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「菩薩乗」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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ぼさつじょう
 
ぼさつじょう
  
 この註釈のもとになっている『西方指南抄』(下・本)には「仏乗なり」とある。
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Ⅰ この註釈のもとになっている『西方指南抄』(下・本)には「仏乗なり」とある。
  
 この註釈のもとになっている『浄土宗大意』には「仏乗なり」とある。([[消息上#P--757|消息 P.757]])
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Ⅱ この註釈のもとになっている『浄土宗大意』には「仏乗なり」とある。([[消息上#P--757|消息 P.757]])
  
 菩薩としての行を修することによって、仏果に至ろうとする教え。 ([[往生要集中巻 (七祖)#P--1008|要集 P.1008]])
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Ⅲ 菩薩としての行を修することによって、仏果に至ろうとする教え。 ([[往生要集中巻 (七祖)#P--1008|要集 P.1008]]、[[往生要集中巻 (七祖)#P--1023|要集 P.1023]])
  
 
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*→[[hwiki:西方指南抄/下本#浄土宗大意]]

2018年1月8日 (月) 04:11時点における最新版

ぼさつじょう

Ⅰ この註釈のもとになっている『西方指南抄』(下・本)には「仏乗なり」とある。

Ⅱ この註釈のもとになっている『浄土宗大意』には「仏乗なり」とある。(消息 P.757)

Ⅲ 菩薩としての行を修することによって、仏果に至ろうとする教え。 (要集 P.1008要集 P.1023)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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