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差別

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

しゃべつ

差別 しゃべつ 〔平等〕

① 現象界における個々の事象のように、彼と此と別異であることをを差別といい、万象における普遍絶対の本体(しんにょ)のように、差別のないことを平等という。ただし差別と平等を切り離して考えないで、差別即平等とみるのが大乗仏教である。
② また他と区別された、そのものの特殊点を、「殊勝」の意味で差別と称することもある。
③ 因明(論理学)では命題(宗)の主辞を自性というのに対して、その賓辞(ひんじ)を差別という。(仏教学辞典)

賓辞(述語)。

明治期以降、英:discriminationを仏教語の差別の語にあてて、偏見によって人種や特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為を仏語を借用して差別と表現するようになった。欧米では黒人を人ではなく商品である奴隷として売買する人種差別の歴史があったので、その反省と自責から差別意識の否定を強調するようになったのであろう。 もちろん仏教にも釈尊当時のインドにはカースト制度があり、階級差別・女性差別・障害者差別などもあった。それに対して『スッタニパータ』には「生まれによって卑しい人やバラモンになるわけではない。行為によって卑しい人にもバラモンにもなる」と云われていた。また隷民(床屋)であったウパーリ(優波離)と王族の子弟が共に出家を願った時、サンガの序列では出家の時を起点とするのでウパーリを先に出家させたといわれる。

ともあれ、愛や自由といふ概念は仏教では、貧愛や自由の妄説のように否定的に使われてきたのだが欧米思想との交流により肯定的に理解されるようになったと同じように仏教語の差別も意味の変遷がおこったのであろう。