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「可見」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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かけん
 
かけん
  
 衆(しゅ)生(じょう)の観見の対象となるということ。 法身は無(む)色(しき)無形(むぎょう)で不可見であるが、報身は相好(そうごう)光(こう)明(みょう)をそなえているので可見である。 ([[安楽集 (七祖)#P--193|安楽集 P.193]])
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 [[衆生]]の観見の対象となるということ。 [[法身]]は無色無形で不可見であるが、報身は<kana>相好(そうごう)</kana>光明をそなえているので可見である。 ([[安楽集 (七祖)#P--193|安楽集 P.193]])
  
 
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2017年12月15日 (金) 22:00時点における最新版

かけん

 衆生の観見の対象となるということ。 法身は無色無形で不可見であるが、報身は相好(そうごう)光明をそなえているので可見である。 (安楽集 P.193)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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