「遇うて」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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会う、遇う、合う、逢う、遭う等があるが、会うは両方が合意してあうことであり、遇うはたまたまあうことをいう。通常の宗教では入信の経緯を両者の合意である会うと表現するが、浄土真宗では一方的な如来の本願力回向の宗義であるから遇うを使う。 | 会う、遇う、合う、逢う、遭う等があるが、会うは両方が合意してあうことであり、遇うはたまたまあうことをいう。通常の宗教では入信の経緯を両者の合意である会うと表現するが、浄土真宗では一方的な如来の本願力回向の宗義であるから遇うを使う。 | ||
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2017年10月21日 (土) 15:52時点における最新版
もうおうて
あいたてまつりて。「遇ふ」について『一多証文』に「まうあふと申すは本願力を信ずるなり」とある。(行巻 P.154)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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会う、遇う、合う、逢う、遭う等があるが、会うは両方が合意してあうことであり、遇うはたまたまあうことをいう。通常の宗教では入信の経緯を両者の合意である会うと表現するが、浄土真宗では一方的な如来の本願力回向の宗義であるから遇うを使う。
→まうあふ