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「斯陀含」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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 梵語サクリド・アーガーミン(sakŗd-āgāmin)の音写。<ruby><rb>一来</rb><rp>(</rp><rt>いちらい</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。一来とは、未だ断ぜられていない三品の修惑のために、一度天界に生れ再び人界に来て<ruby><rb>涅槃</rb><rp>(</rp><rt>ねはん</rt><rp>)</rp></ruby>のさとりに入るほどの煩悩(三品の修惑)が残っているものという意。
 
 梵語サクリド・アーガーミン(sakŗd-āgāmin)の音写。<ruby><rb>一来</rb><rp>(</rp><rt>いちらい</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。一来とは、未だ断ぜられていない三品の修惑のために、一度天界に生れ再び人界に来て<ruby><rb>涅槃</rb><rp>(</rp><rt>ねはん</rt><rp>)</rp></ruby>のさとりに入るほどの煩悩(三品の修惑)が残っているものという意。
  
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2005年10月23日 (日) 09:33時点における最新版

しだごん

 梵語サクリド・アーガーミン(sakŗd-āgāmin)の音写。一来(いちらい)と漢訳する。一来とは、未だ断ぜられていない三品の修惑のために、一度天界に生れ再び人界に来て涅槃(ねはん)のさとりに入るほどの煩悩(三品の修惑)が残っているものという意。

声聞(しょうもん)修道(しゅどう)階位、四向四果(しこうしか)の第二位。欲界において修行によって滅ぼされるべき九種の煩悩のうち、六種を断じつつある位を斯陀含向(しだごんこう)(一来向)といい、断じ終った位を斯陀含果(一来果)という。八輩

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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