「信知」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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+ | 『一念多念証文』では善導大師の『往生礼讃』の「今信知弥陀本弘誓願 及称名号(いま弥陀の本弘誓願は名号を称すること……さだめて往生を得と信知して)」([[往生礼讃 (七祖)#P--654|往生礼讃 P.654]])の信知の語を釈して、「〈信〉といふは金剛心なり、〈知〉といふはしるといふ、煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。また〈知〉といふは観なり、こころにうかべおもふを観といふ、こころにうかべしるを〈知〉といふなり」 ([[一多#no21|一多 P.686]])とある。 |
2013年10月3日 (木) 18:08時点における版
しん-ち
信じ知ること。
阿弥陀仏の教法を聞いて、自己の罪障と無力を知り、わたしを救う阿弥陀仏の本願力を信ずること。
『一念多念証文』では善導大師の『往生礼讃』の「今信知弥陀本弘誓願 及称名号(いま弥陀の本弘誓願は名号を称すること……さだめて往生を得と信知して)」(往生礼讃 P.654)の信知の語を釈して、「〈信〉といふは金剛心なり、〈知〉といふはしるといふ、煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。また〈知〉といふは観なり、こころにうかべおもふを観といふ、こころにうかべしるを〈知〉といふなり」 (一多 P.686)とある。