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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ある人いわく)
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 或人いはく、[[当流]]のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候ふやらん、如来・聖人(親鸞)の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また[[在々所々]]に小門徒をもちて候ふをも、[[このあひだ]]は[[手次]]の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候ふ。これもしかるべくもなきよし、人の申され候ふあひだ、おなじくこれも不審[[千万]]に候ふ。御ねんごろに承りたく候ふ。
 
 或人いはく、[[当流]]のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候ふやらん、如来・聖人(親鸞)の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また[[在々所々]]に小門徒をもちて候ふをも、[[このあひだ]]は[[手次]]の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候ふ。これもしかるべくもなきよし、人の申され候ふあひだ、おなじくこれも不審[[千万]]に候ふ。御ねんごろに承りたく候ふ。
  
 答へていはく、この不審[[もつとも]]肝要とこそ存じ候へ。かたのごとく耳にとどめおき候ふ分、申しのぶべし。きこしめされ候へ。
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 答へていはく、この不審[[もつとも]]肝要とこそ存じ候へ。[[かたのごとく]]耳にとどめおき候ふ分、申しのぶべし。きこしめされ候へ。
  
 故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」(歎異抄・六)とこそ仰せら<span id="P--1084"></span>れ候ひつれ。「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。
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 故聖人の仰せには、「[[親鸞は…弟子といはんぞ|親鸞は]]弟子一人ももたず」(歎異抄・六)とこそ仰せら<span id="P--1084"></span>れ候ひつれ。「そのゆゑは、[[如来の教法]]を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ[[如来の御代官]]を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。されば[[とも同行]]なるべきものなり。これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、[[かしづきて]]仰せられけり。
  
 
さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候ふ人をば、ことのほか切諫をくはへ候ひて、あるいはなかをたがひなんどせられ候ふあひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかやうにあひささへ候ふあひだ、われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。あさまし、あさまし。
 
さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候ふ人をば、ことのほか切諫をくはへ候ひて、あるいはなかをたがひなんどせられ候ふあひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかやうにあひささへ候ふあひだ、われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。あさまし、あさまし。

2005年10月16日 (日) 15:28時点における版

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御文章

一帖

 一 帖

ある人いわく

(1)

 或人いはく、当流のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候ふやらん、如来・聖人(親鸞)の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また在々所々に小門徒をもちて候ふをも、このあひだ手次の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候ふ。これもしかるべくもなきよし、人の申され候ふあひだ、おなじくこれも不審千万に候ふ。御ねんごろに承りたく候ふ。

 答へていはく、この不審もつとも肝要とこそ存じ候へ。かたのごとく耳にとどめおき候ふ分、申しのぶべし。きこしめされ候へ。

 故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」(歎異抄・六)とこそ仰せられ候ひつれ。「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。

さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候ふ人をば、ことのほか切諫をくはへ候ひて、あるいはなかをたがひなんどせられ候ふあひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかやうにあひささへ候ふあひだ、われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。あさまし、あさまし。

 古歌にいはく、   うれしさをむかしはそでにつつみけり こよひは身にもあまりぬるかな

「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。

「こよひは身にもあまる」といへるは、正雑の分別をききわけ、一向一心になりて、信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なり。かるがゆゑに身のおきどころもなく、をどりあがるほどにおもふあひだ、よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこころなり。あなかしこ、あなかしこ。   [文明三年七月十五日]

出家発心

(2)

 当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標せず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男女老少をえらばざるものなり。さればこの信をえたる位を、『経』(大経・下)には「即得往生住不退転」と説き、『釈』(論註・上)には「一念発起入正定之聚」(意)ともいへり。これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。 『和讃』(高僧和讃・九六)にいはく、「弥陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」といへり。

「外儀のすがた」といふは、在家・出家、男子・女人をえらばざるこころなり。

つぎに「本願名号信受して寤寐にわするることなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども、回心懺悔して、ふかく、かかるあさましき機をすくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり。さてこのうへには、たとひ行住坐臥に称名すとも、弥陀如来の御恩を報じまうす念仏なりとおもふべきなり。これを真実信心をえたる決定往生の行者とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。

  あつき日にながるるあせはなみだかな かきおくふでのあとぞをかしき

  [文明三年七月十八日]


猟漁(りょう、すなどり)

(3)

 まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。

このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明三年十二月十八日]

自問自答

(4)

 そもそも、親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして、来迎をも執せられ候はぬよし、承りおよび候ふは、いかがはんべるべきや。その平生業成と申すことも、不来迎なんどの義をも、さらに存知せず。くはしく聴聞つかまつりたく候ふ。

 答へていはく、まことにこの不審もつとももつて一流の肝要とおぼえ候ふ。 おほよそ当家には、一念発起平生業成と談じて、平生に弥陀如来の本願のわれらをたすけたまふことわりをききひらくことは、宿善の開発によるがゆゑなりとこころえてのちは、わがちからにてはなかりけり、仏智他力のさづけによりて、本願の由来を存知するものなりとこころうるが、すなはち平生業成の義なり。されば平生業成といふは、いまのことわりをききひらきて、往生治定とおもひ定むる位を、一念発起住正定聚とも、平生業成とも、即得往生住不退転ともいふなり。

 問うていはく、一念往生発起の義、くはしくこころえられたり。しかれども不来迎の義いまだ分別せず候ふ。ねんごろにしめしうけたまはるべく候ふ。

 答へていはく、不来迎のことも、一念発起住正定聚と沙汰せられ候ふときは、さらに来迎を期し候ふべきこともなきなり。そのゆゑは、来迎を期するなんど申すことは、諸行の機にとりてのことなり。真実信心の行者は、一念発起するところにて、やがて摂取不捨の光益にあづかるときは、来迎までもなきなりとしらるるなり。されば聖人の仰せには、「来迎は諸行往生にあり、真実信心の行人は摂取不捨のゆゑに正定聚に住す、正定聚に住するがゆゑにかならず滅度に至る、かるがゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし」(御消息・一意)といへり。この御ことばをもつてこころうべきものなり。

 問うていはく、正定と滅度とは一益とこころうべきか、また二益とこころうべきや。

 答へていはく、一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりとこころうべきなり。されば二益なりとおもふべきものなり。

 問うていはく、かくのごとくこころえ候ふときは、往生は治定と存じおき候ふに、なにとてわづらはしく信心を具すべきなんど沙汰候ふは、いかがこころえはんべるべきや。これも承りたく候ふ。

 答へていはく、まことにもつて、このたづねのむね肝要なり。さればいまのごとくにこころえ候ふすがたこそ、すなはち信心決定のこころにて候ふなり。

 問うていはく、信心決定するすがた、すなはち平生業成と不来迎と正定聚との道理にて候ふよし、分明に聴聞つかまつり候ひをはりぬ。しかりといへども、信心治定してののちには、自身の往生極楽のためとこころえて念仏申し候ふべきか、また仏恩報謝のためとこころうべきや、いまだそのこころを得ず候ふ。

 答へていはく、この不審また肝要とこそおぼえ候へ。そのゆゑは、一念の信心発得以後の念仏をば、自身往生の業とはおもふべからず、ただひとへに仏恩報謝のためとこころえらるべきものなり。されば善導和尚の「上尽一形下至一念」(礼讃・意)と釈せり。「下至一念」といふは信心決定のすがたなり、「上尽一形」は仏恩報尽の念仏なりときこえたり。これをもつてよくよくこころえらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明四年十一月二十七日]

雪の中

(5)

 そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三箇国のあひだより道俗・男女、群集をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとほり、いかがと心もとなく候ふ。そのゆゑは、まづ当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことわりは、他力の信心をえたるがゆゑなり。

しかれども、この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをもえたる人これ なし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事といふはこれなり。幸ひに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかやうにこころえられたる心中ぞや。千万心もとなき次第なり。所詮以前はいかやうの心中にてありといふとも、これよりのちは心中にこころえおかるべき次第をくはしく申すべし。よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。

そのゆゑは、他力の信心といふことをしかと心中にたくはへられ候ひて、そのうへには、仏恩報謝のためには行住坐臥に念仏を申さるべきばかりなり。このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こころざしをもいたすべきものなり。これすなはち当流の義をよくこころえたる信心の人とは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年二月八日]


睡眠

(6)

 そもそも、当年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠にをかされて、ねむたく候ふはいかんと案じ候へば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候ふ。まことにもつてあぢきなく名残をしくこそ候へ。さりながら、今日までも、往生の期もいまや来らんと油断なくそのかまへは候ふ。

それにつけても、この在所において以後までも信心決定するひとの退転なきやうにも候へかしと、念願のみ昼夜不断におもふばかりなり。この分にては往生つかまつり候ふとも、いまは子細なく候ふべきに、それにつけても、面々の心中もことのほか油断どもにてこそは候へ。いのちのあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候ふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じ候へ。明日もしらぬいのちにてこそ候ふに、なにごとを申すもいのちをはり候はば、いたづらごとにてあるべく候ふ。命のうちに不審も疾く疾くはれられ候はでは、さだめて後悔のみにて候はんずるぞ、御こころえあるべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。

  この障子のそなたの人々のかたへまゐらせ候ふ。のちの年にとり出して御   覧候へ。

  [文明五年卯月二十五日これを書く。]

弥生なかば

(7)

 さんぬる文明第四の暦、弥生中半のころかとおぼえはんべりしに、さもありぬらんとみえつる女性一二人、男なんどあひ具したるひとびと、この山のことを沙汰しまうしけるは、そもそもこのごろ吉崎の山上に一宇の坊舎をたてられて、言語道断おもしろき在所かなと申し候ふ。

なかにもことに、加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七箇国より、かの門下中、この当山へ道俗男女参詣をいたし、群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり、ただごとともおぼえはんべらず。

さりながら、かの門徒の面々には、さても念仏法門をばなにとすすめられ候ふやらん、とりわけ信心といふことをむねとをしへられ候ふよし、ひとびと申し候ふなるは、いかやうなることにて候ふやらん。

くはしくききまゐらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちて候へば、その信心とやらんをききわけまゐらせて、往生をねがひたく候ふよしを、かの山中のひとにたづねまうして候へば、しめしたまへるおもむきは、「なにのやうもなく、ただわが身は十悪・五逆、五障・三従のあさましきものぞとおもひて、ふかく、阿弥陀如来はかかる機をたすけまします御すがたなりとこころえまゐらせて、ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かたじけなくも如来は八万四千の光明を放ちて、その身を摂取したまふなり。これを弥陀如来の念仏の行者を摂取したまふといへるはこのことなり。

摂取不捨といふは、をさめとりてすてたまはずといふこころなり。このこころを信心をえたる人とは申すなり。さてこのうへには、ねてもさめても、たつてもゐても、南無阿弥陀仏と申す念仏は、弥陀にはやたすけられまゐらせつるかたじけなさの、弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏ととなへて報じまうす念仏なりとこころうべきなり」とねんごろにかたりたまひしかば、この女人たち、そのほかのひと、申されけるは、「まことにわれらが根機にかなひたる弥陀如来の本願にてましまし候ふをも、いままで信じまゐらせ候はぬことのあさましさ、申すばかりも候はず、いまよりのちは一向に弥陀をたのみまゐらせて、ふたごころなく一念にわが往生は如来のかたより御たすけありけりと信じたてまつりて、そののちの念仏は、仏恩報謝の称名なりとこころえ候ふべきなり。

かかる不思議の宿縁にあひまゐらせて、殊勝の法をききまゐらせ候ふことのありがたさたふとさ、なかなか申すばかりもなくおぼえはんべるなり。いまははやいとま申すなり」とて、涙をうかめて、みなみなかへりにけり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年八月十二日]

大津三井寺(吉崎建立)

(8)

 文明第三初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなくふとしのび出でて、越前・加賀諸所を経回せしめをはりぬ。よつて当国細呂宜郷内吉崎といふこの在所、すぐれておもしろきあひだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月二十七日よりかたのごとく一宇を建立して、昨日今日と過ぎゆくほどに、はや三年の春秋は送りけり。

さるほどに道俗・男女群集せしむといへども、さらになにへんともなき体なるあひだ、当年より諸人の出入をとどむるこころは、この在所に居住せしむる根元はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけてあひがたき仏法にすでにあへる身が、いたづらにむなしく捺落に沈まんは、まことにもつてあさましきことにはあらずや。しかるあひだ念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもはざらん人々は、なにしにこの在所へ来集せんこと、かなふべからざるよしの成敗をくはへをはりぬ。

これひとへに名聞利養を本とせず、ただ後生菩提をこととするがゆゑなり。しかれば見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月 日]

優婆夷

(9)

 そもそも、当宗を、昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申すなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆゑは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門・他宗に対してはばかりなくわが家の義を申しあらはせるいはれなり。これおほきなるあやまりなり。

それ当流の掟をまもるといふは、わが流に伝ふるところの義をしかと内心にたくはへて、外相にそのいろをあらはさぬを、よくものにこころえたる人とはいふなり。しかるに当世はわが宗のことを、他門・他宗にむかひて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流を人のあさまにおもふなり。かやうにこころえのわろきひとのあるによりて、当流をきたなくいまはしき宗と人おもへり。さらにもつてこれは他人わろきにはあらず、自流の人わろきによるなりとこころうべし。つぎに物忌といふことは、わが流には仏法についてものいまはぬといへることなり。他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかひてはもとよりいむべきこと勿論なり。またよその人の物いむといひてそしることあるべからず。

しかりといへども、仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずと、あきらかに諸経の文にもあまたみえたり。まづ『涅槃経』にのたまはく、「如来法中無有選択吉日良辰」といへり。この文のこころは、「如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなし」となり。また『般舟経』にのたまはく、 「優婆夷聞是三昧欲学者{乃至} 自帰命仏帰命法帰命比丘僧 不得事余道不得拝於天不得祠鬼神不得視吉良日」{以上}といへり。

この文のこころは、「優婆夷この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」といへり。かくのごとくの経文どもこれありといへども、この分を出すなり。ことに念仏行者はかれらに事ふべからざるやうにみえたり。よくよくこころうべし。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月 日]

吉崎

(10)

 そもそも、吉崎の当山において多屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに先世の宿縁あさからぬゆゑとおもひはんべるべきなり。それも後生を一大事とおもひ、信心も決定したらん身にとりてのうへのことなり。しかれば内方とならんひとびとは、あひかまへて信心をよくよくとらるべし。

それまづ当流の安心と申すことは、おほよそ浄土一家のうちにおいて、あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆゑに、他力の大信心と申すなり。さればこの信心をえたるひとは、十人は十人ながら、百人は百人ながら、今度の往生は一定なりとこころうべきものなり。その安心と申すはいかやうにこころうべきことやらん、くはしくもしりはんべらざるなり。

 答へていはく、まことにこの不審肝要のことなり。おほよそ当流の信心をとるべきおもむきは、まづわが身は女人なれば、罪ふかき五障・三従とてあさましき身にて、すでに十方の如来も三世の諸仏にもすてられたる女人なりけるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりかかる機をすくはんと誓ひたまひて、すでに四十八願をおこしたまへり。そのうち第十八の願において、一切の悪人・女人をたすけたまへるうへに、なほ女人は罪ふかく疑のこころふかきによりて、またかさねて第三十五の願になほ女人をたすけんといへる願をおこしたまへるなり。かかる弥陀如来の御苦労ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもふべきなり。

 問うていはく、さてかやうに弥陀如来のわれらごときのものをすくはんと、たびたび願をおこしたまへることのありがたさをこころえわけまゐらせ候ひぬるについて、なにとやうに機をもちて、弥陀をたのみまゐらせ候はんずるやらん、くはしくしめしたまふべきなり。

 答へていはく、信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはば、まづ人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまはしくおもふこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏・菩薩・諸神等にもこころをかけずして、ただひとすぢに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもはば、そのありがたさのあまり念仏を申して、弥陀如来のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる多屋の坊主達の内方のすがたとは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月十一日]


電光朝露・死出の山路

(11)

 それおもんみれば、人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし。たとひまた栄華栄耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出の山路のすゑ、三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。

これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり。信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。

これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もつてのほか相違す。そのゆゑは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といひ、これを信心のひとといへり。これおほきなるあやまりなり。また弟子は坊主にものをだにもおほくまゐらせば、わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべきやうにおもへり。これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあひだにおいて、さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし。まことにあさましや。師・弟子ともに極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことは疑なし。なげきてもなほあまりあり、かなしみてもなほふかくかなしむべし。

しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月中旬]

年来超勝寺

(12)

 そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もつてのほか相違せり。そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。これさらに往生極楽のためにあらず。ただ世間の名聞に似たり。

しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月下旬]

三経安心

(13)

 そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、不思議の名言をつかひて、これこそ信心をえたるすがたよといひて、しかもわれは当流の信心をよく知り顔の体に心中にこころえおきたり。そのことばにいはく、「十劫正覚のはじめより、われらが往生を定めたまへる弥陀の御恩をわすれぬが信心ぞ」といへり。これおほきなるあやまりなり。そも弥陀如来の正覚をなりたまへるいはれをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらずは、いたづらごとなり。しかれば向後においては、まづ当流の真実信心といふことをよくよく存知すべきなり。

その信心といふは、『大経』には三信と説き、『観経』には三心といひ、『阿弥陀経』には一心とあらはせり。三経ともにその名かはりたりといへども、そのこころはただ他力の一心をあらはせるこころなり。されば信心といへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、まづもろもろの雑行をさしおきて、一向に弥陀如来をたのみたてまつりて、自余の一切の諸神・諸仏等にもこころをかけず、一心にもつぱら弥陀に帰命せば、如来は光明をもつてその身を摂取して捨てたまふべからず、これすなはちわれらが一念の信心決定したるすがたなり。かくのごとくこころえてののちは、弥陀如来の他力の信心をわれらにあたへたまへる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべし。これをもつて信心決定したる念仏の行者とは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明第五、九月下旬のころこれを書く云々。]


立山・白山

(14)

 そもそも、当流念仏者のなかにおいて、諸法を誹謗すべからず。まづ越中・加賀ならば、立山・白山そのほか諸山寺なり。越前ならば、平泉寺・豊原寺等なり。されば『経』(大経)にも、すでに「唯除五逆誹謗正法」とこそこれをいましめられたり。これによりて、念仏者はことに諸宗を謗ずべからざるものなり。また聖道諸宗の学者達も、あながちに念仏者をば謗ずべからずとみえたり。

そのいはれは、経・釈ともにその文これおほしといへども、まづ八宗の祖師龍樹菩薩の『智論』(大智度論)にふかくこれをいましめられたり。その文にいはく、「自法愛染故毀呰他人法 雖持戒行人不免地獄苦」といへり。かくのごとくの論判分明なるときは、いづれも仏説なり、あやまりて謗ずることなかれ。それみな一宗一宗のことなれば、わがたのまぬばかりにてこそあるべけれ。ことさら当流のなかにおいて、なにの分別もなきもの、他宗をそしること勿体なき次第なり。あひかまへてあひかまへて、一所の坊主分たるひとは、この成敗をかたくいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明五年九月下旬]

宗名・当流世間

(15)

 問うていはく、当流をみな世間に流布して、一向宗となづけ候ふは、いかやうなる子細にて候ふやらん、不審におぼえ候ふ。

 答へていはく、あながちにわが流を一向宗となのることは、別して祖師(親鸞)も定められず、おほよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、みな人の申しなすゆゑなり。しかりといへども、経文(大経・下)に「一向専念無量寿仏」と説きたまふゆゑに、一向に無量寿仏を念ぜよといへるこころなるときは、一向宗と申したるも子細なし。さりながら開山(親鸞)はこの宗をば浄土真宗とこそ定めたまへり。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗より申さぬなりとしるべし。されば自余の浄土宗はもろもろの雑行をゆるす、わが聖人(親鸞)は雑行をえらびたまふ。このゆゑに真実報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆゑに、別して真の字を入れたまふなり。

 またのたまはく、当宗をすでに浄土真宗となづけられ候ふことは分明にきこえぬ。しかるにこの宗体にて、在家の罪ふかき悪逆の機なりといふとも、弥陀の願力にすがりてたやすく極楽に往生すべきやう、くはしく承りはんべらんとおもふなり。

 答へていはく、当流のおもむきは、信心決定しぬればかならず真実報土の往生をとぐべきなり。さればその信心といふはいかやうなることぞといへば、なにのわづらひもなく、弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にもこころをかけずして、一向にふたごころなく弥陀を信ずるばかりなり。これをもつて信心決定とは申すものなり。信心といへる二字をば、まことのこころとよめるなり。まことのこころといふは、行者のわろき自力のこころにてはたすからず、如来の他力のよきこころにてたすかるがゆゑに、まことのこころとは申すなり。また名号をもつてなにのこころえもなくして、ただとなへてはたすからざるなり。

されば『経』(大経・下)には、「聞其名号信心歓喜」と説けり。「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。

これを『経』に「信心歓喜」と説かれたり。これによりて、南無阿弥陀仏の体は、われらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり。かやうにこころえてのちは、行住坐臥に口にとなふる称名をば、ただ弥陀如来のたすけまします御恩を報じたてまつる念仏ぞとこころうべし。これをもつて信心決定して極楽に往生する他力の念仏の行者とは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明第五、九月下旬第二日巳剋に至りて加州山中湯治の内にこれを書き集めをはりぬ。]

                       [釈証如](花押)