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「報土」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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ある時にいわく。我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり。もし天台の教相に依らば凡夫往生を許すに似たりといえども、浄土を判ずること至りて浅薄なり。もし法相の教相に依らば浄土を判ずること甚だ深しといえども、全く凡夫往生を許さざるなり。
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ここに人、多く誹謗して云く、宗義を立てずといえども念仏往生を勧むべし、今、宗義を立つる事はただ勝他の為なりと、云々。<br />
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と、「[[凡夫入報]]」を顕す為に浄土宗を立宗したといわれていた。
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2021年11月14日 (日) 21:41時点における最新版

ほうど

 因位(いんに)の菩薩の願行(がんぎょう)に報い現れた浄土。→真実報土(しんじつほうど)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

法然聖人は、何故、既存の八宗に別して浄土宗を立てるのかについて、『醍醐本法然上人伝記』に、

ある時にいわく。我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり。もし天台の教相に依らば凡夫往生を許すに似たりといえども、浄土を判ずること至りて浅薄なり。もし法相の教相に依らば浄土を判ずること甚だ深しといえども、全く凡夫往生を許さざるなり。 諸宗の談ずる所、異なるといえども、すべて凡夫の浄土に生まると云ふ事を許さず。ゆえに善導の釈義に依って、浄土宗を(おこ)す時、即ち凡夫報土に生るという事を顕さんとなり。
ここに人、多く誹謗して云く、宗義を立てずといえども念仏往生を勧むべし、今、宗義を立つる事はただ勝他の為なりと、云々。
もし、別して宗を立てずば、何ぞ凡夫報土に生ずるの義を顕さんや。もし人来りて念仏往生というは、これ何教、何宗、何師の意ぞと問わば、天台にあらず、法相にあらず、三論にあらず、華厳にあらざれば、何宗何師の意なりと答えんや。この故に、道綽・善導の意に依って浄土宗を立つるなり、全く他に非ざるなりと、云々。 →浄土宗立宗の意趣

と、「凡夫入報」を顕す為に浄土宗を立宗したといわれていた。

凡夫入報
四種浄土
真実報土

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:報土

ほうど/報土

報身仏の住む仏土のこと。受用土じゅゆうどともいう。仏の因位いんに願行に酬いて現れた仏土。阿弥陀仏極楽浄土がこれに当たる。善導以外の諸師は、報土は仏のみ、あるいは初地以上といった高位の菩薩のみが感得できる世界であるとして、凡夫報土往生は認めなかった。しかし善導は『観経疏』玄義分において「問うて曰く、かの仏および土、すでに報なりと言わば、報法は高妙にして、小聖すらのぼり難し。垢障の凡夫云何が入ることを得ん。答えて曰く、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣ごんしゅし難し。正しく仏願に託して、以て強縁ごうえんるに由って、五乗をしてひとしく入らしむることを致す」(聖典二・一八五~六/浄全二・一二上)として、極楽報土、仏のさとりの世界であり、仏や高位の菩薩以外のいかなる衆生も達することは難しいが、阿弥陀仏本願力によって往生できることを説いている。


【参照項目】➡受用土仏土論報身報土往生凡入報土


【執筆者:曽和義宏】