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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。 | + | {{ID|ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。}} |
− | + | {{ID|仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、[[真妙の弁才]]を発して、衆生を愍念せんとしてこの[[慧義]]を問へり。<u>如来[[無蓋の大悲]]をもつて三界を[[矜哀]]したまふ。世に出興するゆゑは、[[道教]]を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。</u>無量億劫に値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほし[[霊瑞華]]の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは[[饒益]]するところ多し、一切の諸天・人民を開化す。阿難まさに知るべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。[[慧見無碍]]にしてよく[[遏絶]]することなし〉」と。}}{以上} | |
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[[現代語 教巻#A--5|【5】]] 『平等覚経』(一)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈世間に[[優曇鉢樹]]あり、ただ実ありて華あることなし。天下に仏まします、いまし華の出づるがごとしならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだ値ふことを得ること難し。いまわれ仏になりて天下に出でたり。[[なんぢ]]大徳ありて、聡明善心にして、あらかじめ仏意を知る。なんぢ忘れずして仏辺にありて仏に侍へたて<span id="P--138"></span>まつるなり。なんぢいま問へるところ、よく聴き、あきらかに聴け〉」と。{以上} | [[現代語 教巻#A--5|【5】]] 『平等覚経』(一)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈世間に[[優曇鉢樹]]あり、ただ実ありて華あることなし。天下に仏まします、いまし華の出づるがごとしならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだ値ふことを得ること難し。いまわれ仏になりて天下に出でたり。[[なんぢ]]大徳ありて、聡明善心にして、あらかじめ仏意を知る。なんぢ忘れずして仏辺にありて仏に侍へたて<span id="P--138"></span>まつるなり。なんぢいま問へるところ、よく聴き、あきらかに聴け〉」と。{以上} | ||
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+ | {{ID|[[ややしかなり|やや、しかなり]]。大聖、われ心に念言すらく、今日世尊、[[奇特の法]]に住したまへり。今日[[世雄]]、[[仏の所住]]に住したまへり。今日世眼、[[導師の行]]に住したまへり。今日世英、[[最勝の道]]に住したまへり。今日天尊、[[如来の徳]]を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまふ。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なにがゆゑぞ、威神光々たることいまし、しかるや」と。}} | ||
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+ | {{ID|ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、「いかんぞ阿難、諸天のなんぢを教へて仏に来し問はしむるか。みづから[[慧見]]をもつて威顔を問へるか」と。阿難、仏にまうさく、「諸天の来りてわれを教ふるものあることなし。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるのみ}}」と。 | ||
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+ | 仏のたまはく、「善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の<span id="P--9"></span>弁才を発し、衆生を愍念せんとしてこの[[慧義]]を問へり。如来、[[無蓋の大悲]]をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、[[道教を光闡して]]群萌を拯ひ、恵むに[[真実の利]]をもつてせんと欲してなり。無量億劫にも値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほ[[霊瑞華]]の、時ありて、時にいまし出づるがごとし。 | ||
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+ | いま問へるところは、[[饒益]]するところ多し。一切の諸天・人民を開化す。阿難、まさに知るべし。如来の正覚は、その智量りがたくして、〔衆生を〕導御するところ多し。[[慧見無碍]]にして、よく[[遏絶]]することなし。<br /> | ||
+ | [[一餐]]の力をもつて、よく寿命を住めたまふこと、億百千劫無数無量にして、またこれよりも過ぎたまへり。 | ||
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+ | 諸根悦予してもつて毀損せず。姿色変ぜず、光顔異なることなし。ゆゑはいかん。如来は、[[定と慧]]と究暢したまへること極まりなし。一切の法において自在を得たまへり。阿難、あきらかに聴け、いまなんぢがために説かん」と。対へてまうさく、「やや、しかなり。願楽して聞きたてまつらんと欲ふ」と。 | ||
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2012年11月15日 (木) 19:09時点における最新版
会話用ページ
ひとりごと
■ひとりごと
目次の表示を消したり表示させたりするリンクが「隠」「顕」になっているのに気づいて、ひとしきり爆笑しました。
テスト
たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。
■テスト(教行証文類)
- それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。
- なにをもつてか出世の大事なりと知ることを得るとならば、
【3】 『大無量寿経』(上)にのたまはく、「〈今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とましますこと、あきらかなる鏡の浄き影、表裏に暢るがごとし。威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。いまだかつて瞻覩せず、殊妙なること今のごとくましますをば。
ややしかなり。大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかる〉と。
ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。
仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の弁才を発して、衆生を愍念せんとしてこの慧義を問へり。如来無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。無量億劫に値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほし霊瑞華の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは饒益するところ多し、一切の諸天・人民を開化す。阿難まさに知るべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。慧見無碍にしてよく遏絶することなし〉」と。{以上}
【4】 『無量寿如来会』(上)にのたまはく、「阿難、仏にまうしてまうさく、〈世尊、われ如来の光瑞希有なるを見たてまつるがゆゑにこの念を発せり。天等によるにあらず〉と。仏、阿難に告げたまはく、〈善いかな善いかな、なんぢいま快く問へり。よく微妙の弁才を観察して、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり。なんぢ一切如来・応・正等覚および大悲に安住して群生を利益せんがために、優曇華の希有なるがごとくして大士世間に出現したまへり。ゆゑにこの義を問ひたてまつる。またもろもろの有情を哀愍し利楽せんがためのゆゑに、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり〉」と。{以上}
【5】 『平等覚経』(一)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈世間に優曇鉢樹あり、ただ実ありて華あることなし。天下に仏まします、いまし華の出づるがごとしならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだ値ふことを得ること難し。いまわれ仏になりて天下に出でたり。なんぢ大徳ありて、聡明善心にして、あらかじめ仏意を知る。なんぢ忘れずして仏辺にありて仏に侍へたてまつるなり。なんぢいま問へるところ、よく聴き、あきらかに聴け〉」と。{以上}
□テスト(教行証文類)ココまで
■テスト(無量寿経)
出世本懐
【3】 そのときに世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とまします。
尊者阿難、仏の聖旨を承けてすなはち座より起ちて、ひとへに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して、仏にまうしてまうさく、「今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とましますこと、明浄なる鏡の影、表裏に暢るがごとし。威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。いまだかつて瞻覩せず、殊妙なること今のごとくましますをば。
やや、しかなり。大聖、われ心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまふ。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なにがゆゑぞ、威神光々たることいまし、しかるや」と。
ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、「いかんぞ阿難、諸天のなんぢを教へて仏に来し問はしむるか。みづから慧見をもつて威顔を問へるか」と。阿難、仏にまうさく、「諸天の来りてわれを教ふるものあることなし。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるのみ」と。
仏のたまはく、「善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の弁才を発し、衆生を愍念せんとしてこの慧義を問へり。如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。無量億劫にも値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほ霊瑞華の、時ありて、時にいまし出づるがごとし。
いま問へるところは、饒益するところ多し。一切の諸天・人民を開化す。阿難、まさに知るべし。如来の正覚は、その智量りがたくして、〔衆生を〕導御するところ多し。慧見無碍にして、よく遏絶することなし。
一餐の力をもつて、よく寿命を住めたまふこと、億百千劫無数無量にして、またこれよりも過ぎたまへり。
諸根悦予してもつて毀損せず。姿色変ぜず、光顔異なることなし。ゆゑはいかん。如来は、定と慧と究暢したまへること極まりなし。一切の法において自在を得たまへり。阿難、あきらかに聴け、いまなんぢがために説かん」と。対へてまうさく、「やや、しかなり。願楽して聞きたてまつらんと欲ふ」と。
□テスト(無量寿経)ここまで