操作

醍醐本法然上人伝記

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

大正6年に真言宗醍醐三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本である。「一期物語」「禅勝房との十一箇条問答」「三心料簡事」「別伝記」「臨終日記」「三昧発得記」からなる法然聖人の伝記、法語等からなる書である。勢観房源智上人(1183-1238)またはその弟子が書き記されたといわれる。源智上人は、13歳のとき法然聖人の室に入り、常時随従して秘書的役割を担ったとされる。また、法然聖人の最晩年の念仏の領解を述べられた、『一枚起請文』を授けられている。

梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、仰っておられた。ことに「三心料簡および御法語」の法然聖人のご法語の趣旨を拝読するに、親鸞聖人独自の「己証」とされている中には、法然聖人から承けられた法門の発揮があると思ふ。また『歎異抄』第三条で喧伝される御開山の悪人正機説「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」も、「三心料簡事」では「善人尚以往生 況悪人乎事〔口伝有之〕 」と、法然聖人の口伝の法語としてあるのであった。御開山の著述は重層構造だから難解なのだが、梯實圓和上の示されたように、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などを拝読すれば、御開山と法然聖人の浄土仏教解釈の共通点が明らかになると、〔なんまんだぶ〕を称えるだけの愚鈍な林遊のような門徒は思ふ。

  • 科段や各タイトルや脚注は私において付した。読み下し文は自分の学習用であり我流なので自信無し。乞う添削。なお原文は旧字であるが、読みやすさを考慮して新字にしてある。

目 次

醍醐本法然上人伝記

一期物語

 法然上人伝記    三宝院

法然上人伝記

 附一期物語 見聞出勢観房

一 法然聖人の修学

(1)
或時物語云。幼少登山。

ある時の物語に云く。幼少にして登山す。

十七年亘(閲)六十巻、十八年乞暇遁世。

十七の年に六十巻[1](わた)る、十八の年、暇を乞い遁世す。

是偏絶名利望、一向為学仏法也。

これひとえに名利の望を絶ち、一向に仏法を学ばんがためなり。

自爾以来四十余年習学天台一宗、粗得一宗大意。

これより以来(このかた)、四十余の年まで天台一宗を習学して、ほぼ一宗の大意を得たり。

我性者、雖大巻書三反見之者、不闇于文義分明也。

我が性は、大巻の書といえども、みたびこれを見れば、文義に闇からず分明なり。

雖然以十年二十年功不能知一宗大綱。

しかれども、十年二十年の功を以って一宗の大綱を知ることあたわず。

然闚諸宗教相、聊知顕密諸教八宗之外加仏心宗亘九宗。

しかるに諸宗の教相を(うかが)いて、いささか顕密の諸教を知ること、八宗の外に仏心宗を加え九宗にわたる。

其中適有先達者往而決之、面面蒙印可。

その中に、たまたま先達あらば往いてこれを決し、面面に印可をこうむる。

当初醍醐有三論先達。

当初(そのかみ)に醍醐に三論の先達あり。

往彼述所存、先達惣不言。

かしこに往て所存を述ぶるに、先達そうじて不言(ものいわず)ざり。

既而入内、取出文櫃十余合云。

すでにもつて内に入り、文櫃(ふみびつ)十余合を取り出して云く。

於我法門無可付属之人、(公)已達此法門給、悉奉付属之。

我が法門において付属すべきの人なし。公、はなはだこの法門に達したまえり。ことごとくこれを付属したてまつらん。

称美讃嘆(讃歎)傍痛程也。進士入道阿性房同道聞之。云々。

称美讃嘆、傍にて痛いほどなり。進士[2]入道阿性房、同道してこれを聞くと、云云。

又往蔵俊僧都許、談法相宗法門之時、蔵俊云。非直人、恐大権化現歟

また蔵俊僧都のもとへ往て、法相宗の法門談ぜんとき、蔵俊の云く。ただ人に非ず、おそらく大権の化現か。

雖奉値昔論主、不可過之覚程也。

昔の論主に()い奉つるといえども、これに過ぐべからずと覚ゆる程なり。[3]

智恵(智慧)深達事、言語道断。

智恵深達なる事、言語道断せり。

我一期有思延供養志。云々

われ一期、供養をのべんと思う志ありと云々。

其後毎年送供物已果願望。

その後、毎年に供物を送りてすでに願望をはたす。

凡毎値先達、皆被称嘆(称歎)。

おおよそ先達に値うごとに、みな称嘆せらる。

二 往生要集によって浄土門へ

(2)
総吾期所来到聖教、乃至伝記目録無不一見。

すべてわが期(とき)に、来到するところの聖教、ないし伝記目録、一見せざることなし。

爰煩出離道、身心不安、抑恵心先徳(慧心先徳)造往生要集、勧濁世末代道俗、就之欲尋出離之趣、先序云。

ここに出離の道に(わずら)いて、身心やすからず。そもそも恵心の先徳、『往生要集』をつくりて濁世末代の道俗にすすむ、これに就いて出離の(おもむき)を尋ねんと(おも)う。まず序に云く。

「往生極楽之教行、濁世末代之目足也。道俗貴賤誰不帰者。 但顕密教法其文非一、事理業因其行多、利智精進之人未難、如予頑魯之者豈敢矣。是故依念仏一門、聊集経論要文。披之修之、易覚易行」[4]、云々。

「往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。 道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。 ただし顕密の教法、その文、一にあらず。 事理の業因、その行これ多し。 利智精進の人は、いまだ難しとなさず。 予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。 このゆゑに、念仏の一門によりて、いささか経論の要文を集む。 これを披(ひら)きこれを修するに、覚りやすく行じやすし」と、云々

序者略言述一部奥旨。

序は略して一部の奥旨を述ぶという。

此集已依念仏云事顕然也。

この集すでに念仏に依るという事顕然なり。

但念仏相貌未委者入文採之、此集立十門。

ただ念仏の相貌、いまだくわしからざれば、文に入りてこれを採るなり。この集、十門を立つ。

第一第二第三門是非行体者暫置之。

第一、第二、第三門これ(念仏の)行体にあらざれば暫くこれを置く。

其余五門是就念仏立之。

その余の五門はこれ念仏についてこれを立つ。

第九諸行往生門、是任行者意楽一旦雖明之、更無慇懃丁寧勧進。

第九諸行往生門、これ行者の意楽にまかせて一旦これを明かすといえども、更に慇懃丁寧の勧進無し。

第十門是問答料簡又非行体。就念仏五門料簡之。

第十門はこれ問答料簡なればまた行体にあらず。念仏の五門についてこれを料簡す。

第四是正修念仏也。以此為念仏体。

第四はこれ正修念仏なり。これを以って念仏の体となす。

第五是助念方法也。

第五はこれ助念の方法なり。

以念仏為所助、以此門為能助。

念仏を以って所助となし、この門を持って能助となす。

故念仏為本意也。

かるがゆえに念仏を本意となすなり。

第六別時念仏也、長時勤行不能勇進者。

第六、別時念仏なり、長時の勤行は勇進するにあたわざる者、

限日数勤上念仏也、更非別体。

日数を限りて上の念仏を勤むなり、さらに別体にあらず。

第七是念仏利益也、為勧上念仏勘利益文挙之。

第七、これ念仏の利益なり、上の念仏を勧めんがために利益の文を勘(かんが)えてこれを挙ぐ。

第八是念仏証拠也、本意在念仏云事又顕然也。

第八は、これ念仏の証拠なり、本意念仏にありという事、また顕然なり。

但付正修念仏、有種種念仏。

ただ正修念仏ついて、種種の念仏あり。

初心観行不堪深奥者、教色相観。

初心の観行は深奥に堪えざれば、色相観を教えん。

色相観中有別相観、有惣相観、有雑略観、有極略観、又有称名。

色相観の中に別相観あり、惣相観あり、雑略観あり、極略観あり、また称名あり。

其中慇懃勧進之言唯在称名之段。

この中、慇懃にこれを勧進の言はただ称名の段に在り。

於五念門雖名正修念仏、作願廻向(回向)是非行体、礼拝讃嘆(讃歎)又不如観察。

五念門において、正修念仏と名づくといえども、作願・廻向これ行体にあらず、礼拝・讃嘆また観察もしからず。

観察中、於称名、丁寧勧之為本意云事顕然也。

観察中、称名において、丁寧にこれを勧むを本意となすという事、顕然なり。

但於百即百生行相者、已譲道綽善導釈、委不述之。

ただ、百即百生の行相においては、すでに道綽善導の釈に譲りて、くわしくこれを述べず。

是故往生要集為先達、而入浄土門、闚此宗奥旨。

このゆえに『往生要集』を先達となし、浄土門に入り、この宗の奥旨を闚うなり。[5]

三 善導教学との出あい

(3)
於善導二反見之思往生難。

善導において二へんこれを見るに往生難しと思えり。

第三反度 得乱想凡夫、依称名行、可往生之道理。

第三反度に、乱想の凡夫、称名の行に依って、往生すべしの道理を得たり。[6]

但於自身出離、已思定畢。

ただ自身の出離において、すでに思い定めおわんぬ。

為他人雖欲弘之、時機難叶故。

他人のためにこれを弘(ひろ)めんと欲すといえども、時機、かない難きゆえに。

四 法然聖人の御夢想

(4)
煩而眠夢中、紫雲大聳覆日本国。

わずらいて(思い悩んで)眠る夢の中にて、紫雲大いにそびえて日本国に覆えり。

従雲中出無量光、従光中百宝色鳥飛散充満。

雲中より無量の光出でて、光中より百宝色の鳥飛散充満せり。

于時昇高山、忽奉値生身善導、従腰下者金色也。

その時(予)、高山に昇りてたちまちに生身の善導に()い奉る。腰より下は金色なり。

従腰上者如常人。

腰より上は常人のごとし。

高僧云。汝雖不肖身、弘専修念仏故、来汝前。

高僧云。汝、不肖の身たりといえども、専修念仏を弘むゆえに、汝の前に来たれり。

我是善導也。云々

我、これ善導なりと。云々

従其後弘此法、年年繁昌無不流布之境也。云々。

それより後、この法を弘む、年年繁昌して、流布せざるの境、無きなり。[7]

五 大原問答について

(5)

文治二年(1186)に、法然聖人の名が世に知られる契機となった比叡山麓の大原で行われた『大原問答」。前段は後に天台座主となった顕真との対話であり「しかる後に、我すでに法門を見立てたり、来臨せしめ給ひてこれを請へんと、云々。」以後が大原問答といわれるものである。文治五年(1189)から九条兼実との交流がはじまったとされるが、この『大原問答』から法然聖人の名が市井に知られるようになったのであろう。なお法名に「阿号(阿弥号)」を付けることはこの時に始まったといふ。室町時代に能を大成した観阿弥や世阿弥も阿弥号である。


或時物語云。従顕真座主御許遣使者云、登山次必遂見参有可申承之事、必令音信給。

ある時の物語に云。顕真座主の御許(おんもと)より使者を遣わして云、登山次に必ず見参を遂げ申し()けるべきの事あるに、必ず音信させ給えと。[8]

仍到坂本。申此由。座主下(山)令対面。

かさねて、坂本に到りて、この由を申し、座主、山を下りて対面せしむ。

問云。今度何可解脱生死。

問うて云く。このたび、何(いかん)ぞ生死を解脱すべしや。

(予)答云。如何様不可過御計。(賢愚の選択にはしかずと)

(予、) 答えて云く。いか様にもおん計(はか)らいには過ぐべからず。

又云。実然也、但先達者若有思定旨者示給其体。

また云。実にしかなり、ただ先達は、もし思い定めたる旨あらば、その体を示し給え。

為自身者聊有思定旨、只早遂往生極楽也。

自身の為にはいささか思い定める旨あり、ただ早く往生極楽を遂げんとなり。

又云。依順次往生難遂致此尋、如何輒遂往生耶。

また云。順次の往生、難きに依って遂(つい)にこの尋ねを致す。いかんがすなわち往生を遂げんや。

答。成仏雖難往生易得也。

答う。成仏、難しといえども往生は得易きなり。

依道綽善導意者、仰仏願力為強縁、故凡夫生浄土。云々。

道綽・善導の意に依らば、仏の願力の仰せを強縁となす、ゆえに凡夫浄土に生まると云々。

其後更無言説而還、後座主御言云。法然房雖智恵深遠(智慧深遠)、聊有偏執失云。人来語此事。

その後、さらに言説なくて還りて後に座主のおん言(ことば)に云く、法然房は、智恵深遠といえども、いささか偏執の失ありと云。[9]
人、来たりてこの事を語る。

予云 於不知之事者、必起疑心也。

予云く、知らざるの事に於いては、必ず疑心を起こすなり。[10]

座主聞此事誠然云、我於顕密教 雖積稽古併為名利、不忘(志)浄土、故不闚道綽善導釈。

座主、この事を聞きて、まことに然りと云て、我、顕密の教において稽古を積むといえども、しかしながら名利の為に、浄土を志ざさず、ゆえに道綽・善導の釈をうかがわず。

非法然房者誰人如此言。

法然房に非ざれば、誰の人か、この如く言わむ。

恥此言隠居大原、百日見浄土章疏給。

この言を恥じて大原に隠居して、百日、浄土の章疏を見たまえり。

然後 我已見立法門、令来臨給請之。云々。

しかる後に、我すでに法門を見立てたり、来臨せしめ給(たま)ひてこれを()へんと、云々。

此時東大寺上人南無阿弥陀仏未思定出離道、故告此由、即具弟子三十余人而来。 具此衆参大原。

この時、東大寺上人南無阿弥陀仏(俊乗房重源)、未だ出離の道を思い定めず、ゆえにこの由を告ぐに、即ち弟子三十余人を具して来る。この衆を具して大原に参ず。

源空之方東大寺上人居流、座主御房方大原上人居流述浄土法門、座主一一領解談義畢、座主発一大願給。

源空の方(かた)には東大寺の上人居流れ、座主の御房の方には大原上人居流れて、浄土の法門を述ぶ、座主一一に領解して、義を談じおわりて、座主一の大願を発したまえり。

此寺立五坊 相続一向専念行、称名之外更不交余行。

この寺に五坊を立て、一向専念の行を相続し、称名のほかにさらに余行をまじえず。

其行一始已来于今不退転。

その行、一たび始めてこのかた、いまに退転せず。

尋入此門後為勧妹尼御前、被書念仏勧進之消息、流布世間顕真消息云是也。

尋ねてこの門に入りて後、妹の尼御前に勧むる為に、念仏勧進の消息を書きはべる。世間に流布する顕真の消息というはこれなり。

大仏上人、発一意楽云。我国道俗、跪閻魔宮之時、被問校名者其時為令唱仏号、付阿弥陀仏名。

大仏上人(重源)、一の意楽を発していわく。我国の道俗、閻魔の宮に跪づかんの時、校名[11]を問わるれは、その時仏号を唱えしめん為に、阿弥陀仏の名を付く。[12]

我名即南無阿弥陀仏也云。我朝流布阿弥陀仏名事、自此時始也。云々。

我が名は即ち南無阿弥陀仏なりと云ふ。我が朝に流布する阿弥陀仏の名の事、この時より始るなりと、云々。

六 肥後の阿闍梨について

(6)
或時物語云。当世人、迷法門分際。

ある時の物語にいわく。当世の人、法門の分際に迷う。

云輒可解脱生死也。

すなわち生死を解脱すべしと云なり。

我師有肥後阿闍梨云人、智恵深遠(智慧深遠)人也。

我が師に、肥後の阿闍梨[13]という人あり、智恵深遠の人なり。

倩顧自身分際、今度不可解脱生死、若此度改生者、隔生即忘故定忘仏法歟。

つらつら自身の分際を顧みるに、このたび生死解脱すべからず、もしこの(たび)、生を改めれば隔生即忘[14]の故に定めて仏法を忘れんかな。

然受長命報、待慈尊出世。

しかれば長命の報を受け、慈尊(弥勒)の出世を待つべし。

大蛇是長寿者也、吾当大蛇。

大蛇はこれ長寿のものなり、われ当に大蛇となるべし。

但若住大海者可有中夭恐、依之遠江国笠原庄内桜陀云池、取領家放文願住此池、死期乞水入掌中死畢。

ただし、もし大海に住むは中夭の恐れあるべし。これに依って遠江国笠原庄の内に桜陀という池、領家の放文を取りて、この池に住すを願い、死期に水を乞いて掌中に入れて死に畢(おわ)んぬ。

於彼池不風吹率大浪自起、排上池中塵。

かの池に於いて風吹かずに、(にわか)に大浪自ら起き、(たか)く池中の塵を排ひあく。

諸人作奇特。

諸人、奇特を作す。

注此由申領家、勘其日比当彼阿闍梨逝去日時。

この由を注し領家に申して、その日を比して勘うるに、まさに彼の阿闍梨の逝去の日時に当たる。

有智恵(智慧)故知生死難出、有道心故願値仏世。

智慧あるが故に生死出で難きを知る、道心あるが故に願ふは仏世に値(あ)わんと。

然而不知浄土法門故発如此意楽。

しかれば浄土の法門を知らざるが故に、このごとき意楽を発す。

我其時為得此法者、不顧信不信、指授此法門、於当世仏法者、有道心者期遠生縁、無道心者併住名利。

われ、その時この法を得るとなさば、信不信を顧みず、この法門を指授す、当世の仏法者においては、道心ある者は遠生の縁を期す、道心なき者はあわせて名利に住すなり。[15]

思以自身輒言可出生死者、是知機縁分際故也。

自身を以って思ふに、すなわち生死出すべしというは、これの分際を知るがゆえなり。

七 浄土宗立宗の意趣

(7)
或時云。我立浄土宗意趣者、為示凡夫往生也。

ある時にいわく。我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり。

若依天台教相者雖似許凡夫往生、判浄土至浅薄也。

もし天台の教相に依らば凡夫往生を許すに似たりといえども、浄土を判ずること至りて浅薄なり。[16]

若依法相教相者判浄土雖甚深、全不許凡夫往生也。

もし法相の教相に依らば浄土を判ずること甚だ深しといえども、全く凡夫往生を許さざるなり。

諸宗所談、雖異、惣不許凡夫生浄土云事。

諸宗の談ずる所、異なるといえども、すべて凡夫の浄土に生まると云ふ事を許さず。

故依善導釈義、興浄土宗時、即凡夫生報土云事顕也。

ゆえに善導の釈義に依って、浄土宗を興す時、即ち凡夫報土に生るという事を顕さんとなり。

爰人多誹謗云、雖不立宗義可勧念仏往生、今立宗義事唯為勝他也。云々。

ここに人、多く誹謗して云く、宗義を立てずといえども念仏往生を勧むべし、今、宗義を立つる事はただ勝他の為なりと、云々。

若不立別宗者、何顕凡夫生報土之義哉。

もし、別して宗を立てずば、何ぞ凡夫報土に生ずるの義を顕さんや。

若人来言念仏往生者、是問何教何宗何師意者、非天台、非法相、非三論、非花厳(華厳)、答何宗何師意乎。

もし人来りて念仏往生というは、これ何教、何宗、何師の意ぞと問わば、天台にあらず、法相にあらず、三論にあらず、華厳にあらざれば、何宗何師の意なりと答えんや。

是故依道綽善導意立浄土宗、全非勝他也。云々

この故に、道綽・善導の意に依って浄土宗を立つるなり、全く勝他に非ざるなりと、云々。

八 法然聖人の罹病

(8)
或時上人有瘧病[17]、種種療治一切不叶、于時月輪禅定殿下大歎(大嘆)之云。我図絵善導御影、於上人前供養之。

ある時に上人、瘧(おこり)病むことあり、種種の療治は一切(かな)わず。時に月輪禅定殿下、大いにこれを歎いていわく。われ善導の御影を図絵し、上人の前において、これを供養せん。

此由被仰遣安居僧都許、御返事云。

これに由って、安居僧都(聖覚)のもとに(つかわ)して仰せを被(かうぶら)せる御返事に云く。

聖覚同日同時瘧病仕事候。

聖覚も同日同時に瘧病つかまつる事にて候。

雖然為御師匠報恩可参勤仕。

しかりといえども御師匠報恩の為に勤仕参ずべし。

但早旦可被始御仏事。云々。

ただちに早旦(早朝)御仏事を始めらるべしと云々。

自辰時始説法未時説法畢、導師并(並)上人共瘧病落畢。

辰の時より説法を始め(ひつじ)の時に説法おわるに、導師ならびに上人ともに瘧病、落ちおわんぬ[18]

又其説法大師者、大師釈尊同衆生時者、恒受病悩給、況凡夫血肉身、云何無其憂。

またその説法の大旨(師)は、大師釈尊も衆生に(どうず)る時は、つねに病悩を受けたまいき。いわんや凡夫血肉の身、いかんぞ其の憂い無き。

雖然浅智愚鈍衆生者不顧此道理、定懐不信之思歟。

しかりといえども、浅智愚鈍の衆生は、この道理を(かえり)みず、定めて不信の思いを(いだ)くか。

上人化導已称仏意、面遂往生者千万千万。

上人の化導すでに仏意に(かな)いて、まのあたりに往生を遂げる者は千万千万なり。

然者諸仏菩薩、諸天竜神、争不歎(不嘆)衆生不信。

しかれば、諸仏菩薩、諸天竜神、いかでか衆生の不信を歎かざる。

四天大王可守仏法者、必可癒(喩)我大師上人病悩給也。

四天大王、仏法を守るべければ、必ず我が大師上人の病悩を()えたまうべし。

善導御影前、異香薫。云々。

善導の御影の前、異香薫ると。云々。

僧都。云故法印下雨挙名、聖覚身此事尤奇特。云々。

僧都、故法印は雨を下(ふ)らして名を挙ぐ、聖覚が身はこの事もっとも奇特なりと云えり。云云。

世間人大驚生不思議思。云々。

世間の人、大いに驚きて不思議の思を生ずと、云々。

九 一向専念無量寿仏は釈尊の経説

(9)
或時云。我立一向専念義、人多謗云、縦雖許諸行往生、全不可成念仏往生障。

ある時に云。われ一向専念の義を立つるを、人、多く(そし)りて云く、たとひ諸行往生を許すといえども、全く念仏往生の(さわ)りと成るべからず。

何故強立一向専念義耶、此大偏執義也。

何のゆえぞ(あなが)ちに一向専念の義を立てんや、これ大いに偏執の義なり。

答。此難是不知此宗限故也。

答う。この難は、これこの宗を知らざるに限(かぎ)りての故なり。

『経』已云一向専念無量寿仏。

『経』にすでに「一向専念無量寿仏」と云へり。

故釈云一向専称弥陀仏名。

ゆえに釈に、「一向専称弥陀仏」と云ふ。

離経釈私立此義者、誠所責難去。

経釈を離れ、私にこの義を立てるは、まことに責むるところ去り難し。

欲致此難者、先可謗釈尊、次可謗善導、其過全非我身上。

この難を致さんとおもう者は、まず釈尊を(そし)るべし、ついで善導を謗るべし、その(あやまち)、全く我が身の上にあらず。

十 流罪時の西阿への教誡

(10)
当初依弟子過有被流讃岐国云事、其時対一人弟子述一向専念義。

当初、弟子の過(とが)に依って讃岐国に流されるということあり。その時、一人の弟子に対して一向専念の義を述ぶ。

西阿弥陀仏云弟子推参云。如此御義努努不可有事候、各不可令申御返事給。云々。

西阿弥陀仏という弟子、推参して云く。このごとき御義は努努(ゆめゆめ)有るべからざる事にて候ふ、おのおの御返事を申さしめ給うべからずと、云々。

上人云。汝不見経釈文哉。

上人云く。汝は経釈の文を見ざるや。

西阿弥陀仏云。経釈文雖然存世間譏嫌許也。

西阿弥陀仏の云く。経釈の文しかりといえども世間の譏嫌を存する(ばか)りなり。

上人云。我雖被截頸不可不云此事。云々

上人の云く。我、(くび)()らるといえども、この事を云わずべからずと、云々

御気色尤至誠也。

御気色もっとも至誠なり。

奉見人人流涙随喜。云々。

見たてまつる人々、涙を流して随喜せりと、云々。

十一 念仏においての心の有り様

(11)
或時自鎮西来修行者、奉問上人云。

ある時、鎮西より来れる修行者、上人に問いたてまつりて云。

称名之時係心於仏相好事、如何様可候。

称名の時、心を仏の相好に係(か)けることは、いかように候べきか。

上人未言説前傍弟子可然。云々。

上人の言説、未だの前に(かたわら)の弟子、しかるべしと、云々。

上人云。源空不然、唯思「若我成仏、十方衆生、称我名号、下至十声、若不生者、不取正覚。彼仏今現在世成仏、当知、本誓重願不虚、衆生称念、必得往生 」許也。

上人の云く。源空はしからず、ただ、「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじと。かの仏いま現に世にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。」[19]と思うばかりなり。

以我分際、観仏相好、更非如説観。

われらの分際を以って、仏の相好と観ずとも、さらに如説の観にあらず。

深憑本願口唱名号唯是一事不仮令行也。

深く本願をたのみて口に名号をとなうるが、ただこの一事のみ仮令[20]の行ならざる也。

修行者悦退出畢。

修行者、(よろこ)びて退出しおわんぬ。

十二 本願の念仏の釈に安心を略する意

(12)
或時人問云。釈本願、略安心、有何意耶。

ある時、人問いて云。本願を釈するに安心を略するは、何の意あるや。[21]

上人答云。知衆生称念必得往生、自然具足三心也。

上人答へて云。衆生称念必得往生[22] と知るに、自然に三心は具足するなり[23]

為顕此理、如此釈也。云々

この理を顕さんが為に、このごとく釈するなりと、云々。

十三 万遍の念仏は心を相続せしめんがため

(13)
或人問云。毎日所作配六万十万等数遍而不法与、配二万三万如法、何可為正耶。

ある人の問うて云く。毎日の所作に六万十万等の数遍を配して不法なると、二万三万を配して如法なると、いずれをか正となすべきや。

答云。凡夫習雖配二万三万数遍(数返)、不可有如法義。

答えて云く。凡夫の(ならい)、二万三万数遍を配すといえども、如法の義あるべからず。

唯不如数遍(数返)多、所詮為令心相続也。

ただ、数遍の多にはしかず、所詮は心を相続せしめん為なり

但必定数非為要 只為常念也、不定数遍者 懈怠因縁者勧数遍也。云々。

ただ、必ず数を定めて要となすにはあらず、ただ常念になすなり。数遍を定めざるは懈怠の因縁なれば数遍を勧むるなりと、云々。

十四 称名と学問について

(14)
或時問云。智恵(智慧)若可為往生要事、正直蒙仰可営修学。

ある時に問いて云く。智恵もし往生の要事となすべしと、正直に(おおせ)(こうむ)り修学を営むべし。

又以但称名不可有不足者可存其旨。

また、ただ称名を以って不足あるべからずはその旨を存じたし。

以只今仰可存如来金言候。

ただ今の仰せを以って如来の金言と存ずべしと候。

答云。往生正業是称名云事、釈文分明也。

答えて云く。往生の正業はこれ称名と云ふ事、釈文分明也。

不簡有智無智云事、又顕然也。

有智無智を(えら)ばずと云事、又顕然也。

然者為往生者 称名為足、若欲好学問不只、

しかれば往生の為には称名に足りるとなす。もし学問を好まんと欲すばかりでなく、

一向念仏可遂往生、奉値弥陀観音勢至之時、何法門不達。

一向に念仏して往生を遂ぐべし、弥陀・観音・勢至に()い奉るの時、(いずれ)の法門か達せざらん。

彼国荘厳、昼夜朝暮説甚深法、可期其時之見仏聞法也。

彼の国の荘厳、昼夜朝暮に、甚深の法を説く、その時に見仏してこれを聞法することを期すべし。

不知念仏往生旨之程可学之、若知之者求不幾之智恵(智慧)不嫌称名之暇也。云々。

念仏往生の旨を知らざる程(ほど)、これを学ぶべし、もしこれを知らば、いくばくもせぬ智慧を求めるは、称名の(いとま)を嫌わずなりと、云々。

十五 菩提心について

(15)
或時云。浄土人師雖多、皆勧菩提心、観察為正、唯善導一師許無菩提心之往生。

或時に云。浄土の人師多しといえども、みな菩提心を勧めて、観察を正となす、ただ善導一師のみ菩提心無くしてこの往生を許す。

以観察判称名助業。

観察を以っては称名の助業と判ず。

当世之人、不依善導意、輒不得往生。

当世の人、善導の意に依らざれば、すなわち往生を得ざるべし。

曇鸞道綽懐感等、皆雖為相承人師、於義者未必一准、能能可分別之。

曇鸞・道綽・懐感等、みな相承の人師となすといえども、義においては未だ必ずしも一准(いちじゅん)ならず、よくよくこれを分別すべし。[24]

不弁此旨者、於往生難易難存知者也。云々

この旨を弁ぜざれば、往生の難易において存知し難きもの也と、云々。

十六 持斎について

(16)
或時問云。人多勧持斎、此条如何。

或時問云。人多く持斎[25]を勧む、この条いかん。

答。僧尼食作法尤可然也。

答。僧尼の食作法はもっともしかるべし。

雖然当世機已衰食已減、以此分際。

しかりといえども、当世は機すでに衰え、食すでに減ず。この分際を以って

一食者心偏思食事、念仏心不静。

一食は心ひとえに食事を思ひ、念仏の心静かならず。

菩提心経云。食不妨菩提心、心能妨菩提。

『菩提心経』に云く。食は菩提心を妨げず、心は能く菩提を妨ぐ。

其上自身可相計也。云々

その上は、自身をあい(はか)らうべき也と云々。

十七 念仏者の一期の身の有様

(17)
或時問云。於往生業已思定畢。

ある時、問いて云。往生の業においてすでに思い定め(おわ)んぬ。

但一期身之有様云何可存候。

ただ、一期の身の有様いかが存ずべき候か。

答云。僧作法在大小戒律、雖然末法僧不随之。

答云。僧の作法に大小の戒律[26]あり、しかりといえども末法の僧はこれに随わず。

源空縦禁之、誰人随之、只所詮念仏相続様可相計也。

源空たとえこれを禁じても、誰の人かこれに随わん、ただ所詮は念仏の相続する様あい(はか)らうべき也。

為往生者念仏已為正業故守此旨可相励也。

往生の為には念仏をすでに正業となすが故に、この旨を守りて相励すべしと。

持斎全非正業也。

持斎は全く正業にあらざる也。

十八 授教と信心建立の異時

(18)
或時、受教興発心可各別也。

或時、教を受けると発心を興(おこ)すとは各別なるべしと。

中比有一住山者。

中ごろ一の住山者あり。

内内学浄土法門云。我已得此教大旨。

内内に浄土の法門を学びて云く。我すでにこの教の大旨を得。

雖然未発信心、以何方法、建立信心。云々

しかれども未だ信心を発せず、(いか)なる方法を以ってか信心を建立せんと、云々。

予教云。可令祈請三宝給。

()教へて云。三宝に祈請せしめたまうべし。

自爾以降慇懃祈請之。

これより以降慇懃にこれを祈請す。

或時参東大寺念誦。

ある時、東大寺に参じて念誦す。

適当上棟木之日。

たまたま棟木を上ぐるの日に当たりて、

倩見之忽信心開発。

つらつらこれを見るに、たちまちに信心開発す。

自非匠計略者彼大物云何居棟上。

(たくみ)の計略により非ざれば、彼の大物いかんが棟上に居(すえ)ん。

何況如来善巧不思議力哉。

いかにいわんや如来の善巧不思議力かな。

我有願生志、仏有引接願、尤可往生。

我に願生の志あり、仏に引接の願あり、もっとも往生すべし。

一得此道理之後、再無疑心。

ひとたびこの道理を得て後、再び疑心無し。

彼人来語此由。

彼の人来たりてこの由を語る。

経三年之後、遂往生旁現霊瑞不可思議也。

三年を経ての後、往生を遂げて旁(かたがた)に霊瑞を現ず、不可思議也。

依学問雖不発心、依見境界之縁起信、唯慇懃係心常思惟、又可祈三宝也。云々。

学問に依って発心あたわずといえども境界を見る、この縁に依って信を起す、ただ慇懃に心に係(か)けて常に思惟すべし、また三宝に祈るべしと。云々。

十九 真言の阿弥陀供養法について

(19)
或人問云。真言阿弥陀供養法、是可正行哉云何。

ある人問うて云く。真言の阿弥陀供養法、これ正行とすべきかいかん。

答。不可然也。

答。しかるべからず。

雖似一随教其意不同也。

一に似たりといえども教に随えばその意不同なり。

真言教云阿弥陀是己心如来、不可尋外。

真言教にいう阿弥陀は、これ己心の如来なり、外を尋ぬべからず。

此教弥陀法蔵比丘之成仏也。

この教の弥陀は法蔵比丘の成仏なり。

居西方、其意大異。

西方に居す、その意おおいに異なり。

彼成仏教也、此往生教也、更以不可同。云々

彼は成仏の教なり、これは往生の教なり、さらに以って同ずべからずと、云々

二十 宗義の分別について

(20)
或時云。法門善悪在宗義也、学者雖多、分別宗義者極希也。

ある時云く。法門の善し悪しは宗義に在るなり、学者多しといえども、宗義を分別する者は極めて希(まれ)なり。

吾朝真言有二流、所謂東寺天台是也。

吾朝の真言に二の流あり、いわゆる東寺・天台これなり。

其中天台真言、其宗義非如東寺。

その中に天台の真言は、その宗義 東寺のごときには非ず。

所以者、一山内兼学顕密二教、其中法花宗為本意、故天台奥旨是即真言也云。

ゆえんは、一山の内に顕密二教を兼学す。その中に法華宗を本意となす、ゆえに天台の奥旨はこれ即ち真言也と云へり。

是故不出顕宗分之真言也。

このゆえに、顕宗の分を出でざるの真言なり。

東寺真言於顕宗敢無双肩也。

東寺の真言は顕宗に於いて敢(あ)えて肩を双(ならぶ)こと無きなり。

我窺諸宗教相 真言仏心両宗、取諸宗、用為自宗教相、而廃諸宗立自定、諸宗中至宗義者 無等此両宗也。云々

我れ諸宗の教相を窺うに、真言・仏心の両宗は、諸宗を取りて、用いて自宗の教相となす、しこうして諸宗を廃して自定を立す、諸宗の中に宗義に至りてはこの両宗に等しと無さずと云々。[27]
私云。此言下聊有所存歟。
選択集已以真言仏心入聖道門、為浄土宗教相。
以聖道門対浄土門而廃之給。
其智恵深遠(智慧深遠)事、言語道断者歟。
私に云く。此の言の下に、いささか所存有るか。『選択集』にすでに真言・仏心を以って聖道門に入れ、浄土宗の教相となす。聖道門を以って浄土門に対し、これを廃し給ふ。その智恵深遠なること言語道断なるものか。[28]

二十一 教相の異

(21)
或云上人在生時、三井寺貫首大弐僧正公胤、作三巻書、破選択集名浄土決疑抄。

あるいは云く、上人在生の時、三井寺貫首大弐僧正公胤、三巻の書を作りて、『選択集』を破す、『浄土決疑抄』と名づく。

其書曰。法花(法華)有即往安楽文、観経有読誦大乗句。

其の書に曰く。『法華』に即往安楽の文有り、『観経』に読誦大乗の句有り。

転読法花(法華)生極楽、有何妨。

『法華』を転読して極楽に生まる、何の(さまた)げ有らん。

然廃読誦大乗、唯付属念仏。云々

しかるに読誦大乗を廃して唯念仏を付属と云々。

是大錯也。取意。

これ大なる錯也。取意。

上人見之、不見終指置云。此僧正此程之人不思、無下分際哉。

上人これを見、見終らずに指を置きて云く。この僧正はこれ程の人とは思わざり、無下の分際かな。

聞言浄土宗義者、可思定判教権実者 可思廃権立実義〔言+覧〕。

浄土宗義を言うと聞かば、定んで教の権実を判ぜむと思うべし、権を廃し実を立て[29]義を覧(み)ると思うべし。

乍聞立宗義、枉理以法花(法華)望入観経往生行中事、似忘宗義廃立 若能学道者、可謂観経是爾前教也、彼教中不可摂法花(法華)。

宗義を立つるを聞きながら、理を()げて法華を以って観経往生の行の中に入れんと望む事、宗義廃立を忘るるに似たり、もし能く学道の者ならば、『観経』はこれ爾前教と謂ふべし、彼の教中に『法花』を摂すべからず。[30]

今浄土宗意者、取観経前後之諸大乗経、皆悉摂往生行内、何法花(法華)独残之哉。

今浄土宗の意は、『観経』前後の諸大乗経を取りて、皆悉く往生行の内に摂す、何んぞ『法華』独りこれを残さんや。

事新不可望入観経内、普摂意者、教為対念仏廃之也。云々

事新しく『観経』の内に入るを望むべからず、(あまね)く摂す意は、教の念仏に対してこれを廃さんが為なり[31]。云々

使者学仏房還語此由、僧正閉口不言説。

使者、学仏房還りてこの由を語る、僧正閉口して言説あらじ。

彼僧正来説法之次、被語於前浄土決疑抄之由来、我今日臨此砌事、偏為懺悔此事也。云々

彼の僧、正(まさ)しく来りて説法の次に、前の『浄土決疑抄』の由来を語られ、我れ今日この砌(みぎり)に臨む事、ひとえにこの事の懺悔の為なりと、云々。

聴聞道俗貴賤莫不随喜、其後僧正同遂往生素懐畢、瑞相非一奇特旁多。云々

聴聞の道俗貴賤、随喜せざるはなし、その後、僧正同じく往生の素懐を遂げ畢(おわ)んぬ、瑞相一に非ず、奇特旁(あまね)く多しと、云々。

二十二 法然聖人の智慧甚深なること

(22)
或時云。源空参月輪禅定殿下之時、住山者一人参会《聊有憚故不載其名》

或時云。源空、月輪禅定殿下に参ずる時、住山者一人参り会えり《いささか(はばかり)ある故、其名を載せず》

問云。誠耶立浄土宗給。

問云。誠なるや浄土宗を立て給ふとは。

答云。然也。

答云。しかなり。

又問。云何文付立之給耶。

又問。いかなる文に付きてこれを立て給ふや。

答云。就善導観経疏付属釈立之也。

答云。善導の『観経疏』付属の釈に就いてこれを立つる也。

又云。立宗義云程事、何唯依一文立之給耶。

又云。宗義を立つると云ふ程の事、何ぞ(ただ)一文に依ってこれを立て給ふや。

微咲不物言。

微咲して物言わざり。

還山於法地房法印前、語此事、惣不及返答云。

山に還りて法地房法印の前に於いて、此の事を語る、すべて返答に及ばざると云ふ。

法印云。彼上人不物言者、處不足言故也。

法印の云。彼の上人物言わざるは、不足言[32]の處(ところ)の故なり。

彼上人於我宗已為達者、剰亘諸宗普習学、智恵甚深(智慧甚深)超過常人。

彼の上人は我が宗に於いてすでに達者なり、あまつさえ諸宗に亘り(あまね)く習学せり、智恵甚深なること常人に超過せり。

故思不及返答不物言也

故に返答に及ばざると思いて物言わざる也。

努力努力不可住僻見。

ゆめゆめ僻見に(とど)むべからず。

上人聞此事云、彼法印殊親近奉談法門、故知智恵分涯如此云也。

上人この事を聞きて云く、彼の法印は(こと)に親近して法門を談じ奉る、故に智恵の分涯を知りて、これのごとく云ふなり。

殊於我法門者、相承于源空云事顕然也。

殊に我が法門に於いては、源空に相承と云ふ事、顕然なり。

二十三 廃悪修善について

(23)
或人問云。常存廃悪修善旨念仏、与常思本願旨念仏何勝哉。

或人の問いて云く。常に廃悪修善(むね)を存じて念仏すると、常に本願の旨を思いて念仏すると何れが(すぐ)れたるや。

答。廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等悉違背。

答。廃悪修善はこれ諸仏の通戒[33]といえども、当世の我等は悉く違背せり。

若不乗別意弘願者、難出生死者歟。云々

もし別意の弘願に乗ぜざれば、生死を出で難き者か、と、云々。

二十四 『選択集』撰述と綱格の違い

(24)
或時云。汝有選択集云文知否。

或時云。汝、『選択集』と云文有りと知るや否や。

不知之由。

知らざるの由。

此文我作文也、汝可見之。

この文は我が作れる文なり、汝これを見るべし。

我存生之間不可流布之由禁之故人人秘之。

我れ存生の間は流布せざるべしの由、これを禁ぜむ故に人人これを秘す。

依之以成覚房本写之。

これに依って成覚房の本を以ってこれを写す。[34]

当初上人御不例気出来給。

当初に上人御不例の気出で来給えり。

聊御平喩之時、従月輪禅定殿下。

いささか御平喩の時、月輪禅定殿下より、

為御形身集要文可給之由被仰。

御形身のために要文を集めて給ふべしの由、仰(おおせ)をかうぶる。

依之造此書令進覧給、此書中或云約浄土門諸行所比論也。

これに依って此書(『選択本願念仏集』) を造り進覧せしめ給ふ。この書の中に或いは浄土門の諸行に約し比論の所ぞと云なり。

或云浄土宗観無量寿経意也。云々

或は浄土宗の『観無量寿経』の意を云ふなり。云々

上人述此意云。此観無量寿経、若依天台宗意、爾前教也。

上人此意を述べて云く。この『観無量寿経』は、もし天台宗の意に依らば、爾前の教也。

故成法花(法華)方便。

故に法華(では)方便と()る。

若依法相宗意者成演別時意。

もし法相宗の意に依らば別時意()べると成す。

然依浄土宗意者一切教行悉成念仏方便。

しかるに浄土宗の意に依らば一切教行は悉く念仏の方便と成る。

故浄土宗観無量寿経意云也。

故に浄土宗の『観無量寿経』の意と云也[35]

又云。聖道門諸行、皆修四乗因、得四乗果。

又云。聖道門の諸行は、皆四乗[36]の因を修して、四乗の果を得る。

故不及比校念仏。

故に念仏と比校に及ばず。

浄土門諸行者、是比校念仏之時非弥陀本願光明不摂取之、釈尊不付属

浄土門の諸行は、是れ念仏に比校の時、弥陀の本願に非ず、光明これを摂取せず、釈尊付属せず[37]

故云全非比校也

故に全く比校に非ずと云ふなり。

然道綽善導宗義大異也。

しかれば道綽・善導の宗義は大に異るなり。

能能一一分別知之。

能く能く一一に分別してこれを知るべし。

聖道浄土二門雖異、行体是一也、義意可知。云々

聖道浄土二門、行体異るといえども、是一也、義意知るべし。云々

(25)

『禅勝房との十一箇条問答』

或時、遠江国蓮花寺(蓮華寺)住僧禅勝房参上人、奉問種種事、上人一一答之。

ある時、遠江国蓮華寺住僧禅勝房、上人に参じて、種種の事問い奉まつる事、上人一一これに答。

一問曰、世間有難者云、八宗九宗外立浄土宗、是自由也、如何可対治此難候。

一つ、問曰、世間に難者ありて云、八宗九宗の外に浄土宗を立つ、是れ自由(じゆ)[38]也、如何此難に対治すべく候。

答云。立宗事者更非仏説、付自所学経論、覚極其義也。諸宗習皆以如此。

答云。宗を立つる事は更に仏説に非ず、自ら学ぶ所の経論に付て、其義を極め覚る也。諸宗の習 皆以って此のごとし。

今立浄土宗事、付浄土正依経 解得往生極楽義之先達立宗名也。

今、浄土宗を立る事、浄土正依経に付、往生極楽義を解得し先ず宗名を立つる也。

不知宗起者致如此之難也、非難事也。

宗の起るを知らざる者、此の如き難を致す也、難に非ざる事也。

二問云。於法花(法華)真言者不可入雑行中云、如何可難治此難候。

二に問云。法華・真言に於ては雑行中に入らずと云、如何が此の難難治すべき候。

答云。恵心先徳(慧心先徳)集一代聖教造往生要集立十門、其中第九門是往生諸業也。

答云。恵心の先徳、一代聖教を集め『往生要集』を造り十門を立つ、其中第九門は是れ往生諸業也。

已法花(法華)真言等諸大乗経被入諸行。

已に法華・真言等諸大乗経を諸行に入らしむ。

諸行与雑行言異其意同、今難者不可勝恵心(慧心)先徳歟。

諸行・雑行と言(ことば)異にして其の意同、今の難者は恵心の先徳に勝(た) ふべからず歟。

三問云、付余仏余経結縁助成事、可可成雑候歟。

三に問云、余仏余経に付き結縁助成せむ事、雑と成すべき候べき歟。

答、我身乗仏本願之後、決定往生信起之上、結縁他善事、全不可為雑行、可成往生助業也。

答、我身、仏の本願に乗じての後、決定往生の信起らんの上は、他善に結縁する事、全く雑行と為すべからず、往生の助業と成べし也。

善導釈中、已随他善根以自他善根廻向(回向)浄土。云々

善導の釈中、已に他の善根に随い自他の善根を以って浄土に回向と、云々。

以此釈可知也。

此の釈を以って知るべき也。

四問云、極楽有九品差別事、可為弥陀本願称歟。

四に問云、極楽に九品の差別有る事、弥陀の本願に称(かな)うと為すべし歟。

答云、極楽九品者非弥陀本願、更無四十八願中、是釈尊巧言也。

答云、極楽九品は弥陀の本願に非ず、更に四十八願中に無し、是れ釈尊の巧言也。

若説善人悪人生一所者、悪業者可起等慢心故、令有品位之差別、説善人進上品悪人下下品也。急参可見。云々

若し善人悪人一所に生と説かば、悪業の者、等く慢心を起す故、品位の差別有らしめ、善人は上品に進め悪人は下品に下ると也。急ぎ参りて見るべし。云々

五問云、持戒者念仏数遍(数返)少、与破戒者念仏数返多、往生後浅深如何。

五に問云、持戒の者の念仏の数返の少と、破戒の者の念仏の数返の多と、往生後の浅深如何。

上人指所居畳答云、就有畳論破与不破。

上人居へる所の畳を指して答へて云、畳有るに就てこそ破と不破を論ずる。

全於無畳者、云何論破不破哉。

全く畳無きに於ては、云何ぞ破不破を論ず哉。

其様末法中、無持戒、無破戒、但有名字比丘、伝教大師末法灯明記委明此旨。

其様に末法の中には、持戒無く、破戒無し、但だ名字比丘のみ有と、伝教大師の『末法灯明記』に委しく此の旨を明す。

其上不可持戒破戒沙汰、為如此之凡夫所教本願者、急急可称名字也。

其の上は持戒破戒沙汰すべからず、此の凡夫の如き為に教る所の本願なれば、急ぎ急ぎ名字を称すべき也。

六問云、念仏行者、毎日所作有不絶声之人、又有心念取数之人、何可為本候。

六に問云、念仏行は、毎日の所作に声絶えずの人有り、又心念にて数を取る人も有、何れをか本と為すべき候。

答云、口唱心念悉名号、何皆可成往生業、唯仏本願為称名故、可出声也。

答云、口唱も心に念ずも悉く名号なれば、何れも皆、往生業と成るべし、唯だ仏の本願は称名と為す故、声に出すべき也。

故経説令声不絶具足十念釈云称我名号下至十声也

故に経には「令声不絶具足十念」『観経』下下品。[39]と説き、釈には「称我名号下至十声」[40]云也。

聞我耳之程為高声念仏、但不知譏嫌而非可高声、地体可思出声也。

我耳に聞ゆる程の高声念仏と為す、但だ譏嫌を知らず、高声なるに非ず、地体は声に出すと思べしと也。

七問云、日別念仏数返(数遍)入相続之程事可定幾候。

七に問云、日別の念仏の数遍、相続に入ての程の事は幾つと定め候。

答云、依善導釈者、万已上可為相続分 《出観経法門中》

答云、善導の釈に依て、万已上相続分と為べし 《出観経法門中》

但雖一万返(一万遍)急申、虚不可過時節。

但だ、一万遍といえども急ぎ申、虚く時節を過ぐべからず。

設雖一万返(一万遍)可為一日一夜之所作、惣一食之間三度許唱之者、能相続者也。設ひ一

万遍といえども一日一夜の所作となす、惣じて一食の間に三度ばかりこれを唱者、能く相続者也。

但衆生機根不同者、一准不可定之、若志深者自然相続事也。

但だ衆生機根不同なれば、一准之を定むべからず、若し(こころざし)深き者は自然に相続する事也。

八問云、礼讃深心中、十声一声定得往生、乃至一念無有疑。文

八に問云、『礼讃』の深心の中に、十声一声定んで往生を得、乃至一念疑い有ること無し。文

又疏中深心、念念不捨者是名正定之業。文

又、『疏』中の深心には、念念捨てざれば是れ正定之業と名ずく。文

云何可分別候。

云何が分別すべき候。

答云、十声一声釈是信念仏之様也、信取一念往生、行一形可励也。

答云、十声一声の釈は是れ念仏を信ず之様也、信をば一念往生すと取、行をば一形励むべき也。

又一発心已後釈可為本意也。

又一発心已後の釈[41]を本意と為すべき也。

九問云、本願一念者、可通尋常機臨終機候歟。

九に問云、本願の一念は、尋常の機 臨終の機に通ずべき候歟。

答云、一念願為不及二念之機也。

答云、一念の願は二念に及ばざる機の為也。

可通尋常機者 不可有上尽一形之釈、此釈可得意、必一念非為仏本願云事顕然也。

尋常の機に通ずべきは、上尽一形之釈有るべからず、此の釈の意得べし、必ず一念を仏の本願と為すに非ずと云事、顕然也。

已釈念念不捨者是名正定之業、順彼仏願故、唯此釈意可云念念不捨者即順本願、但値本願遅速不同者発上尽一形下至一念給也。

已に「念念不捨者是名正定之業、順彼仏願故」と釈す、唯だ此の釈の意、念念不捨者即順本願と云うべし、但だ本願に値あう遅速同じからざれば上尽一形下至一念と発し給う也。

故善導得念仏往生願也。云々

故に善導は念仏往生願を得る也。云々

十問云、自力他力申事、何様可得心候乎。

十に問云、自力他力と申事、何様(いかように)に心得べき候乎。

答云、源空雖非可参殿上機量、自上召者二度参殿上。

答云、源空は殿上に参ずべき機量に非ずといえども、上より召されて二度まで殿上に参ず。

此非我可参之式、上御力也。

此れ我が参ずるの式(のり)に非ず、上の御力也。

何況阿弥陀仏御力、酬称名願来迎事、有何不審。

いわんや阿弥陀仏の御力、称名の願に酬いて来迎の事、何の不審か有る。

自身罪重、無智者、云何不可疑遂往生、若如此疑者、一切不知仏願者也。

自身罪も重く、無智の者、云何んが往生を遂ぐを疑うべからず、若し此の如き疑う者は、一切に仏願を知らざる者也。

為度如此之罪人所発之本願也、乍唱此名号、努力努力不可有疑心。云々

此の如きの罪人度す為、発す所の本願也、此の名号を唱えながら、ゆめゆめ疑心有るべからず。云々

十方衆生願中、有智無智、有罪無罪、善人悪人、持戒破戒、男子女人、乃至三宝滅尽之後十歳衆生無漏。

十方衆生の願の中に、有智無智、有罪無罪、善人悪人、持戒破戒、男子女人、乃至三宝滅尽の後の十歳の衆生までも漏るること無し。

彼三宝滅尽之時念仏衆生与当時行者比之、当世人如仏也、彼時者人寿十歳也、戒定恵(戒定慧)三学不聞名。云々

彼の三宝滅尽の時(の)念仏衆生と、当時行者と之を比ぶ、当世人は仏の如き也、彼の時の人寿十歳也、戒定慧の三学名だにも聞かず。云々

此等衆生 乍知可預来迎、我身可被捨云事、云何可得心出哉。

此等の衆生、来迎に預るべしと知りながら、我身捨らるべしと云事、云何が心得て出す可き哉。

但極楽不被欣、念仏不被信事 行者可成往生障、故云他力願、云超世願也。

(ただ)、極楽を欣わしめず、念仏を信ぜしめざる事の行者は往生の障と成るべし、故に他力願と云、超世願と云也。

十一

十一問云、可具至誠等三心文三体如何様可得意候乎。

十一に問云、至誠等三心具すべしの文、三体如何様な意と得るべく候乎。

答云、具三心事無別様、阿弥陀仏本願、称念我名号者、必来迎誓給故、決定深信可被引接也、心念口称不倦、已得往生之心地而至最後一念不退転者、自然具足三心也。

答云、三心具(す)事 別の様無し、阿弥陀仏本願に、我名号を称念する者、必来迎せむと誓い給ふ故、決定して深信 引接を被るべき也、心念口称倦まず、已に往生得るの心地、最後の一念に至り退転せずは、自然に三心具足する也。

在家者共中、雖無如此分別、只念仏者知生極楽常念仏之輩、自然具三心、多遂往生也。

在家の者の共の中に、此の如き分別無しといえども、只だ念仏者極楽に生ると知て常に念仏するの輩は、自然に三心具し、多く往生遂げる也。

此故一文不通者中神師(安房の助)往生也。

此故に一文不通者中にも神師(阿波介)往生する也。

《已上十一問答了》


  1. 天台大師智顗の、『妙法蓮華経文句』10巻、『妙法蓮華経玄義』10巻、『摩訶止観』10巻と、妙楽大師湛然の、『止観輔行伝弘決』10巻、『法華玄義釈籤』10巻、『法華文句記』10巻を60巻というか。
  2. 進士(しんじ)。大学寮で文章道を専攻した学生。
  3. 昔の論主。まるで龍樹菩薩や天親菩薩におあいしたようであると讃嘆している。菩薩の著述を論といふ。
  4. 『往生要集』の序分の文p.798。如予頑魯之者(予がごとき頑魯のもの)との源信僧都(恵心僧都)の言明に、浄土教は凡夫の仏教であると同時に賢愚善悪を選ばない末法における真の仏道と領解されたのであろう。
  5. 法然聖人は『往生要集』をとおして浄土門に入られ、『往生要集略料簡』では、広・略・要の三義をたてて『往生要集』十門の解釈を詳細に論じておられる。
  6. 法然聖人といえども善導大師の『観経疏』は難解な書であった。それは「三心釈」の至誠心の解釈であった。『観経疏』の文の当面では、阿弥陀仏が因中に菩薩の時と発したと同じ至誠心を発せというのである。これについては『三心料簡および御法語』の「三心料簡の事」を参照。また法然聖人の回心については「法然聖人における回心の構造に詳しい。
  7. この一段は御開山が編纂された『西方指南鈔』中本p.130 に「法然聖人御夢想記」として詳述されている。→「法然聖人御夢想記」
  8. 註:大原問答(談義)は1186年とされているので、顕真はこの当時は座主ではない。顕真は1190年に第61代天台座主に就任した。なお、この大原問答により法然聖人の名が巷間に知られ、僧俗が競って法然聖人の許を訪れたという。元久元年(1204)の『七箇条の御起請文』には「年来の間、念仏を修すといえども聖教に随順してあえて人心に逆らわず、世の聴を驚かすことなし。これによって今に三十箇年、無爲にして日月をわたる。 しかるに、近来に至って、この十箇年より以後、無智不善の輩、時時到来す」とある。
  9. 通常の仏教の視点から見れば、法然聖人の説かれることは、まさに偏執であろう。いわゆるけじめをはっきりとつけるという事であり選択という廃立である。御開山もけじめをつける人であり、こういう生き方は過去も現在も、世の中では生きにくいことであったと思ふ。
  10. 浄土門の教えを知らない者は、このように疑うものだという意。
  11. 校名(きょう-みょう)。交名。多くの人の名を書きつらねた文書。ここでは閻魔帳に載っている亡者の名。
  12. 阿弥陀仏の本願には、み名である南無阿弥陀仏を称えたものは浄土に往生させるとある。ゆえに閻魔の前で裁きをうける時、自分の名前を問われた時に、南無阿弥陀仏と名を答えることで、閻魔は浄土へ往生させざるを得ないという意。すべて忘れてしまっても自分の名前は覚えているだろうということであろう。なお、これより阿弥号を付ける人が増えたという。観阿弥や世阿弥なども阿弥号である。
  13. 肥後の阿闍梨。法然聖人の師であった皇円のこと。皇円の父の重房が肥後守であったことから肥後の阿闍梨と呼ばれていた。→皇円
  14. 隔生即忘(きゃくしょう-そくもう)。生を隔てれば即ち忘れる。生まれ変わり死に変わり仏法を学んでも死ねば全て忘れてしまうという意。これを「分段生死(ぶんだん-しょうじ)」といふ。→分段生死
  15. 併には、しかしといふ訓もあるので、ここでは、しかしながらと訓じた方がよいかも。
  16. 天台では凡夫の往生する浄土は、凡夫と聖者がともに同居している程度の低い浄土だとする。→四種浄土
  17. わらは-やみ、おこり。◇一定の周期で高熱を発する病気。かってに日本にも存在した土着マラリアではないかといわれている。
  18. 落ちおわんぬ。病が癒えたこと。
  19. ◇『往生礼讃』の文。なお親鸞聖人は「世」の字を略して引文されるのが常であった。
  20. 仮令(けりょう)。かりにとか、たとえばという意。真実ではないこと。
  21. 第十八の本願には、至心信楽欲生の安心(信心)と乃至十念の念仏が説かれているが、前述の善導大師の『往生礼讃』に安心(信心)が説かれていないのは何故かという問い。
  22. 衆生称念必得往生。(衆生称念すればかならず往生を得)『礼讃』の文。
  23. 自然に三心は具足するなり。『和語灯録』の「諸人伝説の詞」に「 又人目をかざらずして、往生の業を相続すれば、自然に三心は具足する也。 たとへば葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見えねども、よくよくたちよりて見れば、あしまをわけてやどる也。妄念のあしはしげげれども、三心の月はやどる也。 これは故上人のつねにたとへにおほせられし事也と。」とある。
  24. 御開山は曇鸞大師の教学を取り入れることによって、本願力回向による願作仏心度衆生心の浄土の横超の菩提心をあかされた。
  25. 戒を守っておこないを正しくすることであるが、ここでは、僧尼は、正午以後食事をしないという戒を守ることをいう。この食事の時間を守ることから、仏事の食事を時(とき)といい斎をお斎(おとき)と表現するようになった。
  26. 大乗と小乗の戒律
  27. 真言密教に二の流があって、いわゆる東寺(東密)は密教だけだが、天台では顕密二教を兼学する。そして顕教である法華宗を本意するならば、顕教の理解上で密教を理解しているのである。それに対して東寺の真言密教は、顕教の枠外の密教である。枠外であるから「諸宗を取りて、用いて自宗の教相となす、しこうして諸宗を廃して自定を立す」といふ事が可能である、とされる。これは、より高次の次元で浄土教の宗義を俯瞰して捉えるもので、後に御開山が、「八万四千の法門は仮門」とか「誓願一仏乗」を説かれた意図と同じであろう。なお法然聖人は真言宗も仏心宗も聖道門におさめて廃立されておられる。
  28. 私云、以下は勢観房源智上人の私釈。
  29. 廃権立実(はいごん-りゅうじつ)。天台の術語。権(方便)を廃して実(真実)を立てる。
  30. 天台の五時教判によれば、『法華経』と『涅槃経』は最後の五時に説かれたから真実教だといふ。それに対して『法華経』以前に説かれた経典を方便の爾前経として見る。しかして『観経』と『法華経』を同一にして解釈することは教理の誤りも甚だしい、と天台の教判を以て批判しておられる。
  31. 念仏を説く浄土門の『観経』と聖道門の『法華経』を一つに解釈しようとする意図は、念仏といふ行を廃しようとする為であるといふのであろう。
  32. 不足言(言に足らず)。浄土門を知らない者には、言葉では言い表わせない。何とも言いようがない、といふ韋。
  33. 通戒(つうかい)。七仏通戒偈には「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(あらゆる悪をなさず、もろもろの善を実行し、みずからその心を清らかにすること、これこそ諸仏の教えである)」とある。
  34. 幸西は源智より先に『選択集』の伝授をうけていたことが判る。後年、幸西は鎮西浄土宗から一念義として非難され、『法然上人行状絵図』第二十九では「上人の弟子となり、成覺房幸西と號しけるが、淨土の法門をもとならへる天台宗にひきいれて、迹門の彌陀、本門の彌陀といふことをたてて、十劫正覺といへるは迹門の彌陀と。本門の彌陀は無始本覺の如來なるがゆへに。我等所具の佛性と、またく差異なし。この謂をきく一念にことたりぬ。多念の遍數、はなはだ無益なりと云て、一念義といふ事を自立しけるを、上人、此義善導和尚の御心にそむけり。はなはだしかるべからざるよし、制しおほせられけるを、承引せずして、なをこの義を興しければ、わが弟子にあらずとて、擯出せられにけり」と法然聖人から破門されたとするのだがこれは事実ではない。幸西は承元の法難や嘉禄の法難にも遭遇しているので鎮西派からの非難にすぎない。なお、幸西は御開山と非常に近い思想傾向を持っていたことは著書である『玄義分抄』などを見れば判る。ここで批判されている、本門の弥陀、迹門の弥陀という発想は、御開山の和讃の「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど 塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」や『一念多念証文」の「一実真如と申すは無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり、法性すなはち如来なり。宝海と申すは、よろづの衆生をきらはず、さはりなくへだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり」等の記述と同じ発想といえるであろう。いわゆる法然教学の中核とも言えるのが御開山や幸西大徳のグループであったのだろう。
  35. 『選択集』三輩章で「二には『観経』の意、初め広く定散の行を説きて、あまねく衆機に逗ず。後には定散二善を廃して、念仏一行に帰す。」とあるように、『観無量寿経』は髄他方便の定散を説き、髄自の付属の称名によって廃立する経典であるという意か。
  36. 声聞乗・縁覚縁乗・菩薩乗・仏乗の四乗。
  37. 『観経』に「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。」とあり、また付属段に「なんぢ、よくこの語を持(たも)て。この語を持(たも)てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持(たも)てとなり」とある。
  38. 仏教では自由(自らによる)とは否定的概念であり、自由の妄説(勝手きままな誤った説)として排斥される。ここでは、新たに浄土宗を建てるということは自由(じゆ)の妄説と非難する人がいるがどう答えるのかと問うている。
  39. 声をして絶えざらしめて、十念を具足して 『観経』下下品。
  40. わが名号を称すること下十声に至るまで『往生礼讃』。
  41. 「散善義」p.473 に、
    或従一念十念至一時一日一形。大意者一発心已後 誓畢此生無有退転。唯 以浄土為期。
     あるいは一念・十念より一時・一日・一形に至る。 大意は、一たび発心して以後、誓ひてこの生を畢(おわ)るまで退転あることなし。ただ浄土をもつて期となす。 とある。


◆ 参照読み込み (transclusion) 三心料簡および御法語の訓読

大正6年に醍醐寺三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本の「三心料簡事」の読み下しである。二十七箇条問答ともいう。勢観房源智上人(1183-1238)または弟子が書き記されたといわれる。源智上人は、13歳のとき法然聖人の室に入り、約18年間常時随従して秘書的役割を担ったといわれる。また、法然聖人の最晩年の念仏の領解を述べられた、『一枚起請文』を授けられている。

『三心料簡および御法語』

三心料簡の事

(1)
一、三心料簡事[1]

一、三心料簡の事。
付疏第四仰云。先浄土 悪雑善永以 不可生知。
(しょ)(観経疏)の第四についての仰せに(いわ)く。まず浄土には悪の(まじ)わる善は永く以って生ずべからずと知るべし。 [2]
是以者義分、定即息慮以疑(凝)心、散即廃悪以修善、廻此二行求願往生。文
ここを以って義分(玄義分)には、「はすなはち(おもんぱか)りを()めてもつて心を()らす。はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す」(*)の文。[3]
又散善義云、上輩上行上根人、求生浄土 断貪嗔。文
また「散善義」に云く「上輩は上行上根の人なり。浄土に生ずることを求めて貪瞋を断ず」(*)の文。[4]
然則(即) 今此至誠心中 所嫌之虚仮行者、余善諸行也。
しかればすなわち、今、この至誠心の中に嫌う所の虚仮の行とは、余善諸行なり[5]
三業精進雖勧、内貪嗔邪偽等 血毒雑故、名雑毒之善 名雑毒之行、云往生不可也。
三業に精進を(すす)むといえども、内に貪瞋邪偽等の血毒(まじわ)るが故に、雑毒(ぞうどく)の善と名づけ雑毒の行と名づけ、往生不可と云ふなり。
是以 礼讃専雑二行得失中、雑修失云。貪嗔諸見 煩悩来間断。
ここを以って『礼讃』の専雑二行得失中の、雑修の失に云く「貪・瞋・諸見の煩悩来りて間断す」[6]と。
故廻此等雑行、直欲生報仏浄土者、尤不可嫌道理也。
故にこれらの雑行(めぐ)らして、ただちに報仏浄土に生ぜんと欲する者は、もっとも不可と嫌う道理なり。
然以身口二業為外、以意業一為内者 僻事也。既云 雖起三業 豈除意業乎。
しかれば、身・口の二業をもって外となし、意業の一をもって内となさんは僻事(ひがごと)なり。すでに「三業を起こすといえども」(*)と云えり、あに意業を除かんや。
又虚仮者、狂惑者云事 僻事。既云苦励身心、又云日夜十二時 急走急作 如炙頭然者。文
また「虚仮」とは、狂惑者ということ僻事とす。すでに「身心を苦励し」と云い、また「日夜十二時、急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするもの」と云ふ文。(*)
云何 仮名之行人 如此哉、正是雑行者也。
いかんぞ仮名の行人、この如きなるや、まさにこれ雑行の者なり。
次所選取之真実者、本願功徳 即正行念仏也。
つぎに選取するところの真実とは、本願の功徳すなわち正行の念仏なり。
是以玄義分云。言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力 為増上縁也。云々
ここを以って「玄義分」にいわく。「弘願といふは『大経』に説くがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(*)[7]と云々
是以 今文正由彼阿弥陀仏因中 行菩薩行時、乃至一念一刹那三業所修、皆是真実心中作云々。
ここを以て今の文に「正しく彼の阿弥陀仏因中に菩薩の行を行ぜし時、乃至一念一刹那も、三業の修すところ、皆これ真実心の中に作すに由るべし」と云々。
由阿弥陀仏因中真実心中作行 悪不雑之善故云真実也。
阿弥陀仏因中の真実心の中に()すに()る行こそ、悪(まじ)はらざる善なるが故に真実と云ふなり。
其義以何得知。次釈、凡所施為・趣求亦皆真実文。
その義なにを以て知ることを得ん。次の釈に「おほよそ施為(せい)趣求(しゅぐ)するところ、またみな真実なり」[8]の文。
此以真実施者、施何者云、深心二種釈第一 罪悪生死凡夫云 施此衆生也。
この真実を以て施すとは何者に施すと云はば、深心の二種の釈の第一、「罪悪生死の凡夫」(*)と云へる、この衆生に施すなり。
造悪之凡夫 即可由此真実之機也。
造悪の凡夫、すなわちこの真実に()べきの機なり。
云何得知。
云何が知ることを得る。
第二釈 阿弥陀仏四十八願 摂受衆生等。云々
第二の釈に、「阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受す」等と云々。
如此可得心也。云々
このごとく心得べきなり、と云々。
深心中反修余善云事、以余善云事以余行可往生非為答。
深心の中に反じて「修余善(余善を修す)」いう事、余善という事を以って、余行を以って往生すべしと答えんとなすにあらず。
難破言 不可指南也。
難破の言なれば、指南とすべからずなり。[9]
五種正行中観察門事、非十三定善。
五種の正行の中に観察門という事は、十三定善には非ず。
散心念仏行者 極楽有様相像欣慕心也。
散心の念仏行者の、極楽のありさまを相像して欣慕する心なり。
廻向発願心(回向発願心)始、真実深信心中廻向(回向)云事、此三心中、回向(廻向)云心也。
回向発願心の始めに「真実の深信の心中に回向して」という事、これは三心中の回向という心なり。
去過今生諸善者、三心已前功徳取返極楽廻向(回向)云也。
過去今生の諸善は、三心已前の功徳を取返して極楽に廻向せよというなり。
全三心後非云行諸善也云々。
全く三心の後に諸善を行ぜよというにはあらず、と云々。

白道の事

(1)-1
白道事

白道の事。

雑行中願往生心、白道為貪嗔水火被損。

雑行の中の願往生の心は、白道なれども貪瞋水火のために損ぜらる。
以何得知。
何を以って知ることを得る。
釈云 廻諸行業 直向西方也云々。
釈に「(もろもろ)の行業を回(向)して直ちに西方へ向かう」(*)と云ふ、と云々。
諸行往生願生心 白道聞。
諸行往生の願生心の白道と聞きたり。
次専修正行願生心 名願力道。
次に専修正行の願生心をば願力の道と名づく。[10]
以何得知。
何を以って知ることを得る。
仰蒙釈迦発遣指南(向)西方、又藉弥陀悲心招喚、今信順二尊之意、不顧水火二河、念念無遺、乗彼願力之道、捨命已後得生彼国文。已下文是也。
「仰ぎて釈迦の発遣して西方に指(南)向したまふことを蒙り、また弥陀の悲心をもつて招喚したまふによりて、いま二尊(釈尊・阿弥陀仏)の意に信順して、水火の二河を(かえり)みず、念々に(わす)るることなく、かの願力の道に乗じて、命を捨ておはりて後にかの国に生ずることを得」(*)の文已下(以下)の文これなり。
正行者、乗願力道故、全不貪嗔水火損害。
正行の者は、願力の道に乗ずるゆえに、全く貪・瞋・水・火の損害を受けず。
是以譬喩中云、西岸上有人喚言、汝一心正念直来 我能護汝、衆不畏堕於水火難云々。
ここを以って譬喩の中に云く、「西岸の上に人ありて()ばひて言はく、汝、一心正念にしてただちに来れ。 我()く汝を護らん。 (すべ)て水火の難に堕することを畏れざれ」と云々。
合喩中云、言西岸上有人喚者、即喩弥陀願意也云々。
合喩の中に云く、「西岸上に人有りて喚ひて言く」(*)とは、すなわち弥陀の願意に喩えるなり、と云々。
専修正行人 不可恐貪嗔煩悩也、乗本願力白道、豈容被損火(焔)水波哉云々。
専修正行の人は貪瞋煩悩を恐るべからず。本願力の白道に乗ぜり。あに火焔・水波に損ぜられんや、と云々。

念仏と諸善の比校の事

(2)
一、定善中自余衆行雖名是善、若比念仏者、全非比校也云事。

一、定善中に、自余衆行これを善と名づくといえども、もし念仏に比べれば全く比校に非ずなりと云ふ事。
諸行与念仏比校之時、云念仏勝 余行劣 弥諍論不絶事也。
諸行と念仏を比校する時に、念仏は勝れ余行は劣なりと云へば、いよいよ諍論絶えざる事なり。
只念仏本願行也、諸善非本願行也云時、真言法花(法華)等甚深微妙行、全非比校也。
ただ念仏は本願の行なり、諸善は非本願の行なりと云ふ時、真言・法華等の甚深微妙の行も、全く比校に非ざるなり。
存此旨 可云比校義也。
この旨を存じて比校の義をば云ふべきなり。[11]

無智の者、三心具すと云ふ事

(3)
一、無智者三心具云事

一、無智の者、三心具すと云ふ事。
一向心念仏申、無疑往生思、即三心具足也云々。
一向の心にて念仏申して疑い無く往生せんと思へば、すなわち三心は具足するなり、と云々。
私云、一向心者至誠心也。
私に云く[12]、一向の心とは至誠心なり。
無疑者深信也。
疑い無しとは深信なり。
往生思心廻向発願心(回向発願心)也。
往生してんと思ふ心は回向発願心なり。

余行はしつべけれとも、せずと思ふは、専修心なり

(4)
一、余行シツヘケレトモ、セスト思、専修心也。

一、余行はしつべけれとも、せずと思ふは、専修心なり。
余行目出ケレトモ身カナハ子ハエセスト思ハ、修セ子トモ雑行心也云々。
余行はめでたけれとも身かなはねばえせずと思ふは、修せねども雑行心なり、と云々。[13]

造悪の機、念仏の事

(5)
一、造悪機念仏事

一、造悪の機、念仏の事。
造悪身之故念仏申也。
悪を造る身なるが故に念仏を申すなり。
造悪料 非念仏申可得心也云々。
悪を造らむに念仏申すに非ずと心得べきなり、と云々。[14]


善悪の機の事

(6)
一、善悪機事

一、善悪の機の事。
念仏申者、只生付ママニテ申ヘシ。
念仏申さむ者は、ただ生れ付きのままにて申すべし。
善人乍善人、悪人乍悪人、本ママニテ申スヘシ。
此入念仏之故、始持戒破戒ナニクレト云ヘカラス。
只本体アリノママニテ申ヘシト云々。
善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、(もと)のままにて申すべし。これ念仏に入る故なり、始めに持戒・破戒なにくれと云ふべからす。ただ本の体ありのままにて申すべし、と云々。[15]
付之問云。本聖道門人持戒帰浄土門之時、捨持戒 持斉修専修念仏、即成破戒過如何。
これに付きて問いて云く。(もと)聖道門の人、戒を(たも)ちて浄土門に帰する時、持戒・持斉を捨てて、専修念仏を修す、すなわち破戒の(とが)と成るや、いかん。
答。念仏行者 欲犯悪之時思。念仏申 此罪滅スヘシト存犯罪、誠悪義也。
答ふ。念仏の行者、悪を犯さんと欲する時に思ふに、念仏を申さば、この罪滅すべしと存じて罪を犯す、誠に悪義なり。
但真言有調伏之法云事、兼憑後調之法故也云事。
ただ真言に調伏之法と云ふ事あるに、兼て後 調之法を憑む故なりと云ふ事なり。
其様 犯罪兼憑本願之滅罪力、全不苦事也云々。
そのように罪犯すかと(あわ)せて本願の滅罪の力を憑むは、全く苦しからざる事なり、と云々。

悪機往生の謂われを知る

(7)
一、悪機一人置此機往生謂ハレタル道理ナリケリト知程習タルヲ、浄土宗善学タルトハ云也。

一、悪機を一人置きてこの機の往生しけるは(いわれ)たる道理なりけりと知りたる程に習たるを、浄土宗を善く学びたるとは云ふなり。
此宗悪人為手本 善人摂也。
この宗は悪人を手本とし、善人までも摂するなり。
聖道門善人為手本 悪人摂也。云々
聖道門は善人を手本となして、悪人をも摂すなり、と云々。

行者の生所は心と行とに依る事

(8)
一、行者生所依心行事

一、行者の生所は心と行とに依る事。
但念仏生極楽国、但余行生懈慢国也。
(ただ)念仏は極楽国に生る、ただの余行は懈慢国に生るなり。[16]
然念仏余善兼行者亦有二。
しかるに念仏余善と兼行の者に二有り。
念仏方心重 雑余行生極楽、余行方心重助念仏生懈慢云々。
念仏の方に心重きは余行を雑えても極楽に生れ、余行の方に心重きは念仏を(すけ)るとも懈慢に生ると云々。

我身に三心を具すことを知る事

(9)
一、知我身具三心事

一、我身に三心を具すことを知る事。
如大経説、歓喜踊躍心既発、可知三心具瑞也。
大経に説くが如し、歓喜踊躍の心、すなわち発したらば、三心具せる(しるし)と知るべし、となり。
歓喜者、往生決定思故喜心也。
歓喜とは、往生決定と思ふ故に喜ぶ心なり。
往生不定歎位(不定嘆位)未発三心也之者也。
往生を不定と歎く位(不定嘆位)は、三心を発せずとは、またこの者なり。
不発三心故無歓喜心、是則致疑故歎(嘆)也云々。
三心を発さざる故に歓喜心無し、これすなわち疑を致す故に歎くものなり、と云々。

一法に万機を摂す事

(10)
一、一法摂万機事

一、一法に万機を摂す事。
第十八願云十方衆生、無漏十方之衆生、我願内込十方也。
第十八願に「十方衆生」と云ふは、十方の衆生、漏るること無し、我が願の内に十方を込めむとなり。
法照禅師云、彼仏因中立弘誓、聞名念我惣来迎、不簡貧窮将富貴、不簡下智与高才、不簡多聞持浄戒、不簡破戒罪根深、但使廻心多念仏、能令瓦礫変成金云々。
法照禅師の云く、「かの仏の因中に弘誓を立つ。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来らしめん。貧窮と富貴とを簡ばず、下智と高才とを簡ばず、多聞と浄戒を持てるとを簡ばず、破戒と罪根の深きとを簡ばず。ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて(こがね)と成さんがごとくせしむ。」云々。
此文心我身貧窮不造功徳、下知不知法門、破戒雖犯罪障、便廻心多念仏思。云々
この文の心は、我が身の貧窮にて功徳を造らぬも、下知にて法門を知らぬも、破戒にして罪障を犯すといえども、便(すなわ)ち廻心し多く念仏せん、と思ふべしと云々。

無智を本と為す事

(11)
一、無智為本事

一、無智を本と為す事 。
凡聖道門極智恵(智慧)離生死、浄土門還愚痴生極楽、所以趣聖道門之時、瑩智恵(智慧)守禁戒、浄心性以為宗。
おおよそ聖道門は智恵を極めて生死を離れ、浄土門は愚痴に還りて極楽に生まる。ゆえに聖道門に趣くの時、智慧を(みが)きて禁戒を守る、心性を(きよ)むるを以って宗となす。
然入浄土門之日、不憑智恵(智慧)、不護戒行、不調心器、只云 無甲斐成無智者、憑本願 願往生也云々。
しかるを浄土門に入るの日は、智慧をも(たの)まず、戒行をも護らず、心器をも調(ととの)えず、ただ、甲斐無く無智なる者、本願を憑み往生を願へ云ふなり、と云々。
書此状御自筆、禅勝房田舎下京ツトニ取ラセムトテ給タリト云々。
この状を御自筆に書て、禅勝房が田舎に下る京づと[17]に取らせむとて給たり、と云々。
又云、源空念仏申一文不通男女斉申、全年来修学智恵(智慧)一分不憑也。
また云く、源空が念仏申すも一文不通の男女に(ひと)しくして申すぞ、全く年来修学したる智恵をば一分も憑まずなり。
然カク知又クルシカラヌソト云々。
しかれども、かく知りたるも、又くるしからぬぞ、と云々。

『阿弥陀経』の一心不乱の事

(12)
一、阿弥陀経一心不乱事

一、『阿弥陀経』の一心不乱の事。
一心者、何事心一スルソト云、一向念仏申阿弥陀仏心我心一成也。
一心とは、何事に心を(ひとつ)にするぞと云ふに、一向に念仏申せば阿弥陀仏の心と我心と(ひとつ)に成るなり。
如天台十疑論云。如世間慕人能受慕者 機念相投必成其事。
天台の『十疑論』に云ふが如し。「世間の慕人、能く慕を受ければ機念相投して必ず其事を成ずるが如し」。(淨土十疑論)
慕人者阿弥陀仏也、恋ラルル者我等也。
(したう)人とは阿弥陀仏なり、恋せらるる者とは我等なり。
既心発一向阿弥陀、早仏心一成也。
すでに心を一向阿弥陀に発せば、早く仏の心と一に成るなり。
故云一心不乱。
ゆえに一心不乱と云へり。
上少善根福徳因縁念ウツサヌ也云々。
上の少善根福徳因縁に念をうつさぬなり、と云々。[18]

『阿弥陀経』の「善男子善女人」の事

(13)
一、阿弥陀経善男子善女人事

一、『阿弥陀経』の「善男子善女人」の事。
此執持名号身成故、云善男子善女人也。如下品上生一生十悪凡夫 最後一称時 被讃善男子。
この、名号を執持する身となるが故に「善男子善女人」と云ふなり。下品上生一生十悪の凡夫、最後の一称の時、善男子と讃ぜられるがごとし。[19]
実本機五濁悪世悪時衆生也。
実に本機は五濁悪世悪時の衆生なり。
是以観念法門 釈阿弥陀経 今文云若仏在世、若仏滅後、一切造罪凡夫。云々
ここを以って『観念法門』に『阿弥陀経』の今の文を釈し「もしは仏の在世、もしは仏滅後の五濁の凡夫なり」と云ふ、と云々。
可思合。
思い合すべし。

機を定む事

(14)
一、定機事

一、機を定む事。
浄土宗弘於大原談論時、法門比牛角論事不切、機根比源空勝タリシ也。
浄土宗を弘く大原に談論せし時に、法門比べに牛角(互角)の論にて事にて切ならずとも、機根比べには源空勝ちたりし。
聖道門法門雖深今機(不)叶、浄土門似浅今根易叶云之時、人皆承伏云々。
聖道門の法門は深しといえども今の機には叶わず、浄土門は浅きに似たれども今の根にかない易しと云ひし時、人皆承伏しき、と云々。

前念命終後念即生の事

(15)
一、前念命終後念即生事

一、前念命終後念即生の事。
前念後念者、此命尽後受生時分也、非行念、往生称名、称名正覚業。
「前念後念」とは、ここに命を尽きて後に生を受る時分也、行の念には非ず、往生は称名なり、称名は正覚の業なり。
然則称名命終、正定中終者也云々。
しかれば、すなわち称名して命終するは、正定の中にして終はる者なり、と云々。[20]

『阿弥陀経』の難信之法の事

(16)
一、阿弥陀経難信之法事

一、『阿弥陀経』の難信之法の事。
此罪悪凡夫 依但称名 得往生云事、衆生不信也。
この罪悪の凡夫は、ただ称名に依って往生を得と云ふ事を、衆生信ぜざるなり。
依之釈迦・諸仏切証誠云也云々。
これに依って釈迦・諸仏、切に証誠と云ふなり、と云々。

戒・定・慧無き者は念仏すべしと云ふ事

(17)
一、無戒定恵(戒定慧)者可念仏云事

一、戒・定・慧無き者は念仏すべしと云ふ事。
此無下義也。
これは無下(論外)の義なり。
縦雖戒定恵(戒定慧)三学全具、不修本願念仏者不可得往生。
たとい戒・定・慧の三学を全具したりといえども、本願念仏を修せずば往生を得べからず。
雖無戒定恵(戒定慧)一向称名必可得往生也云々。
戒・定・慧無しといえども、一向に称名せば必ず往生を得べしなり、と云々。

乃至一念即得往生の事

(18)
一、乃至一念即得往生事

一、乃至一念即得往生の事。
我等非一念機乃至機也。云々
我等は一念の機に非ず、乃至の機なり、と云々
又乃至十念如此。吾等非十念機乃至機也云々
また乃至十念もこの如し。吾等は十念の機に非ず、乃至の機なり、と云々。
釈上尽一形至十声一声等 定得往生。
釈には「上一形を尽くし十声一声等に至るまで定んで往生を得」なり。
又如此吾等 非下至十声機 上尽一形機也云々。
またこれのごとく、吾等は下至十声の機に非ず、上尽一形の機なり、と云々。

五決定を以つて往生と云ふ事

(19)
一、以五決定往生云事

一、五決定を以つて往生と云ふ事。
一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導教釈決定也、五我等信心決定、以此義故往生決定也云々。
一に弥陀本願決定なり、二に釈迦所説決定なり、三に諸仏証誠決定なり、四に善導教釈決定なり、五には我等の信心決定、この義を以つての故に往生は決定なり、と云々。

「若存若亡」の事

(20)
一、若存若亡事

一、「若存若亡」の事。
乗本願云存、下本願云亡也。
本願に乗ずるを存と云い、本願より(おる)るを亡と云ふなり。
乗有二義、下有二義。
乗に二義あり、(おるる)にも二義有り。
謂造悪業之時 発道心之時也。
謂く悪業を造る時と、道心を発すの時なり。
造罪時ヲルルトハ者、如此造悪身 定可背仏意 思即ヲルル也、此云亡也。
造罪の時に、おるるとは、このごとき悪を造る身なれば、定んで仏意に背くべしと思はばすなわち、おるる也、これを亡と云ふなり。
道心発時ヲルルトハ者、如此発道心申念仏 叶仏意思即ヲルルニテ有也、此云亡也。
道心発る時に、おるるとは、このごとき道心を発して申す念仏こそ仏意に(かなは)らめと思ふは即ち、おるるにてあるなり、これを亡と云ふなり。
造罪時乗者、罪ツクラルルニ付モ、此本願ナカラマシカハ何為。
罪を造る時にも乗たりとは、罪のつくらるるに付ても、この本願なからましかば(いか)がせむ。
乗此本願之故、雖造悪決定往生ヘシト思乗也、此云存。
この本願に乗ずる故に、悪を造るといえども決定往生すべしと思ふは乗なり、これを存と云ふ。
又道心発時乗者、如此之道心不始于今、我過去生生発。
また道心の(おこ)らむ時にも乗とは、このごときの道心今に始めならず、我れ過去生生にも発しけむ。
然未離生死之故、知道心不救我。
しかれども生死を離れざるの故は、道心を知るも我救われず。
唯仏願力我助候ヘキ。
ただ仏の願力のみ我をば助け候べき。
サレハ道心有無アレ其不顧、唯須称名号生浄土思即乗也。此云存云々。
されば道心は有りもせよ無くもあれ、それをば顧みず、ただ(すべから)く名号を称して浄土に生るべしと思はば、すなわち乗じたるなり。これを存と云ふ、と云々。

平生と臨終の事

(21)
一、平生臨終事

一、平生と臨終の事。
於平生念仏往生不定思、臨終念仏又以不定也。
平生の念仏において往生不定と思はば、臨終の念仏もまた以つて不定なり。
以平生念仏決定思、臨終又以決定也云々。
平生の念仏を以つて決定と思へば、臨終もまた以つて決定なり、と云々。

一念信心の事

(22)
一、一念信心事

一、一念信心の事。
取信於一念、尽行於一形、疑一念往生者、即多念皆疑念之念仏也云々。
信を一念に取り、行を一形に尽くすべし、一念往生を疑う者は、すなわち多念みな疑念の念仏なり、と云々。
又云、一期終一念 一人往生、況一生間積多念功 豈不遂一度往生乎。
また云く、一期の終りの一念は一人往生す、いわんや一生の間の多念の功を積み、あに一度の往生を遂げざらんや。
毎一念 有一人往生徳、何況多念 無一往生哉云々。
一念ごとに一人往生の徳あり、なんぞ多念に一の往生無きかな、と云々。

本願成就の事

(23)
一、本願成就事

一、本願成就の事。
念仏我所作也、往生仏所作也。
念仏はわが所作なり、往生は仏の所作なり。
往生仏御力セシメ給物、我心トカクセムト思自力也、唯須待付称名之来迎。
往生は仏の御力にてせしめ給物を、我心にとかくせむと思ふは自力也、ただ(すべから)く称名に付きたる来迎を待つべし。

『礼讃』の、もしよく上の如く念念相続の事

(24)
一、礼讃若能如上念念相続事

一、『礼讃』の、もしよく上の如く念念相続の事。
往生要集指三心五念四修云如上也。
『往生要集』には三心・五念・四修を指して「如上」と云ふなり。
依之云之三心五念四修中明正助二行、指之云念念相続也云々。
これに依ってこれを云はば、三心・五念・四修の中に正助二行を明かす、これを指して念念相続と云ふなり、と云々。[21]

外の雑縁無くして正念を得るが故にの事

(25)
一、無外雑縁得正念故事

一、外の雑縁無くして正念を得るが故にの事。
此見他大善我心無怯弱云也。
此れは他の大善なるを見て我が心に怯弱無しと云ふなり。
仮令見法勝寺九重塔、我不立一寸塔云無疑心。
たとひ法勝寺の九重の塔を見せしむとも、我れ一寸の塔をも立てずと疑心も無きを云ふなり。
又拝東大寺大仏我不半寸仏云無卑下心。
また東大寺の大仏を拝すとも、我れ半寸の仏をもせずと卑下心無きを云ふ。
称名一念得無上功得、決定可往生思定 云外雑縁得生念故也。
称名の一念に無上功得(徳)を得て、決定して往生すべしと思ひ定めたるを「外雑縁得生念故」[22]と云ふなり。
如此信者念仏、与弥陀本願相応、与釈迦教無相違、随順諸仏証誠ニテアル也。
このごとく信ずる者の念仏は、弥陀の本願と相応し、釈迦の教えと相違無し、諸仏の証誠に随順するにてあるなり。
雑行十三失以此義可得心也。
雑行の十三失は、この義を以って得べし心なり。

請用念仏の事

(26)
一、請用念仏事

一、請用念仏の事。
趣他請修念仏者、有三種利益。
他の請に趣き念仏を修すには、三種の利益あり。
一自行勇猛也、二助旦那願念、三為能衆成利益也。
一には自行勇猛なり、二には旦那の願念を助く、三に、よく衆の為に利益を成ずる為なり。
功徳有体用二、体留自用施他。
功徳には体用の二あり、体は自に留り用は他に施す。
妙楽大師云、以善法体不可与人。已上
妙楽大師の云く、善法は体を以て人に与えるべからず。已上
此釈願以此功徳文之所也云々。
これは「願以此功徳」の文を釈するの所なり、と云々。

善人なお以つて往生す、いわんや悪人おやの事

(27)
一、善人尚以往生況悪人乎事《口伝有之》

一、善人なお以つて往生す、いわんや悪人おやの事《口伝これ有り》。[23]
私云。弥陀本願 以自力可離生死有方便 善人ノ為ヲコシ給ハス。
私に云く。弥陀の本願は、自力を以て生死を離るべき方便有る善人の為におこし給はず。
哀極重悪人 無他方便輩ヲコシ給。
極重の悪人、他の方便無き輩を哀みておこし給ふ。
然菩薩賢聖 付之求往生、凡夫善人 帰此願 得往生、況罪悪凡夫 尤可憑此他力云也。
しかれば菩薩賢聖も、これ付きて往生を求む、凡夫の善人も、この願に帰して往生を得、いわんや罪悪の凡夫もっともこの他力を憑むべしと云ふなり。[24]
悪領解不可住邪見、譬如云為凡夫兼為聖人。能能可得心可得心。
悪しく領解して邪見に住すべからず。譬へば為凡夫兼為聖人(凡夫の為にして兼ねて聖人の為なり)と云ふが如し。よくよく心得べし、心得べし。


初三日三夜読余之、後一日読之、後二夜一日読之。[25]

出典:仏教大学「法然遺文検索用電子テキスト」


参 考

  1. 『観経』の至誠心・深心・回向発願心の三心についての考察。
  2. 『観経疏』第四「散善義」の至誠心釈「貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり」七祖p.455の文か?
  3. 七祖p.301 ◇これを定善散善の廃悪修善の《要門》とし、次下の「玄義分」の「弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。 一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力(本願力)に乗じて増上縁となさざるはなし」の《弘願門》と対比されている。つまり廃悪修善の《要門》と廃悪修善によらない本願力の《弘願門》の綱格の違いを出す。
  4. 「上輩総讃」七祖p.480。◇浄土教は元来、善悪平等の救いの教法であるので、下輩・下行・下根人を選ばない教えであり、衆生の貪嗔煩悩を断じないままに浄土に往生する。しかるに、易行のなんまんだぶ一行の救いを一心に領解できない余善諸行(雑行)の者は、貪瞋を断じなければ往生できないという文証。
  5. ここで嫌われているのは、なんまんだぶ以外の余善諸行だといふこと。
  6. 七祖p.660 専雑得失(雑行の十三失)の文。「貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに」
  7. 七祖p.301 「要弘二門判」。この「玄義分」の文を出すことによって、要門とは別に、阿弥陀仏因中の菩薩行が真実であり、一切善悪の凡夫は、その因中の真実に由る大願業力の弘願門があることを示される。これは又、雑行を捨て阿弥陀仏の大願業力に乗ずることでもある。
  8. 『観経疏』の当面では、施為は利他、趣求は自利の、行者の自利/利他行をいうのであるが、真実(至誠心)の主体を阿弥陀仏であるとして、その真実の至上心を深心釈の第一釈(機の深信)の、罪悪生死の凡夫に施為(利他)するというのである。これはまさに破天荒ともいえる親鸞聖人の至誠心釈の訓点は、法然聖人の意を正確に受け継いでおられることが解かる。なお、法然聖人の『三部経大意』の至誠心釈にも、疏文のままの至誠心では「このほかおほくの釈あり、すこぶるわれらが分にこえたり。ただし、この至誠心はひろく定善・散善・弘願の三門にわたりて釈せり。これにつきて摠別の義あるべし。摠といふは自力をもて定散等を修して往生をねがふ至誠心なり。別といふは他力に乗じて往生をねがふ至誠心なり」とされ、『西方指南抄』の「十七条御法語」などでも「予がごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り」と、定善・散善を要門とされて弘願を憑むべきであるとされている。
  9. 深信釈中の四重の破人についての「専心念仏及修余善 畢此一身後 必定生彼国者(専心に念仏し、および余善を修すれば、この一身を畢へて後必定してかの国に生ず)」七祖p.460の文。
  10. 「回向発願心釈」の第一釈の意や善導大師の回向の用例からいえば、「回諸行業 直向西方也(もろもろの行業を回してただちに西方に向かふ)」の「回」は、本文のように当面は衆生の側からの回向であろう。法然聖人はこの意を「諸行往生の願生心の白道」とされた。また「招喚の願力の道」が説かれているとされた。白道釈には「諸行往生の願生心」(自力)と「招喚の願力の道」(他力)の二種が説かれているとみられたのである。
    このように、法然聖人は、二河白道の譬喩中に諸行往生の願生心と専修正行の願生心をみられことによって白道釈は一変した。『選択本願念仏集』に「正助二行を修するものは、たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」(選択集 P.1195) とされる意である。御開山はこの法然聖人の意を承けられて、『教行証文類』の引文では自力回向の第一釈を省略されておられた。この意では「信巻」引文の「回諸行業」の「回」は、回向ではなく、諸の行業を回捨しひるがえす意とされた。(信巻P.226)
    これは御開山が愚禿鈔 p.537で、「「白道」とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり。黒とは、すなはちこれ六趣・四生・二十五有・十二類生の黒悪道なり。「四五寸」とは、四の言は四大、毒蛇に喩ふるなり。五の言は五陰、悪獣に喩ふるなり。」と白の「路」の字に寄せて、六度万行、定散の自力小善の白路とされているのに通じるものがある。「信巻」と『愚禿鈔』の両書を合わせれば、
    白道。白はすなはちこれ選択摂取の白業、往相回向の浄業なり。
    黒道。黒はすなはちこれ無明煩悩の黒業、二乗・人・天の雑善なり。
    白路。白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり。という意になるであろう。
  11. 本願に選択摂取された、なんまんだぶという行法と諸善とは依って立つ基盤が違うのであり、その依って立つ論理構造の次元が違うのであるから全く比校に非ずなのである。この本願、非本願の違いを知らずして安易に勝劣を論じてはならないということ。御開山は、不可説・不可称・不可思議の本願を、人の思議の世界に引きずりおろして思議することを自力であるとせられた。御消息には「「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆゑに、さらに義なしとなり」(*)とある所以である。
  12. 私に云く、以下は源智の三心の私釈であろう。
  13. 念仏以外の余行はしようとすれば出来るのだが、しないと思うのならば専修の心であるという。余行は素晴らしいのだが自分には出来ないのでしないと思うことは、たとえ余行を修していなくても雑行の心というのである。念仏は仏願に依る選択の行だからである。
  14. それぞれの機縁に応じて悪を造る身であるから念仏するのである。悪を造る為に、あらかじめ滅罪の功として念仏するのではないということ。いわゆる造悪無礙に陥りやすい者へのご注意である。もっとも、なんまんだぶも称えずに自己の妄想する信心に狂う輩は、煩悩の闇の深さを知らないのであるから無悪の機であろう。
  15. 法然の弟子、善惠房証証空は、自力をまじえない他力の念仏を、機の側からの色どりのない白木にたとえ「白木の念仏」といわれたのは「ただ生れ付きのままにて申すべし」の意でもあろう。(*) (*)
  16. 法然聖人の『往生要集略料簡』には「念仏に於いて二あり。一には但念仏、此れ即ち前の正修門の意也。二には助念仏、此れ即ち今の助念門の意なり」とあり、また『拾遺語灯録下』の「熊谷の入道へつかはす御返事」には「たんねんぶつの文かきてまいらせ候、ごらん候へし」と但念仏の語がある。
  17. 京づと。づととはみやげのこと。京土産のこと。
  18. 法然聖人は『阿弥陀経』の一心とは、我を念じたまう阿弥陀仏の心と、阿弥陀仏を念じる我が心が一つになったことであるとされた。それはまた「一心不乱」であり『阿弥陀経』で「少善根福徳因縁」と嫌貶された諸行(雑行)に念(こころ)を乱し移さないことであるとされる。法然聖人には三心を即一心であるといわれたところはないが『観経』の三心の中では深心が中心であると見られていた。『西方指南抄』「中本」所収の「十七条御法語」で、「導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。」とされて念仏の行が説かれているから深信を中心にみておられ、なんまんだぶの行に三心を摂しておられるのであった。(行中摂心)  御開山の先輩である幸西大徳は「一念と言うは仏智の一念なり。正しく仏心を指して念心と為す。凡夫の信心仏智に冥会す。仏智の一念はこれ弥陀の本願なり。行者の信念と仏心相応して、心、仏智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相続して決定往生す。」(『浄土法門源流章』)といわれた。このような先哲の意を継承発展し御開山は『大経』の第十八願の至心・信楽・欲生の三心と、『観経』の至誠心・深心・回向発願心の三心と、『小経』の一心とを会合(えごう)して本願力回向の信心とされたのであった。『文類聚鈔』に「一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。一心のなかに至誠・回向の二心を摂在せり。」p.495 とあるのもその意であろう。
  19. 『観経』の下品上生段に「善男子、なんぢ仏名を称するがゆゑにもろもろの罪消滅す。われ来りてなんぢを迎ふ」と、十悪の凡夫を「善男子」とよばれている。
  20. 『礼讃』七祖p.660に出る語。念仏の行者は前念に命が終れば、後念にただちに浄土に往生するという意。御開山はこの語を現生に本願を信受する時とされ「本願を信受するは、前念命終なり。「すなはち正定聚の数に入る」とされた。(愚禿上 P.509)
  21. 『往生要集』p.1126で、『礼讃』の三心・五念・四修をあかすところで 「上のごとくといふは、礼・讃等の五念門、至誠等の三心、長時等の四修を指すなり」といい、上に『礼讃』の雑行の十三失を出していることをいうか。
  22. 『礼讃』では「無外雑縁得正念故(外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに)」となっている。無の字を脱し生は正の音通であろう。但し「雑縁を外にして生ずる念を得るが故に」とも読める。
  23. 善人「善人尚以往生況悪人乎(善人なおもつて往生す、いわんや悪人おや)」の語は、『歎異抄』の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と同じであり、悪人正機説の淵源は法然聖人だったのである。「口伝これ有り」と細註があるから法然聖人から御開山へ、そして唯円へ口伝された言葉であった。なお1350年頃成立の西山派の『輪円草』の割註にも《私云、善人尚生況悪人乎。六八誓願如船筏》の言がある。
  24. 私に云く以下は源智の私釈であろう。口伝これ有りとあるように、このようなラジカルな言葉が誤解されて受け取られると倫理的な問題を惹起するので極少数の弟子にだけ口伝されたものであろう。後に『歎異抄』で法然聖人から御開山がお聞きしたとして同じ語が出され「悪人正機説」として喧伝されたことは有名である。なお悪人正機とは、阿弥陀如来の慈悲のまなざしが悪人(機)に焦点を結んでいることをいうのであって、悪人が阿弥陀如来の正機であるという意味である。いわゆる阿弥陀如来の利他(他力)の極地をあらわす言葉であって衆生の側から使う言葉ではないのであった。 もし衆生の側でいうならば、『歎異抄』で「他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。 」とされるように「自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつ」る者こそが悪人正因といいうるのである。反顕すれば、なんまんだぶも称えずに他力を憑まない悪人は単なる悪人なのである。
  25. この書を書写せしめた、醍醐寺七十九世の座主義演(1558~1626)による追記か。

◆ 参照読み込み (transclusion) 別伝記云

「別伝記」とあることから『醍醐本法然上人伝記』に追記された伝であろう。 ここでは、通説と違って法然聖人が比叡山へ登られた後に、父の漆間時国が殺されたとしている。 法然聖人が教えをうけた四人の師が、返って法然聖人の弟子となったことが説かれてい。当時は自分の名前二字を記し二字を捧げることは弟子となる意であった。文末で公胤が「源空本地身は、大勢至菩薩なり」と讃嘆しているように。まさに智慧の法然房であった。


別伝記云

別伝記云
別伝記に云く。

法然上人、美作州人也、姓漆間氏也、本国之本師智鏡房 {本ハ山僧}

法然上人は美作州の人なり。姓は漆間氏なり。本国の本師は智鏡房。{もとは山僧なり}

上人十五歳、師云非直人欲登山。

上人十五歳、師ただ人にあらず云いて山に登らしめんと欲す。

上人慈父云、我有敵、登山之後聞被打敵可訪後世云々

上人の慈父云く、我に敵(かたき)有り、登山の後に敵に打たれたるを聞かば後世をとぶらうべしと、云々。

即十五歳登山、黒谷慈眼房為師出家授戒。

すなわち十五歳にして山に登り、黒谷の慈眼房を師となし出家授戒せり。

然間慈父被打敵畢云、上人聞此由師乞暇遁世セムト云。

しかるあいだ慈父敵に打たれて畢(おわ)ると云、上人この由を聞き、師に暇(いとま)を乞い、遁世セムト云。

遁世之人無智悪候也、依之始談義於三所、謂玄義一所、文句一所、止観一所也。

遁世の人も無智なるは悪く候うなり、これに依り三所において談義を始む。いわく『玄義』一所、『文句』一所、『止観』一所なり[1]

毎日遇三所、依之三箇年亘六十巻畢。

毎日三所に遇い、これに依りて三箇年に六十巻[2]にわたり畢んぬ。

其後籠居黒谷経蔵、披見一切経、与師問答。

その後、黒谷の経蔵に籠居し、一切経を披見し、師と問答す。

師時閉口、師即捧二字云、知者為師、今上人返為師云々。

師、時に閉口す。師すなわち二字をささげて云く、知れる者を師となす、今上人を返りて師となすと、云々。

又花厳宗章疏見立、醍醐有花厳宗先達行決之。

また華厳宗の章疏を見立て、醍醐に華厳宗の先達あり、行きてこれを決す。

彼師云鏡賀法橋、法橋云、我雖相承此宗 此程不分明、依上人開処処不審云々

かの師をば鏡賀法橋と云、法橋の云、我この宗を相承すといへども、この程 分明ならず、上人に依りて処々の不審を開くと云々。

依之鏡賀二字即受梵網心地戒品。

これによりて鏡賀二字を、すなわち『梵網』の心地戒品を受く。

或時自御室鏡賀許 花厳 真言勝劣判可進云々

ある時、御室より鏡賀のもとへ華厳・真言の勝劣判じて進むべしと云々。

依之鏡賀思念、仏智照覧有憚、真言為勝。

これに依りて鏡賀思念すらく、仏智照覧にはばかり有りとも真言を勝となす。

爰上人、鏡賀許出来給、房主悦云、自御室有如此之仰云々。

ここに上人、鏡賀のもとへ出で来たもう、房主よろこびて云く、御室よりこのごときの仰ありき。

上人問、何様判思食。

上人問う、いかように判ずるとかおぼしめすと。

房主云如上申、此上人存外次第也。

房主云、上のごとく申す、この上人、存外次第なり。

源空所存一端申サムトテ、花厳宗勝真言事一一被顕、

源空所存の一端を申さんとて、華厳宗の真言に勝れたる事をいちいち顕わせらる。

依之房主承伏、御室返答、花厳勝タル之由申畢。

これにより房主承伏して、御室の返答に華厳勝れたりの由、申し畢んぬ。

其後智鏡房自美作州上洛、上人奉二字但真言宗中河少将阿闍梨受之、

その後、智鏡房は美作州より上洛して、上人に二字を奉る。ただ真言宗をば中河少将阿闍梨これを受く。[3]

法相法門見立蔵俊決之、蔵俊返二字。

法相の法門を見立て蔵俊これを決し、蔵俊返て二字す。

已上四人師匠皆進二字状、竹林房法印静賢奉値上人取念仏信 {其文者心義也}

已上四人の師匠、みな二字状を進ず。竹林房法印静賢は上人に値(あ)い奉りて念仏の信を取る。{その文とは心義なり}

三井公胤於殿上七箇不審開上人。

三井の公胤は殿上において七箇の不審を上人に開かる。

上人老耄之後不見聖教三十年、其後山僧筑前弟子、為令遂竪義参上人、内内談法門。

上人老耄の後、聖教を三十年見ず、その後山僧筑前弟子が、竪義を遂げしめん為に上人に参上し、内々法門を談ず。

竪者云、三十年不見聖教被仰、文々分明事、当時勧学越非直之人御云々。

竪者の云く、三十年聖教を見ずと仰せを被(こうむ)るとも、文々分明の事、当時の勧学にも越えたまへり、ただびとには非ずと御しけりと、云々。

公胤夢見云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化故、来此界度度云々

公胤夢に見て云、源空本地身は、大勢至菩薩なり、衆生教化のゆえに、この界に度々(たびたび)来たると、云々。

御臨終日記

御臨終日記

法然聖人の「臨終記」や「三昧発得記」は、御開山の『西方指南鈔』に詳しい。この『醍醐本』では省略があったり漢文で著されているので少しく読みにくい。なお漢文の読み下しや脚注やリンクは林遊が付したものであり、浄土真宗本願寺派とは無縁である。為念。


御臨終の日記。

建暦元年十一月十七日、可入洛之由賜宣旨、藤中納言光親奉也、同月廿日、入洛住東山大谷。

建暦元年十一月十七日、入洛可の由の宣旨を賜る、藤中納言光親の奉にて、同月廿日、入洛して東山大谷に住す。

同二年正月二日、老病之上、日来不食殊増、凡此二三年、耳ヲボロニ心矇昧也。而死期已近如昔耳目分明也。

同二年正月二日より、老病の上に日ごろの不食、(こと)に増して、おほよそこの二三年、耳おぼろに心矇昧(もうまい)なり。[4]

然而死期已近如昔耳目分明也。

しかして死期すでに近づきて昔の如く耳目分明也。

雖不語余事常談往生事。

余事を語らずといへども常に往生の事を談ず。

高声念仏無絶、夜睡眠時舌口鎮動。見人為奇特之思。

高声念仏絶へること無く、夜、睡眠の時、舌口(しず)かに動く。人見て奇特の思ひをなす。

同三日戌時、上人語弟子云。我本在天竺、交声聞僧、常行頭陀、其後来本国、入天台宗、又勧念仏。

同三日(いぬ)の時、上人弟子に語りて云く、我もと天竺に()りて、声聞僧に(まじ)わりて、常に頭陀を行じき、その後本国に来りて、天台宗に入り、また念仏を勧む。

弟子問云。可令往生極楽哉。

弟子問うて云く、往生極楽したまうべしや[5]

答云。我本在極楽之身可然。

答へて云く、我もと極楽に在りし身なれば(しか)るべし。

同十一日辰時、上人起居高声念仏、聞人流涙。

同十一日(たつ)の時、上人起居し高声に念仏す、聞く人涙を流す。

告弟子云、可高声念仏、阿弥陀仏来給也。

弟子に告げて云く、高声念仏すべし、阿弥陀仏来給う也。

唱此仏名者不虚云、歎念仏功徳事如昔。

この仏名を唱へる者は(むなし)からずと云いて、念仏の功徳を歎ずる事、昔の如し。

又観音勢至菩薩聖衆在前、拝之乎否。

また観音・勢至、菩薩・聖衆前に在り、これを拝するや否や。[6]

弟子云。不奉拝。

弟子の云く。拝し奉まつらず。

聞之弥勧念仏給、其時可拝本尊之由奉勧。

これを聞きて、いよいよ念仏を勧め給ふ、その時本尊を拝すべしの由を勧め奉つる。

上人以指指空此外又有仏。

上人指を以つて空を指したまいて此の外にまた仏有りや。[7]

即語云。此十余年奉拝極楽荘厳化仏菩薩事是常也。

すなわち語りて云く、この十余年、極楽荘厳・化仏・菩薩を拝し奉る事これ常なり。

又御手付五色糸、可令執之給之由勧者、如此事者是大様事也云終不取。

また御手に五色の糸を付けて、これを()らしめ給への由、勧めたまへば、このごときの事は、これ大様(おうよう)の事なりと云て(つい)に取らず[8]

同二十日巳時、当坊上紫雲聳、其中有円戒雲、其色鮮如画像仏、行道人々於処処見之。

同二十日()の時、当坊の上に紫雲聳(たなび)(靆)く[9]、その中に円戒の雲あり、その色鮮かにして画像の仏のごとし、道を行く人々処処においてこれを見る。

弟子云、此空紫雲已聳、御往生近給歟。

弟子の云く、この空に紫雲すでに聳(たなび)く、御往生近ずき給ふか。

上人云、哀事哉、為令一切衆生信念仏也云々。

上人の云く、哀れなる事かな、一切衆生に念仏を信ぜしめん為なりと、云々。

同日未時、殊開眼仰空、自西方于東方見送事五六返。人皆奇之奉問仏在歟

同日()の時、ことに眼を開きて空を仰ぎ、西方より東方を見送ること五六返す。人みなこれを(あやし)みて問い奉る、仏の(いま)すか。

然也答、同二十三日、紫雲立之由令風聞。

しかなり、と答へたまひて、同二十三日、紫雲立つ由を風聞せしむ。

同二十四日午時、紫雲大聳。

同二十四日午の時、紫雲大いに聳(たなび)く。

在西山炭焼十余人、見之来而語、又従広隆寺下向尼、於路頭来而語、

西山に在る炭焼十余人、これを見て来たりて語る、また広隆寺より下向する尼、路頭において来り語る。

爰上人念仏不退之上。自二十三日至二十五日、殊強盛高声念仏事、或一時或二時。

ここに上人念仏不退の上、二十三日から二十五日に至るに、ことに強盛高声念仏の事、あるいは一時、あるいは二時なり。

自二十四日酉時至二十五日、高声念仏無絶、弟子五六人番々助音。

二十四日(とり) の時より二十五日に至るまで、高声念仏絶へること無し、弟子五六人、番々助音す。

至二十五日午時、声漸細、高声時々相交。

二十五日(うま)の時に至りて、声、(ようや)く細く、高声時々相い(まじわ)る。

集庭若干人々皆聞之、正臨終時、懸慈覚大師九条袈裟、頭北面西、誦「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」、如眠命終。

庭に集まる若干の人々皆これを聞く、正(まさ)しく臨終の時は、慈覚大師の九条袈裟を懸け、頭北面西にして、「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」と誦して、眠るが如く命終す。

其時午正中也。

その時(うま)の正中也。

諸人競来拝之、供如盛市。

諸人競(きお)いて来りこれを拝む、供(とも)に盛市の如し。

或人七八年之前有感夢。有人見以外大双紙、思何文而見之、注諸人往生文也。

ある人七八年の前に夢を感ずることあり。人ありて以外に大なる双紙を見、何の文と思ひてこれを見るに諸人の往生を(しる)す文也。

若有法然上人往生注処遥至奥注也。

もし法然上人の往生注せる(とこ)ろ有ると遥かに奥に至つて注す也。

有光明遍照四句文、上人誦此文可被往生夢覚不語上人、不語弟子、令符合此夢、生奇特思、

「光明遍照」{観経} 四句の文有り、上人この文を誦し往生せらるべし。夢() めて上人語らず弟子にも語らず、この夢をして符合せしめ、奇特の思を生ず。

上人往生之後、以消息被注送。恐繁不載。

上人往生の後、消息を以て(しる)し送らる。繁きを恐れて載せず。

旁有不思議夢想等、可足之故略不記。

かたがた不思議の夢想等あり、これに足るべきが故に略して記ぜず。御入滅者満八十也。
御入滅は満八十也。

如来滅後一百年、有阿育王。不信仏法、国中人民歌仏遺典。

如来滅後一百年に、阿育王有り。仏法を信ぜず、国中の人民、仏の遺典を歌う。

大王云、仏有何徳超衆生、若有値仏者、往而可尋。云々

大王の云く、仏、何の徳ありて衆生に超えん、もし値仏あれば、往いて尋ぬべしと、云々。

大臣云、波斯匿王妹比丘尼値仏之人也。

大臣の云く。波斯匿王の妹の比丘尼、値仏の人也。

其時大王請問、仏有何殊異。

その時大王請じて問ふ、仏に何の殊異あり。

比丘尼云、仏功徳難尽粗説一相。

この丘尼云く。仏の功徳、尽し難(かた)ければ、粗(ほぼ)一相を説く。

王聞此功徳即歓喜心開悟。

王、この功徳を聞きて即ち歓喜して心開悟す。

上人入滅以後及三十年、当世奉値上人之人、其数雖多、時代若移者、於在生之有様定懐矇昧歟、為之今聊抄記見聞事。

上人入滅以後三十年に及ぶ、当世に上人に値(あ)い奉まるの人、その数多しといへども、時代もし移れば、在生の有様に於いて定めて矇昧を懐くか。この為に今聊(いささか)見聞した事を抄記す。



三昧発得記

三昧発得記

又上人在生之時、発得口称三昧 常見浄土依正、以自筆之、勢観房伝之。

また上人在生の時、口称三昧を発得して常に浄土の依正を見る、以てこれを自筆す、勢観房これを伝ふ。

上人往生之後、明遍僧都尋之、加一見流随喜涙、即被送本処。

上人往生の後、明遍僧都これを尋ね、一見を加へて随喜の涙を流し、すなわち本処に送らしむ。

当時聊雖聞及此由、未見本者不記其旨。

時に当りて、いささか此の由を聞き及ぶといへども、(もと)を見ざる者は、其の旨を記さず。

後得彼記写之。

後に彼記を得てこれを写す。

御生年当六十六《長承二年癸丑誕生》

御生年、六十六に当たれり。{長承二年癸丑誕生}。

建久九年正月一日、従山桃法橋教慶之許、帰後未時、恒例毎月七日念仏始行之。

建久九年正月一日、山桃の法橋教慶の(もと)より帰りて後、(ひつじ)の時、恒例毎月七日の念仏これを始行したまふ。

一日明相少現之、自然甚明也。

一日、明相を、これを少しこれを現じたまふ、自然として甚明なり。

二日水想観自然成就之。

二日、水想観自然にこれを成就したまふ。

総念仏七箇日之内、地想観之中、瑠璃相少分見之、二月四日朝瑠璃地分明現之。云々。

総じて念仏七箇日の内に、地想観の中に、瑠璃の相少分これを見たまふ、二月四日の朝、瑠璃地分明にこれを現じたまふと、云々。

六日後夜瑠璃宮殿相現之。云々。

六日、後夜に瑠璃の宮殿の相これを現じたまふと、云々。

七日朝重又現之。

七日、朝に重ねてまたこれを現じたまふ。

即似宮殿類其相現之、総水想 地想 宝樹 宝池 宮殿之五観、始自正月一日至于二月七日三十七箇日之間也。

即ち宮殿類に似てその相これを現ず、総じて水想・地想・宝樹・宝池・宮殿の五観、始め正月一日より二月七日に至るまで、三十七箇日の間なり。

毎日七万反念仏不退勧之、依之此等相現也云々。

毎日七万反の念仏不退にこれを勧む。これに依て此等の相現ずるなりと、云々

始自二月二十五日明処開目、自眼根仏出生、赤袋瑠璃壺見之。

始めに二月二十五日より、明るき処にして目を開く、自らの眼根、仏を出生す、赤袋瑠璃壺これを見る。

其前閉目見之開目失之。

その前に、閉目してこれを見る、目を開きてもこれを失せず。

二月二十八日依(病)為念仏延之。

二月二十八日、(病)に依つて為に念仏これを延ぶ。[10]

一万或二万返、左眼其後有光明放。又光端赤。

一万あるいは二万返、左眼にその(のち)光明放つことあり、また光の端は赤なり。

又眼有瑠璃、其眼如瑠璃壺。

また眼に瑠璃あり、その眼、瑠璃壺のごとし。

瑠璃壺有赤花、如宝瓶。

瑠璃壺に赤花あり、宝瓶のごとし。

又日入後出見四方有、亦有青宝樹、其高無定。

また日入りて後(のち)、出でて四方を見ればあり、また青宝樹あり。その高さ定め無し。

高下随喜、或四五丈、或二三丈云々。

高下、喜に随いて、あるいは四五丈、あるいは二三丈と、云々。

八月一日如本七万返(七万遍)始之。

八月一日、本のごとく七万返これを始む。

及九月二十二日朝、地想分明現。

九月二十二日の朝に及びて、地想分明に現ず。

周円七八段許也。

周円七八段ばかりなり。

其後二十三日後夜并朝又分明現之云々。 その後、二十三日の後夜、ならびに朝にまた分明にこれを現ずと、云々。

正治二年二月之比、地想等五観、行住坐臥随意任意任運現之。

正治二年二月のころ、地想等の五の観、行住坐臥、意に随いて意に任(まか)せ任運にこれを現ず。

建仁九年二月八日後夜、聞鳥舌琴音聞、笛音等聞。

建仁九年二月八日の後夜に、鳥の舌(さえずり)を聞く、琴の音を聞く、笛の音等を聞く。

其後随日自在聴音正月五日、三度勢至菩薩御後丈六許御面現云々。

その後、日に随いて自在に音を聴く。正月五日、三度勢至菩薩の御うしろに丈六ばかりの御面(ごめん)を現ずと、云々。

西持仏堂勢至菩薩形丈六面現。

西の持仏堂の勢至菩薩の形たり、丈六の面現ず。

是則此菩薩既以念仏法門為所証法門故、今為念仏音示現、其相不可疑之。

これ則ち此の菩薩、すでに念仏法門を以つて、所証の法門となすが故に、今、念仏音の為に示現す、その相これを疑ふべからず。

同二十六日始座処下四方一段許、青瑠璃地也云々。

同二十六日、始めて座処より下、四方に一段ばかり、青瑠璃の地なりと、云々。

於今者、依経并釈往生無疑。

今においては、依経ならびに釈、往生疑い無し。

地観文々心得無疑故云々。可思也。

地観文々心得、疑い無きが故にと、云々。思ふべき也。

建仁二年二月二十一日、高畠少将殿於持仏堂謁之。其間如例修念仏。

建仁二年二月二十一日、高畠の少将殿、持仏堂に於いてこれを謁ず。その間、例のごとく念仏を修したまふ。

見阿弥陀仏之後、障子徹通仏面而現。

阿弥陀仏の後を見るに、障子より徹通して仏面を現ず。

大如長丈六仏面 即忽隠給。

大いに長大六の仏の面のごとし。即ち忽(たちまちに)に隠れ給いぬ。

二十八日午時也。

二十八日、午(うま)の時なり。

元久三年正月四日、念仏之間、三尊現大身。又五日如前云々。

元久三年正月四日、念仏の間、三尊大身を現ず。また五日前のごとしと、云々。

此三昧発得之記、年来之間、勢観房秘蔵不披露。

この三昧発得の記、年来の間、勢観房秘蔵して披露せず。

於没後不面(図)伝得之書畢。[11]

没後に於いてはからずもこれを伝へ得て書き畢んぬ。

  法然上人伝記依及覧雖為枝葉書之

                義演




末註:

  1. 『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』のこと。
  2. 天台大師智顗の、『妙法蓮華経文句』10巻、『妙法蓮華経玄義』10巻、『摩訶止観』10巻と、妙楽大師湛然の、『止観輔行伝弘決』10巻、『法華玄義釈籤』10巻、『法華文句記』10巻を60巻というか。
  3. 中河少将阿闍梨とは『法然上人行状画図』に出る中川の少将上人のことか。→実範
  4. 晩年の法然聖人は、今でいふ認知症であったのだろう。認知症では情緒の安定が重要である。しかして専修念仏の業力によって、心は平安であったことはこの書から窺える。
  5. いままさんと死なんとする法然聖人に、妥協を許さず、往生すべきか否かと弟子が問うような真剣勝負のところが法然教団であったのであろう。
  6. 臨終を迎えた法然聖人の目には、観音・勢至・菩薩・聖衆が目の前に臨在しているのであった。以下のように弟子にはそれが見えなかったのであった。
  7. 弟子が仏像を安置して礼拝するように勧めたが、法然聖人は空を指しこの他の仏があるのか仰った。
  8. いわゆる源信僧都以来の「臨終行儀」を否定しておられる。なんまんだぶ以外は助業であるからである。
  9. 聳。聳はそびえると訓じて、たなびくの漢字は靆なのだが、送り仮名にしたがって、たなびくと読んだ。
  10. 病の一字をを追記して読んだ。『西方指南抄」や『法然全集』では、病に依つて中断したとあるので、病気で念仏行を中断したのであろう。
  11. 不面を不図に改めて読んだ。『浄土宗全書』では不図となっている。