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「あるがいはく…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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あるがいはく…
 
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 引用は浄(じょう)影寺(ようじ)慧(え)遠(おん) (523-592) の『観(かん)経(ぎょう)義疏(ぎしょ)』 に見える説。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--931|要集 P.931]]) 前
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 引用は<kana>浄影寺(じょうようじ)</kana><kana>慧遠(えおん) </kana>(523-592) の『<kana>観経(かんぎょう)</kana><kana>義疏(ぎしょ)</kana>』 に見える説。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--931|要集 P.931]]) 前
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 <kana>善導(ぜんどう)</kana>大師の 「玄義分」 および『<kana>安養集(あんにょうしゅう)</kana>』 所引の<kana>龍興(りゅうこう)</kana>『観無量寿経記』 の文によったもの。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--931|要集 P.931]]) 後
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 引用は<kana>千観(せんかん) </kana>(918-984) の『<kana>十願発心記(じゅうがんほっしんき)</kana>』 の説によったもの。 ただし、もとは<kana>義寂(ぎじゃく)</kana>の『<kana>無量寿経(むりょうじゅきょう)</kana><kana>述義記(じゅつぎき)</kana>』 に説かれている。 千観は<kana>天台(てんだい)</kana>宗<kana>三井園城寺(みいおんじょうじ) </kana>系(寺門) の僧で、西方浄土を願生した。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1137|要集 P.1137]])
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 この説は前掲書に示される十五家の説の第十一に相当する。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1147|要集 P.1147]])
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 善導(ぜんどう)大師の 「玄義分」 および『安養(あんにょう)集(しゅう)』 所引の龍興(りゅうこう)『観無量寿経記』 の文によったもの。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--931|要集 P.931]]) 後
 
  
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2010年11月14日 (日) 23:10時点における最新版

あるがいはく…

 引用は浄影寺(じょうようじ)慧遠(えおん)(523-592) の『観経(かんぎょう)義疏(ぎしょ)』 に見える説。 (要集 P.931) 前


 善導(ぜんどう)大師の 「玄義分」 および『安養集(あんにょうしゅう)』 所引の龍興(りゅうこう)『観無量寿経記』 の文によったもの。 (要集 P.931) 後


 引用は千観(せんかん)(918-984) の『十願発心記(じゅうがんほっしんき)』 の説によったもの。 ただし、もとは義寂(ぎじゃく)の『無量寿経(むりょうじゅきょう)述義記(じゅつぎき)』 に説かれている。 千観は天台(てんだい)三井園城寺(みいおんじょうじ)系(寺門) の僧で、西方浄土を願生した。 (要集 P.1137)

 この説は前掲書に示される十五家の説の第十一に相当する。 (要集 P.1147)



出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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