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「釈曇鸞…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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しゃく の どんらん…
 
しゃく の どんらん…
  
 本文に付してある訓点にしたがって、その書き下しを振り仮名の体裁でしめした。 ([[尊号真像銘文#P--654|尊号 P.653]])
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 本文に付してある訓点にしたがって、その書き下しを振り仮名の体裁でしめした。 ([[尊号真像銘文#P--653|尊号 P.653]])
  
 
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2018年1月1日 (月) 21:26時点における最新版

しゃく の どんらん…

 本文に付してある訓点にしたがって、その書き下しを振り仮名の体裁でしめした。 (尊号 P.653)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

釈曇鸞法師者 并州汶水県人也 魏末高斉之初 猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経 独出人外 梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也
釈の曇鸞法師は、并州汶水県の人なり。魏の末高斉の初め、なお在(いま)しき。神智高遠にして三国に知聞す。洞(あき)らかに衆経を暁(さと)ること独り人外に出でたり。梁国の天子蕭王、恒(つね)に北に向かって鸞菩薩と礼す。往生論を註解して、両巻に裁(ことわり)を成す。事、釈迦才の三巻の浄土論に出でたるなり。