「仏説般舟三昧経」の版間の差分
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阿弥陀仏報言。欲来生者当念我名。莫有休息則得来生。<br /> | 阿弥陀仏報言。欲来生者当念我名。莫有休息則得来生。<br /> | ||
− | :''' | + | :'''阿弥陀仏報(こた)へてのたまはく、 来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなくは、 すなはち来生することを得ん。''' |
仏言。専念故得往生。常念仏身有三十二相八十種好。巨億光明徹照。端正無比。在菩薩僧中説法不壊色。何以故。色痛痒思想生死識魂神地水火風。世間天上上至梵摩訶梵不壊色。用念仏故得是三昧。<br /> | 仏言。専念故得往生。常念仏身有三十二相八十種好。巨億光明徹照。端正無比。在菩薩僧中説法不壊色。何以故。色痛痒思想生死識魂神地水火風。世間天上上至梵摩訶梵不壊色。用念仏故得是三昧。<br /> | ||
:仏のたまはく、〈専念するがゆゑに往生 を得。つねに、仏身には三十二相・八十種好ありて、巨億の光明徹照し、端正無比にして、菩薩僧のなかにましまして法を説きたまふことを念ずべし。色を壊することなかれ。なにをもつてのゆゑに。色を壊せざるがゆゑに、仏の色 身を念ずるによるがゆゑに、この三昧を得」と。念仏をも用いるが故にこの三昧を得ん。 | :仏のたまはく、〈専念するがゆゑに往生 を得。つねに、仏身には三十二相・八十種好ありて、巨億の光明徹照し、端正無比にして、菩薩僧のなかにましまして法を説きたまふことを念ずべし。色を壊することなかれ。なにをもつてのゆゑに。色を壊せざるがゆゑに、仏の色 身を念ずるによるがゆゑに、この三昧を得」と。念仏をも用いるが故にこの三昧を得ん。 | ||
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===四事品第三=== | ===四事品第三=== | ||
− | 菩薩有四事法。疾逮得是三昧。一者所信無有能壊者。二者精進無有能退者。三者智慧無有能及者。四者常与善師従事。是爲四。 | + | 菩薩有四事法。疾逮得是三昧。一者所信無有能壊者。二者精進無有能退者。三者智慧無有能及者。四者常与善師従事。是爲四。 |
+ | :菩薩に四事法ありて、疾くこの三昧を逮得す。一には信ずる所、能く壊する者あること無し。二には精進能く退する者あること無し。三には智慧能く及ぶ者あること無し。四には常に善き師に与り従事す。是れを四となす。 | ||
復有四事。疾得是三昧。一者不得有世間思想。如弾指頃三月。二者不得睡眠三月。如弾指頃。三者経行不得休息三月。除其飯食左右。四者爲人説経。不得望人供養。是爲四。<br /> | 復有四事。疾得是三昧。一者不得有世間思想。如弾指頃三月。二者不得睡眠三月。如弾指頃。三者経行不得休息三月。除其飯食左右。四者爲人説経。不得望人供養。是爲四。<br /> | ||
復有四者。疾得是三昧。一者合会人至仏所。二者合会人使聴経。三者不嫉。四者教人学仏道。是爲四。復有四事。疾得是三昧。一者作仏形像。用成是三昧故。二者持好素写是三昧。三者教自貢高人内仏道中。四者常護仏法。是爲四。<br /> | 復有四者。疾得是三昧。一者合会人至仏所。二者合会人使聴経。三者不嫉。四者教人学仏道。是爲四。復有四事。疾得是三昧。一者作仏形像。用成是三昧故。二者持好素写是三昧。三者教自貢高人内仏道中。四者常護仏法。是爲四。<br /> | ||
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常志一行勿懈怠 学是三昧当如是<br /> | 常志一行勿懈怠 学是三昧当如是<br /> | ||
− | ====化巻末引文(83)==== | + | ====化巻末引文[[顕浄土方便化身土文類_(末)#no83|(83)]]==== |
跋陀和白仏。'''優婆夷聞 是三昧欲学者'''。当云何行。 | 跋陀和白仏。'''優婆夷聞 是三昧欲学者'''。当云何行。 | ||
:跋陀和、仏にまうさく、{{IK|優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せん者は}}、まさにいかんが行ずべし。 | :跋陀和、仏にまうさく、{{IK|優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せん者は}}、まさにいかんが行ずべし。 | ||
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:常に布施を念ずべし。歓楽して聞経を欲せよ。学問につとめ、善師を敬重することを念ぜよ。心、常に拳拳として懈あることを得ざれ。もし比丘・比丘尼の過ぎる者あらば、坐席をもってこれに賓食せしめよ。 | :常に布施を念ずべし。歓楽して聞経を欲せよ。学問につとめ、善師を敬重することを念ぜよ。心、常に拳拳として懈あることを得ざれ。もし比丘・比丘尼の過ぎる者あらば、坐席をもってこれに賓食せしめよ。 | ||
− | ====化巻末引文(84)==== | + | ====化巻末引文[[顕浄土方便化身土文類_(末)#no84|(84)]]==== |
仏爾時頌偈言 | 仏爾時頌偈言 | ||
:仏その時、頌偈を言く。 | :仏その時、頌偈を言く。 | ||
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2022年2月5日 (土) 12:05時点における最新版
シナ浄土教の嚆矢である廬山の慧遠は、念仏結社「白蓮社」を結び、般舟三昧経による空観の完成を目指した。浄土経典による浄土への往生を願うのではなく、現世での般舟三昧の行に依って精神を集中し見仏を目指すのが廬山流念仏であった。もっとも慧遠は夢の如く仏を見る、という教説にいささかの疑問を持っていたようである。
目 次
仏説 般舟三昧経
後漢月支三蔵 支婁迦讖訳
問事品第一
聞如是。一時仏在羅閲祇 加隣竹園中[1]。与大菩薩・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。及諸天・竜・阿須輪・諸夜叉・迦楼羅・甄陀羅・摩睺勒等。無央数衆。一切都在大会坐。
- 聞くことかくのごとし。ひととき仏、羅閲祇の加隣竹園中にましましき。大菩薩・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、および諸天・竜・阿須輪・諸夜叉・迦楼羅・甄陀羅。摩睺勒等[2]とともなりき。無央数の衆、一切のすべてと大会坐にましましき。
是時
- この時、跋陀和菩薩、坐より起ちて衣服を整え長跪叉手して仏にもうさく、願わくば問う所あらんと、今まさに問いて聴かんと欲す。
仏言善哉。恣汝所問。今当爲汝説之。
- 仏のたまわく善きかな、汝の問うところ恣(ほしいまま)にせよ。今、まさに汝のためにこれを説かん。
跋陀和問仏言。菩薩当行何等法得智慧。如巨海攬万流。
- 跋陀和、仏に問いてのたまわく。菩薩まさに何等の法を行じて智慧を得ん。巨海の万流をとるがごとし。
云何行。博達衆智所聞悉解而不疑。
- いかんが行ず。博く衆智に達して聞くところ悉く解して疑わず。
云何行。自識宿命所従来生。
- いかんが行ず。自らの宿命を識りて来生するところなり。
云何行。得長寿。
- いかんが行じて、長寿を得ん。
云何行。常在大姓家生。父母・兄弟・宗親・知識 無不愛敬。
- いかんが行じて、常に大姓家生に在りて、父母・兄弟・宗親・知識に愛敬せずは無し。
云何行。得端正顔好美艶。
- いかんが行じて、端正の顔好にして美艶なるを得ん。
云何 得高才与衆絶異。智慧通達 無所不包。
- いかんが、高才と衆に絶異する智慧に通達して不包の所無きを得ん。
云何行。功立相満自致成仏威神無量。成仏境界 荘厳国土。
- いかんが行じて、功立相を満たし自から威神無量の仏を成ずるに致り、仏の境界、荘厳国土なるを成ぜん。
云何行。降魔怨。
- いかんが行じて、魔怨を降せん。
云何行。而得自在所願不違。
- いかんが行じて、自在の所願不違なるを得ん。
云何行。得入総持門。
- いかんが行じて、総持門に入ることを得ん。
云何行。得神足遍至諸仏土。
- いかんが行じて、神足を得て遍く諸の仏土に至らん。
云何行。得勇猛如師子無所畏。一切魔不能動。
- いかんが行じて、勇猛なること師子の如くして畏るる所無なく、一切の魔の動ずることあたわずを得ん。
云何行得仏聖性。諸経法悉受持。皆了知而不忘。
- いかんが行じて、仏聖性、諸の経法を悉く受持し、皆了知してしかも不忘を得ん。
云何行得自足離諛諂。不著三処。
- いかんが行じて、自から足り諛諂を離れ、三処に著せざるを得ん。
云何行。得無罣礙持薩云若教不失仏意。
- いかんが行じて、無罣礙の薩云若の教を持ちて、仏意を失せざるを得ん。
云何行。得人信。
- いかんが、行じて、人の信を得ん。
云何行。得八種声入万億音。
- いかんが行じて、八種の声、万億の音に入ることを得ん。
云何行。得具足相好。
- いかんが行じて、具足相好を得ん。
云何行。得徹聴。
- いかんが行じて、徹聴を得ん。
云何行。得道眼覩未然。
- いかんが行じて、道眼覩く然らざるを得ん。
云何行。得十力正真慧。
- いかんが行じて、十力正真慧を得ん。
云何行。心一等念十方諸仏悉現在前。
- いかんが行じて、心一にして等しく十方の諸仏を念じて、悉く現に在前することを得ん。
云何行。知四事之本無。
- いかんが行じて、四事の本無なることを知らん。
云何行。便於此間見十方無数仏土。其中人民天竜鬼神及蠕動之類善悪帰趣皆了知。
- いかんが行じて、便ち此間に於いて十方無数の仏土を見立てまつり、その中の人民・天・竜・鬼神及び蠕動の類の善悪帰趣を皆な了知せん。
所問如是。 問いたてまつる所、是くの如し。 当云何行。願仏説之釈一切疑。
- まさにいかんが行ずべし。願わくは仏これを説きて一切の疑を釈したまえ。
仏告跋陀和。善哉。
- 仏、跋陀和に告げたまわく、善き哉。
汝所問多所過度。不可復計。汝所以能作是問者。汝乃前世過去仏時。所作功徳。供養諸仏。楽於経法。守禁戒行清浄所致。
- 汝の問う所、過度する所多し、復た計るべからず。汝の能く是の問を作すゆえんは、汝すなわち前世過去仏の時、作す所の功徳、諸仏を供養し、経法を楽(ねが)い、禁戒を守る清浄の行の致す所なり。
常行乞食不就請。多成就諸菩薩合会。教語令棄衆悪。視一切悉平等所致。常有大慈大悲所致。汝功徳不可復計。
- 常に乞食を行じ請に就かず、諸の菩薩の合会を成就すること多く教語して衆悪を棄てしめ、一切を悉く平等に視ることを致す所、常に大慈大悲有りて致す所なり。汝の功徳また計るべからず。
仏告跋陀和。有三昧 名十方諸仏悉在前立。能行是法。汝之所問 悉可得也。
- 仏、跋陀和に告げたまはく、〈三昧あり、十方諸仏悉在前立と名づく。よ くこの法を行ぜば、なんぢの所聞ことごとく得べし〉と。
跋陀和白仏。願爲説之。今仏説者。多所過度 安隠十方。爲諸菩薩 現大明相。
- 跋陀和、仏にまうさく、〈願はくはためにこれを説きたまへ。今仏の説くは、過度するところ多くして十方を安穏ならしめん。もろもろの菩薩のために大明相を現じたまへ〉と。
仏告跋陀和。有三昧 名定意。菩薩常当守習持。不得 復随余法。功徳中最第一。
- 仏、跋陀和に 告げたまはく、〈三昧あり、定意と名づく。菩薩つねにまさに守りて習持して、 また余法に随ふことを得ざるべし。功徳のなかにもつとも第一なり〉。
行品第二
仏告跋陀和。菩薩欲疾得是定者。常立大信。如法行之則可得也。勿有 疑想如毛髪許。是定意法。名爲菩薩超衆行。
- 仏、跋陀和菩薩に告げたまはく、〈菩薩、疾くこの定を得んと欲せば、つねに大信を立て法のごとくにこれを 行ぜばすなはち得べし。疑想、毛髪のごときばかりもあることなかれ。この定意の法を、名づけて《菩薩の超衆行》となす。
立一念 信是法 随所聞
念其方 宜一念 断諸想
- 一念を立して この法を信じ 所聞に随ひて
- その方を念じ よろしく念を一にして 諸想を断ずべし
立定信 勿狐疑 精進行
勿懈怠 勿起想 有与無
- 定信を立して 孤疑することなかれ 精進に行じて
- 懈怠することなかれ 想を有と無とに 起すことなかれ
勿念進 勿念退 勿念前
- 進を念ずることなかれ 退を念ずることなかれ 前を念ずることなかれ
勿念後 勿念左 勿念右
- 後を念ずることなかれ 左を念ずることなかれ 右を念ずることなかれ
勿念無 勿念有 勿念遠
- 無を念ずることなかれ 有を念ずることなかれ 遠を念ずることなかれ
勿念近 勿念痛 勿念痒
- 近を念ずることなかれ 痛を念ずることなかれ 痒を念ずることなかれ
勿念飢 勿念渇 勿念寒
- 飢を念ずることなかれ 渇を念ずることなかれ 寒を念ずることなかれ
勿念熱 勿念苦 勿念楽
- 熱を念ずることなかれ 苦を念ずることなかれ 楽を念ずることなかれ
勿念生 勿念老 勿念病
- 生を念ずることなかれ 老を念ずることなかれ 病を念ずることなかれ
勿念死 勿念身 勿念命
- 死を念ずることなかれ 身を念ずることなかれ 命を念ずることなかれ
勿念寿 勿念貧 勿念富
- 寿を念ずることなかれ 貧を念ずることなかれ 富を念ずることなかれ
勿念貴 勿念賤 勿念色
- 貴を念ずることなかれ 賤を念ずることなかれ 色を念ずることなかれ
勿念欲 勿念小 勿念大
- 欲を念ずることなかれ 小を念ずることなかれ 大を念ずることなかれ
勿念長 勿念短 勿念好
- 長を念ずることなかれ 短を念ずることなかれ 好を念ずることなかれ
勿念醜 勿念悪 勿念善
- 醜を念ずることなかれ 悪を念ずることなかれ 善を念ずることなかれ
勿念瞋 勿念喜 勿念坐
- 瞋を念ずることなかれ 喜を念ずることなかれ 坐を念ずることなかれ
勿念起 勿念行 勿念止
- 起を念ずることなかれ 行を念ずることなかれ 止を念ずることなかれ
勿念経 勿念法 勿念是
- 経を念ずることなかれ 法を念ずることなかれ 是を念ずることなかれ
勿念非 勿念捨 勿念取
- 非を念ずることなかれ 捨を念ずることなかれ 取を念ずることなかれ
勿念想 勿念識 勿念断
- 想を念ずることなかれ 識を念ずることなかれ 断を念ずることなかれ
勿念著 勿念空 勿念実
- 着を念ずることなかれ 空を念ずることなかれ 実を念ずることなかれ
勿念軽 勿念重 勿念難
- 軽を念ずることなかれ 重を念ずることなかれ 難を念ずることなかれ
勿念易 勿念深 勿念浅
- 易を念ずることなかれ 深を念ずることなかれ 浅を念ずることなかれ
勿念広 勿念狭 勿念父
- 広を念ずることなかれ 狭を念ずることなかれ 父を念ずることなかれ
勿念母 勿念妻 勿念子
- 母を念ずることなかれ 妻を念ずることなかれ 子を念ずることなかれ
勿念親 勿念踈 勿念憎
- 親を念ずることなかれ 疎を念ずることなかれ 憎を念ずることなかれ
勿念愛 勿念得 勿念失
- 愛を念ずることなかれ 得を念ずることなかれ 失を念ずることなかれ
勿念成 勿念敗 勿念清
- 成を念ずることなかれ 敗を念ずることなかれ 清を念ずることなかれ
勿念濁 断諸念 一期念
- 濁を念ずることなかれ 諸念を断ちて 一期の念
意勿乱 常精進 勿懈怠
- 意乱るることなかれ つねに精進にして 懈怠することなかれ
勿歳計 勿日倦 立一念
- 歳計することなかれ 日に倦むことなかれ 一念を立して
勿中忽 除睡眠 精其意
- 中忽することなかれ 睡眠を除きて その意を精にせよ
常独処 勿聚会 避悪人
- つねに独り処して 聚会することなかれ 悪人を避け
近善友 親明師 視如仏
- 善友に近づき 明師に親しみて 視ること仏のごとくせよ
執其志 常柔弱
- その志を執りて つねに柔弱なれ
観平等 於一切
- 平等を 一切に観ぜよ
避郷里 遠親族
- 郷里を避け 親族を遠ざけ
棄愛欲 履清浄
- 愛欲を棄てて 清浄を履み
行無爲 断諸欲
- 無為を行じて 諸欲を断じ
捨乱意 習定行
- 乱意を捨てて 定行を習ひ
学文慧 必如禅
- 文慧を学すること かならず禅のごとくせよ
除三穢 去六入
- 三穢を除き 六入を去れ
絶婬色 離衆受
- 婬色を絶ち 衆愛を離るべし
勿貪財 多畜積
- 財を貪じて 多く畜積することなかれ
食知足 勿貪味
- 知足に食して 味を貪ることなかれ
衆生命 慎勿食
- 衆生の命 つつしみて食することなかれ
衣如法 勿綺飾
- 衣は法のごとくにして 綺飾することなかれ
勿調戯 勿憍慢
- 調戯することなかれ 驕慢することなかれ
勿自大 勿貢高
- 自大することなかれ 貢高することなかれ
若説経 当如法
- もし経を説かば まさに法のごとくすべし
了身本 猶如幻
- 身の本を了するに なほ幻のごとし
勿受陰 勿入界
- 受陰することなかれ 入界することなかれ
陰如賊 四如蛇
- 陰は賊のごとし 四は蛇のごとし
爲無常 爲恍惚
- 無常となし 怳忽となす
無常主 了本無
- 常の主なし 本無なりと了す
因縁会 因縁散
- 因縁をもつて会し 因縁をもつて散ず
悉了是 知本無
- ことごとくこれを了するに 本無なりと知れども
加慈哀 於一切
- 慈哀を 一切に加へ
施貧窮 済不還
- 貧窮に施し 不還を済ふ
是爲定 菩薩行
- これを定となす 菩薩行の
至要慧 起衆智
- 至要の慧なり 衆行に超えたり〉と
仏告跋陀和。持是行法 便得三昧。現在諸仏悉在前立。
- 仏、跋陀和に告げたまはく、〈この行法を持てばすなはち三昧を得て、 現在の諸仏ことごとく前にましまして立ちたまふ。
其有比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。如法行 持戒完具。独一処止 念西方阿弥陀仏。
- それ比丘・比丘尼・優婆 塞・優婆夷ありて、法のごとく行せんとせば、持戒まつたく具し、独り一処 に止まりて西方の阿弥陀仏を念ぜよ。
今現在。随所聞当念。去此千億万仏刹。其国名須摩提。
- いま現にまします。所聞に随ひ てまさに念ずべし。ここを去ること千十万億の仏刹なり、その国を須摩提と名づ く。
一心念之。一日一夜 若七日七夜。過七日已後見之。譬如人夢中所見。不知昼夜亦不知内外。不用在冥中。有所蔽礙故不見。
- 一心にこれを念ずること一日一夜、もしは七日七夜すべし。七日を過ぎをはりて後これを見たてまつらん。たとへば人の夢のうちに見るところのごとし。 昼夜を知らず、また内外を知らず。冥きなかにありて蔽礙するところあるがゆゑに見ざるがごとくにはあらず。
跋陀和。菩薩当作是念時 諸仏国境界中。諸大山・須弥山。其有幽冥之処。悉爲開闢無所蔽礙。
- 跋陀和、菩薩(四衆)まさにこの念をなす時、諸仏国の 境界のなかのもろもろの大山・須弥山、そのあらゆる幽冥の処にありて、ことごとくた めに開闢(避)して蔽礙するところなし。
是菩薩不持天眼徹視。不持天耳徹聴。不持神足到其仏刹。不於此間終生彼間。便於此坐見之。
- この菩薩(四衆)は天眼を持ちて徹視するにあらず。 天耳を持ちて徹聴するにあらず、神足を持ちてその仏刹に到るにあらず、この 間において終りてかの間に生ずるにあらず、すなはちここにおいて坐してこれ を見る。
譬如人聞 堕舎利国。有婬女字須門。復有人聞婬女阿凡和利。復有人聞優婆洹 復作婬女。時其人未曾見此三女人。
- 譬えば人の聞くがごとし。堕舎利国に婬女あり須門と字(あざな)す。また人、婬女阿凡和利を聞くことあり。また人、優婆洹を聞くことあり、また婬女となす。時にその人、いまだかって此の三女人を見ず。
聞之婬意即動。是三人皆在羅閲祇国同時念。各於夢中到其女辺。与共棲宿。覚已各自念之。
- これを聞きて婬意すなわち動ず。この三人、みな羅閲祇国にありて同時に念ず。おのおの夢中においてその女辺に到りて共に棲宿す。覚し已りておのおの自らこれを念ず。
仏告跋陀和。我持是三女人以爲喩。汝持是事爲人説経。使解此慧。至不退転地 無上正真道。若後得仏 号曰善覚。
- 仏、跋陀和に告げたまわく。我、この三女人を持して以て喩となす。汝、この事を持して人の爲に経を説いて、この慧を解して不退転地に至り、無上正真道ならしめよ。もし後に仏を得ば、号して善覚と曰わん。
仏言。菩薩於此間国土。念阿弥陀仏 専念故得見之。即問。持何法得生此国。
- 仏のたまはく、〈菩薩(四衆)この間の国土において阿弥陀仏を念ぜよ。 もつぱら念ずるがゆゑにこれを見たてまつることを得。すなはち問いたてまつれ。いか なる法を持ちてかこの国に生ずることを得ると。
阿弥陀仏報言。欲来生者当念我名。莫有休息則得来生。
- 阿弥陀仏報(こた)へてのたまはく、 来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなくは、 すなはち来生することを得ん。
仏言。専念故得往生。常念仏身有三十二相八十種好。巨億光明徹照。端正無比。在菩薩僧中説法不壊色。何以故。色痛痒思想生死識魂神地水火風。世間天上上至梵摩訶梵不壊色。用念仏故得是三昧。
- 仏のたまはく、〈専念するがゆゑに往生 を得。つねに、仏身には三十二相・八十種好ありて、巨億の光明徹照し、端正無比にして、菩薩僧のなかにましまして法を説きたまふことを念ずべし。色を壊することなかれ。なにをもつてのゆゑに。色を壊せざるがゆゑに、仏の色 身を念ずるによるがゆゑに、この三昧を得」と。念仏をも用いるが故にこの三昧を得ん。
仏告跋陀和。是菩薩三昧誰証者。我弟子摩訶迦葉・因坻達・須真天子。及時知者。有行得者。是爲証也。
- 仏、跋陀和に告げたまわく、是の菩薩の三昧は誰が証するとは、我が弟子、摩訶迦葉・因坻達・須真天子、及び時の知者、有行の得者、是れを証と爲すなり。
如是跋陀和。欲得見十方諸現在仏者。当一心念其方莫得異想。如是即可得見。
- 是の如きに跋陀和、十方の諸の現在の仏を見ることを得んと欲せば、
- 当に一心に其の方を念じて異想を得ること莫るべし。是の如きは即ち見ることを得べし。
譬如人遠出到他郡国。念本郷里家室親族。其人於夢中帰到故郷里。見家室親属。喜共言語。覚爲知識説之如是。
- 譬へば人遠出し他の郡国に到り、本郷里の家室の親族を念ずるに、其の人の夢中に於いて故郷の里に帰到し、家室親属を見て、共に言語し喜ぶが如し。覚を爲して知識の説くも是くの如し。
仏言。菩薩聞仏名字欲得見者。常念其方即得見之。譬如比丘観死人骨。著前観之。有青時有白時。有赤時有黒時。其色無有持来者。是意所想耳。
- 仏の言わく、菩薩、仏の名字を聞きて見ることを得んと欲せば、常に其の方を念ずれば即ちこれを見ることを得ん。譬へば比丘の死人の骨を観ずるに、前に著してこれを観ずるに、青時有り、白時有り、赤時有り、黒時あるが如し。其の色を持ち来る者、有ること無し。是れ意の想なる所なるのみ。
菩薩如是持仏威神力。於三昧中立自在。欲見何方仏即得見。何以故。持仏力。三昧力。本功徳力。用是三事故得見。
- 菩薩是の如きの仏の威神力を持ちて、三昧中に於いて自在を立す。何方の仏を見んと欲せば即ち見ることを得。何を以つての故に、仏力、三昧力、本功徳力を持ちて、是の三事を用いるが故に見ることを得。
譬如人年少端正著好衣服。欲自見其形。若以持鏡。若麻油若浄水水精。於中照自見之。
- 譬へば如人年少にして端正に好衣服を著し、自から其の形を見んと欲するに、若し鏡を持ちて、若しは麻油、若しは浄水、水精を以つて、中に於いて自からを照してこれ見ん。
云何寧有影従外入鏡麻油水水精中不也。
- いかんぞ、寧ろ影有りて外より鏡、麻油、水、水精中に入るやいなや。
跋陀和言。不也天中天。以鏡麻油水水精浄故。自見其影耳。影不従中出。亦不従外入。
- 跋陀和の言く、いななり天中天。鏡、麻油、水水精の浄なるを以つての故に、自から其の影を見るのみ。影は中より出です、また外より入らざるなり。
仏言善哉。跋陀和。色清浄故。所有者清浄。欲見仏即見。見即問。問即報。聞経大歓喜作是念。
- 仏の言く、善哉、跋陀和。色清浄なるが故に、所有は清浄なり。仏を見んと欲せば即ち見たてまつる。見たてまつれば即ち問ふ。問へば即ち報へたまふ。経を聞ききて大歓喜して是の念を作さん。
仏従何所来。我爲到何所。自念仏無所従来。我亦無所至。自念欲処色処無色処。是三処意所作耳。我所念即見。
- 仏、何の所より来る、我何の所に到ると為す。自から仏を念じて従来する所無し。我もまた至る所無し。自から欲処・色処・無色処を念ずるに、是の三処は意の作す所なるのみ。我が念ずる所を即ち見るなり
心作仏。心自見。心是仏心。仏心是我身。心見仏。心不自知心。心不自見心。心有想爲痴心。無想是涅槃。是法無可楽者。設使念爲空耳。無所有也。菩薩在三昧中立者。所見如是。
- 心作仏し、心自見す、心は是れ仏心なり。仏心は是れ我が身なり。心見仏し、心は自からを知る心ならず、心は自からの心を見ず。心に想あるは痴心と爲す。無想は是れ涅槃なり。是の法は楽う可ききも無く、設へば空を念ぜしむのみにして、所有なしとなり。菩薩三昧中に在りて立する所見は是くの如し。
仏爾時説偈言
- 仏その時偈を説きて言く
- 心者不自知 有心不見心
- 心は不自らを知らず 心あらば心を見ず
- 心起想則痴 無心是涅槃
- 心想を起こぜば則ち痴なり 心無きは是れ涅槃なり。
- 是法無堅固 常立在於念
- 是の法は堅固なること無し 常に立ちて念に在り。
- 以解見空者 一切無想願
- 解を以つて空を見る者は 一切想願無し。
四事品第三
菩薩有四事法。疾逮得是三昧。一者所信無有能壊者。二者精進無有能退者。三者智慧無有能及者。四者常与善師従事。是爲四。
- 菩薩に四事法ありて、疾くこの三昧を逮得す。一には信ずる所、能く壊する者あること無し。二には精進能く退する者あること無し。三には智慧能く及ぶ者あること無し。四には常に善き師に与り従事す。是れを四となす。
復有四事。疾得是三昧。一者不得有世間思想。如弾指頃三月。二者不得睡眠三月。如弾指頃。三者経行不得休息三月。除其飯食左右。四者爲人説経。不得望人供養。是爲四。
復有四者。疾得是三昧。一者合会人至仏所。二者合会人使聴経。三者不嫉。四者教人学仏道。是爲四。復有四事。疾得是三昧。一者作仏形像。用成是三昧故。二者持好素写是三昧。三者教自貢高人内仏道中。四者常護仏法。是爲四。
仏爾時説偈言
常信楽於仏法 精進行解深慧
広分布爲人説 慎無得貪供養
意善解便離欲 常念仏有威徳
悉見知無数変 過去仏及当来
并現在人中尊 諸相好若干種
黄金色無穢漏 堅固教無極慧
聴是法無乱心 常捨離懈怠行
無恚害向他人 敬於師当如仏
慎無得疑斯経 一切仏所歌歎
常造立仏形像 常教人学是法
行如是得三昧
仏告跋陀和。欲学是三昧者。当敬於師承事供養。視当如仏。視善師不如仏者。得三昧難。
菩薩敬善師従学得是三昧已。持仏威神於中立。東向視見若干百千万億仏。十方等悉見之。譬如人夜起観星宿甚衆多。菩薩欲得見今現在仏悉在前立者。当敬善師。不得視師長短。当具足布施持戒忍辱精進一心。不得懈怠
譬喩品第四
仏告跋陀和。菩薩得是三昧不精進行者。譬如人載満船珍宝渡大海。船中道壊。閻浮利人皆大愁憂念失我爾所宝。菩薩聞是三昧不学者。一切諸天人民皆悲憂言。乃失我爾所経宝。
仏言。是三昧経者。是仏所嘱。仏所称挙。聞是深三昧。不書学誦守持如法者。是爲愚痴。譬如痴子人持栴檀香与之。而不肯受謂之不浄香。主言。此栴檀香也。卿莫謂不浄。嗅之知香。視之知浄。其人閉目不嗅不視也。
仏言。聞是三昧不肯受持者。如彼痴子是爲無知。反呼世間爲有。不入空不知無。自謂如法。反作軽戯言。仏亦有深経乎。亦有威神乎。
反相形言。世間亦有比丘如阿難乎。仏言其人従持是三昧者。所去両両三三相与語言。
是何等説。従何得是語。爲自合会作是経。非仏所説。
仏告跋陀和。譬如賈客持摩尼珠示田家痴子。曰評此直幾銭。賈客言。持是珠置冥中。其光所照直満中宝。仏言。其人不知是珠而言。其価能与一頭牛等不。寧可貿一頭牛与我者善。不肯者休。如是跋陀和。菩薩聞是三昧不信。反形相者。如彼痴子。
仏言。菩薩聞是三昧信受持修行者。四面皆擁護無所畏持戒完具。是爲高明。智慧深入当分布語人展転相教。当令是三昧久在世間。
仏言。痴人自於前世不供養作功徳。反自貢高。多行誹謗嫉妬。貪財利故欲求名誉。但欲譁説不信深経。聞是三昧不信不楽不学。反誹謗是経。言非仏所説。
仏告跋陀和。今我故語汝如是若善男子善女人。持珍宝満三千国土布施。設有是功徳。不如聞是三昧信楽者。其福過彼上
仏告跋陀和。如我所説無有異。今故説是語耳。今見我説是三昧有疑者。其人却後除在悪師辺。正使善師所其功徳不足言。如是輩人。転与悪師従事。聞是三昧不信不楽不学。
何以故。其人所更仏少。智慧少故不信耳。
仏告跋陀和。其有聞是三昧。不軽笑不誹謗。不疑不乍信乍不信。歓喜楽書学誦持者。我悉予知見之。其人不独於一仏二仏所作功徳。
悉於百仏所聞是三昧。却後世時聞是三昧。
書学誦持守之一日一夜。其福不可計。自致得阿惟越致。所願者得。
仏告跋陀和。聴我説譬喩。有人取一仏刹悉砕如塵。取一塵皆復尽破。如一仏刹塵。云何是塵数寧多不也。
跋陀和言。甚多甚多天中天。仏言。有菩薩尽取一塵置一仏刹。其数爾所仏刹。満中珍寳悉持供養諸仏。其福功徳少少耳。不如聞是三昧学書誦持。爲他人説守。須臾間聞。是功徳不可復計。何況已得是三昧悉具足者。仏爾時説偈言
若有菩薩求衆徳 当説奉行是三昧
信楽諷誦不疑者 其功徳福無斉限
如一仏国之世界 皆破壊砕以爲塵
一切仏土過是数 満中珍宝用布施
不如聞是三昧者 其功徳福過上施
引譬功徳不可喩 嘱累汝等当勧教
力行精進無懈怠 其有誦持是三昧
已爲面見百千仏 仮使最後大恐懼
持是三昧無所畏 行是比丘已見我
常爲随仏不遠離 如仏所言無有異
菩薩常当随其教 疾得正覚智慧海
四輩品第五
跋陀和白仏。難及天中天。若有棄愛欲作比丘聞是三昧。当云何学。云何持。云何行。
仏言。棄愛欲作比丘欲学是三昧者。当清浄持戒。
不得欠如毛髪。常当怖畏於地獄痛苦。遠離於諛諂。是爲清浄。云何爲欠戒也。
仏言。求色。云何爲求色。仏言。其人意念我持戒自守。使我後世生。若作天若作遮迦越王。如是爲楽愛欲。是爲欠戒。
仏告跋陀和。其有欲学是三昧者。清浄自守持戒完具。不諛諂。常爲智所称誉。於経中当布施当精進。所志当彊。当多信当勧楽。承事於師視当如仏。得三昧疾設不恭敬。軽易欺調於師。正使久学是三昧疾忘之。
仏告跋陀和是菩薩若従比丘比丘尼。優婆塞優婆夷。聞是三昧当視如仏常敬尊。不当持諂意向。菩薩不得有諂意。常当至誠。常楽独処止。不惜身命。不得悕望人所索。常行乞食不受請。自守節度所有趣足而已。経行不得懈臥。如是経中教。学是三昧当守如是。
跋陀和白仏。難及天中天。後世若有懈怠菩薩。聞是三昧不肯精進学。当云何若有菩薩精進欲学者。我輩当随是経教之。
仏言。善哉跋陀和。我助其歓喜。過去当来今現在仏皆助歓喜。仏爾時頌偈言
如我所説悉受持 常独処止行功徳
自守節度不聚会 常行乞食不受請
敬於法師視如仏 除去睡眠志開解
常自精進無懈怠 如是行者得三昧
跋陀和白仏。比丘尼求菩薩道。欲学是三昧。
当云何行。仏言。比丘尼求是三昧者。不得自高。常当卑謙。不得自貴。不得自大。不得嫉妬。不得瞋恚。不得貪財利色。常当清浄不得惜躯命。常楽経法念多学問。当棄婬怒痴不得貪好服飾珠環。当爲智者称誉。当敬善師視如仏。不得有諂意。仏爾時頌偈言
若比丘尼求三昧 常当精進勿懈怠
無得聴於貪欲心 除去瞋恚自高貴
不得慢欺及調戯 常行至誠立一信
恭敬善師視如仏 如是行者得三昧
跋陀和白仏。若有居士修道。聞是三昧欲学者。当云何行。
仏言。居士欲学是三昧者。当持五戒令堅。不得飲酒。亦不得飲他人。不得与女親熟。不得教他人。不得有恩愛於妻子男女不得貪財産。常念欲棄家作沙門。常持八関斎。当於仏寺中。常当念布施。布施已不念我自当得其福。用爲一切施。常当大慈敬於善師。見持戒比丘。不得軽易説其悪。作是行已。当学守是三昧。仏爾時頌偈言
居士欲学是三昧 当持五戒勿毀欠
常当思欲作沙門 不貪妻子及財色
常八関斎於仏寺 不得貢高軽蔑人
心無栄冀思所欲 奉行経法心無諂
棄捨慳貪常恵施 常当奉敬比丘僧
常志一行勿懈怠 学是三昧当如是
化巻末引文(83)
跋陀和白仏。優婆夷聞 是三昧欲学者。当云何行。
- 跋陀和、仏にまうさく、優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せん者は、まさにいかんが行ずべし。
仏言。優婆夷欲学者。当持五戒自帰於三。何等爲三。自帰命仏。帰命法。帰命比丘僧。
- 仏の言く、優婆夷、学ばんと欲せん者は、まさに五戒をたもち自から三に帰せ。何らを三とす。自から仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。
不得事余道。不得拝於天。不得祠鬼神。不得視吉良日。
- 余道に事(つか)ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ。
不得調戯。不得慢恣有色想。不得有貪欲之心。
- 調戯することを得ざれ。有色の想に慢恣することを得ざれ。貪欲の心、有ることを得ざれ。
常当念布施。歓楽欲聞経。念力学問敬重善師。心常拳拳不得有懈。若有比丘比丘尼過者。以坐席賓食之。仏爾時頌偈言
- 常に布施を念ずべし。歓楽して聞経を欲せよ。学問につとめ、善師を敬重することを念ぜよ。心、常に拳拳として懈あることを得ざれ。もし比丘・比丘尼の過ぎる者あらば、坐席をもってこれに賓食せしめよ。
化巻末引文(84)
仏爾時頌偈言
- 仏その時、頌偈を言く。
優婆夷欲学三昧 奉持五戒勿欠毀
- 優婆夷、三昧を学ばんと欲せば、五戒を奉持し欠毀することなかれ。
承事善師視如仏 不得拝天祠祀神
- 善師につかうることをうけたまわるれば、仏のごとく視よ。天を拝し神を祠祀することを得ざれ。
除去殺盗及嫉妬 不得両舌闘彼此
- 殺と盗を去り及び嫉妬を除き、両舌して彼此を闘わしむことを得ざれ。
不得慳貪常念施 見悪覆蔵唯歎善
- 慳貪を得ずして、常に施を念じ、悪を見ても覆蔵し、ただ善を歎ぜよ。
不得諛諂有邪婬 常当卑謙勿自大
- 諛諂と邪婬あることを得ざれ。常に卑謙して自大することなかるべし。
敬事比丘比丘尼 如是行者得三昧
- 敬いて比丘・比丘尼につかえん、かくの如きの行者、三昧を得ん。
擁護品第六
跋陀和菩薩。羅隣那竭菩薩。憍日兜菩薩。那羅達菩薩。須深菩薩。摩訶須薩和菩薩。因坻達菩薩。和輪調菩薩。是八菩薩。見仏所説皆大歓喜。持五百劫波育衣布施。持身自帰。持珍寳供養。
仏告阿難 跋陀和等五百人。人中之師。常持正法随順教化。莫不歓喜。楽随侍者心浄無欲。時五百人。皆叉手立仏前。跋陀和白仏。菩薩持幾事。疾得是三昧。
仏言有四事。一者不信余道。二者断愛欲。三者当清浄行。四者無所貪。是爲四。如是行者。今世即得五百功徳。譬如慈心比丘終不中毒。兵刃不加。火不能焼。入水不溺不害。正使劫尽焼時。堕是火中火即爲滅。喩如大水滅小火。菩薩持是三昧者。若帝王若賊若水火。若竜夜叉蟒師子虎狼。玃薜荔鳩坻。一切毒獣及鬼神。欲嬈人欲殺人。欲奪人衣鉢。壊人禅奪人念故。欲中是菩薩。終不能也。除其宿命不請。如我語無異也。
仏言。持是三昧者。終不痛目若耳鼻口身体。心終不憂。除其宿命所作。
仏言。是菩薩爲諸天竜神。及阿須輪。夜叉鬼神。
迦楼羅鬼神。甄陀羅鬼神。摩睺勒鬼神。若人非人。皆共讃誉是菩薩。皆共擁護承事供養。
瞻視敬仰思欲相見。諸仏世尊亦然。是菩薩所未誦経前所不聞持。是三昧威神悉自得之。若昼日不得者。夜於夢中悉得之。
仏告跋陀和。其有持是三昧者。我説其功徳。一劫復過一劫。不可尽竟。略説其要爾
勧助品第七
仏告跋陀和 菩薩 於是三昧中。将有四事助其歓喜。
- 仏、跋陀和に告げたまはく、菩薩この三昧のなかにおいて、まさに四事ありてそれを助けて歓喜せん。
過去仏持是三昧。助歓喜自致得阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏。其智悉具足。
- 過去の仏もこの三昧を持ちて、助けて歓喜せしめて自から阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏に致ることを得て、その智ことごとく具足したまえり。
今現在十方無央数仏。亦於是三昧中。四事助歓喜得。
- 今現在十方の無央数の仏もまたこの三昧において、四事を助 けて歓喜を得たまへり。
当来亦当従是四事助歓喜得。我悉助歓喜。
- 当来もまたこの四事により助けて歓喜せしむことを得。我ことごとく助けて歓喜せしむ。
仏告跋陀和。是三昧中四事助歓喜。
- 仏、跋陀和菩薩に告げたまはく、この三昧中に四事を助けて歓喜せすむ。
我於是中説少所譬喩。人寿百歳随地行至者不休息。其人行過於疾風。寧有能計其道里不。
- 我この中において少所の譬喩を説かん。人寿百歳、地に随し行いて至るも休息せず。その人の行くこと疾風より過し。やすくその道里を能く計ることありやいなや。
跋陀和言。無有能計者。独仏弟子舎利弗羅。阿惟越致菩薩。乃能計之耳。
- 跋陀和の言はく。よく計る者あることなし。ひとり仏弟子、舎利弗羅、阿惟越致の菩薩、すなわちよくこれを計るのみ。
仏言。我故語諸菩薩。若有善男子善女人。取是人所行処満中珍宝布施。不如聞是三昧四事助歓喜。其福過布施者。百千万億倍。当知是助歓喜福甚尊大。
仏告跋陀和。乃久遠不可計阿僧祇。爾時有仏。名私訶摩提等正覚無上士道法御天人師仏世尊。在空閑之処。是時閻浮利縦広十八万億里。凡有六百四十万国。
悉豊熟人民熾盛。有大国名跋陀和。有転輪王惟斯芩。往到仏所礼畢却坐一面。仏知其意便爲説是三昧。其王聞之助歓喜。即持珍寳散仏上。自念曰。持是功徳令十方人民皆安隠。時私訶提仏般涅槃後。惟斯芩王寿終。還自生其家作太子。名梵摩達爾時有比丘名珍宝。是時爲四部弟子説是三昧。梵摩達聞之助歓喜。踊躍持宝直百億散其上。復持好衣供養之。以発意求仏道。与千人倶。於是比丘所作沙門。求学是三昧。与千人共承事師八千歳不休懈。得一聞是三昧四事。助歓喜入高明智。因是却後更見六万八千仏。輒於一一仏所。聞是三昧自致得仏。
名坻羅惟逮等正覚無上士道法御天人師仏世尊。是時千比丘従得等正覚。皆名坻羅欝沈。教不可計人民皆求仏道。
仏告跋陀和。何人聞是三昧。不助歓喜学持守誦爲人説者也。 仏言。若有守是三昧者疾逮得仏。但聞其功徳不可計。何況学持者。若去百里千里。有是三昧当求之。何況近而不求学也。若有聞是三昧欲学者。当承事其師十歳。供養瞻視不得自用。当随師教常念師恩。
仏言。我故爲汝説之。聞是三昧去四千里者。往到其所。正使不得聞。其功徳不可計也。所以者何。専精進故。会当得之自致作仏
至誠品第八
仏言。乃往昔有仏。名薩遮那摩等正覚無上士天人師仏世尊。時有比丘名和輪。其仏般涅槃後。是比丘持是三昧。我時作国王刹利種。於夢中聞是三昧。覚已便行。求是比丘即依作沙門。欲得聞是三昧。承事其師三万六千歳。魔事数数起竟不得聞。
仏告比丘比丘尼。優婆塞優婆夷。我故語汝等。疾取是三昧無得忘失。善承事其師持是三昧。至一劫若百劫若百千劫。莫得有懈倦。守善師不離。若飲食資用。衣被床臥珍宝以上勿有愛惜。設無者当行乞食給師。趣当得是三昧莫厭。常当自割身肉供養於善師。何況宝物此不足言耳。承事善師当如奴事大家。求是三昧者当如是。得三昧已。当堅持常念師恩。是三昧難得値。正使求是三昧至百千劫。但欲得聞其名不可得。何況学而不精進。得是三昧精進学転教人者。正使如恒河沙仏刹満中珍寳。用布施甚多。不如学是三昧者。
仏告跋陀和。若有人欲学者。当助歓喜。欲学而得。学者持仏威神使学。当好書是三昧著素上。当得仏印印之。当善供養。何謂仏印。所謂不当行無所貪無所求無所想。無所著無所願。無所向生。無所取無所顧。無所住無所礙。無所結無所有。尽於欲。無所生無所滅。無所壊無所敗。道要道本是印。阿羅漢辟支仏所不能及。何況愚痴者。是印是爲仏印仏言。我今説是三昧時。千八百億諸天阿須輪鬼神竜人民。得須陀洹道。八百比丘得阿羅漢。五百比丘尼得阿羅漢。万菩薩得是三昧。得無従生法於中立。万二千菩薩不復退転。
仏告舎利弗目揵連比丘跋陀和等。我従無数劫求道。
今已得作仏。持是経嘱累汝等。学誦持守無得忘失。若有欲学者。当具足安諦教之。其欲聞者。当爲具足説之。仏説経竟。跋陀和菩薩等舎利弗目連比丘阿難及諸天阿須輪竜鬼神人民。皆大歓喜。爲仏作礼而去
- 仏説般舟三昧経