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「獲得」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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とあり、「獲」を因位、「得」を果位に分けて解釈されている。(浄土真宗辞典)
 
とあり、「獲」を因位、「得」を果位に分けて解釈されている。(浄土真宗辞典)
 
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:「獲」といふはうるといふことばなり、うるといふはすなはち因位のときさとりをうるといふ。([[尊号真像銘文#P--648|尊号 P.648]])
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ただ、「自然法爾章」は晩年に述べられた法語であることに留意。<br />
 
ただ、「自然法爾章」は晩年に述べられた法語であることに留意。<br />
 
浄土真宗では、獲も得も「如来選択の願心より発起す]のであり、無い状態が有ることにあったという意味を示す語であって、衆生の求道心とは無縁の概念という事に留意すべし。
 
浄土真宗では、獲も得も「如来選択の願心より発起す]のであり、無い状態が有ることにあったという意味を示す語であって、衆生の求道心とは無縁の概念という事に留意すべし。

2017年11月11日 (土) 14:11時点における版

ぎゃくとく

 えること。「信巻」別序に、

信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。(信巻 P.209)

などとある。なお、『正像末和讃』に収録されている「自然法爾章」では、「獲得名号」について、

「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。(正像 P.621)

とあり、「獲」を因位、「得」を果位に分けて解釈されている。(浄土真宗辞典)

『尊号真像銘文』には、

「獲」といふはうるといふことばなり、うるといふはすなはち因位のときさとりをうるといふ。(尊号 P.648)

ともある。 ただ、「自然法爾章」は晩年に述べられた法語であることに留意。
浄土真宗では、獲も得も「如来選択の願心より発起す]のであり、無い状態が有ることにあったという意味を示す語であって、衆生の求道心とは無縁の概念という事に留意すべし。