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御臨末の御書

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ごりんまつのごしょ

御臨末の御書

我が歳きはまりて、安養浄土に還帰すといふとも、
和歌の浦曲(うらわ)のかたを浪の[1]、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ
一人居て喜ばゝ、二人と思ふべし、
二人居りて喜ばゝ、三人と思ふべし、
その一人は親鸞なり
   我なくも法は尽きまじ和歌の浦
     あをくさ人[2]のあらんかぎりは
弘長二歳十一月
愚禿親鸞 満九十歳 
「御臨末の御書」

九首和讃

 文体から見て後世に御開山に仮託した創作だろうといわれる。 御開山は和歌は綺語(ウタヲヨミ イロヘ コトバ ヲ イフ)として使われず、当時庶民の流行歌謡であった七・五調の今様といふ実直な形式で仏徳を讃詠されたのであった。「我なくも 法は尽きまじ和歌の浦 あをくさ人のあらんかぎりは」などいふ技巧的な和歌を詠まれることはありえないと思ふ。
ただし、御開山をどのように後世の門徒が敬慕していたかを示し伝承する文としては良い。一人居て喜ばゝとは、一人で念仏して喜ぶ意である。なお御開山の特徴としては当時には珍しく和歌を詠まなかったことである。


  1. 山部赤人の歌「和歌の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る」の「潟を無み」をもじった言葉で、打ち寄せる波を意味する。ここでは寄せかける波にたとえて御開山の還相をあらわそうとしているのであろう。
  2. あをくさ人。青草人。人々を草木の繁茂に例える。→群萌