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空性

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

くうしょう

 真如(しんにょ)法性(ほっしょう)と同義とみる説、虚空(こくう) (空間領域) とみる説などがある。 (般舟讃 P.793)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

インクルード 浄土宗大辞典

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:空

くう/空

すべての存在には実体(自性)がないことをいう。一切皆空いっさいかいくうと表現することもある。からの状態を指し、「無我」と同義。原語はⓈśūnyaという形容詞で、その名詞形Ⓢśūnyatāは「空性」と漢訳される。仏教では、すべての事物が因縁によって生起していることを意味する縁起を説くが、この因縁によって生起しているということは、一切は他に依って存在し、それ自身で独立して存在してはいないから、永遠不変の固定的実体はなく、したがって空ということになる。つまり、縁起せるものには実体がなく(無自性)、実体がない(無自性)故に空なので(縁起→無自性→空)、空とは縁起を言い換えたものとも考えられる。この空思想は初期経典でも説かれていたが、その発達はまだ不充分であり、大乗仏教の時代になってはじめて、『般若経』等が空思想を強調するようになった。空も様々な説かれ方をするが、ここでは最も基本的な人空(人無我)と法空(法無我)の二空(二無我)を取り上げる。人空とは、人間の内なる実体としての自我は五蘊ごうんが仮に集まっただけのものであるから空無であることを意味し、法空とは、外界のあらゆる存在(法)は因縁によって生起したものであるから、永遠不変の固定的実体はないことをいう。通常、人は自分(人)および外界の存在(法)に永遠不変の実体(我)を認めてこれに執着するが、すべては無常無我であるから、それらに対する執着や依存は必ず裏切られ、結果として苦をもたらす。よって空思想は、この執着を破る役割を果たすといえる。『般若経』で強調されるようになった空思想は、龍樹(ナーガールジュナ)がさらに哲学的な考察を加え、彼の主著『中論』二四章一八偈では「我等は縁起せるものを空と説く。それは仮説(言葉による表示)であり、また中道である」(正蔵三〇・三三中)と説かれるが、この「空・仮・中」は後に天台教義の「三諦」として理論化が進んだ。


【参照項目】➡無我縁起色即是空空即是色三諦


【執筆者:平岡聡】