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玄中寺

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

げんちゅうじ

 【左訓】「曇鸞の造らせたまひたる御(おん)寺なり。道綽は鸞師の御(おん)弟子なり。この寺に道綽はつぎておはしましけり」(異本)(高僧 P.583)


げんちゅうじ

 曇鸞(476-542)・道綽(562-645)・善導(612-681)三師のゆかりの寺。中国の山西省交城県石壁山の南にある。北魏の末、曇鸞大師は幷州(へいしゅう)の寺(一説に大巌寺)を出てこの寺に移って浄業を修め、梁の蕭王、東魏の孝静帝の帰依を受けた。

隋の大業年間(605-616)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は玄中寺にたつ曇鸞大師の碑文を読んで浄土教に帰し、当地に浄土九品(くぼん)道場を営んだ。 また善導(ぜんどう)大師もこの玄中寺に道綽禅師を訪ねてその門に投じ、以後数年間教化(きょうけ)を受けられた。なお現在の正式名は永寧禅寺である。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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