本願鈔
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
- 本願鈔
『大无量寿経』(巻下)言、
「諸有衆生聞其名号、信心歓喜、乃至一念至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転。」
又(大経*巻下)言、
「其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転。」
同『経』流通(大経*巻下)言、
「仏語弥勒、其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念、当知、此人為得大利、則是具足无上功徳。」
又同『経』(大経*巻下)言、
「設満世界火、必過要聞法、会当成仏道、広済生死流。」
光明寺和尚(礼讚)曰、
「設満大千火、直過聞仏名、聞名歓喜讚、皆当得生彼。」
同御釈(礼讚)曰、
「弥陀智願海、深広无涯底、聞名欲往生、皆悉到彼国。」
わたくしにいはく、この経釈の文にまかするに、黒谷の聖人W源空Rより本願寺の聖人W親鸞R相承しましますところの、報土往生の他力不思議の信心を、善知識ありて、つたへときてさづくるを、行者きゝうるによりて、文のごとく一念歓喜のおもひをこるにつきて、往生たちどころにさだまるを、正定聚のくらゐに住すともいひ、かならず滅度にいたるともいひ、摂取不捨の益にあづかるともいふなり。このときを、すなはち凡夫自力の心のつくるときなれば、こゝろのをはりともいふべし。しかれば、ふたゝび臨終をまつべきにあらず、来迎をたのむべきにあらず。信心のさだまるとき往生またさだまるゆへなり。おほよす来迎は諸行往生にあるべし、弥陀の本願にあらず。しかれば、来迎あるべしと行者これをまつとも不定なるべし。しかれば、本願の生起本末をきくところにて、ときをへだてず日をへだてずして、たちどころに往生さだまるなり。しかれば、きくところにて往生さだまるべきによりて、経釈ともに、きゝて一念せよとすゝめたまへり。しかれば黒谷・本願寺の両聖人の御化導、経釈符合せる条、文にありてあきらかなるものをや、しるべし。
黒谷聖人(選択集)のたまはく、
「当知、生死之家以疑為所止、涅槃之城以信為能入。」
本願寺聖人(行巻)のたまはく、
「憶念弥陀仏本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩。」
わたくしにいはく、この御釈のこゝろは、弥陀仏の本願を善知識よりきくにつきて、憶念すればすなはちのとき往生さだまるとなり。「唯能常称」とは、往生すでにさだまりぬとしりてのちは、御名をとなへて如来の恩徳をむくひたてまつるべしとなり、しるべし。
「顕浄土真実信文類」三曰W本願寺聖人御製作R、
「真実信心必具名号、名号必不具願力信心也。」
わたくしにいはく、この文のこゝろは、「真実の信心にはかならず名号を具す」といふは、本願のをこりを善知識のくちよりきゝうるとき、弥陀の心光に摂取せられたてまつりぬれば、摂取のちからにて、名号をのづからとなへらるゝなり。これすなはち仏恩報謝のつとめなり。「名号必不具願力信心也」といふは、名号をとなへて、この名号の功力をもて浄土に往生せんとおもふは、名号をもてわが善根とおもひ、名号をもてわがつくる功徳とたのむゆへに、如来の他力をあふがざるとがによりて、まことの報土にむまれざれば、名号にはかならずしも願力の信心を具せざるなりと釈したまへり、しるべし。
本願抄一帖
応安四年W辛亥R後三月晦日書写信州善教房書与也
先考御作也 存覚