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厭離穢土

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えんりえど  おんりえど

えんりえど 厭離穢土

 穢土を(いと)いとい離れたいと思うこと。『往生要集』に 「厭離穢土といふは、 それ三界は安きことなし、もつとも厭離すべし」 (七祖 797) とある。 →欣求浄土

「総序」には、

穢を捨て浄を(ねが)ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。(註 131)

と穢を捨ての「捨穢忻浄」とある。
『愚禿鈔』には、他力の中の自力の横出を、
【49】
 自利真実について、また二種あり。

一には厭離真実なり。
聖道門        難行道
竪出         自力
竪出とは難行道の教なり、厭離をもつて本とす、自力の心なるがゆゑなり。
二には欣求真実なり。
浄土門        易行道
横出         他力
横出とは易行道の教なり、欣求をもつて本とす、なにをもつてのゆゑに、願力によりて生死を厭捨せしむるがゆゑなりと。
と、他力の中の自力の横出を釈されておられた。御開山は衆生の側で真実を語ることは無かった。