憲法十七条
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本書の「憲法」という語は、現在用いられているような法制上の用語ではなく、本書は聖徳太子の政治理念・政治哲学が表明されたものである。その内容は、例えば「和らかなるをもつて貴しとなし」(第一条)、「篤く三宝を敬ふ。三宝は仏・法・僧なり」(第二条)、「われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫ならくのみ」(第十条)など、仏教理念を根本としたものである。とくに第十条は、『歎異抄』(後序)の「聖人の仰せには、善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」というものへの影響も考えられよう。
親鸞聖人は太子を観音菩薩の化身と崇められ、『正像末和讃』のなかに「皇太子聖徳奉讃」十一首、その他『皇太子聖徳奉讃』七十五首、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』百十四首を製作されている。また『尊号真像銘文』には「皇太子聖徳御銘文」を挙げておられ、門弟たちに太子の真像の讃銘を書き与えられたことが知られ、聖人の太子に対する讃仰の念の深さをうかがうことができる。
憲法十七条
- 憲法十七条
夏四月の丙寅の朔戊辰に、皇太子(聖徳太子)、みづからはじめて憲し き法十七条作りき。
一にいはく、和らかなるをもつて貴しとなし、忤ふることなきを宗となす。 人みな党あり。また達れるひと少なし。ここをもつてあるいは君・父に順はず、また隣里に違へり。しかれども上和らぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなはち事理おのづからに通ふ。なにの事かならざらん。
二にいはく、篤く三宝を敬ふ。三宝は仏・法・僧なり。すなはち四つの生れの終りの帰、万の国の極めの宗なり。いつの世、いづれの人か、この法を貴ばざらん。人はなはだ悪しきもの鮮なし。よく教ふるときはこれに従ふ。それ三宝に帰りまつらずは、なにをもつてか枉れるを直さん。
三にいはく、詔を承りてはかならず謹め。君をばすなはち天とす、臣をばすなはち地とす。天は覆ひ地は載せて、四つの時順ひ行はれて、万の気、通ふことを得。地、天を覆はんとするときは、すなはち壊るることを致さまくのみ。ここをもつて君のたまふときは臣承る。上行ふときは下靡く。故詔を承りてはかならず慎め。謹まずはおのづからに敗れなん。
四にいはく、群卿・百寮、礼びをもつて本とせよ。それ民を治むるの本、かならず礼びにあり。上礼びなきときは下斉ほらず、下礼びなきときはもつてかならず罪あり。ここをもつて群臣礼びあるときは位の次乱れず、百姓礼びあるときは国家おのづからに治まる。
五にいはく、餮を絶ち欲を棄てて、あきらかに訴訟を弁めよ。それ百姓の訟へ、一日に千の事あり。一日すらもなほ爾なり。いはんや歳を累ねてをや。このごろ訟へを治むるひとども、利を得て常とし、賄を見ては讞すを聴く。すなはち財あるものの訟へは、石をもつて水に投ぐるがごとし。乏しきものの訴へは、水をもつて石に投ぐるに似たり。ここをもつて貧しき民はすなはちせんすべを知らず。臣の道、またここに闕けぬ。
六にいはく、悪しきを懲らし善れを勧むるは、古の良き典なり。ここをもつて人の善れを匿すことなかれ。悪しきを見てはかならず匡せ。それ諂ひ詐くものは、すなはち国家を覆すの利き器たり、人民を絶つの鋒き剣なり。また佞み媚ぶるものは、上に対ひてはすなはち好みて下の過りを説き、下に逢ひてはすなはち上の失ちを誹謗る。それこれらのごとき人、みな君に忠しさなく、民に仁みなし。これ大いなる乱れの本なり。
七にいはく、人おのおの任しあり。掌ることよく濫れざるべし。それ賢哲官に任すときは、頌むる音すなはち起る。奸しきひと官を有つときは、禍ひ乱れすなはち繁し。世に生れながら知る人少なし。よく念ふときに聖となる。事、大いなり少けきことなく、人を得てかならず治まる。時、急き緩きことなく、賢に遇ふ、おのづからに寛るかなり。これによりて国家永久にして、社稷危ふからず。故古の聖の王は、官のためにもつて人を求めて、人のために官を求めたまはず。
八にいはく、群卿・百寮、はやく朝りておそく退づ。公の事&M023076;なし。終日に尽しがたし。ここをもつておそく朝るときは急やけきに逮ばず、はやく退づるときはかならず事尽きず。
九にいはく、信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善さ悪しき、成り敗らぬこと、かならず信にあり。群臣ともに信あらば、なにの事かならざらん。群臣信なくは、万の事ことごとくに敗れなん。
十にいはく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、われ是みすればすなはちかれは非んず。われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。ここをもつてかれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たりといへども、衆に従ひて同じく挙へ。
十一にいはく、あきらかに功み・過りを察て、賞し罰ふることかならず当てよ。日ごろ、賞すれば功みに在いてせず、罰へば罪に在いてせず。事を執れる群卿、よく賞・罰へをあきらかにすべし。
十二にいはく、国司、国造、百姓に斂らざれ。国にふたりの君あらず、民にふたつの主なし。率土の兆民は、王をもつて主とす。所任せる官司は、みなこれ王の臣なり。いかにぞあへて公と、百姓に賦斂らん。
十三にいはく、もろもろの官者に任せるは、同じく職掌を知れ。あるいは病し、あるいは使ひありきとて事に闕ることあり。しかれども知ること得んの日には、和ふこと曾より識るがごとくにせよ。それあづかり聞くことなしといふをもつて、公の務をな防ぎそ。
十四にいはく、群臣・百寮、嫉み妬むことあることなかれ。われすでに人を嫉むときは、人またわれを嫉む。嫉み妬む患へ、その極まりを知らず。このゆゑに智おのれに勝るときはすなはち悦びず、才おのれに優れるときはすなはち嫉妬む。ここをもつて五百にて後いまし今賢に遇ふとも、千載にてももつてひとりの聖を待つこと難し。それ賢・聖を得ずは、なにをもつてか国を治めん。
十五にいはく、私を背きて公に向くは、これ臣の道なり。すべて人私あるときはかならず恨みあり。憾みあるときはかならず同ほらず。同ほらざるときはすなはち私をもつても公を妨ぐ。憾み起るときは、すなはち制に違ひ法を害る。故初めの章にいはく、上下和ひ諧ほれといへるは、それまたこの情なるかな。
十六にいはく、民を使ふに時をもつてするは、古の良き典なり。故に冬の月に間あり、もつて民を使ふべし。春より秋に至るまでにて農桑の節なり、民を使ふべからず。それ農せずはなにをか食らはん、桑らずはなにをか服ん。
十七にいはく、それ事、独り断むべからず。かならず衆とよく論ふべし。少けき事はこれ軽しく、かならずしも衆とすべからず。ただ大いなる事を論ふに逮んでは、もしは失りあること疑はしきときあり。故に衆とあひ弁ふるときは辞すなはち理を得。