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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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 我見は常住なる自我を認める見解、衆生見は実体としての衆生を認める見解、寿見は生命を個体に所属するものとする見解、命見は生命が個体において持続してゆくものとする見解、陰入界見は五陰・十二入・十八界 (六根(ろっこん)・六境(ろっきょう)・六識(ろくしき)) が永久に実在すると認める見解。 →[[五陰]](ごおん)、[[十二入]](じゅうににゅう) ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1133|要集 P.1133]])
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 我見は常住なる自我を認める見解、衆生見は実体としての衆生を認める見解、寿見は生命を個体に所属するものとする見解、命見は生命が個体において持続してゆくものとする見解、陰入界見は五陰・十二入・十八界 (<kana>六根(ろっこん)</kana>・<kana>六境(ろっきょう)</kana>・<kana>六識(ろくしき)</kana>) が永久に実在すると認める見解。 →[[五陰]]、[[十二入]] ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1133|要集 P.1133]])
  
 
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2017年11月5日 (日) 16:14時点における最新版

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 我見は常住なる自我を認める見解、衆生見は実体としての衆生を認める見解、寿見は生命を個体に所属するものとする見解、命見は生命が個体において持続してゆくものとする見解、陰入界見は五陰・十二入・十八界 (六根(ろっこん)六境(ろっきょう)六識(ろくしき)) が永久に実在すると認める見解。 →五陰十二入 (要集 P.1133)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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