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「弥勒菩薩」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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みろくぼさつ
 
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 弥勒は梵語マイトレーヤ (Maitreya) の音写。<kana> 慈氏(じし)</kana>と漢訳する。 また<kana>阿逸多(あいった)</kana>ともいう。 阿逸多は梵語アジタ (Ajita) の音写で無能勝と漢訳し、弥勒の<kana>字(あざな)</kana>とされる。 もとは別の人格であったのを混同したと考えられる。 弥勒は現在の一生を過ぎると、釈尊のあとを補って仏になる<kana>補処(ふしょ)</kana>の菩薩として、現在<kana>兜率(とそつ)</kana>天の内院に住し、神々のために説法しているという。 釈尊が入滅してから五十六億七千万年を経た時、この世に<kana>下生(げしょう)</kana>して、<kana>竜華樹(りゅうげじゅ)</kana>の下でさとりをひらき、衆生を救済するために三回説法するといわれる (<kana>竜華三会(りゅうげさんえ)</kana>・弥勒三会)。 浄土真宗では、真実信心を得た人は次の生で必ず仏になるから、その位は弥勒に同じであるとして、「<kana>便同(べんどう)</kana>弥勒」 (すなはち弥勒に同じ) とも、「<kana>次如(しにょ)</kana>弥勒」 (次いで弥勒のごとし) ともいう。
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 弥勒は梵語マイトレーヤ (Maitreya) の音写。<kana> 慈氏(じし)</kana>と漢訳する。 また<kana>阿逸多(あいった)</kana>ともいう。 阿逸多は梵語アジタ (Ajita) の音写で無能勝と漢訳し、弥勒の<kana>字(あざな)</kana>とされる。 もとは別の人格であったのを混同したと考えられる。 弥勒は現在の一生を過ぎると、釈尊のあとを補って仏になる<kana>補処(ふしょ)</kana>の菩薩として、現在<kana>兜率(とそつ)</kana>天の内院に住し、神々のために説法しているという。 釈尊が入滅してから五十六億七千万年を経た時、この世に<kana>下生(げしょう)</kana>して、<kana>竜華樹(りゅうげじゅ)</kana>の下でさとりをひらき、衆生を救済するために三回説法するといわれる (<kana>[[竜華三会]](りゅうげさんえ)</kana>・弥勒三会)。 浄土真宗では、真実信心を得た人は次の生で必ず仏になるから、その位は弥勒に同じであるとして、「[[便同弥勒|<kana>便同(べんどう)</kana>弥勒]]」 (すなはち弥勒に同じ) とも、「[[次如弥勒|<kana>次如(しにょ)</kana>弥勒]]」 (次いで弥勒のごとし) ともいう。
  
 
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2018年10月17日 (水) 17:39時点における最新版

みろくぼさつ

 弥勒は梵語マイトレーヤ (Maitreya) の音写。 慈氏(じし)と漢訳する。 また阿逸多(あいった)ともいう。 阿逸多は梵語アジタ (Ajita) の音写で無能勝と漢訳し、弥勒の(あざな)とされる。 もとは別の人格であったのを混同したと考えられる。 弥勒は現在の一生を過ぎると、釈尊のあとを補って仏になる補処(ふしょ)の菩薩として、現在兜率(とそつ)天の内院に住し、神々のために説法しているという。 釈尊が入滅してから五十六億七千万年を経た時、この世に下生(げしょう)して、竜華樹(りゅうげじゅ)の下でさとりをひらき、衆生を救済するために三回説法するといわれる (竜華三会(りゅうげさんえ)・弥勒三会)。 浄土真宗では、真実信心を得た人は次の生で必ず仏になるから、その位は弥勒に同じであるとして、「便同(べんどう)弥勒」 (すなはち弥勒に同じ) とも、「次如(しにょ)弥勒」 (次いで弥勒のごとし) ともいう。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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