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「寂静無為の楽」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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:到処無余楽 唯聞生死声
 
:到処無余楽 唯聞生死声
::到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎<ref>原典版では生死となっている。</ref>の声を聞く。
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::到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎<ref>原典版では生死となっている。註釈版では定善義によって愁歎と書き換えてある。</ref>の声を聞く。
 
:畢此生平後 入彼涅槃城  
 
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2023年8月25日 (金) 23:53時点における最新版

さいほうじゃくじょうむいのみやこ

 煩悩を滅し尽した生滅変化のない絶対のさとりの世界。極楽浄土のこと。(証巻 P.312, 真巻 P.369)

さいほうじゃくじょうむいのらく

 煩悩(ぼんのう)を滅し尽した生滅変化のない絶対のさとりの世界。 浄土のこと。 (定善義 P.405)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

西方寂静無為楽 畢竟逍遥離有無
西方寂静無為の楽[1]は、畢竟逍遥して有無を離れたり。
大悲薫心遊法界 分身利物等無殊
大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること等しくして殊なることなし。
帰去来 魔郷不可停
帰去来、魔郷には停まるべからず。
曠劫来流転 六道尽皆逕
曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。
到処無余楽 唯聞生死声
到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎[2]の声を聞く。
畢此生平後 入彼涅槃城
この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん。(真巻 P.369)

  1. 楽→らく→洛→洛陽で中心(都)のこと。
  2. 原典版では生死となっている。註釈版では定善義によって愁歎と書き換えてある。