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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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しゅうぎょう
 
しゅうぎょう
  
 (1151-1214) 南宋(なんそう)代、四()(めい) (現在の浙江(せっこう)省寧波) の人。 石芝と号す。 十八歳で具足戒を受け、具(ぐ)菴(あん)強(きょう)公(こう)・雲(うん)菴(あん)洪公(こうこう)に師事し、昌国(しょうこく) (現在の浙江省定海(ていかい)県) の翠(すい)羅(ら)寺(じ)の主となったが、のち西山に退隠し、『法華(ほけ)経(きょう)』の読誦(どくじゅ)を日課とした。 著書に 『法華(ほけ)経(きょう)顕応(けんおう)録(ろく)』二巻 『楽邦(らくほう)文類(もんるい)』五巻などがある。
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 (1151-1214) <kana>南宋(なんそう)</kana>代、<kana>四明(しめい)</kana> (現在の<kana>浙江(せっこう)</kana>省寧波) の人。 石芝と号す。 十八歳で具足戒を受け、具菴強公・雲菴洪公に師事し、<kana>昌国(しょうこく)</kana> (現在の浙江省<kana>定海(ていかい)</kana>県) の翠羅寺の主となったが、のち西山に退隠し、『法華経』の読誦を日課とした。 著書に 『法華経顕応録』二巻 『<kana>楽邦文類(らくほう-もんるい)</kana>』五巻などがある。
  
 
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2017年10月28日 (土) 14:42時点における最新版

しゅうぎょう

 (1151-1214) 南宋(なんそう)代、四明(しめい) (現在の浙江(せっこう)省寧波) の人。 石芝と号す。 十八歳で具足戒を受け、具菴強公・雲菴洪公に師事し、昌国(しょうこく) (現在の浙江省定海(ていかい)県) の翠羅寺の主となったが、のち西山に退隠し、『法華経』の読誦を日課とした。 著書に 『法華経顕応録』二巻 『楽邦文類(らくほう-もんるい)』五巻などがある。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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