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「至心に回向したまへり」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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ししんにえこうしたまえり
 
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 通常は「至心に回向して」と読む。[[親鸞聖人]]は如来回向の義をあらわすために、このように読みかえられた。([[大経下#P--41|大経 P.41]]、[[信巻末#P--250|信巻 P.250]])
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 通常は「至心に回向して」と読む。[[親鸞聖人]]は如来回向の義をあらわすために、このように読みかえられた。([[大経下#P--41|大経 P.41]]、[[信巻末#P--250|信巻 P.250]],[[浄文#P--493|浄文 P.493]])
 
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 本願寺派、大谷派の『無量寿経』では御開山の読み方になっている。ここでの当面読みは、『無量寿経』の原文に即した『浄土論註』での読み方。
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;本願成就文の当面読み:
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:諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転。
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::あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、すなわち一念に至るまで、至心に回向して、かの国に生まれんと願ずれば、すなはち往生することを得て、不退転に住せん。
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:唯除、五逆誹謗正法。
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::ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。→[[浄土論註 (七祖)#no43|論註 P.92]]
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;御開山の読み:
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:諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。
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::あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
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:至心回向。
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::至心に回向したまへり。
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::ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。
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御開山は、[[信の一念]]を強調するため「乃至一念」で文章を区切られた。そして「至心回向」を如来回向の義をあらわすために「至心に回向したまへり」と[[約仏]]で読まれた。→[[二種回向]]
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:→[[本願成就文]]
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:→[[その名号を聞きて、信心歓喜]]
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[[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p>

2023年10月14日 (土) 10:04時点における最新版

ししんにえこうしたまえり

 通常は「至心に回向して」と読む。親鸞聖人は如来回向の義をあらわすために、このように読みかえられた。(大経 P.41信巻 P.250,浄文 P.493)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

 本願寺派、大谷派の『無量寿経』では御開山の読み方になっている。ここでの当面読みは、『無量寿経』の原文に即した『浄土論註』での読み方。

本願成就文の当面読み:
諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転。
あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、すなわち一念に至るまで、至心に回向して、かの国に生まれんと願ずれば、すなはち往生することを得て、不退転に住せん。
唯除、五逆誹謗正法。
ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。→論註 P.92
御開山の読み:
諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。
あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
至心回向。
至心に回向したまへり。
願生彼国、即得往生、住不退転。
かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。
唯除、五逆誹謗正法。
ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。

御開山は、信の一念を強調するため「乃至一念」で文章を区切られた。そして「至心回向」を如来回向の義をあらわすために「至心に回向したまへり」と約仏で読まれた。→二種回向

本願成就文
その名号を聞きて、信心歓喜