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「無量壽如來會」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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(証巻引文(3))
 
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その時、仏、阿難に告げたまわく。往昔、阿僧祇無数大劫を過ぎて、仏ましまして出現したまえり、号して然灯と曰う。
 
その時、仏、阿難に告げたまわく。往昔、阿僧祇無数大劫を過ぎて、仏ましまして出現したまえり、号して然灯と曰う。
 
彼の仏の前において極めて数量を過ぎて、苦行仏ましまして世に出興したまう。苦行仏の前に、また如来ましまし。号して月面と為す。月面仏の前に数量を過ぎて、旃檀香仏まします。彼の仏の前において蘇迷盧積仏ましまし、盧積仏の前にまた妙高劫仏ましましき。是の如く展転して、離垢面仏・不染汚仏・龍天仏・山声王仏・蘇迷盧積仏・金蔵仏・照曜光仏・光帝仏・大地種姓仏・光明熾盛琉璃金光仏・月像仏・開敷花荘厳光仏・妙海勝覚遊戯神通仏・金剛光仏・大阿伽陀香光仏・捨離煩悩心仏・宝増長仏・勇猛積仏・勝積仏・持大功徳法施神通仏・映蔽日月光仏・照曜琉璃仏・心覚花仏・月光仏・日光仏・花瓔珞色王開敷神通仏・水月光仏・破無明暗仏・真珠珊瑚蓋仏・底沙仏・勝花仏・法慧吼仏・有師子吼鵝鴈声仏・梵音龍吼仏まします。是の如き等の仏、世に出現したまうに、劫数を相去ることみな数量を過ぎたり。<br>
 
彼の仏の前において極めて数量を過ぎて、苦行仏ましまして世に出興したまう。苦行仏の前に、また如来ましまし。号して月面と為す。月面仏の前に数量を過ぎて、旃檀香仏まします。彼の仏の前において蘇迷盧積仏ましまし、盧積仏の前にまた妙高劫仏ましましき。是の如く展転して、離垢面仏・不染汚仏・龍天仏・山声王仏・蘇迷盧積仏・金蔵仏・照曜光仏・光帝仏・大地種姓仏・光明熾盛琉璃金光仏・月像仏・開敷花荘厳光仏・妙海勝覚遊戯神通仏・金剛光仏・大阿伽陀香光仏・捨離煩悩心仏・宝増長仏・勇猛積仏・勝積仏・持大功徳法施神通仏・映蔽日月光仏・照曜琉璃仏・心覚花仏・月光仏・日光仏・花瓔珞色王開敷神通仏・水月光仏・破無明暗仏・真珠珊瑚蓋仏・底沙仏・勝花仏・法慧吼仏・有師子吼鵝鴈声仏・梵音龍吼仏まします。是の如き等の仏、世に出現したまうに、劫数を相去ることみな数量を過ぎたり。<br>
彼の龍吼仏、未だ世に出でたまわざる前、無央数劫に、世主仏まします。世主仏の前無辺劫数に仏ましまして出世したまえり。世間自在王如来・応・正等覚・明行円満・善逝・世間解・無上・丈夫調御士・天人師・仏・世尊と号す。
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彼の龍吼仏、未だ世に出でたまわざる前、無央数劫に、世主仏まします。世主仏の前無辺劫数に仏ましまして出世したまえり。<span id=butu10go></span>
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世間自在王如来・応・正等覚・明行円満・善逝・世間解・無上・丈夫調御士・天人師・仏・世尊と号す。
  
 
阿難。彼の仏の法中に一の比丘あり。名づけて法処と曰う。殊勝の行願及び念慧力あり。その心を増上して堅固不動なり。福智殊勝にして、人相端厳なり。
 
阿難。彼の仏の法中に一の比丘あり。名づけて法処と曰う。殊勝の行願及び念慧力あり。その心を増上して堅固不動なり。福智殊勝にして、人相端厳なり。
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======証巻引文[[顕浄土真実証文類#no3|(3)]]======
 
======証巻引文[[顕浄土真実証文類#no3|(3)]]======
 
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{{IA|もし我、成仏せんに、国中有情、もし決定して等正覚を成り、大涅槃を証せざれば、菩提を取らじ。}}
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{{IA|もし我、成仏せんに、国中有情、もし決定して'''[[等正覚]]'''を成り、大涅槃を証せざれば、菩提を取らじ。}}
  
 
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もし我、成仏せんに、彼の無量刹の中の無数の諸仏、共に我国を諮嗟し称歎せざれば、正覚を取らじ。
 
もし我、成仏せんに、彼の無量刹の中の無数の諸仏、共に我国を諮嗟し称歎せざれば、正覚を取らじ。
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======信巻引文[[顕浄土真実信文類 (本)#no3|(3)]]======
 
======信巻引文[[顕浄土真実信文類 (本)#no3|(3)]]======
 
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:{{IO|もし諸の上願を満足せずば 十力無等尊を取らじ}}
 
:{{IO|もし諸の上願を満足せずば 十力無等尊を取らじ}}
 
:{{IO|心或いは常に施を行じ 広く貧窮を済いて諸の苦を免れしめ}}
 
:{{IO|心或いは常に施を行じ 広く貧窮を済いて諸の苦を免れしめ}}
:{{IO|世間を利益して安楽ならしむるに堪えずば}}<ref>本典では日が因になっている。読みは、「いま如来に対して弘誓を発せり。まさに無上菩提の因を証すべし。もしもろもろの上願を満足せずは、十力無等尊を取らじと。こころ、あるいは常行に堪へざらんものに施せん。広く貧窮を済ひてもろもろの苦を免れしめ、世間を利益して安楽ならしめんと」と、なっている。所覧本の違いであろう。</ref> 救世の法王と成らじ
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:{{IO|世間を利益して安楽ならしむ}}るに堪えずば▽<ref>本典では日が因になっている。読みは、「いま如来に対して弘誓を発せり。まさに無上菩提の因を証すべし。もしもろもろの上願を満足せずは、十力無等尊を取らじと。こころ、あるいは常行に堪へざらんものに施せん。広く貧窮を済ひてもろもろの苦を免れしめ、世間を利益して安楽ならしめんと」と、なっている。所覧本の違いであろう。</ref> 救世の法王と成らじ
 
:我、菩提を証して道場に坐し 名聞こえて十方界の
 
:我、菩提を証して道場に坐し 名聞こえて十方界の
 
:無量無辺の異の仏刹に遍ぜずば 十力世中の尊を取らじ。
 
:無量無辺の異の仏刹に遍ぜずば 十力世中の尊を取らじ。

2023年1月1日 (日) 10:04時点における最新版

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『無量寿如来会』上下二巻。唐(705 - 907)時代の706~713頃に菩提流支三蔵によって訳された『無量寿経』の異訳。なお、『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論)を翻訳した北魏時代の菩提流支とは別人である。経題の表記は、『大宝積経巻第十七』「無量寿如来会」であり『如来会』と略して呼称される。いわゆる古訳の『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(大阿弥陀経)や『無量清浄平等覚経』(平等覚経)、『無量寿経』(大経)にある三毒段・五悪段が無いのが特長である。サンスクリット本にも三毒段・五悪段は無いのだが、全く異質なインド仏教文化を受容するに際して、儒教にあるような倫理的な意味で、三毒(貪・瞋・痴)と、五悪(不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒)という仏教の示す道徳観を経典に付与したのであろうと思われる。なお、御開山はほとんど三毒段・五悪段に言及されておられない。第十八願成就文が『無量寿経』では「信心歓喜 乃至一念」とあり行にも信にも通ずるのであるが、この『無量寿如来会』には、「乃至能発 一念浄信」とあり、この一念浄信の文によって信の一念であると見られたのであろう。『無量寿経』に次いで、引文の多いことも注意すべきである。


大宝積経 巻第十七


無量寿如来会

大唐三蔵 菩提流志 奉詔訳

無量寿如来会 上

無量寿如来会 第五之一

序分

かくの如く我聞きたまえき。一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまいて、大比丘衆万二千人と倶なりき。皆これ諸の大声聞にして衆に知識せらる。その名を尊者阿若憍陳如・馬勝・大名有賢・無垢・須跋陀羅・善称円満・憍梵鉢提・優樓頻蠡迦葉・那提迦葉・伽耶迦葉・摩訶迦葉・舎利弗・大目揵連・摩訶迦旃延・摩訶劫賓那・摩訶注那・満慈子・阿尼樓駄・離波多・上首王・住彼岸摩倶羅・難陀・有光善来・羅睺羅・阿難陀等と曰いて、しかも上首たり。

また菩薩摩訶薩衆あり。所謂、普賢菩薩・文殊師利菩薩・弥勒菩薩、及び賢劫の中の諸の菩薩摩訶薩衆にして、前後に囲繞せり。 また賢護等の十六丈夫衆と倶なりき。所謂、善思惟義菩薩・慧弁才菩薩・観無住菩薩・善化神通菩薩・光幢菩薩・智上菩薩・寂根菩薩・慧願菩薩・香象菩薩・宝幢菩薩等にして、しかも上首たり。
咸く共に普賢の道を遵修し、菩薩の一切の行願を満足し、一切功徳の法の中に安住し、諸仏の法に到り、彼岸を究竟し、願じて一切世界の中において等正覚を成ず。

また願じて彼の兜率陀天に生まれ、彼において寿終わり、降りて右脇より生じて七歩を行ずることを見〈現〉す。大光明を放ち、普く仏世界、六種に震動す。 しかも自ら唱えて言わく、我、一切世間において、最も尊貴たらんと。釈梵。諸天、咸く来たりて親奉す。また書計・暦数・声明・伎巧・医方・養生・符印、及び余の博戯を習学することを見じて、美を擅〈ほしいまま〉にすること人に過ぎたり。身、王宮に処して諸の欲境を厭い、老病死を見て世の非常を悟り、国位を捐捨して城を踰〈こ〉え道を学ぶ。諸の纓絡及び迦尸迦を解きて、袈裟を被服し、六年苦行して、能く五濁刹の中においてこれを作す。世間に順ずることを示見するが故に、尼連河に浴して行いて道場に趣く。龍王迎えて讃じ、諸の菩薩衆、右に繞りて称揚せり。

菩薩、その時、草を受けて自ら菩提樹の下に敷き、結加趺坐す。また魔衆合囲して、まさに危害を加えんとするを見て、菩薩、定慧の力を以て魔怨を降伏し、無上覚を成じたまう。 梵王、勧請して法輪を転ず。勇猛無畏にして、仏音もって震吼す。法鼓を撃ち法螺を吹き、大法幢を建て正法の炬を然〈もや〉して、正法及び諸の禅定を摂受す。 大法雨を雨ふらして、含生を沢潤し、大法雷を震いて一切諸仏の刹土を開悟せり。普く大光もって世界の中を照らすに、地みな震動す。

魔宮を摧毀して波旬を驚怖せしむ。煩悩の城を破り、諸の見網を墮〈こぼ〉ち、黒法を遠離し、諸の白法を生ず。 仏において食を施すを能く受け能く消し、衆生を調えんが為に妙理を宣揚す。或いは微笑を見〈あらわ〉して百千の光を放ち、潅頂の階に昇りて菩提の記を受け、或いは仏道を成じて、涅槃に入ることを見ず。 無量の有情をしてみな漏尽を得しめ、菩薩の無辺の善根を成熟す。

是の如く諸仏刹の中にみな能く示見すること、譬えば幻師の善く幻術を知り、しかも能く男女等の相を示見し、彼の相の中において実に得べきことなきが如し。 是の如し是の如し、諸の菩薩等は善く無辺の幻術の功徳を学ぶが故に、能く変化相応を示見し、能善く変化の道を了知するが故に、諸仏の土を示し大慈悲を見〈あらわ〉しめ、一切群生、普くみな饒益す。菩薩の願行、成就すること疆(さかい)なし。無量義門、通達して平等なり。一切善法、具足し修成して、諸仏刹の中に平等に趣入して、常に諸仏のために勧進して威を加う。

一切の如来、印可を識知して、菩薩に教えんが為に阿闍梨と作る。常に相応無辺の諸行を習いて、一切法界の所行に通達し、能善く有情及び土を了知す。 また常に発趣して諸の如来を供し、種種の身を見すること猶し影像の如し。善く因陀羅網を学び、能く魔網を破し、諸見の網入有情の網を壊り、能く煩悩の眷属及び魔侶・魔人を超えて、遠く声聞・辟支仏地を出で、空・無相・無願の法門に入り、しかも能く方便善巧に安住す。

初より二乗の涅槃に入ることを楽わず、無生・無滅、諸の三摩地を得。及び一切陀羅尼門、広大の諸根弁才を得て、菩薩蔵の法を決定し、善能く仏華三昧を了知して、時に随い悟入し、一切種甚深の禅定を具して、一切諸仏みな悉く前に見〈あらわ〉る。

一念の中において、遍く仏土に遊び、周旋往返するにその時を異にせず。難 非難の辺において能く諸辺を了し、実際の差別を敷演して善く知り、仏の弁才を得て普賢の行に住し、善能く衆生の語言を分別し、世間一切の法に超過して、善く一切の出世間の法を知り、自在に波羅蜜多を得て資具す。 有情を荷担し不請の友と為りて、能く一切如来の法蔵を持ち、安住して一切の仏種を断たず、有情を哀愍して能く法眼を開き、諸の悪趣を閉じて善趣の門を開き、普く有情を観じて能く父母兄弟の想を作し、また衆生を観じて己が身を想うが如し。一切を証得して功徳・波羅蜜多を讃歎し、能善く如来一切の功徳を了知し讃歎し、及び余の諸の功徳の法を称讃す。是の如きの菩薩摩訶薩衆、無量無辺なり。みな来りて集会す。

その時、尊者阿難、坐より起ちて衣服を整理して、偏に右の肩を袒ぎ、右の膝を地に著け、合掌して仏に向かいて白して言さく。大徳世尊、身色諸根、悉くみな清浄なり。威光赫奕たること金の聚に融るが如く、また明鏡の凝照の光暉くが如し。昔より已来、初より未だ曾て見ず。喜を得て瞻仰して希有の心を生ず。世尊、今は大寂定に入りて如来の行を行じ、みな悉く円満して、善能く大丈夫の行を建立し、去・来・現在の諸仏を思惟したまう。世尊、何が故ぞこの念に住したまうや。

その時、仏、阿難に告げたまわく。汝、今云何が能くこの義を知る。諸天ありて来りて汝に告ぐるとせんや、我を見るを以て、及び自ら知ると為すや。

教巻引文(4)

阿難、仏に白して言さく。世尊、我、如来の光瑞希有なるを見たてまつるが故に、この念を発せり、天等に因るにあらず。 仏、阿難に告げたまわく。善いかな善いかな、汝、今快く問えり。善能く微妙の弁才を観察して、能く如来に如是の義を問いたてまつる。 汝、一切如来・応・正等覚及び大悲に安住して群生を利益せんが為に、優曇花の希有なるが如くして、大士、世間に出見したまえり。故にこの義を問いたてまつる。また諸の衆生を哀愍し利楽せんが為の故に、能く如来に如是の義を問いたてまつる。

阿難。如来・応正等覚は、善能く無量の知見を開示す。何を以ての故に。如来の知見は障礙あることなし。阿難、如来・応正等覚は住世を楽わんと欲わば、能く食の頃において住すること無量・無数・百千億那由他劫にして、もしはまた上の如きの数量を増過せん。しかも如来の身、及び諸根を以て増減あることなし。何を以ての故に。如来は三昧を得て自在に彼岸に到り、一切の法において最勝自在なればなり。この故に阿難、諦らかに聴き善思してこれを念え。吾まさに汝が為に分別し解説すべし。
阿難、仏に白して言さく。唯、然なり、世尊、願楽して聞きたてまつらんと欲う。

正宗分

その時、仏、阿難に告げたまわく。往昔、阿僧祇無数大劫を過ぎて、仏ましまして出現したまえり、号して然灯と曰う。 彼の仏の前において極めて数量を過ぎて、苦行仏ましまして世に出興したまう。苦行仏の前に、また如来ましまし。号して月面と為す。月面仏の前に数量を過ぎて、旃檀香仏まします。彼の仏の前において蘇迷盧積仏ましまし、盧積仏の前にまた妙高劫仏ましましき。是の如く展転して、離垢面仏・不染汚仏・龍天仏・山声王仏・蘇迷盧積仏・金蔵仏・照曜光仏・光帝仏・大地種姓仏・光明熾盛琉璃金光仏・月像仏・開敷花荘厳光仏・妙海勝覚遊戯神通仏・金剛光仏・大阿伽陀香光仏・捨離煩悩心仏・宝増長仏・勇猛積仏・勝積仏・持大功徳法施神通仏・映蔽日月光仏・照曜琉璃仏・心覚花仏・月光仏・日光仏・花瓔珞色王開敷神通仏・水月光仏・破無明暗仏・真珠珊瑚蓋仏・底沙仏・勝花仏・法慧吼仏・有師子吼鵝鴈声仏・梵音龍吼仏まします。是の如き等の仏、世に出現したまうに、劫数を相去ることみな数量を過ぎたり。
彼の龍吼仏、未だ世に出でたまわざる前、無央数劫に、世主仏まします。世主仏の前無辺劫数に仏ましまして出世したまえり。 世間自在王如来・応・正等覚・明行円満・善逝・世間解・無上・丈夫調御士・天人師・仏・世尊と号す。

阿難。彼の仏の法中に一の比丘あり。名づけて法処と曰う。殊勝の行願及び念慧力あり。その心を増上して堅固不動なり。福智殊勝にして、人相端厳なり。 阿難。彼の法処比丘、世間自在王如来の所に往詣して、偏に右肩を袒ぎ、仏足を頂礼して、仏に向かいて合掌して、頌を以て讃じて曰く。


如来の無量無辺光は 世を挙げて光の能く喩うべきなし。 一切の日月・摩尼宝 仏の光威にみな映蔽す。 世尊能く一の音声を演べたまわば 有情おのおの類に随いて解す。 また能く一の妙色身を現じて 普く衆生をして類に随いて見せしむ。

戒・定・慧・進及び多聞は 一切の有情ともに等しきものなし。 心流覚慧は大海の如し 善能く甚深の法を了知す。 惑尽き過亡じて、まさに供を受くべし 是の如き聖徳は惟世尊のみなり。 仏は殊勝の大威光ありて 普く十方無量の刹を照らしたまえり。


我、今、諸の功徳を称讃す。冀希〈こいねが〉わくは福慧、如来に等しくして 能く一切の諸の世間の 生老病死の衆の苦悩を救わん。 願わくはまさに三摩地に安住して 施・戒の諸の法門 忍辱・精勤及び定・慧を演説すべし 庶〈ねが〉わくはまさに成仏して群生を済うべし。

無上の大菩提を求めんが為に 十方の諸の妙覚を供養し 百千倶胝那由他に 彼の恒沙の数量を極めん。 また願わくはまさに大神光を獲て ますます恒沙億の仏刹を照らし 及以び無辺の勝進力をもって 殊勝の広浄居を感得すべし。 是の如きの無等の仏刹の中に 群生を安処しまさに利益すべし。 十方最勝の大士 彼にみなまさに往生して心を喜ばしむべし。 唯仏の聖智のみ能く 我が今の希求の堅固力を証知したまえり。 たとい無間の諸の地獄に沈むとも 是の如きの願心は終に退せざらん。 一切世間の無碍智 まさに是の如きの心を了知すべし。

また次に阿難。法処比丘は、仏徳を讃じ已りて世尊に白して言さく。我、今、阿耨多羅三藐三菩提の心を発す。惟願わくは如来、我の為に是の如き等の法を演説したまえ。世間において無等等を得、大菩提を成じて、具に清浄荘厳の仏土を摂せしめたまえ。
仏、比丘に告げたまわく。汝、まさに自ら清浄の仏国を摂すべし。法処、仏に白して言さく。世尊、我、威力能く摂受するに堪うることなし。唯願わくは如来、余の仏土の清浄荘厳を説きたまえ。 我等聞き已りて誓いてまさに円満すべし。その時世尊、それが為に広く二十一億の清浄仏土の具足荘厳を説きたまえり。この法を説きたまう時、億歳を経たり。

阿難。法処比丘は彼において二十一億の諸仏土の中の所有の厳浄の事、悉くみな摂受せり。 既に摂受し已りて、五劫を満足し、思惟し修習せり。 阿難、仏に白して言さく。世尊、彼の世間自在王如来の寿量は幾何ぞや。 世尊告げて曰く。彼の仏の寿量は満四十劫なり。 阿難。彼の二十一倶胝の仏刹に、法処比丘の摂する所の仏国は彼に超過せり。 既に摂受し已りて、世間自在王如来の所に往詣し、双足を頂礼して右に繞ること七匝し、却きて一面に住して世尊に白して言さく。 我已に功徳を具足せる厳浄の仏土を摂受せり。 仏言く。今正に是時なり。汝まさに具に説きて衆をして歓喜せしむべし。また大衆をしてみなまさに摂受して仏土を円満せしむべし。

法処白して言さく。唯願わくは世尊。大慈もって聴を留めたまえ。我今まさに殊勝の願を説かんと。


(1) もし我、無上菩提を証得せんに、国中に地獄・餓鬼・畜生の趣あらば、我、終に無上正覚を取らじ。

(2) もし我、成仏せんに、国中衆生、三悪趣に墮することあらば、我、終に正覚を取らじ。

(3) もし我、成仏せんに、国中有情、もしみな同じく真金色ならざれば、正覚を取らじ。

(4) もし我、成仏せんに、国中有情、形貌差別し、好醜あらば、正覚を取らじ。

(5) もし我、成仏せんに、国中有情、宿念を得ず、下、億那由他百千劫の事を知らざるに至らば、正覚を取らじ。

(6) もし我、成仏せんに、国中有情、もし天眼なく、乃し億那由他百千仏の国土を見ざるに至らば、正覚を取らじ。

(7) もし我、成仏せんに、国中有情、天耳を獲ず、乃し億那由他百千踰繕那の外の仏の説法を聞かざるに至たらば、正覚を取らじ。

(8) もし我、成仏せんに、国中有情、他心智なく、乃し億那由他百千仏の国土の中の有情の心行を知らざるに至らば、正覚を取らじ。

(9) もし我、成仏せんに、国中有情、神通・自在波羅蜜多を獲ず、一念の頃において億那由他百千の仏刹を超過すること能わざれば、正覚を取らじ。

(10) もし我、成仏せんに、国中有情、少分も我我所の想を起こせば、菩提を取らじ。

証巻引文(3)

(11) もし我、成仏せんに、国中有情、もし決定して等正覚を成り、大涅槃を証せざれば、菩提を取らじ。

(12) もし我、成仏せんに、光明限りありて、下、億那由他百千の算数の及ぶ仏刹を照らさざるに至らば、菩提を取らじ。

(13) もし我、成仏せんに、寿量限りありて、乃し倶胝那由他百千の算数の及ぶ劫に至らば、菩提を取らじ。

(14) もし我、成仏せんに、国中の声聞、その数を知る者あることなからん。たとい三千大千世界の中に満てらん有情及び諸の縁覚、百千歳において、その智を尽くして算うとも、また知ること能わざらん。もし知る者あらば、正覚を取らじ。

(15) もし我、成仏せんに、国中有情、寿量に限斉あらば、菩提を取らじ。唯、願力もってしかも生を受くる者を除く。

(16) もし我、成仏せんに、国中衆生、もし不善の名あらば、正覚を取らじ。

(17) もし我、成仏せんに、彼の無量刹の中の無数の諸仏、共に我国を諮嗟し称歎せざれば、正覚を取らじ。

信巻引文(3)

(18) もし我、無上覚を証得せん時、余の仏刹の中の諸の有情の類、我が名を聞き、已所有の善根、心心に廻向せしむ。我が国に生まれんと願じて、乃至十念せん。もし生まれずば、菩提を取らじ。唯、無間悪業を造り、正法及び諸の聖人を誹謗せんを除く。

(19) もし我、成仏せんに、他の刹土において諸の衆生ありて、菩提心を発し、及び我において起こす所の清浄念、また善根を以て廻向して極楽に生まれんと願ぜん。彼の人、命終の時に臨みて、我、諸の比丘衆とその人の前に現ぜん。もししからずば、正覚を取らじ。

化巻引文(42)

(20) もし我、成仏せんに、無量の国中の所有衆生、我が名を説くを聞きて、以て己が善根として極楽に廻向せん。もし生まれずば、菩提を取らじ。

(21) もし我、成仏せんに、国中の菩薩、みな三十二相を成就せずば、菩提を取らじ。

(22) もし我、成仏せんに、彼の国の中において、所有菩薩、大菩提において、ことごとく位階一生補処ならん。ただ大願ある諸の菩薩等、諸の衆生の為に精進の甲を被り、勤めて利益を行じ大涅槃を修して、遍く諸仏の国にして菩薩の行を行じ、一切の諸仏如来を供養して、洹沙衆生を安立し、無上覚に住し、修する所の諸行、また前に勝れて、普賢の道を行じ、しかも出離を得しめんを除く。もししからずば、菩提を取らじ。

(23) もし我、成仏せんに、国中の菩薩、毎に晨朝において、他方乃至無量億那由他百千の諸仏を供養せんに、仏の威力を以て即ち食前を以て本国に還り到らん。もししからずば、菩提を取らじ。

(24) もし我、成仏せんに、彼の刹中において、諸菩薩衆の須うる所の種種の供具、諸仏において殖うる所の諸の善根、是の如きの色類、円満せずば、菩提を取らじ。

(25) もし我、まさに成仏せん時、国中の菩薩、諸の法要を説きて、善く一切智に順入せずば、菩提を取らじ。

(26) もし我、成仏せんに、彼の国に生まるる所の諸の菩薩等、もし那羅延堅固の力なくば、正覚を取らじ。

(27) もし我、成仏せんに、国中に周遍する諸の荘厳の具、衆生能く総じて演説することあることなからん。乃至、天眼ある者も、所有雑類形色の光相を了知すること能わざらん。もし能く知り及び総じて宣説することあらば、菩提を取らじ。

(28) もし我、成仏せんに、国中に具に無量色の樹ありて、高さ百千由旬ならん。諸の菩薩の中に善根劣れる者ありて、もし了知すること能わざれば、正覚を取らじ。

(29) もし我、成仏せんに、国中の衆生、経典を読誦し教授敷演せん。もし勝弁才を獲得せざれば、菩提を取らじ。

(30) もし我、成仏せんに、国中の菩薩、無辺の弁才を成就せざれば、菩提を取らじ。 (31) もし我、成仏せんに、国土の光浄、遍く与に等しきものなく、徹照すること無量無数不可思議にして、諸仏世界、明鏡の中にその面像を現ずるが如くならん。もししからずば、菩提を取らじ。

(32) もし我、成仏せんに、国界の内地及び虚空に無量種の香あらん。また百千億那由他の数衆の宝香鑪ありて、香気普く熏じ虚空界に遍じて、その香殊勝にして人天に超過し、如来及び菩薩衆に珍奉せられん。もししからずば、菩提を取らじ。

信巻引文(86)

(33) もし我、成仏せんに、周遍十方無量無数不可思議の無等界の衆生の輩、仏の威光を蒙りて照触せられん者、身心安楽にして人・天に超過せん。もししからずば、正覚を取らじ。

(34) もし我、成仏せんに、無量不可思議の無等界の諸仏刹の中の菩薩の輩、我が名を聞き已りて、もし離生を証得し、陀羅尼を獲ざれば、正覚を取らじ。

(35) もし我、成仏せんに、周遍無数不可思議の等量あることなき諸仏国中の所有女人、我が名を聞き已りて清浄の信を得、菩提心を発して女身を厭患せん。もし来世において女人の身を捨ざれば、菩提を取らじ。

(36) もし我、成仏せんに、無量無数不可思議の無等の仏刹の菩薩の衆、我が名を聞き已りて離生の法を得ん。もし殊勝の梵行を修行し、乃至、大菩提に到らずば、正覚を取らじ。

(37) もし我、成仏せんに、周遍十方の等量あることなき諸仏刹の中の所有菩薩、我が名を聞き已りて五体を地に投げ、清浄の心を以て菩薩の行を修せん。もし諸天人、礼敬せずば、正覚を取らじ。

(38) もし我、成仏せんに、国中の衆生、須うる所の衣服、念に随いて即ち至り、仏の善来比丘[1]と命じたまう如くにして、法服、自然に体に在らん。もししからずば、菩提を取らじ。

(39) もし我、成仏せんに、諸の衆生の類、纔(わず)かに我国の中に生まれんに、もしみな資具を獲て心浄く安楽なること、漏尽を得たる諸の比丘の如くならざれば、菩提を取らじ

(40) もし我、成仏せんに、国中の群生、心に随い、諸仏の浄国殊勝の荘厳を見んと欲わんに、宝樹の間において悉くみな出現すること、猶し明鏡にその面像を見るが如くならん。もししからずば、菩提を取らじ

(41) もし我、成仏せんに、余の仏刹の中の所有衆生、我が名を聞き已りて、乃至菩提まで、諸根欠くることありて、徳用広きに非ずば、菩提を取らじ

(42) もし我、成仏せんに、余の仏刹の中の所有菩薩、我が名を聞き已りて、もしみな善く勝三摩地の名字語言を分別せず、菩薩彼の三摩地の中に住して、一刹那の言説の頃において、無量無数不可思議の無等の諸仏を供養すること能わず、また現に六三摩地を証せずば、正覚を取らじ

(43) もし我、成仏せんに、余の仏土の中に諸の菩薩ありて、我が名を聞き已りて、寿終の後、豪貴の家に生まるることを得ずば、正覚を取らじ

(44) もし我、成仏せんに、余の仏刹の中の所有菩薩、我が名を聞き已りて、もし時に応じて菩薩の行を修し、清浄歓喜して平等住を得、諸の善根を具せざれば、正覚を取らじ

(45) もし我、成仏せんに、他方の菩薩、我が名を聞き已りて、みな平等三摩地門を得、この定中に住して常に無量無等の諸仏を供し、乃至菩提まで終に退転せず。もししからずば、正覚を取らじ

(46) もし我、成仏せんに、国中の菩薩、その志願に随いて、聞かんと欲する所の法、自然に聞くことを得ん。もししからずば、正覚を取らじ

(47) もし我、無上菩提を証得せんに、余の仏刹の中の所有菩薩、我が名を聞き已りて、阿耨多羅三藐三菩提において退転あらば、正覚を取らじ

(48) もし我、成仏せんに、余の仏国の中の所有菩薩、もし我が名を聞き、時に応じて一二三忍を獲ず、諸仏の法において現に不退転を証すること能わずば、菩提を取らじ。


その時、仏、阿難に告げたまわく。彼の法処比丘、世間自在王如来の前において、この願を発し已り、仏の威神を承けて、しかも頌を説きて曰わく。

行巻引文(7)
今、如来に対して弘誓を発せり まさに無上菩提を証すべき日
もし諸の上願を満足せずば 十力無等尊を取らじ
心或いは常に施を行じ 広く貧窮を済いて諸の苦を免れしめ
世間を利益して安楽ならしむるに堪えずば▽[2] 救世の法王と成らじ
我、菩提を証して道場に坐し 名聞こえて十方界の
無量無辺の異の仏刹に遍ぜずば 十力世中の尊を取らじ。
まさに無上大菩提に趣き 出家するも欲境を求めん為に
彼において念慧の行あることなくば 調御天人師と作らじ
願わくは如来の無量光を獲て 普く十方諸仏の土を照らし
能く一切の貪恚痴を滅し また世間の諸の悪趣を断ぜん
願わくは浄慧眼を光開することを得て 諸有の中において冥暗を破し
諸の難を除滅して余なからしめ 天人大威者に安処せん
本行を修習すること已に清浄にして 無量の勝威光を獲得し
日月・諸天・摩尼の火 所有光暉みな映蔽せん
最勝丈夫修行し已りて 彼の貧窮において伏蔵と為らん
善法を円満して等倫なけん 大衆の中にして師子吼せん
往昔、自然智を供養し 多劫に諸の苦行を勤修し
最勝の諸の慧蘊を求めんが為に 本願を満足して天人の尊たらん
如来の知見碍うる所なく 一切の有為みな能く了せん
願わくは我まさに無与等を成じて 最勝智者の真の導師とならん
我もしまさに大菩提を証せば 斯の如きの弘誓、実に円満すべし
願わくは三千大千界を動かし 天衆をして空中にみな花を雨ふらさしめん
この時大地咸く震動し 天花鼓楽、虚空に満ちて
并びに栴檀細末香を雨ふらしめ 唱えて言わん未来にまさに作仏すべし
信巻引文(23)

仏、阿難に告げたまわく。彼の法処比丘、世間自在王如来、及び諸の天人・魔・梵・沙門・婆羅門等の前において、広く是の如きの大弘誓願を発しき。みな已に成就したまえり。世間に希有にして、この願を発し已に実の如く安住す。種種の功徳具足して、威徳広大清浄の仏土を荘厳せり。是の如きの菩薩行を修習せること、時、無量無数不可思議。無有等等億那由他百千劫を経たり。
内に初めて未だ曾て貪・瞋及び痴、欲・害・恚の想を起こさず。色声香味触の想を起こさず。諸の衆生において常に愛敬を楽うこと、猶し親属の如し。▽ その性、温和にして同処すべきこと易く、来たり求むる者あらばその意に逆わず。善言勧諭して心に従わずということなし。資養の須うる所、趣かに身命を支え、少欲知足にして常に虚閑を楽み、禀識聡明にして、しかも矯妄なることなく、その性、調順にして暴悪あることなし。諸の有情において常に慈忍の心を懐き、詐諂せず、また懈怠なし。善言策進して諸の白法を求めしめ、普く群生の為に勇猛にして退くことなく、世間を利益せしめ大願円満したまえり。

師長に奉事し仏法僧を敬い、菩薩の行において常に甲胄を被り、志楽寂静にして諸の染著を離れ、為に衆生をして常に白法を修せしめ、善法の中において、しかも上首たり。空・無相・無願・無作・無生・不起・不滅に住して、憍慢あることなし。しかも彼の正士、菩薩の道を行せし時、常に語言を護りて語言を以て他及び己を害せず。常に語業を以て己及び人を利す。もしは王城及び諸の村落に入りて、諸色を見るといえども心に染する所なく、清浄の心を以て愛せず恚らず。

菩薩、その時、檀波羅蜜において自行を起こし已りて、また能く他をして恵施を行ぜしめ、尸波羅蜜、乃至、般若波羅蜜において、前の二行を起こし、みな悉く円満す。是の如きの諸の善根を成ずるに由るが故に、所生の処、無量億那由他百千伏蔵ありて自然に涌出し、また無量無数不可思議無等無辺の諸の衆生の類をして阿耨多羅三藐三菩提に安住せしむ。

是の如く無辺の諸の菩薩衆、諸の妙行を起こして、諸の世尊に供養し奉事したてまつりて、乃至成仏まで、みな語言の分別する所を以て能く知るべからず。或いは輪王・帝釈・蘇焔摩天・兜率陀天・善化天・他化自在天・大梵天王と作りて、みな能く諸仏を奉事し供養したてまつり、及び能く仏を請して法輪を転ぜしめ、もし閻浮提王及び諸の長者・宰官・婆羅門・刹帝利等と作りて、諸の種姓の中にしてみな能く諸仏を尊重し供養したてまつる。また能く無量の法門を演説して、此より永く世間を棄てて無上覚を成ず。然して彼の菩薩は能く上妙の衣服・臥具・飲食・医薬を以て、形を尽くすまで一切如来を供養して安楽に住することを得たり。

是の如きの種種円満の善根は、語言を以て能く辺際を尽くすにあらず。口中より常に旃檀の妙香を出だし、その香普く無量無数乃至億那由他百千世界に熏ず。また一切の毛孔より人天の優鉢羅花に過ぎたる上妙の香気を出だす。所生の処に随いて相好端厳にして殊勝に円満す。また諸の資具自在 波羅蜜多を得。一切の服用周遍して乏しきことなし。所謂、諸の宝香花・幢幡・繪蓋・上妙の衣服・飲食・湯薬、及び諸の伏蔵、珍玩し須うる所、みな菩薩の掌の中より自然に流出し、身の諸の毛孔より一切の人天の音楽を流出す。この因縁に由りて能く無量無数不可思議の諸の衆生をして、等しく阿耨多羅三藐三菩提に安住せしむ。阿難、我今已に法処菩薩の本修行したまう所を説けり。

その時、阿難、仏に白して言さく。世尊。彼の法処菩薩の菩提を成ずるは、過去と為るや、未来と為るや、今現に他方世界に在ると為るや。仏、阿難に告げたまわく。西方、ここを去ること十万億の仏刹にして、彼に世界あり、名づけて極楽と曰う。法処比丘、彼に在りて成仏し、無量寿と号す。今現に在して説法したまう。無量の菩薩及び声聞衆、恭敬し囲繞せり。阿難。彼の仏の光明は普く仏刹を照らすこと、無量無数不可思議なり。我、今略して説かん。光、東方を照らすこと恒河沙等の国土の如し。南西北方四維上下もまたまた是の如し。ただ諸仏の本願威神の加うる所、悉くみな照燭するを除く。この諸仏の光は、或いは一尋を加うる者あり、或いは一由旬乃至億那由他百千由旬の光を加うる者あり、或いは普く仏刹を照らす者あり。

真巻引文(5)

阿難。この義を以ての故に無量寿仏にまた異名まします。謂く無量光・無辺光・無著光・無礙光・光照王・端厳光・愛光・喜光・可観光・不思議光・無等光・不可称量光・映蔽日光・映蔽月光・掩奪日月光なり。彼の光明は清浄広大にして、普く衆生をして身心悦楽せしむ。また一切の余の仏刹の中の天・龍・夜叉・阿修羅等をして、みな歓悦を得しむ。 阿難。我、今、彼の仏の光明を開示せんに一劫を満足して説くとも尽くすこと能わじ。

また次に阿難。彼の無量寿如来の諸の声聞衆は称量してその辺際を知るべからず。たとい比丘をして億那由他百千の数量を満てて、みな大目揵連の如く神通自在ならしめ、晨朝の時において大千世界を周歴し、須臾の頃に本処に還り至らんに、彼、億那由他百千歳の数を経て、共に無量寿仏初会の中の諸声聞衆を計算せんと欲し、その神力を尽くし、乃し滅度に至らんに、百分が中においてその一をも知らず。千分・百千分乃至鄔波尼殺曇分の中においても、またその一をも知らず。

阿難。譬えば大海の如し。深きこと八万四千由旬にして目を以て極め観るも辺際を知らず。丈夫ありて一毛の端を析〈さ〉きて五十分と為し、その一分を以て大海の中において一滴を霑取せんがごとし。阿難。彼の水の滴を大海に比せんに、何れをか多と為す。阿難白して言さく。たとい千由旬の水を取るとも、なお以て少と為し、況んや毛端の一分を以て、しかもこれに方〈たくら〉ぶべけんや。仏、阿難に告げたまわく。たとい比丘をして億那由他百千の数量を満てて、みな大目揵連の如くならしめ、百千億那由他歳を経て、みな共に彼の無量寿如来の初会の声聞を算数せんに、知る所の数量は彼の毛端一滴の水の如く、余の測らざる者は、なお大海の如し。諸の菩薩摩訶薩衆もまたまた是の如し。算計を以て能く知る所にあらず。

阿難。彼の仏の寿命は無量無辺にして、その劫数の多少を知るべからず。声聞・菩薩及び諸の天人の寿量のまた爾なり。阿難、仏に白して言さく。世尊。彼の仏、世に出でたまいてより今に幾時ぞや。能く是の如きの無量の寿命を得たまえる。仏、阿難に告げたまいき。彼の仏の受生は今に十劫を経たり。

また次に阿難。彼に極楽界は無量の功徳具足荘厳して、国土豊稔に天人熾盛なり。志意和適にして常に安隠を得たり。地獄・畜生及び琰魔王界あることなし。

種種の香ありて周遍芬馥し、種種の妙花またみな充満せり。七宝の幢ありて周布行列し、その宝幢の上に諸の幡蓋及び衆の宝鈴を懸け、百千の諸の妙なる雑色を具足せり。

阿難。彼の如来の国には諸の宝樹多し。或は純黄金・白銀・琉璃・頗梨・赤珠・馬瑙・玉の樹あり。ただ一宝をもって成り余宝を雑えざるあり。或は二宝乃至七宝を以て荘厳するあり。阿難。彼の金を樹と為る者は、金を以て根茎と為し、白銀を葉および花果と為す。白銀の樹は銀を根茎と為し、黄金を葉および花果と為す。馬瑙の樹は馬瑙を根茎と為し、美玉を葉および花果と為す。美玉の樹は、玉を根茎と為し、七宝を葉及び諸の花果と為す。或は金樹あり、黄金を根と為し、白銀を茎と為し、琉璃を枝と為し、頗梨を条と為し、赤珠を葉と為あい、馬瑙を花と為し、美玉を果と為す。或は銀樹あり、銀を以て根と為し、黄金を茎と為し、余の枝果等の飾も金樹に同じ。琉璃樹には琉璃を根と為し、黄金を茎と為し、白銀を枝と為し、頗梨を条と為し、赤珠を葉と為し、馬瑙を花と為し、美玉を果と為す。頗梨・真珠・馬瑙等の樹も、諸宝もって転た飾れること、みな琉璃のごとし。また玉樹あり、玉をその根と為し、黄金を茎と為し、白銀を枝と為し、琉璃を条と為し、頗梨を葉と為し、赤珠を花と為し、馬瑙を果と為す。また無量の摩尼珠等の宝荘厳の樹あり、その国を周遍す。この諸の宝樹は光輝赫奕として、世に能く比ぶものなし。七宝の羅網を以て、而もその上を覆えり。その網、柔軟にして兜羅綿の如し。

また次に阿難。無量寿仏に菩提樹あり。高さ十六億由旬にして、枝葉垂布すること八億由旬なり。樹の本、隆起して高さ五千由旬なり。周円もまた爾なり。その条・葉・花・果には常に無量百千の種種の妙色、及び諸の珍宝殊勝の荘厳あり。謂く月光摩尼宝・釈迦毘楞伽宝・心王摩尼宝・海乗流注摩尼宝なり。光輝遍照して人天に超過せり。その樹の上において諸の金鎖あり。宝の瓔珞を垂れて周遍荘厳す。謂く盧遮迦宝・末瑳宝・及び赤・白・青色の真珠等の宝を以て瓔珞と為す。師子雲聚宝等あり、以てその鎖と為して諸の宝柱を飾れり。また純金・真珠・雑宝の鈴鐸を以て、以てその網と為し、宝鎖を荘厳してその上に彌覆せり。頗梨・万字・半月の宝等を以て互相に映飾す。微風吹き動かせば種種の声を出だして、千世界の諸の衆生等をして楽に随いて差別せしめ、甚深の法において無生忍を証せしむ。阿難。彼の千世界の諸の有情等、この音を聞き已りて不退転無上菩提に住し、及び無量無数の有情、無生法忍を得。

また次に阿難。もし衆生ありて、菩提樹を見、声を聞き、香を嗅ぎ、その果の味を嘗め、その光影に触れて、樹の功徳を念ぜば、この因縁に由りて乃し涅槃に至るまで、五根、患なく、心、散乱無くして、みな阿耨多羅三藐三菩提において退転せざることを得。また彼の菩提樹を見るに由るが故に三種の忍を獲。何等をか三と為る。一には随声忍、二には随順忍、三には無生法忍なり。これみな無量寿仏の本願の威神見の加うる所、及び往に静慮を修すること、比喩なきが故に、欠減なきが故に、善く修習するが故に、善く摂受するが故に、善く成就するが故なり。

大宝積経巻第十七


無量寿如来会 下

大宝積経巻 第十八

大唐 三蔵菩提流志 奉詔訳

無量寿会 第五之二

また次に阿難。彼の極楽界には諸の黒山・鉄囲山・大鉄囲山・妙高山等なし。阿難、仏に白して言さく。世尊。その四天王天・三十三天、既に諸山なくば、何に依りてか而も住する。仏、阿難に告げたまわく。汝が意において云何。妙高已上に夜摩天、乃至、他化自在天、及び色界の諸天等あり。何に依りてか而も住する。阿難、仏に白して言さく。世尊。不可思議業力の致す所なり。仏、阿難に語りたまわく。不思議業、汝知るべしや。答えて言わく、不なり。仏、阿難に告げたまわく。諸仏及び衆生の善根の業力、汝知るべきや。答えて言わく、不なり。世尊。我今、この法の中において実に惑う所なし。未来の疑網を破せんが為の故にこの問を発せり。

仏、阿難に告げたまわく。彼の極楽界は、その地、海なくして而も諸河あり。河の狭きものも十由旬に満つ。水の浅きものも十二由旬なり。是の如きの諸の河の深広の量は、或は二十・三十、乃至、百数なり。或は極めて深広なるものあり、千由旬に至る。その水清冷にして八功徳を具せり。濬流恒に激しく微妙の音を出だす。譬えば諸天の百千の伎楽のごとし。安楽世界にその声普く聞こゆ。諸の名花あり、流に沿いて下る。和風、微に動けば種種の香を出だす。両岸の辺に多くの栴檀樹居〈あ〉り。修条・密葉、河に交り覆い、実を結び花を開きて芳輝、玩ぶべし。群生遊楽し意に随いて往来す。或は河を渉り流に濯ぎ嬉戯するものあり。諸天を感ずるに、水、善く物の宜しきに順い、深浅・寒温、曲〈つぶさ〉に人の好みに従う。阿難。大河の下の地には金砂を布けり。諸の天香ありて世に能く喩うるものなし。風に随いて馥(かおり)を散じ、水に雑りて馚を流す。天の曼陀羅花・優鉢羅花・波頭摩花・拘物頭華・芬陀利花、その上に彌覆せり。

また次に阿難。彼の国の人衆、或る時は遊覽して同じく河浜に萃〈あつま〉り、激流の響を聞くことを願わざるものあれば、天耳を獲るといえども、終竟に聞かず。或いは聞くことを願うものあれば、即時に百千万種の喜愛の声を領悟す。いわゆる仏法僧の声・止息の声・無性の声・波羅蜜の声・十力四無所畏の声・神通の声・無作の声・無生無滅の声・寂静の声・辺寂静の声・極寂静の声・大慈大悲の声・無生法忍の声・潅頂受位の声、是の如きの種種の声を聞うることを得已りて、広大の愛楽歓悦を獲得し、而も観察と相応し、厭離と相応し、滅壊と相応し、寂静と相応し、辺寂静と相応し、極寂静と相応し、義味と相応し、仏法僧と相応し、力無畏と相応し、神通と相応し、止息と相応し、菩提と相応し、声聞と相応し、涅槃と相応す。

また次に阿難。彼の極楽世界には諸の悪趣の名を聞かず。辺りに障碍煩悩覆蔽の名なく、地獄・琰摩・畜生の名あることなし。辺りに八難の名なく、また苦受・不苦不楽受の名なし。なお仮設なし。何に況んや実苦をや。この故に彼の国を名づけて極楽と為す。阿難。我、今略して極楽の因縁を説かん。もし広く説かば劫を窮むとも尽きず。

また次に阿難。彼の極楽世界の所有の衆生は或は已に生じ、或は現に生じ、或は当に生ぜんもの、みな是の如きの諸の妙色身、形貌端正にして神通自在の福力を得て、種種の宮殿・園林・衣服・飲食・香華・瓔珞を具足し受用して、意の須うる所に随いて悉くみな念の如し。譬えば他化自在の諸天の如し。

 また次に阿難。彼の仏国の中に微細の食あり。諸の有情の類、嘗て噉〈くら〉う者なし。第六天の如く思念する所に随う。是の如き飲食は即ち同じく食し已れば、色力増長して便穢なし。また無量の如意妙香・塗香・末香ありて、その香普く彼の仏国界に熏ず。及び散花・幢幡、またみな遍満せり。それ香を聞かんと欲すれば、願に随いて即ち聞き、或は楽わざる者は終に受くる所なし。また無量の上妙の衣服・宝冠・環釧・耳璫・瓔珞・花鬘・帯鎖あり、諸の宝もって荘厳せり。無量の光明、百千の妙色、悉くみな具足して自然に身に在り。また金銀・真珠・妙宝の網あり。諸の宝鈴を懸けて周遍厳飾せり。もし諸の有情の須うる所の宮殿・樓閣等は、楽欲する所に随いて高下・長短・広狭・方円なり。及び諸の床座は妙衣を上に敷き、種種の宝を以てこれを厳飾せり。衆生の前において自然に出現す。人みな自らおのおのその宮に処すと謂えり。

また次に阿難。極楽国土の所有の衆生には差別の相なく、余方の俗に順じて天人の名あり。

阿難。譬えば下賤半挓迦人の如し。輪王に対すれば則ち諭〈たと〉うべきなし。威光・徳望、悉く皆あることなし。また帝釈の如し、第六天に方〈くら〉ぶるに、威光等の類みな及ばざる所なり。園苑・宮殿・衣服・雑飾・尊貴・自在・階位・神通および変化、比を為すべからず。ただ法楽を受くることは則ち差別なし。阿難まさに知るべし。彼の国の有情は猶し他化自在天王の如し。

阿難。彼の極楽界には、晨朝の時において四方に周遍す。和風微に動くに、逆わず乱れず、諸の雑花、種種の香気を吹く。その香普く熏じて国界に周遍せり。一切の有情は風の身に触るるが為に安和調適なること、猶し比丘の滅尽定を得るが如し。その風、七宝の樹林を吹き動かせば、華、飄〈ひるがえ〉りて聚を成す。高さ七人の量なり。種種の色光、仏土を照曜すること、譬えば人ありて花を以て地に布き手もって按じて平ならしめ、雑色の花に随いて間錯分布するが如し。彼の諸の花聚もまたまた是の如し。その花、微妙広大にして柔軟なること兜羅綿の如し。もし諸の有情、足もって彼の花を蹈めば没〈くぼ〉むこと深四指、その足を挙ぐるに随いて還復すること初の如し。晨朝を過ぎ已りて、その花自然に地に没入す。旧花既に没して大地清浄なれば、更に新花を雨ふらして還復周遍す。是の如く中時・晡時・初・中・後夜に花を飄し聚を成ずること、またまた是の如し。

阿難。一切広大の珍奇の宝、極楽界に生せざる者あることなし。阿難、彼の仏国の中に七宝の蓮花あり。一一の蓮花に無量百千億の葉あり。その葉に無量百千の珍奇の異色あり。百千の摩尼妙宝を以て荘厳し、覆うに宝網を以てし、転たあい映飾せり。阿難、彼の蓮花の量は、或は半由旬、或は一・二・三・四、乃至、百千由旬の者あり。この一一の花より三十六億那由他百千の光明を出だし、一一の光の中より三十六億那由他百千の諸仏を出だせり。身、金色の如く、三十二大丈夫の相・八十随好の殊勝の荘厳を具して、百千の光を放ちて普く世界を照らせり。是の諸仏等、現に東方に往いて衆の為に説法したまうは、みな無量の有情を仏法の中に安立せんが為なり。南西北方・四維・上下もまたまた是の如し。

また次に阿難。極楽世界には昏闇あることなく、また火光なし。涌泉・陂湖、彼みな有るにあらず。また住著する家室・林苑の名、及び表示の像、幼童の色類なく、また日月・昼夜の像なし。一切の処において標式既になく、また名号なし。ただ如来の威を加えたまう所の者を除く。

証巻引文(6)

阿難。彼の国の衆生、もし当に生まれん者、みな悉く無上菩提を究竟し、涅槃処に到らん。何を以ての故に。もし邪定聚及び不定聚は彼の因を建立せることを了知すること能わざるが故なり。

信巻引文(5)(30)(41)(62)

阿難。東方に恒沙の如き界あり。一一の界中に恒沙の如き仏あり。彼の諸仏等、おのおの阿弥陀仏の無量の功徳を称歎したまえり。南西北方・四維・上下の諸仏の称讃も、またまた是の如し。何を以ての故に。 他方の仏国の所有衆生、無量寿如来の名号を聞きて、乃至、能く一念の浄信[3]を発して歓喜愛楽し、所有の善根を廻向して、無量寿国に生ぜんと願ずる者は、願に随いてみな生じて、不退転、乃至、無上正等菩提を得ん。五無間・誹毀正法、及び謗聖者を除く。[4]

阿難。もし衆生ありて、他の仏刹において菩提心を発し、専ら無量寿仏を念じ、及び恒に衆多の善根を種殖して、発心廻向して彼の国に生ぜんと願ずれば、この人、命終の時に臨みて、無量寿仏、比丘衆とともに前後に囲繞してその人の前に現ず。即ち如来に随いて彼の国に往生し不退転を得て、まさに無上正等菩提を証すべし。

この故に阿難。もし善男子善女人ありて、極楽世界に生れんと願じて、無量寿仏を見たてまつらんと欲する者は、まさに無上菩提の心を発すべし。またまさに専ら極楽国土を念じ、善根を積集じ、まさに廻向を持すべし。これに由りて仏を見たてまつり彼の国の中に生じて、不退転、乃至、無上菩提を得ん。

阿難。もし他国の衆生、菩提心を発して、無量寿仏を専念せず、また恒に衆多の善根を種ゆるにあらずといえども、己が修行の諸善の功徳に随いて、彼の仏に廻向して願じて往生せんと欲すれば、この人、命終の時に臨みて、無量寿仏、即ち化身と比丘衆を遣して、前後に囲繞せしめたまう。その所化の仏の光明と相好は真と異なることなし。その人の前に現じて摂受し導引して、即ち化仏に随いてその国に往生し、不退転無上菩提を得ん。

阿難。もし衆生ありて大乗に住する者は、清浄心を以て無量寿如来に向かいて、乃至十念し、無量寿仏を念じて、その国に生れんと願じ、甚深の法を聞きて即ち信解を生ず。心に疑惑なく、乃至、一念の浄心を獲得し、一念の心を発して無量寿仏を念ずれば、この人、命終の時に臨みて、夢の中に在るが如く無量寿仏を見たてまつりて、定んで彼の国に生まれ不退転無上菩提を得ん。

行巻引文(8)

阿難。この義利を以ての故に、無量無数不可思議無有等等無辺世界の諸仏如来、皆共に無量寿仏の所有の功徳を称讃したまう。

仏、阿難に告げたまわく、東方に恒河沙の如くなる界あり。一一の界の中に恒沙の如くなる菩薩ありて、無量寿仏及び諸の聖衆を瞻礼し供養せんと欲せん為に、仏の所に来詣す。南西北方四維上下もまたかくの如し。その時、世尊、而も頌を説きて曰わく。

東方諸仏の刹は 数、恒河沙の如し
かくの如きの仏土の中の 恒沙の菩薩衆は
皆、神通を現じて来りて 無量寿仏を礼したてまつる
三方の諸の聖衆も 礼覲してまた同じく帰したてまつる
彼の沙界の中において 道光、諸の弁論
深禅定の楽 四無所畏の心に住し
おのおの衆の妙花 名香の、みな悦ぶべきを齎(もたら)し
并に諸の天楽 百千和雅の音を奏して
以て天人師の 名、十方に聞ゆる者に献じたてまつる
威神力を究竟して 善く諸の法門を学し
種種に供養する中に 勤修して懈倦なく
功徳智慧の景(かげ) 能く諸の幽冥を破す
咸く尊重の心を以て 諸の珍妙の供を奉り
彼の殊勝の刹の 菩薩衆の無辺なるを観じて
速に菩提を成じて 浄界、安楽の如くならんと願ず
世尊、欲楽の 広大不思議なるを知りて
微笑を金容に現わし 成ぜんこと所願の如くならんと告げたまう
諸法は幻の如く 仏国は夢響の猶しと了るも
恒に誓を発して荘厳して まさに微妙の土を成ずべし
菩薩、願力を以て 勝菩提の行を修し
土は影像の如しと知るも 諸の弘誓の心を発す
もし遍清浄 殊勝無辺の刹を求めば
信巻引文(62)
仏の聖徳の名を聞き 安楽国に生ぜんと願ぜよ
もし諸の菩薩ありて 清浄の土を志求せば
法無我を了知して 安楽国に生ぜんと願ぜよ

また次に阿難。極楽世界の所有菩薩、無上菩提において皆悉く一生補処に安住す。ただ大願ありて能く師子吼し大甲胄を擐〈き〉たる摩訶薩衆の群生を度せんがために大涅槃を修する者を除く。

また次に阿難。彼の仏刹の中の諸の声聞衆は、みな身光ありて能く一尋を照らす。菩薩の光照は百千尋を極む。二菩薩の光明の常に三千大千世界を照らすを除く。阿難、仏に白して言さく。世尊。彼の二菩薩の名を何等と為す。仏、阿難に告げたまわく。汝、今諦かに聴け。彼の二菩薩は、一を観自在と名づけ、二を大勢至と名づく。阿難。この二菩薩は娑婆世界より寿量を捨て已わりて彼の国に往生せり。

阿難。彼の極楽界に生ずる所の菩薩は、みな三十二相を具せり。膚体柔軟にして諸根聡利なり。智慧善巧にして、差別の法において了知せずということなし。禅定・神通ありて善能く遊戯す。みな薄徳鈍根の流にあらず。彼の菩薩の中に初忍或いは第二忍を得ることある者は無量無辺なり。或いは無生法忍を証得するものあり。阿難。彼の国の菩薩は、乃至菩提まで悪趣に墮せず。生生の処に能く宿命を了る。ただ五濁刹の中に世に出現するを除く。

阿難。彼の国の菩薩はみな晨朝において他方無量百千の諸仏を供養す。希求する所に随いて種種の花鬘・塗香・末香・幢幡・繪蓋、及び諸の音楽、仏の神力をもってみな手中に現じて諸仏を供養す。かくの如きの供具は広大にして甚だ多し。無数無辺不可思議なり。もしまた種種の名花を求めんと楽えば、花には無量百千の光色ありて、みな手中に現じて諸仏に奉散す。

阿難。その散ずる所の花は、即ち空中において変じて花蓋と成る。蓋の小なるものは十由旬に満つ。もし更に新花を以て重ねて散ぜざれば、前の散ずる所の花、終に墮落せず。阿難。或いは花蓋ありて二十由旬に満つ。かくの如く三十・四十、乃至千由旬、或いは四洲に等しく、或いは小千・中千、乃至三千大千世界に遍ず。

この諸の菩薩、希有の心を生じて大喜愛を得。晨朝の時において、無量百千億那由他の仏を奉事し供養し尊重し讃歎し、及び諸の善根を種え已りて、即ち晨朝において本国に還り到る。これみな無量寿仏の本願の加威に由れり。及し曾て如来を供し、善根相続して欠減なきが故に、善く修習するが故に、善く摂取するが故に、善く成就するが故なり。

また次に阿難。彼の極楽界の諸の菩薩衆の説く所の語言は一切智と相応して、受用する所において、みな摂取することなし。遍く仏刹に遊びて、愛することなく厭うことなく、また希求・不希求の想なく、自想なく、煩悩想なく、我想なく、闘諍相・違怨瞋の想なし。何を以ての故に。彼の諸の菩薩は一切衆生において、大慈悲利益の心あるが故に、柔軟無障礙の心・不濁の心、無忿恨の心ありて、平等調伏寂静の心・忍心・忍調伏心あり。等引澄浄無散乱の心・無覆蔽の心・浄心・極浄心・照曜心・無塵心・大威徳心・善心・広大心・無比心・甚深心・愛法心・喜法心・善意心ありて、一切の執著の心を捨離し、一切の衆生の煩悩心を断じ、一切の悪趣の心を閉ずるが故に、智慧を行ず。行じ已わりて無量功徳を成就し、禅定覚分において善能く演説し、而も常に遊戯し、無上菩提を勤修し敷演す。

肉眼発生して能く簡択あり、天眼出現して諸仏の土を鑑み、法眼清浄にして能く諸著を離れ、慧眼通達して彼岸に到り、仏眼成就して覚悟し開示して、無碍慧を生じ他のために広く説きて、三界の中において平等に勤修す。

既に自ら調伏し、また能く一切の有情を調伏して、能く勝奢摩他を獲得せしむ。一切の法において無所得を証し、善能く説法して言辞巧妙なり。勤修して一切の諸仏を供養し、有情の一切の煩悩を摧伏して、諸の如来のために悦可せらるること而も能くかくの如し。かくの如く思惟す。この思惟を作す時、能く集め能く見るに、一切諸法みな所得なし。方便智を以て滅法を修行し、善く理・非理の趣を取捨することを知りて、理趣・非理趣の中においてみな善巧を得たり。世の語言において心に愛楽せず。出世の経典を誠信に勤修す。善巧して一切の諸法を尋求し、一切法を求めて了知を増長す。法は本、実なくして不可得なりと知りて、所行の処においてまた取捨なく、老病を解脱して諸の功徳に住す。

本より已来、神通に安住して深法を勤修し、甚深の法において而も退転なく、難解の法において悉く能く通達し、一乗の道を得て疑惑あることなし。仏の教法において他の悟に由らず。

その智宏深なること、これを巨海に譬う。菩提の高広なることは喩えば須彌のごとし。自身の威光、日月に超えたり。凡そ思択する所、慧と相応すること、猶し雪山の如し。その心潔白にして、光明普く照らす。無辺の功徳、煩悩の薪を焼くこと、これを火に方〈くら〉ぶ。善悪のために動搖せられず。心静に常に安きこと猶し大地の如し。煩惑を洗滌すること清浄の水の如し。心に所主なきこと猶し火の如し。世間に著せざること猶し風の如し。諸の有情を養うこと猶し地の如し。諸の世界を観ずること虚空の如し。衆生を荷載すること猶し良乗の如し。世法に染せざること、これを蓮花に譬う。遠く法音を暢ぶること猶し雷震の如し。一切の法を雨ふらすこと、これを大雨に方ぶ。光、賢聖を蔽うこと猶し彼の大仙のごとし。善能く調伏すること大龍象の如し。勇猛にして畏なきこと師子王の如し。衆生を覆護すること尼拘陀樹の如し。他論に動ぜざること鉄囲山の如し。慈無量を修すること彼の恒河の如し。諸善の法王として能く前導を為すこと大梵天の如し。聚積する所なきこと猶し飛烏の如し。他論を摧伏すること金翅王の如し。遇い難くして希有なること優曇花の如し。

最勝の丈夫はその心正直にして懈怠あることなし。能善く修行して、諸見の中において善巧決定す。柔和忍辱にして嫉妬の心なし。法を論じて厭うことなく法を求めて倦まず。常に勤めて演説して衆生を利益す。戒は琉璃のごとく内外明潔にして、善く諸法を聞きて勝宝と為す。その説く所の言は衆をして悦伏せしむ。智慧力を以て大法幢を建て、大法螺を吹き、大法鼓を撃ちて、常に楽みて勤修して諸法の表を建て、智慧光に由りて心に迷惑なく、衆の過失を遠ざけて、また損害なし。淳浄の心を以て諸の穢染を離れ、常に恵施を行じて永く慳貪を捨つ。性を禀くること温和にして常に慚恥を懐き、その心寂定にして智慧明察なり。世間の灯と作りて衆生の闇を破し、利養を受くるに堪えたる殊勝の福田なり。大導師と為りて周く群物を済い、遠く憎愛を離れて心浄くして憂なく、勇み進みて怖なし。大法将と為りて地獄を了知して自他を調伏し、有情を利益して諸の毒箭を抜く。世間の解と為り、世間の師と為り、群生を引導して諸の愛著を捨てしめ、永く三垢を離れて神通に遊戯す。

因力・縁力・願力・発起力・世俗力・出生力・善根力・三摩地力・聞力・捨力・戒力・忍力・精進力・定力・慧力・奢摩他力・毘鉢舎那力・神通力・念力・覚力・摧伏一切大魔軍力、并びに他論法力・能破一切煩悩怨力、及び殊勝大力あり。威福具足し相好端厳にして、智慧・弁才・善根円満す。

目浄く脩広にして、人に愛楽せられ、その身清潔にして遠く貢高を離れ、尊重の心を以て諸仏に奉事し、諸仏の所において衆の善本を植え、憍慢を抜除し、貪瞋癡を離れ、殊勝吉祥にして応供の中の最なり。勝智の境に住して、赫奕たる慧光、心に歓喜を生じ、雄猛無畏にして福智具足し、滞限あることなし。ただ聞く所を説きて群物を開示し、所聞の法に随いてみな能く解了す。菩提分の法において勇猛に空無相の願を勤修し、而も常に安住し、及び不生不滅の諸の三摩地の行、道場に遍じて二乗の境に遠ざかる。

阿難。我今略して彼の極楽界に生ずる所の菩薩摩訶薩衆の真実功徳を説くこと悉く皆かくの如し。阿難。たとい我身住すること寿百千億那由他劫、無礙の弁を以て具に彼の諸の菩薩摩訶薩等の真実功徳を称揚せんと欲するも、窮尽すべからず。阿難。彼の諸の菩薩摩訶薩等は、その寿量を尽くすともまた知ること能わず。

その時、世尊、阿難に告げて言わく。これはこれ無量寿仏の極楽世界なり。汝、まさに坐より起ちて合掌し恭敬して五体を地に投げて仏の為に礼を作すべし。彼の仏の名称は十方に遍満す。彼の一一の方の恒沙の諸仏、皆ともに称讃したまうこと礙なく断ゆることなし。この時阿難、即ち坐より起ちて偏に右の肩を袒ぎ、面を西にして合掌し五体を地に投げ、仏に白して言さく。世尊。我今、極楽世界の無量寿如来を見たてまつり、并に無量百千億那由他の仏及び菩薩衆に供養し奉事し、諸の善根を種えんと欲す。

時に無量寿仏、即ち掌の中において大光明を放ち、遍く百千倶胝那由他の刹を照らしたまう。彼の諸仏の刹の所有、大小の諸山、黒山・宝山・須彌盧山・迷盧山・大迷盧山・目真隣陀山・摩訶目真隣陀山・鉄囲山・大鉄囲山、叢薄園林及び諸の宮殿・天人等の物、仏の光明を以て皆悉く照見すること、譬えば人ありて浄天眼を以て一尋の地を観るが如し。諸の所有を見ること、また日光出でて万物の現わるるが如し。

ここに彼の諸国の中を覩るに、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、悉く無量寿如来を見ること須彌山王の如し。諸仏の刹を照らす時、諸仏の国、皆悉く明らかに現ずること一尋に処するが如し。無量寿如来の殊勝の光明、極めて清浄なるを以ての故に、彼の高座及び諸の声聞・菩薩等の衆を見ること、譬えば大地に洪水の盈満して、樹林・山河、皆没して現ぜず、ただ大水のみあるが如し。

かくの如く阿難、彼の仏刹の中には他論及び異形の類あることなし。ただ一切大声聞衆の一尋の光明、及び彼の菩薩摩訶薩踰繕那等の百千尋の光を除く。彼の無量寿如来応正等覚の光明は一切の声聞及び諸の菩薩を映蔽して、諸の有情をして悉くみな見ることを得しむ。彼の極楽界の菩薩声聞人天衆等も、一切みな娑婆世界の釈迦如来、及び比丘衆の囲繞し説法するを覩たてまつる。

その時、仏、彌勒菩薩に告げて言わく。汝もし具足清浄威徳荘厳の仏刹を見、及び空中の樹林・園苑・涌泉・池沼を見るや、いなや。汝、大地、乃至、色究竟天を見、虚空の中において散花し、樹林以て荘厳となし、また衆烏ありて虚空界に住し、種種の音を出だすこと、なおし仏の声の如く普く世界に聞こゆ。この諸の衆烏は皆これ化作にして実の畜生にあらず。汝これを見るや。彌勒、仏に白して言さく。唯、然なり、已に見たてまつる。

仏、また彌勒菩薩に告げて言わく。汝、この諸の衆生、踰繕那百千の宮殿に入り已わりて、虚空に遊行すること無著無碍にして、諸の刹土に遍じて、諸仏を供養するを見、及び彼の有情、昼夜分において念仏相続を見るや、不や。彌勒白して言さく。唯然なり、尽く見たてまつる。仏また告げて言わく。汝、他化自在天と極楽の諸人と受用の資具に差別あるを見るや不や。彌勒白して言さく。我、彼に少しく差別あることを見ず。

仏、彌勒に告げたまわく、汝、極楽世界の人の胎に住するを見るや不や。彌勒白して言さく。世尊、譬えば三十三天。夜摩天等の如し。百由旬、もしは五百由旬の宮殿の内に入りて遊戯歓楽す。我、極楽世界の人の胎に住する者を見るに、夜摩天の宮殿に処するが如し。また衆生の蓮華の内において結加趺坐して自然に化生するを見る。

時に彌勒菩薩、また仏の白して言さく。世尊。何なる因縁の故に、彼の国の衆生に胎生の者と化生の者とあるや。

化巻引文(8)

仏、彌勒に告げたまわく。もし衆生ありて、疑悔に墮して善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求す。自の善根において信を生ずること能わず。この因縁を以て五百歳において宮殿の中に住し▽、仏を見たてまつらず、法を聞かず、菩薩及び声聞衆を見たてまつらざるなり。 もし衆生ありて、疑悔を断除し善根を積集し、仏智乃至広大智を希求し、已が善根を信ず。この人は蓮華の内において結加趺坐し、忽然として化生し、瞬息にして而も出づること、譬えば他国より人ありて来至するが如し。而もこの菩薩もまたまたかくの如し。余国に発心して極楽に来生し、無量寿仏を見たてまつりて奉事し供養したてまつり、諸菩薩声聞の衆に及ぶ。

阿逸多(弥勒)。汝、殊勝智の者を観ずるに、彼は広慧の力に因るが故に[5]、彼は蓮花の中に化生することを受けて、結加趺坐す。汝、下劣の輩を観ずるに、▽ 五百歳の中において仏を見たてまつらず、法を聞かず、菩薩及び声聞衆を見たてまつらず、菩薩の威儀・法則を知らず、諸の功徳を修習すること能わず。故に因なくして無量寿仏に奉事す。[6]この諸の人等はみな昔の縁疑悔を為して致す所なり。

譬えば刹帝利王のその子、法を犯さば、これを内宮に幽し、処するに花観・層樓・綺殿・妙飾・奇珍・宝帳・金床を以てし、茵褥を重敷し、名花を地に布き、大宝香を焼き、服御の所資、悉くみな豊備して閻浮金の鎖を以てその両足を繋ぐが如し。

仏、彌勒に告げたまわく。意において云何。彼の王子、心寧ろこれを楽むや不や。答えて言わく、不なり。世尊、彼幽縶の時は常に解脱を思い、諸の親識の居士・宰官・長者・近臣を求む。王の太子、出離を希うといえども終に心に従わず。乃至、刹帝利王、心に歓喜を生じて方〈まさ〉に解脱を得ん。 仏、彌勒に告げたまわく、かくの如し、かくの如し。もし疑悔に墮ちて、諸の善根を種えて仏智乃至広大智を希求することあらん。自の善根において信を生ずること能わず。仏の名を聞くに由りて信心を起こすが故に、彼の国に生ずといえども蓮花の中にして出現すること得ず。彼等の衆生、花胎の中に処すること、猶し園苑・宮殿の想の如し。
何を以ての故に。彼の中は清浄にして諸の穢悪なく、一切、楽しむべからざる者あることなし。然も彼の衆生、五百歳において、仏を見たてまつらず、法を聞かず、菩薩及び声聞衆を見たてまつらず、諸仏を供養し奉事することを得ず、菩薩の法蔵を問うことを得ず、一切の殊勝の善根を遠離す。彼等は中において欣楽を生ぜず、出現して善法を修習すること能わず。往昔世の中の過失、尽き已わりて然る後に乃し出づ。彼、出ずる時において、心、上下四方の所に迷うこと、もしは五百歳なり。疑惑なきは、即ちまさに無量百千倶胝那由他の仏を供養し、并びに無量無辺の善根を種べし。汝阿逸多。まさに知るべし、疑惑は諸の菩薩のために大損害たることを。

その時、彌勒菩薩、仏に白して言さく。世尊。この国界より不退の菩薩の、まさに極楽国に生ずべき者、その数幾何ぞや。

信巻引文(101)

仏、彌勒に告げたまわく。この仏土の中に七十二億の菩薩あり、彼は無量億那由他百千仏の所にして、諸の善根を種え、不退転を成ぜるなり。まさに彼の国に生ずべし。

化巻引文(10)

況んや余の菩薩、少善根に由りて彼の国に生まるる者、称計すべからず。

阿逸多。難忍如来の仏国に十八億の不退菩薩ありて、まさに極楽世界に生ずべし。東北方宝蔵仏の国中に九十億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。無量声如来の国中より二十二億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。光明如来の国中より、三十二億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。龍天如来の国中より十四億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。勝天力如来の国中より、十二千の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。師子如来の国中より、五百の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。離塵如来の国中より、八十一億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。世天如来の国中より、六十億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。勝積如来の国中より、六十億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。人王如来の国中より、十倶胝の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。勝花如来の国中より、五百の菩薩ありて、大精進を具し、一乗を発趣して、七日の中において能く衆生をして百千億那由他劫の生死の流転を離れしめ、彼等もまた、まさに極楽界に生ずべし。発起精進如来の国中より、六十九億の不退の菩薩ありて、まさに彼の土に生ずべし。彼の国に到り已りて、無量寿如来及び菩薩衆を供養し礼拝したてまつる。

阿逸多。我もし具に諸方の菩薩の極楽界に生ずるもの、もしは已に到り、今到り、当に到りて、為に無量寿仏等を供養し礼拝し瞻仰したてまつる者を説かんに、ただその名を説くにも、劫を窮むとも尽きず。

阿逸多。汝、彼の諸の菩薩摩訶薩を観るに善く利益を獲。もし彼の仏名を聞くことありて、能く一念喜愛の心を生ぜば、まさに上の如き所説の功徳を獲べし。心、下劣なく、また貢高ならざれば、善根を成就して悉くみな増上す。阿逸多。この故に汝及び天・人・世間・阿修羅等に告げて、今この法門を汝に付属す。まさに愛楽し修習すべし。乃至、一昼夜を経とも、受持し読誦して希望の心を生じ、大衆の中において他のために開示し、まさに経巻を書写し執持して、この経中において導師の想を生ぜしむべし。

阿逸多。この故に菩薩摩訶薩は無量の諸の衆生等をして、速に疾く安住して阿耨多羅三藐三菩提を退転せざらしめんと欲し、及び彼の広大荘厳、摂受殊勝の仏刹円満功徳を見んと欲わん者は、まさに精進力を起こしてこの法門を聴くべし。たとい大千世界の中に満てらん猛火を経過するとも、法を求めんがための故に退屈・諂偽の心を生ぜず。経巻を読誦し受持し書写して、乃至、須臾の頃においても他のために開示し、勧めて聴聞して憂悩を生ぜざらしむべし。たとい大火に入るも、まさに疑悔すべからず。何を以ての故に。彼の無量億の諸の菩薩等はみな悉くこの微妙の法門を求め、尊重し聴聞して違背を生ぜず。この故に汝等、まさにこの法を求むべし。阿逸多。彼の諸の衆生は大善利を獲。もし来世、乃至、正法滅する時に、まさに衆生りて諸の善本を殖〈種〉え、已に曾て無量の諸仏を供養せば、彼の如来の加威力に由るが故に、能くかくの如きの広大法門、一切の如来の称讃悦可を得べし。もし彼の法において摂取し受持せば、まさに広大一切の智智を獲、意の楽う所に随いて諸の善根を種うべし。

信巻引文(89)

もし善男子善女人等、彼の法の中において広大にこれを勝解する者[7]は、まさに能く聴聞して大歓喜を獲、受持し読誦して広く他のために説き、常に楽みて修行すべし。

流通分

阿逸多。無量億数の諸の菩薩等、この法を求請して曾て厭背せず。この故に汝等、諸の善男子及び善女人、今来世において能くこの法において、もしは已に求め、現に求め、当に求むる者は、みな善利を獲。阿逸多。如来は作すべき所の者はみな已にこれを作したまえり。汝等、まさに無疑に安住して諸の善本を種うべし。まさに常に修学して疑滞することなからしむべし。一切種類の珍宝をもって成就せる牢獄に入らざれ。

信巻引文(7)(90)

阿逸多。かくの如き等の類は大威徳の者なり。能く広大仏法異門に生ぜん。この法に由りて聴聞せざるが故に、一億の菩薩ありて阿耨多羅三藐三菩提を退転す。

阿逸多。仏出世して八難身を離るること難し。また諸仏如来無上の法、十力・無畏・無礙・無著・甚深の法、及び波羅蜜等の菩薩の法を得て、能く説法することも難しとす。人また開示し難し。阿逸多。善く説法する人には遇うべきこと易きにあらず。堅固深信の時にもまた遭い難し。この故に我、今、理の如く宣説す。汝等修習して、まさに教の如く住すべし。汝、阿逸多。我この法門及び諸仏の法を以て汝に属累す。汝まさに修行して滅没せしむることなかるべし。かくの如きの広大微妙の法門は、一切諸仏の称讃したまう所なり。仏教に違して而もこれを棄捨し、まさに汝等、不善の利を獲て、長夜に淪没し、衆の危苦を備〈こうむ〉らしむることなかれ。この故に我、今、ために大に属累す。まさにこの法をして久住し滅せざらしむべし。まさに勤めて修行して我が教に随順すべし。

その時世尊、而も頌を説きて曰わく

もし福徳において初より未だ修せず 終にこの微妙の法を聞かず。
勇猛に能く諸の善利を成じて まさにかくの如きの甚深の経を聞く。
彼の人は曾て諸の世尊の 能く大光を作して濁世を拯いたまうを見る。
多聞総持すること巨海の如し 彼は聖賢喜愛心を獲るなり。
懈怠・邪見・下劣の人は 如来のこの正法を信ぜず
もし曾て仏において衆善を殖うるも 救世の行、彼、能く修す
譬えば盲人の恒に闇に処し 能く他路を開導せざるが如し
声聞の仏智におけるもまた然なり 況んや余の有情にして而も悟解せんや
信巻引文(8)
如来の功徳は仏のみ自ら知しめせり ただ世尊ましまして能く開示したまう
天龍・夜叉の及ばざる所なり 二乗自ら名言を絶つ
もし諸の有情、まさに作仏して 行、普賢に超え彼岸に登りて
一仏の功徳を敷演せん 時に多劫の不思議を逾〈こ〉えん
この中間において身は滅度すとも 仏の勝慧は能く量ることなけん
この故に信聞 及び諸の善友の摂受を具足して
かくの如きの深妙の法を聞くことを得ば まさに重きこと諸の聖尊に獲愛せらるべし。
如来の勝智は虚空に遍し、所説の義言は唯仏のみ悟りたまへり
是の故に博く聞ける諸智士は、応に我が教如実の言を信ずべし
人趣の身、得ること甚だ難し 如来の出世も遇うことまた難し
信慧多き時、まさに乃し獲ん この故に修する者、まさに精進すべし
かくの如きの妙法、已に聴聞せば 常に諸仏を念じて喜を生ぜん
彼の人は往昔に真に吾が友なり 善能く仏菩提を楽欲す

その時、世尊、この経を説き已りたまう。天人世間に万二千那由他億の衆生ありて、塵を遠ざかり垢を離れて法眼浄を得、二十億の衆生、阿那含果を得、六千八百の比丘、諸漏已に尽きて心に解脱を得、四十億の菩薩、上菩提において不退転に住し、大甲胄を被りてまさに正覚を成ずべし。二十五億の衆生ありて不退忍を得、四万億那由他百千の衆生ありて、無上菩提において未だ曾て意を発ざず、今、始初〈はじ〉めて発こし諸の善根を種え、極楽世界に生まれて阿彌陀仏を見たてまつらんと願じて、皆まさに彼の如来の土に往生すべし。おのおの異方において次第に成仏して同じく妙音と名づけん。八万億那由他の衆生ありて、法忍を授記せらるることを得て、無上菩提を成ず。彼の無量寿仏、昔、菩薩の道を行じたまいし時、有情を成熟して、悉く皆まさに極楽世界に生ずべし。憶念の儔〈ともがら〉は、昔発す所の思願、みな成満することを得たり。

その時、三千大千世界、六種に震動し、并に種種希有の神変を現じ、大光明を放ちて普く世界を照らし、無量億那由他百千の天人、同時に音楽するに鼓せざるに自ら鳴り、天曼陀羅花を雨ふらし、没して膝に至る。乃至、阿迦膩吒天、みな種種殊妙の供養を作す。仏、経を説き已わりて、彌勒菩薩等及び尊者阿難、一切大衆、仏の所説を聞きて、みな大いに歓喜す。

大宝積経巻第十八

原本は真宗大谷派 西覚寺さんの「如来会」を基に、「浄土宗全書」等を参考にした。

参 照

  1. 善来比丘。仏陀からの「善く来たれ、比丘よ」との呼びかけによって即時に出家した者の意か。
  2. 本典では日が因になっている。読みは、「いま如来に対して弘誓を発せり。まさに無上菩提の因を証すべし。もしもろもろの上願を満足せずは、十力無等尊を取らじと。こころ、あるいは常行に堪へざらんものに施せん。広く貧窮を済ひてもろもろの苦を免れしめ、世間を利益して安楽ならしめんと」と、なっている。所覧本の違いであろう。
  3. 魏訳の『無量寿経』には乃至一念とある。法然聖人はこの一念をも行の一念とされたが、御開山はこの『如来会』の「乃至能発一念浄信」の浄信の語から信の一念であると見られた。
  4. 御開山は、「他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜せしめ、所有の善根回向したまへるを愛楽して、無量寿国に生ぜんと願ぜば、願に随ひてみな生れ、不退転乃至無上正等菩提を得んと。五無間、正法を誹謗し、および聖者を謗らんをば除く」と、本願力によって歓喜せしめられ、法処菩薩(法蔵菩薩)の回向された所有(あらゆる)の善根回向したまへるを愛楽すると訓じられた。
  5. 「信巻」大信釈で「しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し。なにをもつてのゆゑに、いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり」と、真実信心を獲ることの難をあらわされている。それは回向される「彼因広慧力故」の、大悲の淵源である「広慧力」であるからであるとされた。
  6. 「因なくして無量寿仏に奉事す」とは真実の如来ではなく、各人の自力のそれぞれの行業の程度によって感得される、自分が描き出した如来に奉事しているからである。まさに化身土の様相である。
  7. 広大勝解之者(広大にこれを勝解する者)。「広大勝解者」として信巻(89)で引文し、真仏弟子である文証とされている。「正信念仏偈」に「仏言広大勝解者」とある由縁である。