「名」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」と云へば、問われた方は名で答えるのであった。これによって誰だか判らない不安が解消されるのであった。<br /> | 薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」と云へば、問われた方は名で答えるのであった。これによって誰だか判らない不安が解消されるのであった。<br /> | ||
− | なお、明け方の暗いときをさす和語(古語) | + | なお、明け方の暗いときをさす和語(古語)は「かわたれ」といふ。語源は「<kana>彼(か)</kana>は<kana>誰(たれ)</kana>(かはたれ)」であり、これも名を答えることによって相手に自己の存在を把握させ認識させるのであった。 |
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2021年11月28日 (日) 11:55時点における版
名
なりたち出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)
- 会意。口と、夕(ゆうぐれ)とから成り、夕方の暗やみで、人に自分の名をなのることにより、「な」の意を表す。 →名
夕方の薄暗いときを、和語では、たそがれ(黄昏)といふ。たそがれは古くは、たそかれであり、
薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」と云へば、問われた方は名で答えるのであった。これによって誰だか判らない不安が解消されるのであった。
なお、明け方の暗いときをさす和語(古語)は「かわたれ」といふ。語源は「