いがくいけんいしゅう
異なった教えを学び、ことなった見解を持ち、正しい理の異なる思想・見解に執着すること。
(化巻 P.386)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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いがく-いけん-いしゅう 異学異見異執
異なった教えを学び、異なった見解を持ち、正しい理に異なる思想・見解に執着すること。「散善義」に深心を解釈して
- 「一切の別解・別行・異学・異見・異執のために退失傾動せられざるなり」(化身土巻引文・註 386)
とある。これについて、法然は『選択集』において
- 「一切の別解・別行・異学・異見等といふは、これ聖道門の解・行・学・見を指す」(七註 1248)
と述べ、浄土門とは異なる聖道門の思想・見解のこととする。親鸞は『一多文意』において、真実の信心を得た念仏者について
- 「異学・異見のともがらにやぶられず」(註 683)
と述べ、「異学・異見」に「ことごとをならひまなぶひとなり」と左訓を施しており、また、
- 「異学といふは、聖道・外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり、これらはひとへに自力をたのむものなり」(註 688)
とも述べ、仏教以外の外道をも含めた自力の者と解釈している。→別解別行(浄土真宗辞典)
- →異学異見
- →異学別解のひと
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