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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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どうしゃく
 
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 (562-645)山西省<kana>州(へいしゅう)</kana><kana>水(ぶんすい)</kana>(あるいは晋陽)の人。十四歳で出家し『<kana>涅槃経(ねはんぎょう)</kana>』を究めたが、<kana>石壁(せきへき)</kana><kana>玄中寺(げんちゅうじ)</kana>の[[曇鸞]]大師の碑文を読み、四十八歳で浄土教に帰依した。以後、日々念仏を称えること七万遍、『観経』を講義すること二百回以上に及び、民衆に小豆念仏(小豆で念仏の数量を数えること)を勧めた。その著作の『安楽集あんらくしゅう』は、曇鸞大師の教学を受け、末法到来の時代の認識、<kana>聖浄二門判(しょうじょうにもんはん)</kana>などの浄土教の主要な問題について述べたものである。七高僧の第四祖。
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 (562-645)山西省<kana>并州(へいしゅう)</kana><kana>汶水(ぶんすい)</kana>(あるいは晋陽)の人。十四歳で出家し『<kana>涅槃経(ねはんぎょう)</kana>』を究めたが、<kana>石壁(せきへき)</kana><kana>玄中寺(げんちゅうじ)</kana>の[[曇鸞]]大師の碑文を読み、四十八歳で浄土教に帰依した。以後、日々念仏を称えること七万遍、『観経』を講義すること二百回以上に及び、民衆に小豆念仏(小豆で念仏の数量を数えること)を勧めた。その著作の『[[安楽集]]』は、曇鸞大師の教学を受け、[[末法]]到来の時代の認識、<kana>[[聖浄二門]]判(しょうじょうにもんはん)</kana>などの浄土教の主要な問題について述べたものである。七高僧の第四祖。
  
 
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2024年6月4日 (火) 23:50時点における最新版

どうしゃく

 (562-645)山西省并州(へいしゅう)汶水(ぶんすい)(あるいは晋陽)の人。十四歳で出家し『涅槃経(ねはんぎょう)』を究めたが、石壁(せきへき)玄中寺(げんちゅうじ)曇鸞大師の碑文を読み、四十八歳で浄土教に帰依した。以後、日々念仏を称えること七万遍、『観経』を講義すること二百回以上に及び、民衆に小豆念仏(小豆で念仏の数量を数えること)を勧めた。その著作の『安楽集』は、曇鸞大師の教学を受け、末法到来の時代の認識、聖浄二門(しょうじょうにもんはん)などの浄土教の主要な問題について述べたものである。七高僧の第四祖。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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