顕正流義鈔
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
Ⅵ-1175顯正流義鈔[本]
それ一向專修の行者は、ひとへに萬行諸善をさしおき、疑心自力のこゝろをすてゝ、ひとすぢに本願をたのみ、もはら名號をとなふべきなり。そのゆへは、彌陀の弘誓は四十八なれども、第十八の願を本とす。釋尊また「一向專念無量壽佛」(大經*卷下)ととき、諸佛はしたをのべて專持名號の說を證誠したまふ。そのほか、天竺の菩薩・唐土の祖師・和朝の人師、こゝろをつくし、ことばをあらはして勸進す。佛はおゝくましますといへども、彌陀はいまのときのわれら衆生に縁ふかし。法はよろづにわかれたれども、名號は末法五濁の根機に相應す。妙樂大師(十疑論)は「彌陀與此世界、極惡衆生、偏有因縁」と釋し、弘法大師は「人命无常、猶如蚨蝣、悠々寂室、念阿彌陀佛」とのたまへり。すでに顯密の先德、自宗をさしおきてこれをほむ。たとひ他宗・他門のひとなりとも、聖敎をあきらめ、學文にこゝろあらんは、いかでかこの法をそしらんや。おほよそ眞宗の法體は、あさきににたりといへども、あさからず。そのゆへは、盤特がごときの愚鈍のものもⅥ-1176行ずるにかたからず、提婆がごときの惡逆のともがらも信ずればたすかる。これまさに佛の本願のちからつよく、攝取の慈悲のふかきがいたすところなり。ひとこえも、まことをいたし、みなをとなふれば、西方安養の敎主は天眼遠見力をもちてみそなはし、天耳遙聞力をもちてきゝたまひて、いかなるしづがいほり・あまのとまやなりとも、一坐无移不動の道場をちがへずして、不來の來益をなしたまふなり。まことに神變不思議の境界、未曾有の勝利なり。このとき、南無稱名の機の往生さだまるなり。これを攝取來迎とも、報身來迎とも、平生業成とも、平生往生ともまふすなり。しかれば、佛はきたりたまふといへども、來にとゞまらず、本所・本坐をうごきたまはざるがゆへに。きたらずといへども、不來にとゞまらず、娑婆の機をきたりて護念したまふがゆへに。いまどきの行者、來不來のあらそひをなすことなかれ。たゞ佛の自在神力の不思議なり。もろもろの有智のものゝよくしることなり。『論の註』(卷上意)といふふみには「身うごきたまはずして、動搖無窮の德、極樂の佛・菩薩はまします」と、曇鸞和尙はあらはしたまへり。そもそも、別意の弘願は敎門にても判じがたく、他力の妙益は等覺の薩埵もしらざるところなり。ひとへに一心一行、專修專念せんにはしかじ。かⅥ-1177たじけなくも光明大師はまのあたり彌陀にあひたてまつりて、「一心專念名號」(散善義)と傳受し、源空聖人また大師にあひたてまつり、「專念彌陀」の法義をうく。親鸞上人、宗家・元祖の兩意を一器に受得し、關東におひて化道をあまねくしたまひしよりこのかた、西境におよび、南北・村里に遍滿す。まことに彌陀・釋迦・諸佛の御本懷、善導・法然・親鸞三師の御素意符合して、正像末の三時の機根をかゞみ、相應の法をあたへたまふがゆへなり。およそ人界の生ゑがたし、佛法またまふあひがたし。菩薩は爪上のつちをたとへとし、如來は優曇花のごとしととく。しかるに、われらいま、うまれがたき人界の生を感じ、あひがたき佛敎にまふあひたてまつること、まことに闇夜にともしびをえ、わたりに船をうるがごとし。むしろ一眼のかめの浮木につき、愁鴈の天にのぼるにあらずや。なかづくに、難行自力の敎門にもうまれあはずして、性德天然と易行他力の妙縁によること、これしかしながら彌陀佛の法の法爾自然の道理、よろこぶべしよろこぶべし、たのむべしたのむべし。たゞ佛に歸命し、阿彌陀ととなゑんにはしかじ。かくのごとく專念專修のすがたにて雜行雜修のこゝろもなく、異學・異見のひとにもいゝさまたげられざるを、決定心とも、金剛心とも、大信心とも、願作佛心とも、淨Ⅵ-1178土の大菩提心とも、利他深廣の信とも、他力の信心ともいふなり。さらに名號ありがたきと信じとなふるよりほかに、當流にはことなる義なし。ほのかにきく、法藏因位の修行をも、彌陀果位の利生をも、きかずしらずといふとも、稱念まことならば往生決定なるべし。かるがゆへに法然上人は、「觀念の念にもあらず。學文をして念のこゝろをさとりきわめてまふす念佛にもあらず。たゞ在家无智のあま入道の身にひとしくなして、こゝろに本願をたのみ、くちに南無阿彌陀佛ととなふるよりほかにさらに餘の子細なし。このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊のおんあわれみにはづれ、ながく无間地獄におつべし」(一枚起*請文意)と御誓言あり。また親鸞上人も「誓願を不思議と信じ、名號を不思議と信ずるほかに別の義なし。さればこの宗のこゝろはやうなきをやうとし、義なきを義とす」(古寫消*息一意)とおほせらるゝなりW御自筆于今有之R。しかるにこのごろ、くちには當門流と號して、ことばにはもはら大師・兩上人の御相承をちがへ、念佛まふしてたすからんとおもふは、自力なりといゝ、あるひは十九の願の心なりといゝ、あるひは諸行往生の義なりといゝ、あるひは彌陀・皇太子の繪像・木像をすて、あるひは代々相承の師をそしらせ、在家のあま入道の後生を損破するものこれあり。あに非道計道・非因計Ⅵ-1179因外道、付佛法の大外道にあらずや。まさにその罪業、阿鼻の苦果のがるべからず。つらつら謗法外道のすがたをたづぬるに、たすかる法おばたすからぬとしめして人のこゝろをさまたげ、たすからぬ法をばたすかるとおしへてひとの心をまよはす、これまさに謗法のともがらなり、外道のたぐひなり。經には「なれむつぶべからず、必定應墮地獄の機」ととく。かくのごとく、あくまゝ不淨說法して、みづからもまどひ、人をもまよはして、自他おなじく墮獄せんこと、あわれなることなり。はやく偏見の邪執をひるがへして、佛祖のごとく、本願他力の念佛をもて自行化他の要術とせよ。流祖上人の和したまふ『讚』にいはく、
「菩提をうまじきひとはみな 專修念佛にあだをなす 頓敎毀滅のしるしには 生死大海きわもなし」(正像末*和讚)
「念佛誹謗の有情は 阿鼻地獄に墮在して 八萬劫中大苦惱 ひまなくうくとぞときたまふ」(正像末*和讚)
「衆生有礙のさとりにて 無㝵の佛智をうたがへば 曾婆羅頻陀落地獄にて 多劫衆苦にしづむなり」(淨土*和讚)
鸞上人のおんながれをくまんいまのときの道俗ら、念佛の法體をいるかせに存ずⅥ-1180ることなかれ。こゝに予、當宗の元由に順じ、當流の奧旨にまかせて、みづからもつとめ、他おもすゝめて、稱名をことゝす。しかるあひだ、いま興ずるところの邪義聽聞のひとびと、あるひは後悔の心に住し、あるひは高慢の心をもちて、 とふていはく、念佛まふしてたすからんとおもふは自力なり。そのゆへは、くちにとなへ身におがむ、すでに自力の行なり。たすからんとおもふは、これまたわがこゝろよりおこるあひだ、自力の心なり。心行自力なれば、なんぞ他力の報土にうまれんや。こたふ。このたづね、はなはだ非なり。こゝろに佛の本願をたのまず、身口に名號を禮稱せずしてたすからんとおもふこそ、まことに自力なれ。すでに如來にまことをいたし、わがなをとなえんものをたすけんとおんちかひましますあひだ、われら、かの佛のおんちかひをたのみてたすからんとおもはん。これ至極の他力なり、なんぞ自力となるべきや。しらずや、彌陀覺王、法藏比丘のむかし、平等の慈悲にもよをされて、兆載永劫の修行をめされ、五劫思惟の御苦勞をなして、一切のわれら衆生根機にかわり、願行を圓滿し、わがなを本願とたて、もしは智慧のもの、もしは无智のもの、もしは持戒のもの、もしは破戒のもの、機の善惡をきらはず、こゝろの妄不妄をいはず、もしはひとこへ、もⅥ-1181しはとこへ、もしはかたちのつくるまで、いづれをももらさじ、たすけんとちかひたまふと、いまの『經』にねんごろに釋尊のときたまふをば、たゞこの誓約にまかせ、尊號をとなふればこそ、易行とはいへ、ひとへに佛の願力をたのめばこそ、他力にすがるとはまふせ。しかるに、わがくちにいゝ、こゝろにおもふあひだ、自力なりといはゞ、いかなる他力の行か、くちにもとなへず、こゝろにもおもはずして佛になるや。聖淨二門、自他二力の差別はありとも、一代敎のなかに、无信・无行の得道ありといふ說あるべからず。いかなる經論釋によりて、この義をたづぬるや。こふ、その證文をいだせ。きゝてその決判におよばん。もし文もなく證もなくは、魔說なるべし。聖敎に有目のともがら、たれかこれを信ぜんや。「外道のいへにこそ、无行・无信の勸化をもはらす」と、大師は「玄義分」(意)といふふみに釋したまへ。もとより當流のこゝろは、往生をば佛にまかせ、行者の所作には稱名せよとすゝむれば、わがこゝろのよきにつけても南無阿彌陀佛、あしきにつけても南無阿彌陀佛とたのむまでなり。これわがこゝろにたのみ、くちにとなふるにはにたりといへども、彌陀如來のほどこしあたへたまふ行、おこさしめたまふところの心なり。かるがゆへに他力の行・他力の心といふⅥ-1182なり。鸞上人は「これ行者のわがおこし行ずるににたりといへども、往相廻向の大行・往相廻向の大信、まさしく他力なり」と『敎行證』(行卷・*信卷意)に判じたまへり。わたくしのはからひをもちて、くちにいゝ、こゝろにおもふあひだ、自力なりといふこと、无下にあさましきことなり。正敎の道理をもしらず、祖師のおんこゝろをもうかゞわずして、愚癡・無智のともがら、邪推をもちて正法を批判することなかれ。またかの邪義聽聞のひと、とふていはく、念佛をまふしてたすからんとおもふは、十九の願のこゝろなり、諸行往生の義なりと、いかん。こたふ。このたづね、はなはだ非なり。『大無量壽經』に彌陀如來の四十八願を一一にあかすとして、第十八には念佛を生因と願じ、第十九には諸行の機をたすけんとちかひ、第廿には結縁のたぐひをつひにすくはんと誓願す。まことにあわれなるかな、願體分明なるをだにしらずして、十八はまさに念佛往生の願・往相廻向の願なるを、諸行往生といゝ、十九の願といふてひとをまどはす。あに文書に「非人は自の非をしらず」といふ、けだしこのたぐゐなり。第十八の願にいはく、「設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念、若不生者、不取正覺、唯除五逆、誹謗正法」(大經*卷上)といへり。おなじき成就の文にいはく、「諸有Ⅵ-1183衆生、聞其名號、信心歡喜、乃至一念、至心廻向、願生彼國、卽得往生、住不退轉」(大經*卷下)といへり。宗家大師、この本願の文を釋して、「若我成佛、十方衆生、稱我名號下至十聲、若不生者不取正覺。彼佛今現在成佛。當知、本誓重願不虛、衆生稱念必得往生」(禮讚)とのたまへり。または「如『無量壽經』四十八願中、唯明專念彌陀名號得生」(定善義)といへり。
Ⅵ-1184顯正流義鈔[末]
元祖聖人は「彌陀如來、餘行をもちて往生の本願としたまはず、たゞ念佛をもちて往生の本願とす」(選擇集)と釋し、「南無阿彌陀佛、往生の業には、念佛を本とす」(選擇集)といへり。流義の祖師は「この心はすなわちこれ念佛往生の願よりいでたり。この大願を選擇本願となづく」(信卷)とのたまへり。また『讚』(淨土*和讚)には「念佛成佛これ眞宗、萬善諸行これ假門、權實眞假をわかずして、自然の淨土をえぞしらぬ」とも和したまへり。すでに願文、おなじく成就の文には、「乃至十念」(大經*卷上)とちかひ、また「乃至一念」(大經*卷下)とあらはす。大師は「稱我名號」(禮讚)と釋し、元祖は「念佛本願」(選擇集)とあかし、祖師は「稱名正定業」(行卷意)と判ず。經釋分明なり。あへて念佛まふしてたすからんとおもふは、十九の願のこゝろ、諸行往生の義なりといふことなかれ。信行不離・機法一體は、この宗の己證、みなもとこの願のこゝろなり。信といふは、本願の名號をきゝてうたがわぬをいふ。行といふは、うたがはぬこゝろにて名號をとなふるをいふなり。されば鸞上人は「行をはなれⅥ-1185たる信もなく、信をはなれたる行もなし」(眞筆消*息三意)とのたまへりW御自筆于今在之R。ふかく名號を至心信樂するをこそ、正定聚の機とも、平生攝取往生の機とも、第十八願の機とも、卽往生とも、難思議往生とも、大經往生ともいふなり。第十九の願にいはく、「たとひわれ佛をゑたらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功德を修し、心をいたし發願してわがくにゝうまれんとおもはん。いのちおはらんときにのぞんで、たとひ大衆と圍遶してそのひとのまへに現ぜずんば、正覺をとらじ」(大經*卷上)といへり。當流の上人、「この願成就の文といふは、すなわち三輩の文これなり、また『觀經』の定散九品の文これなり」(化身*土卷)とのたまへり。願文あきらかに「修諸功德」とちかひ、祖師まさに三輩の諸善・九品の諸行をさして、「この願の成就」と釋す。機をいへば邪定聚の人、臨終來迎を期す諸行往生の機、至心發願欲生の機なり。また便往生とも、雙樹林下往生とも、觀經往生とも、十九の願の機ともいふなり。なんぞ念佛にてたすからんとたしなむを、この願のこゝろなりといふや。第二十の願にいはく、「たとひわれ佛をえたらんに、十方の衆生、わが名號をきゝ、念をわがくにゝかけ、もⅥ-1186ろもろの德本をうへ、心をいたし廻向してわがくにゝうまれんとをもはん。果遂せずんば、正覺をとらじ」(大經*卷上)といへり。この願のこゝろは、信じ行ずることあたはずといへども、なにとなくみゝに名號をふれ、また極樂といへばふかくねがふことはなけれども、一端まいらばやと念をかけ、一端のぞみをなし、すゑおもとをさぬものあり。あるひは名聞に信ずるかおゝし、あるひは利養に行ずるふりをするものこれあり。結縁のたぐひなり。まことに不定聚の機、至心廻向欲生の機、二十の願の機なり。また往生をいへば、難思往生なり、彌陀經往生なり。かくのごとく正定の行を不定におもひなして、順次の往生をせざるなり。しかりといへども、その結縁すてがたくおぼしめされて、三生にかならずたすけんと願をおこし、「不果遂者」とちかひたまへり。かみにいふがごとく、十八は念佛往生、十九は諸行往生、二十は結縁往生なり。この三願の意趣、かくのごとし。往生のすがた、三願にわたりたれども、その差別、天と地となり。そのゆへは、第十八は稱名信心の行者。攝機・生因のふたつのちからにて、本願眞實の報土に往生す。これ他力の正意なり。第十九は修諸功德の行者なり。これ生因本願の機にあらざるがゆへに、攝機のちからばかりにて、方便化土に往生す。これ他Ⅵ-1187力の傍益なり。第二十は定散自力の行者。係念遠離のすがたなり。しかるに十九・二十の願の機も、第十八願の機にならでは眞實報土にはいたらぬなり。まことにまことに實報華王の寶國は、みなもと名號所成の報土なるがゆへに、生ずるたねも稱名なり。つらつらこの理を案ずるに、阿彌陀の三字は、希有最勝の花文、无上甚深の法體なり。言語もたへ、心行もおよばず。果分のうへの果分、不可思議のうへの不可思議なり。たゞし、この三願を三經に配當し、三往生にあて、三定聚に配當することは、この流の義なり、よくよく後學あきらめよ。またかの邪義聽聞のひと、 とふていはく、繪像・木像は方便なり。これをたのみて益なし。代々相承の念佛をたゞすことなかれ。たゞわがいふところの念佛にてたすからんとおもふは自力なり、また諸行往生の義なり、また十九の願なり。かくこゝろふるを、善知識といふ。この義をたつるを、直說聖人といふ、このこといかん。こたふ。このたづね、はなはだ非なり。まづ繪像・木像をすつることは、五逆の罪人なり。つぎに念佛相承の血脈をすてさせ、經論釋の義をそむきて、新義をいふて正義と號する、これまさに謗法のひとなり。つたへきく、むかしわが朝にもりやの大臣こそ、佛像・經卷をやきすて、皇太子に敵をなす。なⅥ-1188かごろ日連法師こそ、念佛を无間業とたて、また方便の敎といふ。いま新義をたてゝ、ひとを佛法と號してすゝむるやから、もはら繪木の佛像をすて、皇太子の尊形をのけ、念佛方便といふ。あにかの同類にあらずや。あはれなるかなや、紅蓮・大紅蓮は、かれらがながきすみかなるべし。焦熱・大焦熱は、かの黨類所居たるべし。おそるべしおそるべし、したしむべからずしたしむべからず。そもそも繪木の佛像といふは、かたじけなくも住持三寶のなかの佛寶なれば、三國傳來の大師・先德、いずれかこれをあがめざりしぞ。法然・親鸞は、彌陀の繪像・木像おば、淨土の報佛の如來とあがめたてまつれとのたまへり。『選擇集』に恭敬修をあかすとして、「有縁の像敎をうやまえ」と釋す、このこゝろなり。なんぞくちには他力の行者といふて彌陀の本尊をのけ、かたちおば佛法者となして、弘通の恩をしらずして皇太子の形像をすつるや。「佛法の大恩を報ぜんがためにかたはらに皇太子を崇敬す」(御傳鈔*卷上意)と鸞上人のおほせられしによりて、かの法流をくむもの、多分太子を祖師として本尊にあがめ、あるひはかたはらにたつ。これ相承におひて、依用相承・血脈相承のふたつあり。その依用相承の義なり。いづⅥ-1189れの宗か、佛法の弘通をしらんひと、繪木の佛像をすて、皇太子をそしりたてまつるべき。そのうへ親鸞上人、當流弘通のはじめは、坂東ひたちのくにかさま、いなだといふところなり。かのてらの本尊、聖德太子にましますなり。これいまにあり。流義の上人、すでに皇太子を本尊として佛法をひろめはじめたまふなり。そのわが祖師の御在世のやうをだにしらぬみにて、當流の是非を沙汰し、おゝくのひとをまどはすこと、あに天魔の障㝵・波旬の所行にあらずや。ふしておもんみれば、泥木素像といふは、凡夫の肉眼をもちてよく感見まふし、无上の勝利をう。黃卷朱軸は、われら衆生の情度に應じて益をあたふ。剃髮染衣は、佛法增進のすがたなれば、見信のもの、功德を獲得せずといふことなし。あへているかせにおもふことなかれ。つぎに念佛の血脈をすてさすること、これまさにあさましきことなり。西天の佛法、いま東域に將來して八宗・九宗・十宗にわかれたりといへども、いづれの宗にか代々の師をすて、血脈いるまじきとたつるや。そのうへ當宗のこゝろは、彌陀の本願・釋尊の付囑、阿難・舍利弗うけたまひしよりこのかた、傳持のむねをいまにまたくするところなり。こゝをもつてⅥ-1190『選擇集』には、第一の章に宗の敎相をあかし、血脈をあらはすなり。『敎行證』には、「行の卷」に血脈をあげて、「六のまき」(化身*土卷)に流通分に、わが空聖人よりの御相承をくわしくしたまへり。かの文にいはく、「しかるに愚禿釋の鸞、建仁かのとのとりのとし、雜行をすてゝ本願に歸し、元久きのとのうしのとし、恩恕をかぶりて『選擇』を書しき。おなじきとし、初夏中旬第四日に、選擇本願念佛集の内題の字、ならびに南无阿彌陀佛、往生之業、念佛爲本と釋綽空の字と、空の眞筆をもちて、これをかゝしめたまふ。おなじき日、空の眞影をまふしあづかりて、圖畫したてまつる。おなじき二年うるふ七月下旬第九日、眞影の銘、眞筆をもちて南无阿彌陀佛と若我成佛、十方衆生、稱我名號、下至十聲、若不生者、不取正覺、彼佛今現在成佛、當知本誓重願不虛、衆生稱念必得往生の眞文をかゝしめ、またゆめのつげによりて、綽空の字をあらためて、おなじき日、おんふでをもちて名の字をかゝしめおわりぬ。本師聖人今年七旬三のおんとしなり。『選擇本願念佛集』といふは、禪定博陸W月輪殿兼實法名圓照Rの敎命によりてえらびあつむるところなり。眞宗の簡要、念佛の奧義、これに攝在せり。みるものさとりやすし。まことにこれ希有最勝の花文、无上甚深の寶典なり。としをわたりひをわたりⅥ-1191て、その敎誨をかぶるひと千萬なりといへども、したしといゝうときといゝ、この見寫をうるともがら、はなはだもちてかたし。しかるにすでに製作を書寫し、眞影を圖畫したてまつる。これ專念正業の德なり、これ決定往生のしるしなり。よりて悲喜のなみだをおさへて由來の縁をしるす」といへり。この御傳持のむねにまかせて、親鸞上人八十三のおんとし、定禪法橋に夢想のつげによりてうつさしめたまひしわが影に、自筆をもちて銘文をあそばし、おなじく撰集したまふところの『敎行證』一部六卷また眞筆に書し、建長七年乙卯冬のころ、高田開山眞佛上人・顯智上人に、ならべてあたへたまふ。これまことに付法相承の義顯然なり。鸞上人の直弟おほしといへども、親といゝ疎といゝ、御眞影をたまはり自筆に銘文をかゝしめ、眞筆の製作を傳受あること、これなし。嫡弟といゝ、付法といゝ、相承血脈の義、たれかあらそはんや。御自筆の『敎行證』、おなじく御自筆の銘文の御影、いまに傳持す。ゆめゆめ繪木の佛像をすて、血脈いるべからずとたつる義を本にすることなかれ。これまさしく祖師上人のおんをきてをしらずして偏執我慢の心につのり、利養のさけにゑひて名聞にくるうものゝ、くちにまかせていふことなり。
Ⅵ-1192いまあぐるところの三ケ條のたづねは、なかなか返答にをよばず。筆點にしるすにあたはずといへども、世間に流布して在家無智のあま入道をともなひ、いゝざたするなれば、かれらがあやまりのほどおもしらせ、また往生の信心をも治定せしめんため、かつふは破邪顯正は佛の本意、捨謬開悟は法の大途なれば、かみをとり、ふでをそめて、祖師相承の義趣に順じ、年來披見の聖敎にまかせて、かたのごとく草案註記す。自今已後も一宗一流の行者、彌陀・釋迦・善導・源空・親鸞の御本意のごとく、一心一向にもつぱら名號を稱念し、さらに餘行をまじへざれとすゝめんひとを、まことの善知識とたのむべし。よくよくこゝろをゑよ。祖師親鸞上人のおんながれをうけんもの、この疏のうへに不審あらば、我慢偏執の心をやめ、隱便无事のすがたにて、旅宿の草庵にきたりてたづねよ。しからば、鸞上人の御在世のおきてにまかせ、眞佛・顯智の御相傳のむねをもちて、經論釋を證として決判におよばん。なをなをこの三ケ條の難勢、いづれもまことしからずといへども、風聞にまかせこれをしるす。そのほか善導大師・法然上人の疏釋、當流にはいるべからずといゝ、また念佛にて亡者とぶらⅥ-1193うは自力なりといゝ、邊地より地獄におつるという。かくのごとくの新義きこゆ、もつてのほかの存外なり。なかなかふでにしるすにあらず、まことにあさましきことなり。これ管見推量の邪智の義なり。あひかまへて信用すべからず。
顯正流義鈔[末]
于時文明四年W壬辰R二月廿日 釋眞慧W記之R
Ⅵ-1194