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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「;「唯信仏語」についての、三遣・三随順 *以下は『観経疏』散善義の第五信心の文観経疏_散善義_(七祖)#.E7.AC.AC.E4.BA.94.E6.B7.B1....」)
 
 
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;「唯信仏語」についての、三遣・三随順
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;「唯信仏語」についての、三遣・三随順 ([[愚禿下#no54|愚禿下 P.522]])
*以下は『観経疏』散善義の第五信心の文[[観経疏_散善義_(七祖)#.E7.AC.AC.E4.BA.94.E6.B7.B1.E4.BF.A1.E3.80.80.E5.94.AF.E4.BF.A1.E4.BB.8F.E8.AA.9E.EF.BC.88.E7.9C.9F.E4.BB.8F.E5.BC.9F.E5.AD.90.EF.BC.89|(七組p.457)]]。
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*以下は『観経疏』散善義の第五信心の文[[観経疏_散善義_(七祖)#.E7.AC.AC.E4.BA.94.E6.B7.B1.E4.BF.A1.E3.80.80.E5.94.AF.E4.BF.A1.E4.BB.8F.E8.AA.9E.EF.BC.88.E7.9C.9F.E4.BB.8F.E5.BC.9F.E5.AD.90.EF.BC.89|(七組p.457)]]。([[信巻本#P--218|信巻P.218で引文]])
 
また深信とは、仰ぎ願はくは、一切の行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して依行し、
 
また深信とは、仰ぎ願はくは、一切の行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して依行し、
:仏の捨てしめたまふをばすなはち捨て、
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:仏の捨て遣(し)めたまふをばすなはち捨て、
 
::(雑行雑修を捨てて)
 
::(雑行雑修を捨てて)
:仏の行ぜしめたまふをばすなはち行じ、
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:仏の行ぜ遣(し)めたまふをばすなはち行じ、
 
::(正行(念仏)を行じ)
 
::(正行(念仏)を行じ)
:仏の去らしめたまふ処をばすなはち去る。
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:仏の去ら遣(し)めたまふ処をばすなはち去る。
 
::(異学異解雑縁乱動のところを去れ)
 
::(異学異解雑縁乱動のところを去れ)
  
 
:これを仏教に随順し、
 
:これを仏教に随順し、
::(釈尊の教え[仏教]に随順し)
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::('''釈尊'''の教え[仏教]に随順し)
 
:仏意に随順すと名づけ、
 
:仏意に随順すと名づけ、
::(諸仏の意[仏意]に随順と名づけ)
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::('''諸仏'''の意[仏意]に随順と名づけ)
 
:これを仏願に随順すと名づく。
 
:これを仏願に随順すと名づく。
::(阿弥陀仏の願[本願]に随順すると名づける。)
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::('''阿弥陀仏'''の願[本願]に随順すると名づける。)
 
:これを真の仏弟子と名づく。
 
:これを真の仏弟子と名づく。
 
::(このような者を'''真の仏弟子'''と名づけるのである)
 
::(このような者を'''真の仏弟子'''と名づけるのである)

2018年9月18日 (火) 22:05時点における最新版

「唯信仏語」についての、三遣・三随順 (愚禿下 P.522)

また深信とは、仰ぎ願はくは、一切の行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して依行し、

仏の捨て遣(し)めたまふをばすなはち捨て、
(雑行雑修を捨てて)
仏の行ぜ遣(し)めたまふをばすなはち行じ、
(正行(念仏)を行じ)
仏の去ら遣(し)めたまふ処をばすなはち去る。
(異学異解雑縁乱動のところを去れ)
これを仏教に随順し、
(釈尊の教え[仏教]に随順し)
仏意に随順すと名づけ、
(諸仏の意[仏意]に随順と名づけ)
これを仏願に随順すと名づく。
(阿弥陀仏の願[本願]に随順すると名づける。)
これを真の仏弟子と名づく。
(このような者を真の仏弟子と名づけるのである)