしょう

 凡夫の仲間。(信巻 P.216, 二門 P.550序分義 P.393)


 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
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信巻と入出二門偈で意味が逆転している事に注意。林遊

信巻では「序分義」を引いて「この五濁・五苦等は六道に通じて受けて、いまだなきものはあらず。つねにこれに逼悩す。もしこの苦を受けざるものは、すなはち凡数の摂にあらざるなり」(信巻 P.216)のように、煩悩により苦悩している者を「凡数の摂」(凡夫の仲間(数)におさまる(摂)という意)とし、その凡数を摂取するものが本願であると示される。 →]

しかし、二門偈では本願により信を獲た凡夫は「この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。」(二門 P.550)とされ、信を獲た凡夫を讃嘆する意味に転じておられる。 →五種の嘉誉