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「五時の教」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ごじのきょう
 
ごじのきょう
  
 天台大師の五時八教判の五時のことで、仏教の諸経典の内容を分類解釈して、釈尊の説法の順序から五つの時期に配当したもの。<kana>華厳(けごん)</kana>時・<kana>鹿苑(ろくおん)</kana>時・<kana>方等(ほうどう)</kana>時・<kana>般若(はんにゃ)</kana>時・<kana>法華涅槃(ほっけねはん)</kana>時の五時に分ける。
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 天台大師の五時八教判の五時のことで、仏教の諸経典の内容を分類解釈して、釈尊の説法の順序から五つの時期に配当したもの。<kana>華厳(けごん)</kana>時・<kana>鹿苑(ろくおん)</kana>時・<kana>方等(ほうどう)</kana>時・<kana>般若(はんにゃ)</kana>時・<kana>法華涅槃(ほっけねはん)</kana>時の五時に分ける。([[口伝鈔#P--900|口伝鈔 P.900]])
  
 
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 御開山は、法然聖人の浄土門に入る前は「天台法華宗」の学僧であった。 しかし、その著作中ではほとんど『法華経』を使わない。 ただ、天台大師智顗の「五時教判」は依用される。その「五時教判」によって『華厳経』を仏陀のさとりの内容を直接あらわした始教(華厳時)の経典とみられ、浄土の涅槃を説く『涅槃経』を釈尊の真意をあらわす終経(法華・涅槃時)の経典であるとみられていた。
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御開山が『涅槃経』『華厳経』を連引(続けて引文)されたり、「信巻」「真仏真土巻」などでしばしば『涅槃経』を引文されるのは、真実経である『無量寿経』の内容の一端が『華厳経』『涅槃経』にあらわされているとみておられたからであろう。<br />
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その意味ではかって学んだ「天台法華宗」の「法華・涅槃時」の『法華経』から『涅槃経』へ移行されたのであろう。<br />
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また「五時教判」では最初に説かれたとされる『華厳経』と最後に説かれた『涅槃経』を連引された意は、全仏教を統摂し浄土教の真意をあらわそうとされてたのであろう。いわゆる仏教におけるアルファとオメガ(ギリシャ文字の最初の文字Α〔アルファ〕と、最後の文字Ω〔オメガ〕をあげて最初と最後の意とする)である。
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2024年3月18日 (月) 12:24時点における版

ごじのきょう

 天台大師の五時八教判の五時のことで、仏教の諸経典の内容を分類解釈して、釈尊の説法の順序から五つの時期に配当したもの。華厳(けごん)時・鹿苑(ろくおん)時・方等(ほうどう)時・般若(はんにゃ)時・法華涅槃(ほっけねはん)時の五時に分ける。(口伝鈔 P.900)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

 御開山は、法然聖人の浄土門に入る前は「天台法華宗」の学僧であった。 しかし、その著作中ではほとんど『法華経』を使わない。 ただ、天台大師智顗の「五時教判」は依用される。その「五時教判」によって『華厳経』を仏陀のさとりの内容を直接あらわした始教(華厳時)の経典とみられ、浄土の涅槃を説く『涅槃経』を釈尊の真意をあらわす終経(法華・涅槃時)の経典であるとみられていた。 御開山が『涅槃経』『華厳経』を連引(続けて引文)されたり、「信巻」「真仏真土巻」などでしばしば『涅槃経』を引文されるのは、真実経である『無量寿経』の内容の一端が『華厳経』『涅槃経』にあらわされているとみておられたからであろう。
その意味ではかって学んだ「天台法華宗」の「法華・涅槃時」の『法華経』から『涅槃経』へ移行されたのであろう。
また「五時教判」では最初に説かれたとされる『華厳経』と最後に説かれた『涅槃経』を連引された意は、全仏教を統摂し浄土教の真意をあらわそうとされてたのであろう。いわゆる仏教におけるアルファとオメガ(ギリシャ文字の最初の文字Α〔アルファ〕と、最後の文字Ω〔オメガ〕をあげて最初と最後の意とする)である。

五味
乳・酪・生蘇・熟蘇・醍醐
二双四重

ノートから転送

五時八教判

五時八教判とは、天台宗の教相判釈(きょうそうはんじゃく)(諸経典を説法の形式、方法、内容などにより分類、整理して体系づけること)。五時と八教の併称。五時は、すべての経典を釈尊が一生の間に順に説いたものと考え、その順序に5段階をたてたもので、以下の五つをいう。

  1.  華厳時(けごんじ) 悟りを開いてただちに21日間、悟りの境地のままに『華厳経(けごんきょう)』を説いた。
  2.  鹿苑時(ろくおんじ) 次の12年間は鹿野苑で『阿含経(あごんきょう)』を説いて小乗の機根(教えを聞いて修行しうる能力)の者を誘引した。→鹿野苑
  3.  方等時(ほうどうじ) それに続く8年間は小乗を批判して大乗に引き入れるために『維摩経(ゆいまぎょう)』などを説いた。→方等
  4.  般若時(はんにゃじ) 次の22年間は大小乗の執着を捨てさせるために『般若経』を説いた。
  5.  法華・涅槃時(ほっけ-ねはんじ) 晩年の8年間は『法華経』の一乗真実の教えを説き、最後の一日一夜、『涅槃経』によってこれまで漏れていた者もすべて救ったとする。[1]
八教

八教は、化儀四教(けぎのしきょう)と化法四教(けほうのしきょう)の総称である。化儀四教は、説法の仕方によって四種をたてたもので、次のように分けられる。

  1.  頓教(とんぎょう) 真理をそのまま説いたもの。
  2.  漸教(ぜんきょう) 衆生の機根によって段階的に説いたもの。[2]
  3.  秘密教 同じ教えでも機根によってそれぞれ異なった利益を受け、しかも互いにそれを知らないもの。同じ説法の座にいながら、自分一人だけが聞いていると思わせて説く、仏の教え。真言密教の意ではない。
  4.  不定(ふじょう)教 秘密教と同じであるが他人の存在を知っているもの。

 また化法四教は、教説の内容によって四種をたてたものである。

  1.  蔵教(ぞうきょう) 小乗の教え。 経・律・論の三蔵に説かれた教法であるから蔵教といふ。
  2.  通教(つうぎょう) 大乗、小乗に通ずる教え。
  3.  別教(べっきょう) 大乗のみを説いた教え。
  4.  円教(えんきょう) すべてを包摂する円満な教え。

五時八教は、中国南北朝時代の諸種の教判を受け、全仏教をもっとも総合的に体系化し、価値配列したものであり、後世に大きな影響を残した。[末木文美士]*出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)

  • 後代の教判の教判といわれる、賢首大師法蔵の「華厳教の五教十宗判」は、仏教教理史とあまり齟齬も無く仏教発展史を理解する上で助けになるものである。

  1. 現代の仏教教理史上ではこの五時説は否定されている。ただし経典の内容によって釈尊の説法を五時に区分する判断は卓見である。
  2. 漸頓は頓(即時)に仏果を得るという意と漸次に仏果を得るという意味で使われる場合もあり、御開山の場合は頓に仏果を得る教えを頓教といわれていた。