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探湯不及の情

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

たんとう-ふぎゅうのじょう

 悪をさけ善を求めるこころ。 悪を見れば熱湯に手を入れてすぐひっこめるようにこれをさけ、善を見れば及ばずとも求めたいと思うこと。 もと『論語』 季氏(きし)篇に出る。 (論註 P.116)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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孔子曰。見善如不及。見不善如探湯。

孔子曰く、善を見て及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。

吾見其人矣。吾聞其語矣。隱居以求其志。行義以達其道。

吾其の人を見る。吾其の語を聞く。隠居して以つて其の志を求め、義を行いて以つて其の道を達す。

吾聞其語矣。未見其人也。

吾其の語を聞く。未だ其の人を見ざるなり。