「陀羅尼」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
細 |
|||
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
だらに | だらに | ||
− | 梵語ダーラニー(dhāraņī)の音写。<ruby><rb>[[総持]]</rb><rp>(</rp><rt>そうじ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>能持</rb><rp>(</rp><rt>のうじ</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。種々の<ruby><rb>善法</rb><rp>(</rp><rt>ぜんぼう</rt><rp>)</rp></ruby>を保持し、悪法を起さしめない力のこと。門は法門、教えのこと。([[観経#P--109|観経 P.109]], [[化巻末#P--456|化巻 P.456]]) | + | 梵語ダーラニー(dhāraņī)の音写。<ruby><rb>[[総持]]</rb><rp>(</rp><rt>そうじ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>能持</rb><rp>(</rp><rt>のうじ</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。種々の<ruby><rb>善法</rb><rp>(</rp><rt>ぜんぼう</rt><rp>)</rp></ruby>を保持し、悪法を起さしめない力のこと。門は法門、教えのこと。([[観経#P--109|観経 P.109]], [[化巻末#P--456|化巻 P.456]]、[[観経疏 散善義 (七祖)#P--474|散善義 P.474]]、[[安楽集 (七祖)#P--198|安楽集 P.198]]) |
8行目: | 8行目: | ||
{{Copyright}} | {{Copyright}} | ||
---- | ---- | ||
+ | {{Tinc|JDS:陀羅尼}} |
2022年5月30日 (月) 00:03時点における最新版
だらに
梵語ダーラニー(dhāraņī)の音写。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:陀羅尼
だらに/陀羅尼
Ⓢdhāraṇīの音写。「保つ」等を意味する梵語の動詞Ⓢ√dhṛに由来し、能持や能遮、総持などと漢訳される。一般的な傾向として梵語で誦される呪文のうち比較的短文のものを真言と称するのに対して、長文のものを指す。『摩訶般若波羅蜜経』が会座の菩薩衆について「皆、陀羅尼及び諸の三昧行空無相無作を得」(正蔵八・二一七上)と説いていることから、陀羅尼は三昧等と同様、ある種の精神作用を指すと考えられる。これについて『大智度論』五は訳語に能持と能遮を示し、それぞれ「種種の善法を集め、能く持して散せず失せざらしむ」「悪は不善根の心より生ず、能く遮して生ぜざらしむ。若し悪罪を作らんと欲する時、持して作らざらしむ」と解説し、教門の憶持や止悪の持続を陀羅尼というとする。さらに「陀羅尼を得たる菩薩は一切所聞の法、念力を以ての故に能く持して失せず」(以上、正蔵二五・九五下)と説いて陀羅尼に念力の作用を見出している。陀羅尼には呪文も含め種々の相があり、いくつかの分類法が示されている。また般若経典類などでは自ら理想とする最高仏智の体得を陀羅尼と称している。空海の『弁顕密二経論』下は法宝のなかでは陀羅尼蔵(総持門)が醍醐のごとく最上であるとする『六波羅蜜経』一の経文を引用するが、法然の『選択集』一一は空海の引用を援用して、「往生教の中には念仏三昧は、これ総持のごとくまた醍醐のごとし」(聖典三・一六三/昭法全三三八)と評した。
【参考】田久保周誉『真言陀羅尼蔵の解説』(真言宗豊山派宗務所、一九六〇)
【執筆者:袖山榮輝】