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虚妄分別

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

こもう-ふんべつ

 物事の真相を間違えたまま理解し、判断すること。「虚妄」は嘘のこと。



◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:虚妄分別

こもうふんべつ/虚妄分別

縁起によって生じた法を実体として誤認する心作用のこと。Ⓢabhūtaparikalpaの訳語。錯覚などとは異なり、衆生はおよそ縁起の中で現れる諸法を実体視し活動するが、これら諸法を言語的に認識して経験の基盤を作り出すのが虚妄分別であり、煩悩を生じるもととなる。法相宗では特に、顕現した表象を「わたしがそれを認識している」という主客二分の形式で対象化する側面を強調し、仏地以外のすべての心・心所が虚妄分別であるという。


【執筆者:小澤憲雄】

オンライン版 仏教辞典から転送

虚妄分別

abhūta-parikalpa (S)

 妄りに事理を分別すること。言語をともなう概念的心理作用。三性では、依他起性を指す。

人間の認識作用を、仏教では「」(vijñāna)といい、唯識では8種の識をたてる。これらは、まとめて「分別」・「妄分別」(vikalpa)・「虚妄分別」とも言われるように、仏教では日常的な我々の心理作用を誤ったものととらえる傾向がある。つまり、言葉を用いた概念的思考の誤謬性を強調する。

 「中弁分別論』の相品で、虚妄分別の自相として

として似現(じげん)する識が生ずる

という。
また、偈には

 虚妄分別有りて、彼處に二あることなし。彼の中に唯だ空あり、此において亦た彼あり。
 故に一切法を説いて、非空・非不空とし、有無及び有の故に、是れを中道義と名づく。

と説いている。