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「無量淸淨平等覺經」の版間の差分

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(阿難 仏名を称す)
(阿難 仏名を称す)
 
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仏言はく。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢食せんと欲する時は則ち自然に七宝の机、自然の劫波育、自然の罽、以て座と為り、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢皆坐し已る。前に悉く自然七宝の鉢有り、中に皆自然百味の飲食有り。飲食は、亦世間の飲食の味に類せず、亦復天上の飲食の味にも非ず。此の百味の飲食は、都て八方・上下の衆の自然の飲食の中の精味為り。甚だ香美にして比有ること無し。都て自然に化生するのみ。其の飲食は得んと欲する所の味の甜酢に自在にして、鉢も得んと欲する所に自在なり。諸の菩薩・阿羅漢の中に銀鉢を得んと欲する者有り、中に金鉢を得んと欲する者有り、中に水精の鉢を得んと欲する者有り、中に琉瑠の鉢を得んと欲する者有り、中に珊瑚の鉢を得んと欲する者有り、中に虎珀の鉢を得んと欲する者有り、中に白玉の鉢を得んと欲する者有り、中に車磲の鉢を得んと欲する者有り、中に瑪瑙の鉢を得んと欲する者有り、中に明月珠の鉢を得んと欲する者有り、中に摩尼珠の鉢を得んと欲する者有り、中に紫磨金の鉢を得んと欲する者有り、皆其の中に百味の飲食満たせり。自ら恣若に意に随ひて則ち至る。亦従来する所も無く、亦供作する者も有ること無し、自然に化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆食するに、食亦多からず亦少からず、悉く自然に平等なり。諸の菩薩・阿羅漢食、亦美悪を言はず、亦美を以ての故に喜ばず。食し已れば諸の飯具・鉢・机・坐、皆自然に化し去り、食せんと欲する時は乃ち復化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆心清潔にして飯食を慕はず、但用て気力を作すのみ。皆自然に消散し糜尽して化し去る。
 
仏言はく。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢食せんと欲する時は則ち自然に七宝の机、自然の劫波育、自然の罽、以て座と為り、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢皆坐し已る。前に悉く自然七宝の鉢有り、中に皆自然百味の飲食有り。飲食は、亦世間の飲食の味に類せず、亦復天上の飲食の味にも非ず。此の百味の飲食は、都て八方・上下の衆の自然の飲食の中の精味為り。甚だ香美にして比有ること無し。都て自然に化生するのみ。其の飲食は得んと欲する所の味の甜酢に自在にして、鉢も得んと欲する所に自在なり。諸の菩薩・阿羅漢の中に銀鉢を得んと欲する者有り、中に金鉢を得んと欲する者有り、中に水精の鉢を得んと欲する者有り、中に琉瑠の鉢を得んと欲する者有り、中に珊瑚の鉢を得んと欲する者有り、中に虎珀の鉢を得んと欲する者有り、中に白玉の鉢を得んと欲する者有り、中に車磲の鉢を得んと欲する者有り、中に瑪瑙の鉢を得んと欲する者有り、中に明月珠の鉢を得んと欲する者有り、中に摩尼珠の鉢を得んと欲する者有り、中に紫磨金の鉢を得んと欲する者有り、皆其の中に百味の飲食満たせり。自ら恣若に意に随ひて則ち至る。亦従来する所も無く、亦供作する者も有ること無し、自然に化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆食するに、食亦多からず亦少からず、悉く自然に平等なり。諸の菩薩・阿羅漢食、亦美悪を言はず、亦美を以ての故に喜ばず。食し已れば諸の飯具・鉢・机・坐、皆自然に化し去り、食せんと欲する時は乃ち復化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆心清潔にして飯食を慕はず、但用て気力を作すのみ。皆自然に消散し糜尽して化し去る。
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仏阿難に告げたまはく。阿弥陀仏、諸の菩薩・阿羅漢の為に法を説きたまふ時、都て悉く大に講堂の上に会す。其の国の諸の菩薩・阿羅漢及び諸天・人民、無央数にして、都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、悉く前みて無量清浄仏の為に礼を作し、却き坐して経を聴く。無量清浄仏便則ち諸の比丘僧、諸の菩薩・阿羅漢、諸天・人民の為に、広く道智大経を説きたまふ。皆悉く経道を聞知して、歓喜踊躍して心に開解せざる者莫し。即ち四方より自然の乱風起りて、国中の七宝樹を吹くに、七宝樹皆復五の音声を作せり。乱風七宝の華を吹くに、華其の国に覆蓋し、皆虚空の中に在りて下り向ふ。華甚だ香くして極めて自ら軟好なり、香国中に遍ず。華皆自ら無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華地に堕ちて皆厚さ四寸なり。華適に小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華自然に去る。則ち四方より倶に復自然の乱風起りて、七宝樹を吹くに、七宝樹皆復自ら五の音声を作せり。乱風七宝樹の華を吹くに、華復前の如く皆自然に無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。。華地に堕ちて復厚さ四寸なり。華小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華悉く自然に去る。乱風華を吹くこと是の如く四反す。則ち第一四天王の諸天人、第二忉利天上の諸天人、第三天上の諸天人、第四天上の諸天人、第五天上の諸天人、第六天上の諸天人、第七梵天上の諸天人、上第十六天上の諸天人に到り、上三十六天上の諸天人に至るまで、皆天上万種自然の物を持ち、百種の雑色華、百種の雑香、百種の雑繒綵、百種の劫波育畳衣、万種の伎楽、転た倍して好く相勝れるを各々持ちて来り下り、無量清浄仏の為に礼を作して、則ち無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を供養す。諸の天人皆復大に伎楽を作して、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて快楽言ふべからず。諸の天人、前に来れる者転た去りて後に来る者を避く、後に来る者転た復供養すること前の如し。更相に開避す。則ち東方無央数の仏国復計ふべからず。恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著けて、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち西方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち北方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。南方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為すに礼を作して去る。則ち復四角の無央数の諸仏国、各々復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数各々是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、前みて無量清浄仏の為に礼を作し已りて、頭面を仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。
 
仏阿難に告げたまはく。阿弥陀仏、諸の菩薩・阿羅漢の為に法を説きたまふ時、都て悉く大に講堂の上に会す。其の国の諸の菩薩・阿羅漢及び諸天・人民、無央数にして、都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、悉く前みて無量清浄仏の為に礼を作し、却き坐して経を聴く。無量清浄仏便則ち諸の比丘僧、諸の菩薩・阿羅漢、諸天・人民の為に、広く道智大経を説きたまふ。皆悉く経道を聞知して、歓喜踊躍して心に開解せざる者莫し。即ち四方より自然の乱風起りて、国中の七宝樹を吹くに、七宝樹皆復五の音声を作せり。乱風七宝の華を吹くに、華其の国に覆蓋し、皆虚空の中に在りて下り向ふ。華甚だ香くして極めて自ら軟好なり、香国中に遍ず。華皆自ら無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華地に堕ちて皆厚さ四寸なり。華適に小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華自然に去る。則ち四方より倶に復自然の乱風起りて、七宝樹を吹くに、七宝樹皆復自ら五の音声を作せり。乱風七宝樹の華を吹くに、華復前の如く皆自然に無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。。華地に堕ちて復厚さ四寸なり。華小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華悉く自然に去る。乱風華を吹くこと是の如く四反す。則ち第一四天王の諸天人、第二忉利天上の諸天人、第三天上の諸天人、第四天上の諸天人、第五天上の諸天人、第六天上の諸天人、第七梵天上の諸天人、上第十六天上の諸天人に到り、上三十六天上の諸天人に至るまで、皆天上万種自然の物を持ち、百種の雑色華、百種の雑香、百種の雑繒綵、百種の劫波育畳衣、万種の伎楽、転た倍して好く相勝れるを各々持ちて来り下り、無量清浄仏の為に礼を作して、則ち無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を供養す。諸の天人皆復大に伎楽を作して、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて快楽言ふべからず。諸の天人、前に来れる者転た去りて後に来る者を避く、後に来る者転た復供養すること前の如し。更相に開避す。則ち東方無央数の仏国復計ふべからず。恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著けて、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち西方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち北方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。南方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為すに礼を作して去る。則ち復四角の無央数の諸仏国、各々復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数各々是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、前みて無量清浄仏の為に礼を作し已りて、頭面を仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。
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======阿難 仏名を称す======
 
======阿難 仏名を称す======
仏阿難に告げたまはく。我若曹を哀みて、悉く無量清浄仏及び諸菩薩・阿羅漢所居の国土を見しめん。若ぢ之を見んことを欲するや。<br />
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仏阿難に告げたまはく。我<kana>若曹(なんじら)</kana>を哀みて、悉く無量清浄仏及び諸菩薩・阿羅漢所居の国土を見しめん。<kana>若(なんじ)</kana>ぢ<kana>之(これ)</kana>を見んことを欲するや。<br />
阿難則ち大に喜び長跪叉手して言さく。願はくは皆之を見んことを欲す。<br />
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阿難則ち大に喜び[[長跪]][[叉手]]して言さく。願はくは皆之を見んことを欲す。<br />
仏言はく。若起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て地に著け、南無無量清浄平等覚と言へと。<br />
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仏言はく。<kana>若(なんじ)</kana>起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て地に著け、'''南無無量清浄平等覚'''<ref>無無量清浄平等覚は阿弥陀仏の異名。覚は覚者で仏の意味。</ref>と言へと。<br />
阿難言さく。諾。教を受けて則ち起ち、更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、南無無量清浄平等覚と言ふ。阿難起たざるに、無量清浄仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方・上下の諸の無央数の仏国に遍し、天地則ち皆為に大に震動し、諸天無央数の天地、須弥山羅宝・摩訶須弥大山羅宝、諸の天地、大界・小界、其の中の諸有大泥犁・小泥犁、諸の山林・渓谷・幽冥の処、皆則ち大に明かにして、悉く雨りて大に開闢す。<br />
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阿難言さく。諾。教を受けて則ち起ち、更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、'''南無無量清浄平等覚'''と言ふ。阿難起たざるに、無量清浄仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方・上下の諸の無央数の仏国に遍し、天地則ち皆為に大に震動し、諸天無央数の天地、須弥山羅宝・摩訶須弥大山羅宝、諸の天地、大界・小界、其の中の諸有大泥犁・小泥犁、諸の山林・渓谷・幽冥の処、皆則ち大に明かにして、悉く雨りて大に開闢す。<br />
 
則ち阿難、諸の菩薩・阿羅漢等、諸天・帝王・人民、悉く皆無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、国土の七宝を見已りて、心皆大に歓喜し踊躍して、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、皆南無無量清浄三藐三仏陀と言ふ。<br />
 
則ち阿難、諸の菩薩・阿羅漢等、諸天・帝王・人民、悉く皆無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、国土の七宝を見已りて、心皆大に歓喜し踊躍して、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、皆南無無量清浄三藐三仏陀と言ふ。<br />
 
無量清浄仏の放ちたまふ光明威神にして、已に諸の無央数の天・人民及び蜎飛・蠕動の類、皆悉く無量清浄仏の光明を見たてまつりて、慈心歓喜して善を作さざる者莫し。諸有泥犁・禽獣・薜茘、諸有老治勤苦の処、則ち皆休止して復治せず、憂苦を解脱せざる者莫し。諸有盲者は則ち皆視ることを得、諸の跛躄蹇なる者は、則ち皆走り行くことを得、諸の病者は則ち皆愈え起ち、諸の尫者は則ち皆強健に、愚痴なる者は則ち皆更に黠慧に、諸有婬泆・瞋怒なる者は、皆悉く慈心にして善を作し、諸有毒を被る者は、毒皆行(めぐら)ず。鍾鼓・琴瑟・箜篌、楽器諸伎は鼓せざるに皆自ら音声を作し、婦女の珠環は皆自ら声を作し、百鳥畜獣は皆自ら悲鴫す。是の時に当りて、歓喜して過度を得ざる者莫し。則ち時に爾日、諸仏国中の諸天・人、天上の華香を持ちて来り下り、虚空の中に於て悉く皆諸仏及び無量清浄仏の上に供養し、散ぜずといふこと莫し。諸天各々共に、大に万種自然の伎楽を作して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて、甚快楽すること言ふべからず。
 
無量清浄仏の放ちたまふ光明威神にして、已に諸の無央数の天・人民及び蜎飛・蠕動の類、皆悉く無量清浄仏の光明を見たてまつりて、慈心歓喜して善を作さざる者莫し。諸有泥犁・禽獣・薜茘、諸有老治勤苦の処、則ち皆休止して復治せず、憂苦を解脱せざる者莫し。諸有盲者は則ち皆視ることを得、諸の跛躄蹇なる者は、則ち皆走り行くことを得、諸の病者は則ち皆愈え起ち、諸の尫者は則ち皆強健に、愚痴なる者は則ち皆更に黠慧に、諸有婬泆・瞋怒なる者は、皆悉く慈心にして善を作し、諸有毒を被る者は、毒皆行(めぐら)ず。鍾鼓・琴瑟・箜篌、楽器諸伎は鼓せざるに皆自ら音声を作し、婦女の珠環は皆自ら声を作し、百鳥畜獣は皆自ら悲鴫す。是の時に当りて、歓喜して過度を得ざる者莫し。則ち時に爾日、諸仏国中の諸天・人、天上の華香を持ちて来り下り、虚空の中に於て悉く皆諸仏及び無量清浄仏の上に供養し、散ぜずといふこと莫し。諸天各々共に、大に万種自然の伎楽を作して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて、甚快楽すること言ふべからず。

2022年2月4日 (金) 22:12時点における最新版

『無量清浄平等覚経』四巻。略して『平等覚経』ともいう。後漢(25~220)の支婁迦讖訳と伝えられてきたが、曹魏(220~265年))の帛延訳ともいわれる。『大経』の異訳の一。阿弥陀仏の本願は、「四十八願」ではなく、「二十四願」であることから、同じく「二十四願」を説く『阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(『大阿弥陀経』ともいう)と並んで古層の経典であろうかといわれる。 大谷派の聖教電子化研究会さんより許可を得て転載

編集中


仏説無量清浄平等覚経

仏説無量清浄平等覚経 巻第一

後漢月支国 三蔵支婁迦讖訳

仏王舎国霊鷲山の中に在まして、大弟子衆千二百五十人と与なりき。菩薩七十二那術、比丘尼五百人、清信士七千人、清信女五百人、欲天子八十万、色天子七十万、遍浄天子六十那術、梵天一億、皆仏に随ひて住せり。
神通飛化の弟子あり、名けて知本際賢者・馬師賢者・大力賢者・安詳賢者・能讃賢者・満願臂賢者・無塵賢者・氏聚迦葉賢者・牛呵賢者・上時迦葉賢者・治恒迦葉賢者・金杵坦迦葉賢者・舎利弗賢者・大目犍連賢者・大迦葉賢者・大迦旃延賢者・多睡賢者・大賈師賢者・大痩短賢者・盈弁了賢者・不争有無賢者・知宿命賢者・了深定賢者・善来賢者・離越賢者・痴王賢者・氏戒聚賢者・類親賢者・氏梵経賢者・多飲賢者・王宮生賢者・告来賢者・氏黒山賢者・経刹利賢者・博聞賢者と曰ふ。
其の女の弟子あり、名て大欽姓比丘尼・幻者比丘尼・蓮華色比丘尼・生地動比丘尼。生地担比丘尼・生則侍者頭痛比丘尼・安豊殖比丘尼・体柔軟比丘尼・勇生行比丘尼・自浄比丘尼と曰ふ。

清信士あり、名けて給飯孤独長者・安念衆長者・快臂長者・火英長者・善容長者・具足宝長者・名遠聞長者・香辟疫長者・安吉長者・施宝盈長者・欣讃長者・胎施殷長者・供異道長者・勇降怨長者・宝珥長者・宝結長者と曰ふ。
清信女あり、名けて生僂と曰ひ、名けて黒哲と曰ひ、名けて信法と曰ひ、名けて軟善と曰ひ、名けて楽涼と曰ひ、名けて忍苦楽と曰ひ、名けて楽愛優婆夷と曰ふ。此の如きの人、皆一種類に、諸垢を消尽する勇浄の者なり。無数の衆、悉く共に大会す。

時に仏坐して正道を思念したまふに、面に九色の光有りて、数千百変す。光甚だ大明なり。賢者阿難、即ち座より起ちて、更に衣服を正しくし、仏足を稽首して、長跪叉手し、前みて仏に白して言さく。今仏の面目光色、何を以て時時に更変の明かなること乃し爾るや。今仏の面目の光精、数百千色にして、上下明徹して、好きこと乃し是の如くなる。我仏に侍へたてまつりてより已来、未だ曽て仏の身体、光曜巍巍として重明なること乃し爾るを見たてまつらず。我未だ曽て至真等正覚の光明威神、今日の如く明好にして妄ならざること有るを見たてまつらず。会ず当に諸の過去・当来、若しは他方仏国の今現在の仏を念ずなるべし。

仏阿難に告げたまはく。諸天有りて来りて汝に教ふるや、諸仏汝に教へて、我に問はしむるや。若自らの智より出づるや。
阿難仏に白して言さく。亦諸天にても無く諸仏の教にても無し。我今仏に問ひたてまつるは、自ら意より出で来りて仏に白したてまつるのみ。仏の坐起、若しは行出入、至り到る所、当に作為すべし所、当に教勅すべし所有る毎に、我輒ち仏意を知る。今仏独り当に展転して相思ひたまふなるべし。故に面色光明をして、乃し此の如くならしむるのみ。
仏言はく。善い哉阿難、若が問へる所の者は、甚深にして快善なり、度脱する所多し。若が仏に問へるは、一天下の阿羅漢・辟支仏を供養し、諸天・人民及び蜎飛蠕動の類に布施すること累劫ならんに勝れること、百千万億倍なり。

仏言はく。阿難、今諸天帝王人民及び蜎飛蠕動の類、汝皆之を度脱す。
仏言はく。仏は威神甚だ重くして当り難し。若が問へる所の者は大に深し。汝乃し慈心ありて、仏所に於て諸天・人民、若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を哀むこと、大に善し。当に爾爾皆之を過度すべし。

教巻引文(5)

仏阿難に語りたまはく。世間に優曇鉢樹有り、但実有りて華有ること無し。天下に仏有ます、乃し華有りて出づるが如し。世間に仏有ませども、甚だ値ふことを得ること難し。今我仏と作りて、天下に出でたり。若じ大徳有りて、聡明善心にして予て仏意を知るに、若じ忘れずば仏辺に在りて仏に侍へたてまつらん。若じ今問へる所、善く聴き諦かに聴け。

仏阿難に語りたまはく。前の已過去の劫、大衆多にして計ふべからず、辺幅無く議り及ぶべからず。爾の時過去の仏有ましき、定光如来と名く。復次に仏有ます、名けて曜光と曰ふ。復次に仏有ます、日月香と名く。復次に仏有ます、安明山と名く。復次に仏有ます、日月面と名く。復次に仏有ます、無塵垢と名く。復次に仏有ます、無沾汚と名く。復次に仏有ます、名けて如竜無所不伏と曰ふ。復次に仏有ます、名けて日光と曰ふ。復次に仏有ます、大音王と名く。復次に仏有ます、宝潔明と名く。復次に仏有ます、名けて金蔵と曰ふ。復次に仏有ます、焰宝光と名く。復次に仏有ます、名けて有挙地と曰ふ。復次に仏有ます、名けて琉璃光と曰ふ。復次に仏有ます、日月光と名く。復次に仏有ます、名けて日音声と曰ふ。復次に仏有ます、光明華と名く。復次に仏有ます、神通遊持意如海と名く。復次に仏有ます、嗟歎光と名く。復次に仏有ます、具足宝潔と名く。復次に仏有ます、光開化と名く。復次に仏有ます、名けて大香聞と曰ふ。復次に仏有ます、名けて降棄恚嫉と曰ふ。復次に仏有ます、妙琉璃紫磨金焰と名く。復次に仏有ます、心持道華無能過者と名く。復次に仏有ます、積衆華と名く。復次に仏有ます、水月光と名く。復次に仏有ます、除衆冥と名く。復次に仏有ます、日光蓋と名く。復次に仏有ます、温和如来と名く。復次に仏有ます、名けて法意と曰ふ。復次に仏有ます、師子威象王歩と名く。復次に仏有ます、名けて世豪と曰ふ。復次に仏有ます、名けて浄音と曰ふ。復次に仏有ます、不可勝と名く。復次に仏有ます、楼夷亘羅と名く。中に在まして教授したまふこと四十二劫なり。皆已に過ぎ去れり。
乃し爾の劫の時仏と作り、天上天下人中の雄、経道法の中勇猛の将なり。仏諸天及び世人民の為に、経を説き道を講ず、能く世饒王に過ぎたる者莫し。

経道を聞き歓喜し開解して、便ち国位を棄て行じて比丘と作り、曇摩迦留と名く。菩薩意を発して、人と為り高才、智慧勇猛にして、能く踰ゆる者無し。世に絶異せり。世饒王仏の所に至りて、稽首して礼を為し、長跪叉手して、仏を称讃して言く。

無量の光曜 威神極有ること無し
是の如きの焰明 能く与に等しき者無し
若しは日・摩尼・火・月・水の形を以てするも
其の景及ぶべからず 其の色亦比べ難し
顔色称量し難し 一切世の最なり
是の如きの大音声 諸の無数刹に遍く
或は三昧定・精進及び智慧を以て
威徳輩有ること無し 殊勝にして亦希有なり
深微に諦かに善念し 是より仏法を得
持覚海の若如く 其の限底有ること無し
瞋恚及び愚痴は 世尊の無き所なり
仏の世雄を嗟歎するに 終始厭足無し
仏は好花樹の如く 愛楽せざる者莫し
処処の人民見て 一切皆歓喜す
我をして作仏せしめん時 願はくは法王の如く
生死を過度し 解脱せざる者無からしめ
檀施・調伏意・戒・忍及び精進
是の如きの三昧定・智慧上最為らん
吾誓ふ仏を得ば 普く此の事を逮得して
一切諸の恐懼 我為に大安を獲しめん
仮令ひ百千 億万那術の仏有らん
是の如きの仏の数 恒水の沙の如くならしめ
計るに沙等の仏を以てす 一切皆供養せんよりは
正道を求めんには如かず 堅勇にして而も怯れず
譬へば恒水の中の 流沙の如きの世界
復倍して計ふべからず 無数の刹土
光焰一切炤かに 此の諸数の国に遍からん
是の如きの精進力 威神量るべきこと難し
我世雄と為らんに 国土をして最第一ならしめん
其の衆は殊に妙好に 道場は諸刹に踰へ
国は泥洹界の如く 而も等双あること無からん
我当に常に愍哀して 一切の人を度脱せん
十方より往生せん者 其の心悦清浄に
已に我が国に来到せば 快楽の喜び安隠ならん
幸はくは仏見て信明したまへ 是我が第一の証なり
発願彼に在り 精進して欲する所を力めん
十方の諸の世尊 皆無礙の慧有ます
常に此の尊雄を念じ 我が心の所行を知りたまへ
我が身をして 諸の苦毒の中に止住せしむとも
我が行精進に力めて 之を忍びて終に悔いず

法宝蔵比丘、此を説き世饒王如来・至真・等正覚を唱讃し已り、意を発して無上正真道の最正覚を求めんと欲す。我是の願を立つること、多陀竭仏の如く、所有者の願悉く之を得て、人の勤苦生死の根本を抜きて、悉く仏の如くならしめん。唯為に経を説きたまへ。施行すべき所を、疾く得しめて、決して我仏と作らん時、及ぶ者無からしめよ。願はくは仏我が為に諸仏国の功徳を説きたまへ、我当に奉持すべし。当に那の中に住して、願を取りて仏と作り、国も亦是の如くなるべし。

仏阿難に語りたまはく。其の世饒王仏、其の高明の所願の快善なるを知りて、即ち法宝蔵菩薩の為に経を説きて言はく。譬へば大海の水を、一人にして之を升量せんに、一劫にして止まずば、尚枯尽して海をして空竭ならしめ其の底泥を得べきが如し。人至心に道を求めんに、何んが而も当に得べからざらんや。求索すること精進にして休止せざれば、会ず心中所欲の願を得べきのみ。

法宝蔵菩薩、世饒王仏の経を説きたまふこと是の如くなるを聞きて、則ち大に歓喜し踊躍す。其の仏則ち為に二百一十億の仏国の中の諸天人民の善悪、国土の好醜を選択して、為に心中の所願を選ばしめ、用て之を与ふ。
世饒王仏、経を説きたまふこと竟りて、法宝蔵菩薩、便ち其の心を壱にして、則ち天眼を得て、徹視して悉く自ら二百一十億の諸仏国の中の諸天・人民の善悪、国土の好醜を見て、則ち心所欲の願を選びて、便ち是の二十四願経を結得し、則ち之を奉行すること、精進勇猛に、勤苦し求索す。是の如くなること無央数劫なり。
師事し供養する所の諸仏、已過去の仏も、亦無央数なり。其の法蔵菩薩、其の然る後に至りて、自ら致して作仏を得て、無量清浄覚と名く。最尊智慧勇猛にして、光明比無し。今現在の所居の国甚だ快善なり。他方異仏の国に在りて、八方・上下の無央数の諸天・人民及び蜎飛蠕動の類を教授するに、憂苦を過度し解脱するを得ずといふこと莫し。
無量清浄仏、菩薩為りし時、常に是の二十四願を奉行して、珍宝のごとく愛重し、保持し恭順し、精進にして禅ら之を行ず。衆と超絶し、卓然として異有り。皆能く及ぶ者有ること無し。仏言はく。何等をか二十四願と為す。

一に我作仏せん時、我が国中に地獄・禽獣・餓鬼・蜎飛蠕動の類有ること無からしめん。是の願を得ば乃ち作仏せん。是の願に従ふことを得ずば、終に作仏せず。

二に、我作仏せん時、我が国中の人民、我が国に来生する者有らんに、我が国より去りて、復地獄・餓鬼・禽獣・蠕動に更らざらしめん。其の中に生ずること有らば、我作仏せず。

三に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、一色類の金色ならずば、我作仏せず。

四に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、天人・世間人に異者有らば、我作仏せず。

五に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、皆自ら従来する所の生の本末、従来する所の十億劫の宿命を推して、悉く従来する所の生を知念せずば、我作仏せず。

六に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、悉く徹視せずば、我作仏せず。

七に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、悉く他人の心中の所念を知らずば、我作仏せず。

八に、我作仏せん時、我が国中の人民、悉く飛せずば、我作仏せず。

九に、我作仏せん時、我が国中の人民、悉く徹聴せずば、我作仏せず。

十に、我作仏せん時、我が国中の人民、愛欲有らば、我作仏せず。

十一に、我作仏せん時、我が国中の人民、尽く般泥洹に住止せん。爾らずば、我作仏せず。

十二に、我作仏せん時、我が国の諸の弟子、八方・上下の各千億仏国中の諸天・人民・蠕動之類をして、縁一覚の大弟子と作らしめ皆禅一心に、共に我が国中の諸の弟子を数へて、百億劫に住至すとも、能く数ふる者無からしめん。爾らずば、我作仏せず。

十三に、我作仏せん時、我が光明をして日月、諸仏の明に勝ること百億万倍ならしめ、無数の天下の窈冥の処を炤らして、皆常に大に明かならしめん。諸天・人民・蠕動之類、我が光明を見て慈心にして善を作し我が国に来生せざるはなけん。爾らずば、我作仏せず。

十四に、我作仏せん時、八方・上下の無数の仏国の諸天・人民・蠕動之類を令て、縁一覚果証の弟子を得しめ、坐禅一心に共に我が年寿幾千万億劫と計へ知らんと欲はんに、能く寿の涯底を知る者無からしめん。爾らずば、我作仏せず。

十五に、我作仏せん時、人民我が国に来生する者有らんに、我が国中の人民の所願をば除き。余の人民の寿命、能く計る者有ること無けん。爾らずば、我作仏せず。
十六に、我作仏せん時、国中の人民、皆悪心有ること莫らしめん。爾らずば、我作仏せず。

行巻引文(10)

十七に、我作仏せん時、我が名をして八方・上下の無数の仏国に聞かしめん。諸仏各々弟子衆の中にして、我が功徳、国土の善を歎ぜん。諸天・人民・蠕動の類、我が名字を聞きて、皆悉く踊躍せんもの、我が国に来生せしめん。爾らずば、我作仏せず。

十八に、我作仏せん時、諸仏国の人民、菩薩道を作す者有り、常に我を念じて心を浄潔せんに、寿終る時、我不可計の比丘衆と与に、飛行して之を迎え、共に前に在りて立ち、即ち還りて我が国に生じて、阿惟越致と作らん。爾らずば、我作仏せず。

行巻引文(10)

十九に、我作仏せん時、他方仏国の人民、前世に悪の為に。我が名字を聞き、及び正しく道の為に。我が国に来生せんと欲はん。寿終へて皆復三悪道に更らざらしめて、則ち我が国に生まれんこと心の所願に在らん。爾らずば、我作仏せず。

二十に、我作仏せん時、我が国の諸の菩薩、一生に等しくして、是の余願功徳を置かざらん。爾らずば、我作仏せず。

二十一に、我作仏せん時、我が国の諸の菩薩、悉く三十二相ならずば、我作仏せず。

二十二に、我作仏せん時、我が国の諸の菩薩、共に八方・上下の無数の諸仏を供養せんと欲はんに、皆飛行せしめ、万種自然の物を得んと欲はんに、則ち皆前に在りて、持用して諸仏を供養し、悉く遍くし已りて後、日未だ中ならず、則ち我が国に還らん。爾らずば、我作仏せず。

二十三に、我作仏せん時、我が国の諸の菩薩、飯せんと欲する時は、則ち七宝の鉢の中に、自然百味の飲食を生じて前に在り、食し已らば鉢皆自然に去らん。爾らずば、我作仏せず。

二十四に、我作仏せん時、我が国の諸の菩薩、経を説き道を行ずること、仏の如くならずば、我作仏せず。。

仏阿難に告げたまはく。無量清浄の仏、菩薩為りし時、常に是の二十四願を奉行し、分檀布施して、道禁を犯さず、忍辱・精進・一心・智慧、志願常に勇猛に、経法を毀らず、求索して懈らず、毎に独り国を棄て王を捐てて、財色を絶ち去り、精明に求願して、適莫する所無く、功を積み徳を累ぬること無央数劫にして、自ら作仏を致し、悉く皆之を得て、其の功を忘れず。

仏言はく。無量清浄仏の光明は、最尊第一にして比無し、諸仏の光明の、皆及ばざる所なり。八方・上下の無央数の諸仏の中に、仏の項中の光明七丈を照らす有り、中に仏の項中の光一里を照らす有り、中に仏の項中の光明五里を照らす有り、中に仏の項中の光明二十里を照らす有り、中に仏の項中の光明四十里を照らす有り、中に仏の項中の光明八十里を照らす有り、中に仏の項中の光明百六十里を照らす有り、中に仏の項中の光明三百二十里を照らす有り、中に仏の項中の光明六百四十里を照らす有り、中に仏の項中の光明千三百里を照らす有り、中に仏の項中の光明二千六百里を照らす有り、中に仏の項中の光明五千二百里を照らす有り、中に仏の項中の光明万四百里を照らす有り、中に仏の項中の光明二万一千里を照らす有り、中に仏の項中の光明四万二千里を照らす有り、中に仏の項中の光明八万四千里を照らす有り、中に仏の項中の光明十七万里を照らす有り、中に仏の項中の光明三十五万里を照らす有り、中に仏の項中の光明七十万里を照らす有り、中に仏の項中の光明百五十万里を照らす有り、中に仏の項中の光明三百万里を照らす有り、中に仏の項中の光明六百万里を照らす有り、中に仏の項中の光明千二百万里を照らす有り、中に仏の項中の光明一仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明両仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明四仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明八仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明十五仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明三十仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明六十仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明百二十仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明五百仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明二千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明四千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明八千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明万六千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明三万二千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明六万四千仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明十三万仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明二十六万仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明五十万仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明百万仏国を照らす有り、中に仏の項中の光明二百万仏国を照らす有り。

仏言はく。八方・上下の無央数の諸仏、其の項中の光明、照らす所。皆是の如くなり。無量清浄仏の項中の光明、千万仏国を焰照す。諸仏の光明の照らす所に遠近有る所以は何んとなれば、本前世宿命に、道を求めて菩薩為りし時、所願の功徳に、各々自ら大小有り、其れ然して後仏と作る時に、悉く各々自ら之を得たり。是の故に光明をして転た同等ならざらしむ。諸仏の威神は同等なるのみと。自在の意の所欲、作為して予して計らず、無量清浄仏の光明の照らす所最大なり、諸仏の光明の及ぶこと能はざる所なり。

仏無量清浄仏の光明を称誉したまふ。無量清浄仏の光明は、極善にして善の中の明好なり。甚だ快きこと比無し、絶殊無極なり。無量清浄仏の光明は、殊好にして、日月の明よりも勝れたること、百億万倍なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の極明なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の極好なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の極雄傑なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の快善なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の王なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の最極尊なり。無量清浄仏の光明は、諸仏の光明の中の寿明無極なり。無量清浄仏の光明は、諸の無央数の天下の幽冥の処を焔照するに、皆常に明かなり。諸有の人民・蜎飛・蠕動の類、無量清浄仏の光明を見たてまつらざること莫し。無量清浄仏の光明を見たてまつりて、慈心歓喜せざる者莫けん。世間諸有の婬姪・瞋怒・愚痴も、無量清浄仏の光明を見たてまつりて、善を作さざる者莫けん。諸の泥犁・禽獣・薛茘・考掠・勤苦の処にありて、無量清浄仏の光明を見たてまつれば、至て皆休止して復治することを得ざれども、。死して後憂苦を解脱することを得ざる者は莫きなり。
無量清浄仏の光明と名とは、八方・上下の無窮無極無央数の仏国に聞かしめたまふ。諸天・人民、聞知せざること莫し、聞知せん者、過度を得ざる者莫し。

仏言はく。我独り無量清浄仏の光明を称誉せざればなり。八方・上下の無央数の諸仏・辟支仏・菩薩・阿羅漢の称誉する所皆是の如し。
仏言はく。其れ人民有りて、善男子・善女人、無量清浄仏の声を聞きて、光明を称誉して、是の如く朝暮に常に其の光明の明好を称誉して、心を至して断絶せざれば、心の欲願する所に在りて、無量清浄仏国に往生し、。諸の菩薩・阿羅漢の為に尊敬せられ、智慧勇猛なることを得べし。若し其れ然して後作仏せば、亦当に復八方・上下の無央数の辟支仏・菩薩・阿羅漢の為に、光明を称誉せらるること、亦当に復是の如くなるべし。則ち衆の比丘僧、諸の菩薩・阿羅漢、諸の天・帝王・人民、之を聞きて皆歓喜し踊躍して、讃歎せざる者莫けん。

仏言はく。我道ふ、無量清浄仏の光明は、姝好にして巍巍たり。快善なることを称誉すること、昼夜一劫すれども、尚未だ竟らず。我但若曹が為に小しく之を説くのみ。仏無量清浄の菩薩為りしとき、求索して是の二十四願を得たまふことを説きたまふ。時に阿闍世王太子、五百の大長者迦羅越の子と与に、各々一の金華蓋を持して、前みて仏に上り已りて、悉く坐して一面に却き、経を聴けり。

行巻引文(10)

阿闍世王太子及び五百の長者子、無量清浄仏の二十四願聞きて、皆大に歓喜し踊躍して、心中に倶に願じて言く。我等後作仏せん時、皆無量清浄仏の如くならしめん。仏則ち之を知ろしめして、諸の比丘僧に告げたまはく。是の阿闍世王太子、及び五百の長者子は、無央数劫を却りて後、皆当に作仏して無量清浄仏の如くなるべし。
仏言はく。是の阿闍世王太子、五百の長者子、菩薩の道を作してより、已来、無央数劫に、皆各々四百億仏を供養し已りて、今復来りて我を供養せり。是の阿闍世王太子、及び五百人等、皆前世に迦葉仏の時、我が為に弟子と作れりき。今皆復是に会して共に相値へるなり。則ち諸の比丘僧、仏の言を聞きて皆心踊躍して、歓喜せざる者莫けん。

仏阿難に告げたまはく。無量清浄仏、作仏してより已来、凡そ十八劫なり。所居の国を須摩提と名く。正しく西方に在り。是の閻浮刹の地界を去ること、千億万須弥山仏国なり。其の国の地は皆自然の七宝なり。其の一宝は白銀と名く、二宝は黄金と名く、三宝は水精、四宝は琉璃、五宝は珊瑚、六宝は虎珀、七宝は車磲なり。是の七宝、皆以て自ら共に地と為り、曠蕩にして甚大無極なり。皆自ら相参りて転た中に相入る。各々自ら焜煌として光を参へ、極明自然なり。甚だ軟かにして姝好なること比無し。
其の七宝地の如きは、諸の八方・上下の衆宝の中の精、都て自然の合会にして、共に化生なるのみ。其の宝は比へば第六天上の七宝の如くなり。其の国中には須弥山有ること無く、其の日・月・星辰、第一四天王・第二忉利天、皆虚空の中に在り。其の国土には、大海水有ること無く、亦小海水も無く、江河・恒水も無きなり。亦山林・渓谷も無く、幽冥の処も有ること無し。其国の七宝の地は皆平正なり。泥犁・禽獣・餓鬼・蜎飛・蠕動之類有ること無く、阿須倫・諸の竜鬼神も無し、終に大雨の時有ること無く、亦春・夏・秋・冬無し。亦大寒有ること無く、亦大熱ならず。常に和調中適にして、甚だ快善なること比無し。皆有万種自然の物有り。百味の飲食、意に得る所有らんと欲はば、則ち自然に前に在り。意に用ひざらんとせば、則ち自然に化し去る。比へば第六天上の自然の物の如し。恣若に自然に則ち皆意に随ふ。
其の国中には悉く諸の菩薩・阿羅漢のみにして、婦女有ること無し。寿命極寿に、寿も亦無央数劫なり。女人往生すれば、則ち化生して皆男子と作る。但菩薩・阿羅漢のみ有りて、無央数なり。悉く皆洞かに視徹かに聴き、悉く遥に相見、遥に相瞻望し、遥に相聞く。語る声は悉く皆道の善なる者を求む。同一種類にして、異人有ること無し。其の諸の菩薩・阿羅漢、面目皆端正にして、清潔絶好なり。悉く同一色にして、偏に醜悪なる者有ること無し。諸の菩薩・阿羅漢、皆才猛黠慧なり。其の衣服する所、皆衣は自然の衣なり。都て心中に念ずる所、常に道徳を念ず。其の語り言はんと欲する所は、便ら皆予して相知る。意に其の念ずる所も、言に道ふも常に五事を説く。
其の国中の諸の菩薩・阿羅漢、自ら共に相与に語る言、輒ち経道を説きて、終に他余の悪を説かず。其の語言の音響、三百鍾の声の如く、皆相敬愛して、相憎む者有ること無し。皆自ら長幼・上下・先後を以て之を言ふ。都て共に往会するに、義を以てして礼し、転た相敬事すること、兄の如し弟の如し。仁を以てし義を履み、妄に動作せず。言語りて誠に、転た相教令して、相違戻せず。転た相承受して、皆心潔浄にして、貪慕する所無く、終に婬姝・瞋怒の心、愚痴の態有ること無く、邪心にして婦女を念ふ意有ること無し。悉く智慧勇猛に、和心歓楽して、喜経道を好み、皆自ら其の前世よりの従来する所の生、億万劫世の時の宿命の善悪・存亡を知り、現在も却て知ること極無し。

無量清浄仏の教授したまふべき所の講堂・精舎は、皆復自然の七宝なり。金・銀・水精・琉璃・白玉・虎珀・車磲、自ら共に転た相成ず。甚だ姝明好絶にして、姝きこと比無し。亦作る者有ること無く、亦従来する所を知らず。亦持ち来たる者有ること無く、亦従去する所も無し。無量清浄仏の願じたまふ所の徳重ければなり。其の人善を作す、故に論経・語義・説経・行道、其の中に講会して、自然に化生するのみ。其の講堂・精舎には、皆復七宝の楼観欄楯有り。金・銀・水精・琉璃・白玉・虎珀・車磲を以て瓔珞と為し、復白珠・明月珠・摩尼珠を以て交絡と為して、其の上に覆蓋せり。皆自ら五の音声を作す、音声甚だ姝きこと比無し。無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢所居の舎宅も、皆復七宝を以てす。金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀・車磲・馬瑙化生し、転た共に相成ず。其の舎宅に皆悉く各々七宝の楼観欄楯有り。金・銀・水精・琉璃・白玉・虎珀・車磲を以て瓔珞と為し、復白珠・明月珠・摩尼珠を以て交絡と為して、其の上を覆蓋す。皆各々復自ら五音声を作せり。

無量清浄仏の講堂・精舎及び諸の菩薩・阿羅漢の所居の七宝の舎宅の中、外内処処に、皆復自然の流泉水浴池あり。其の浴池は、皆復自然の七宝を以てなり。七宝倶に生じて、金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀・車磲、転た共に相成ず。水底の沙も皆復七宝を以てす。金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀・車磲なり。純白銀の池有れば、其の底の沙は皆黄金なり。中に純黄金の池有れば、其の水底の沙は皆白銀なり。中に純水精の池有れば、其の水底の沙は皆琉璃なり。中に純琉璃の池有れば、其の水底の沙は皆水精なり。中に純珊瑚の池有れば、其の水底の沙は皆虎珀なり。中に純虎珀の池有れば、其の水底の沙は咸珊瑚なり。中に純車磲の池有れば、其の水底の沙は皆馬瑙なり。中に純瑪瑙の池有れば、其の水底の沙は皆車磲なり。中に純白玉の池有れば、其の水底の沙は皆紫磨金なり。中に純紫磨金の池有れば、其の水底の沙は皆白玉なり。中に復二宝の共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、皆金・銀なり。中に復三宝共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、皆金・銀・水精なり。中に復四宝共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、金・銀・水精・琉璃なり。中に復五宝共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、皆金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀なり。中に復六宝共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、皆金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀・車磲なり。中に復七宝共に一池を作す者有り、其の水底の沙は、皆金・銀・水精・琉璃・珊瑚・虎珀・車磲・馬碯なり。其の浴池の中に長さ四十里なる者有り、中に池の長さ八十里なる者有り、中に池の長さ百六十里なる者有り、中に池の長さ三百二十里なる者有り、中に池の長さ六百四十里なる者有り、中に池の長さ千二百八十里なる者有り、中に浴池の長さ二千五百六十里なる者有り、中に浴池の長さ五千一百二十里なる者有り、中に浴池の長さ万二百四十里なる者有り、中に浴池の長さ二万四百八十里なる者有り。其の縦広各々適等なり。是の浴池は、皆諸の菩薩・阿羅漢の、常に浴すべき所の池なり。
仏言はく。無量清浄仏の浴池の長さは四万八千里、広さも亦四万八千里なり。其の浴池は皆七宝もて転た自ら共に相成ず。其の池水の底の沙は、皆復七宝・白珠・明月珠・摩尼珠を以てす。

無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の浴池の中の水は、皆清浄香潔なり。中に皆香華有り、悉く自然に生ず。百種の華、種種色異にし香を異にす。華皆千葉なり。諸の華甚だ香しきこと比無し。香言ふべからず。其の華の香は、亦復世間の華に非ず、復天上の華に勝れたり。是の華香は、八方・上下の衆の華香の中の精なり。自然に生ずるのみ。池中の水流行して、転た相潅注す。池中の水流も亦遅からず亦駃からず、皆復自ら五の音声を作せり。
仏言はく。八方・上下の無央数の仏国の諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類、諸の無量清浄仏国に生ずる者は、都て皆是の七宝の水池の蓮華の中に化生し、便則ち自然に長大して、亦乳養の者無く、皆自然の飲食を食す。其の身体も、亦世間の人の身体に非ず、亦天上の人の身体にも非ず。皆衆善の徳を積みて、悉く自然虚無の身体を受け、甚だ姝好にして比無きなり。

仏阿難に語りたまはく。世間の貧窮・乞丐人の如きは、帝王の辺に在りて住せしむれば、其の人の面目形貌、何等に類せんや。寧ろ帝王の面目・形貌・顔色に類するや、いなや。
阿難言さく。仮令ひ子をして帝王の辺に在りて住せしむれば、其の面目形状、甚だ醜悪にして好からず、帝王の面目形類の姝好なるに如かざること百千億万倍なり。所以は何ん。乞人の貧窮困極なるを見るに、飲食未だ曽て美食の時有らず。既に悪食すら飽食を得ること能はず、食栽かに命を支へ、骨節相撐拄して、用て自ら給する所無し、常に乏しくして儲有ること無く、飢餓寒凍、怔忪愁苦せり。
但其の前世の宿命に人と為りし時、愚痴無智なるに坐り、富みて益々慳み、財有りて肯て仁賢を慈哀し、善を為し博く愛して施与せず、但唐らに得んことを欲して、飲食を貪惜し独り嗜美を食し、施貸して後に償報を得ることを信ぜず、復善を作して後世に其の福を得ることを信ぜず、蒙篭項佷にして、益々衆悪を作す。是の如くして寿終り、財物尽き索つく。素より恩徳無く、恃怙する所無し。
悪道の中に入りて、之に坐りて苦に適ふ。然る後出でて解脱することを得て、今生に人と為れども、下賤と作りて貧家に子と作り、強ひて人の形に像たれども、状貌甚だ醜く、衣被弊壊して、単り空しく独立して、形体を蔽はず、乞匃して生活するのみ。飢寒因苦し、面目羸劣にして、人の色に類せず。其の前世の身の作す所に坐せられて、其の殃罰を受く。衆に示して之を見せしむるに、誰も哀む者莫し。市道に棄捐せられ、暴露痟痩し、黒醜悪極にして人に及ばざるのみ。
帝王の人中の独尊最好なる所以は何ぞ、皆其の前世宿命に人と為りし時、善を作し、経道を信愛し、恩徳を布施し、博く愛して義に順ひ、慈仁にして喜びて与へ、飲食を貪らず、衆と之を共にして、遺惜する所無く、都て違諍無し。其の福徳を得て、寿終りて徳に随ひて悪道に更らず、今生に人と為り王家に生るることを得、自然に尊貴にして、独り王となり、人民を典主し攬制し、人の雄傑と為る。面目潔白に、和顔好色にして、身体端正なり。衆に共に敬事せられ、美食好衣、心に随ひ意に恣なり。楽みに在りて欲する所は、自然に前に在りて、都て違諍無し。人中に於て姝好にして、憂無く、快楽にして面色光沢なり。故に乃し爾るのみ。

仏説無量清浄平等覚経巻第一


仏説無量清浄平等覚経 巻第二

後漢月支国三蔵支婁迦讖訳

仏阿難に告げたまはく。若が言是なり、帝王の如きは人中にに於て好きこと比無しと雖も、当に遮迦越王の辺に在りて住せしむれば、其の面目形貌甚だ醜悪にして、其の状好からざること、比へば乞人の帝王の辺に在りて住するが如くなるべし。帝王の面醜にして、尚復遮迦越王の面色の姝好なるに如かざること、百千億万倍なり。遮迦越王の如きは、天下に於て絶えて好きこと比無きも、当に第二忉利天の帝釈の辺に在りて住せしむれば、其の面甚だ醜くして好からざること、尚復天帝釈の面貌端正にして姝好なるに如かざること、百千億万倍なるべし。天帝釈の如きも、第六天王の辺に在りて住せしむれば、其の面貌甚だ醜くして好からざること、尚復第六天王の面貌端正にして姝好なるに如かざること、百千億倍なり。第六天王の如きも、無量清浄仏国の中にの諸の菩薩・阿羅漢の辺に在りて住せしむれば、其の面甚だ醜くして、尚復無量清浄仏国中にの諸の菩薩・阿羅漢の面貌端正にして姝好なるに如かざること、百千億万倍なり。

仏言はく。無量清浄仏の諸の菩薩・阿羅漢の面貌は、悉く皆端正にして絶えて好きこと比無し、泥洹の道に次しなり。
仏阿難告げたまはく。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の講堂・精舎、居処る所の舎宅の中に外の浴池の上に、皆七宝の樹有り、中に純銀の樹有り、中に純金の樹有り、中に純水精の樹有り、中に純琉璃の樹有り、中に純白玉の樹有り、中に純珊瑚の樹有り、中に純虎珀の樹有り、中に純車磲の樹有りて、種種に各々自ら異行なり。中に復両宝の共に一樹と作る者有り。銀樹には銀根・金茎・銀枝・金葉・銀華・金実あり、金樹には金根・銀茎・金枝・銀葉・金華・銀実あり。是の両宝樹転た共に相成じて、各々自ら異行なり。中に復三宝の共に一樹と作る者有り、銀樹には銀根・金茎・水精枝・銀葉・金華・水精実あり、金樹には金根・銀茎・水精枝・金葉・銀華・水精実あり、水精樹には水精根・銀茎・金枝・水精葉・銀華・金実あり。是の三宝樹転た共に相成じて、各々自ら異行なり。中に復四宝の共に一樹と作る者有り、銀樹には銀根・金茎・水精枝・琉璃葉・銀華・金実あり、金樹には金根・銀茎・水精枝・琉璃葉・金華・銀実あり、水精樹には水精根・琉璃茎・銀枝・金葉・水精華・琉璃実あり、琉璃樹には琉璃根・水精茎・金枝・銀葉・琉璃華・水精実あり。是の四宝樹転た共に相成じて、各々自ら異行なり。中に復五宝の共に一樹と作る者有り、銀樹には銀根・金茎・水精枝・琉璃葉・珊瑚華・金実あり、金樹には金根・銀茎・水精枝・琉璃葉・珊瑚華・銀実あり、水精樹には水精根・琉璃茎・珊瑚枝・銀葉・金華・琉璃実あり、琉璃樹には琉璃根・珊瑚茎・水精枝・金葉・銀華・珊瑚実あり、珊瑚樹には珊瑚根・琉璃茎・水精枝・金葉・銀華・琉璃実あり。是の五宝樹転た共に相成じて、各々自ら異行なり。中に復六宝の共に一樹と作る者有り、銀樹には銀根・金茎・水精枝・琉璃葉・珊瑚華・虎珀実あり、金樹には金根・銀茎・水精枝・琉璃葉・虎珀華・珊瑚実あり、水精樹には水精根・琉璃茎・珊瑚枝・銀葉・虎珀華・金実あり、琉璃樹には琉璃根・珊瑚茎・虎珀枝・水精葉・金華・銀実あり、珊瑚樹には珊瑚根・虎珀茎・銀枝・金葉・水精華・琉瑠実あり、虎珀樹には虎珀根・珊瑚茎・金枝・銀葉・琉璃華・水精実あり。是の六宝樹転た共に相成じて、各々自ら異行なり。中に復七宝の共に一樹と作る者有り、銀樹には銀根・金茎・水精節・琉璃枝・珊瑚葉・虎珀華・車磲実あり、金樹には金根・水精茎・琉璃節・珊瑚枝・虎珀葉・車磲華・銀実あり、水精樹には水精根・琉璃茎・珊瑚節・虎珀枝・車磲葉・白玉華・金実あり、琉璃樹には琉璃根・珊瑚茎・虎珀節・白玉枝・車磲葉・水精華・銀実あり、珊瑚樹には珊瑚根・虎珀茎・白玉節・銀枝・明月珠葉・金華・水精実あり、虎珀樹には虎珀根・白玉茎・珊瑚節・琉璃枝・車磲葉・水精華・金実あり、白玉樹には、白玉根・車磲茎・琉璃節・珊瑚枝・虎珀葉・金華・摩尼珠実あり。
是の七宝樹転た共に相成じて、種種各々自ら異行なり。行行自ら相値ひ、茎茎自ら相准じ、枝枝自ら相値ひ、葉葉自ら相向ひ、華華自ら相望む。極めて自ら軟好、実実自ら相当れり。

仏言はく。無量清浄仏の講堂・精舎中の外内に七宝の浴池繞れり、辺上に諸の七宝樹あり。及び諸の菩薩・阿羅漢の七宝の舎宅の中外にも七宝の浴池繞れり、池の辺に七宝樹あり、数千百重行なり。皆各各是の如し。行行自ら五の音声を作す、甚だ好きこと比無し。

仏阿難に語りたまはく。世間の帝王の万種の伎楽音声の如きは、遮迦越王の諸の伎楽の一の音声の好きに如かざること、百千億万倍なり。遮迦越王の万種の伎楽の音声の如きも、尚復第二忉利天上の諸の伎楽の一の音声の好きに如かざること、百千億万倍なり。忉利天上の万種の伎楽の声の如きも、尚復第六天上の諸の伎楽の一の音声の好きに如かざること、百千億万倍也。第六天上の万種の音楽の声の如きも、尚復無量清浄仏国の中の七宝樹の一の音声の好きに如かざること、百千億万倍なり。無量清浄仏国に、亦万種自然の伎楽有りて極無し。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、浴せんと欲する時は便ち各々自ら其の七宝池の中に入りて浴す。諸の菩薩・阿羅漢、意に水をして足を没さしめんと欲すれば、水則ち足を没す。意に水をして膝に至らしめんと欲すれば、水則ち膝に至る。意に水をして腰に至らしめんと欲すれば、水則ち腰に至る。意に水をして腋に至らしめんと欲すれば、水則ち腋に至る。意に水をして頚に至らしめんと欲すれば、水則ち頚に至る。意に水をして自ら身の上に潅がしめんと欲すれば、水則ち身の上に潅ぐ。意に水をして転た復還て故の如くならしめんと欲すれば、水則ち転た還て復故の如し。恣若に意の所欲好憙に随ふ。

仏言はく。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、皆浴し已りて、悉く自ら一蓮華の上に於て坐すれば、則ち四方に自然に乱風起る。其の乱風は、亦世間の風に非ず、亦復天上の風にも非ず。是の乱風は、都て八方・上下の衆風の中の自然為り、都て相合会して共に化生するのみ。其の乱風亦大寒ならず、亦大温ならず、常に和調中適なり、其の涼好なること比無し。乱風徐に起りて、亦遅からず亦疾からず、適に中宜を得たり。国中の七宝樹を吹くに、七宝樹皆復自ら五の音声を作す。乱風華を吹きて悉く其の国中に覆蓋すれば、華皆自ら無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散じて、華適に地に堕つ。華皆厚さ四寸なり、極めて自ら軟かくして好きこと比無し。華小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて、萎める華悉く自然に去る。則ち復四方より、復自然の乱風起りて、七宝樹を吹けば、七宝樹皆復自ら五の音声を作す。乱風華を吹きて、悉く復自然に無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散じ、華地に堕つれば則ち自然の乱風復吹きて萎める華悉く自然に去る。則ち復四方より自然の乱風起りて七宝樹の華を吹く。是の如くする者四反なり。諸の菩薩・阿羅漢の中に。但経を聞かんと欲する者有り、中に但音楽の声を聞かんと欲する者有り、中に但華香を聞かんと欲する者有り。中に経を聞くことを欲せざる者有り。中に五音を聞くことを欲せざる者有り。中に華香を聞くことを欲せざる者有り。其の聞かんと欲する所の者は輒則ち独り之を聞き、其の聞くことを欲せざる所の者は了に独り聞かず。則ち皆自然に意の所欲在るに随ひて憙楽し、其の心中の欲願する所に違はざるなり。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、皆浴し訖已れば各々自ら去る。其の諸の菩薩・阿羅漢、各々自ら行道す。中に地に在りて経を講ずる者有り、中に地に在りて経を誦する者有り、中に地に在りて経を説く者有り、中に地に在りて口づから経を受くる者有り、中に地に在りて経を聴く者有り、中に地に在りて経を念ずる者有り、中に地に在りて道を思ふ者有り、中に地に在りて坐禅一心なる者有り、中に地に在りて経行する者有り、中に虚空の中に在りて経を講ずる者有り、中に虚空の中に在りて経を誦する者有り、中に虚空の中に在りて経を説く者有り、中に虚空の中に在りて口づから経を受くる者有り、中に虚空の中に在りて経を聴く者有り、中に虚空の中に在りて経を念ずる者有り、中に虚空の中に在りて道を思念する者有り、中に虚空の中に在りて坐禅一心なる者有り、中に虚空の中に在りて経行する者有り。中に未だ須陀洹道を得ざる者有れば則ち須陀洹道を得、中に未だ斯陀含道を得ざる者有れば則ち斯陀含道を得、中に未だ阿那含道を得ざる者有れば則ち阿那含道を得、中に未だ阿羅漢道者を得ざる有れば則ち阿羅漢道を得、中に未だ阿惟越致の菩薩を得ざる者有れば則ち阿惟越致菩薩を得。菩薩・阿羅漢、各々自ら経を説き道を行じて、皆悉く道を得て、歓喜し踊躍せざる者莫し。諸の菩薩の中に、意に八方・上下の無央数の諸仏を供養せんと欲するもの有らば、即ち皆倶に前みて無量清浄仏の為に礼を作し、却きて長跪叉手して仏に白さく、辞し行いて八方・上下の諸の無央数の仏を供養せんと欲すと。無量清浄仏則ち之を然可して、則ち其をして行いて供養せしめたまふ。諸の菩薩等の皆大に歓喜するもの、数千億万人無央数にして復計ふべからず。皆智慧勇猛にして、各々自ら翻り飛ぶ、等輩相追ひて倶共に散り飛びて則ち行く。即ち八方・上下の無央数の諸仏の所に到り、皆前みて仏の為に礼を作して、便則ち諸仏を供養す。其の諸の菩薩、意に万種自然の物を得んと欲はば前に在り、則ち自然百雑色の華、百種自然の雑繒・幡綵百種の物、自然の劫波育衣、自然の七宝、自然の灯火、自然の万種伎楽、悉く皆前に在り。其の華香の万種自然の物は、亦世間の物に非ず、亦復天上の物にも非ざるなり。是の万種の物は、都て為に八方・上下の衆物、自然に共に合会して化生するのみ。意に得んと欲はば則ち自然に化生して前に在り、意に用ひざらんとせば便則ち自ら化し去る。諸の菩薩便ち共に持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に供養す。辺傍・前後徊繞し周匝すること自在なり。意に得んと欲する所は則輒ち皆至る、爾の時に当りて快楽言ふべからざるなり。諸の菩薩、意に各々四十里の華を得んと欲はば、則ち自然に四十里の華前に在り。諸の菩薩皆虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華甚だ香好し、華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の乱風吹きて萎める華悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復八十里の華を得んと欲はば、則ち自然に八十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の乱風吹きて萎める華去る。諸の菩薩、意に各々復百六十里の華を得んと欲はば、則ち自然に百六十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中より下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復三百二十里の華則ち自然に三百二十里の華前に在り。諸の菩薩皆復於虚空共に華を持して、則ち散諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復六百四十里の華を得んと欲はば、則ち自然に六百四十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空に於て共に華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然に乱風吹華悉く自然に去る。諸の菩薩意各々復千二百八十里の華を得んと欲はば、則ち自然に千二百八十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復二千五百六十里の華を得んと欲はば、則ち自然に二千五百六十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復五千一百二十里の華を得んと欲はば、則ち自然に五千一百二十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復万二百四十里の華を得んと欲はば、則ち自然に万二百四十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く則ち自然に去る。諸の菩薩、意に各々復二万四百八十里の華を得んと欲はば、則ち自然に二万四百八十里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆復虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復五万里の華を得んと欲はば、則ち自然に五万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復十万里の華を得んと欲はば、則ち自然に十万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復二十万里の華を得んと欲はば、則ち自然に二十万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復四十万里の華を得んと欲はば、則ち自然に四十万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復八十万里の華を得んと欲はば、則ち自然に八十万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く則ち自然に去る。諸の菩薩、意に各々復百六十万里の華を得んと欲はば、則ち自然に百六十万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復三百万里の華を得んと欲はば、則ち自然に三百万里の華前に在り。諸の菩薩皆復虚空の中に於て共に華を持して、則ち散諸仏。及び諸の菩薩・阿羅漢上。華皆虚空の中に在りて下り向ふ。華適に小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の悉く悉く自然に去る。諸の菩薩、意に各々復四百万里の華を得んと欲はば、則ち自然に四百万里の華前に在り。諸の菩薩心意倶に大に歓喜し踊躍して、皆虚空の中に在りて共に華を持して、則ち諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華都て自然に合して一華と為る、華は正団円にして周匝し、各々適に等し。華転た前に倍して極めて自ら軟好にして、転た於前の華の好きに勝れること数百千色なり、色色の異香、甚だ香しきこと言ふべからず。諸の菩薩皆大に歓喜して、倶に虚空の中に於て、大に共に衆音自然の伎楽を作し、仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて快楽言ふべからず。諸の菩薩皆悉く却き坐して経を聴く。経を聴き竟りて則ち悉く皆諷誦す。通利重くして経道を知り、益々智慧明かなり。其の諸の華香、小しく萎みて便ち自ら地に堕つれば、則ち自然の乱風吹きて華悉く皆自然に去る。則ち諸仏の国中、第一四天王の上より三十六天の上に到るまでの、諸の菩薩・阿羅漢・天人、皆復虚空の中に於て、大に共に衆音の伎楽を作せり。諸の天人の前に来れる者、転た去るて後に来る者を避く。後に来れる者転た復供養すること前の如くして更相に開避す。諸の天人歓喜し経を聴きて皆大に共に音楽を作す。是の時に当りて快楽極無し。諸の菩薩供養し経を聴き訖竟りて、便ち皆起ちて諸仏の為に礼を作して去る。則ち復飛びて八方・上下の無央数の諸仏の所に到りて、則ち復供養し経を聴く、皆各々前の時の如し。悉く遍くして以後、日の未だ中ならざる時、諸の菩薩則ち皆飛びて去り則ち其の国に還る。悉く前みて無量清浄仏の為に礼を作して、皆坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて皆大に歓喜す。

仏言はく。無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢食せんと欲する時は則ち自然に七宝の机、自然の劫波育、自然の罽、以て座と為り、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢皆坐し已る。前に悉く自然七宝の鉢有り、中に皆自然百味の飲食有り。飲食は、亦世間の飲食の味に類せず、亦復天上の飲食の味にも非ず。此の百味の飲食は、都て八方・上下の衆の自然の飲食の中の精味為り。甚だ香美にして比有ること無し。都て自然に化生するのみ。其の飲食は得んと欲する所の味の甜酢に自在にして、鉢も得んと欲する所に自在なり。諸の菩薩・阿羅漢の中に銀鉢を得んと欲する者有り、中に金鉢を得んと欲する者有り、中に水精の鉢を得んと欲する者有り、中に琉瑠の鉢を得んと欲する者有り、中に珊瑚の鉢を得んと欲する者有り、中に虎珀の鉢を得んと欲する者有り、中に白玉の鉢を得んと欲する者有り、中に車磲の鉢を得んと欲する者有り、中に瑪瑙の鉢を得んと欲する者有り、中に明月珠の鉢を得んと欲する者有り、中に摩尼珠の鉢を得んと欲する者有り、中に紫磨金の鉢を得んと欲する者有り、皆其の中に百味の飲食満たせり。自ら恣若に意に随ひて則ち至る。亦従来する所も無く、亦供作する者も有ること無し、自然に化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆食するに、食亦多からず亦少からず、悉く自然に平等なり。諸の菩薩・阿羅漢食、亦美悪を言はず、亦美を以ての故に喜ばず。食し已れば諸の飯具・鉢・机・坐、皆自然に化し去り、食せんと欲する時は乃ち復化生するのみ。諸の菩薩・阿羅漢、皆心清潔にして飯食を慕はず、但用て気力を作すのみ。皆自然に消散し糜尽して化し去る。

仏阿難に告げたまはく。阿弥陀仏、諸の菩薩・阿羅漢の為に法を説きたまふ時、都て悉く大に講堂の上に会す。其の国の諸の菩薩・阿羅漢及び諸天・人民、無央数にして、都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、悉く前みて無量清浄仏の為に礼を作し、却き坐して経を聴く。無量清浄仏便則ち諸の比丘僧、諸の菩薩・阿羅漢、諸天・人民の為に、広く道智大経を説きたまふ。皆悉く経道を聞知して、歓喜踊躍して心に開解せざる者莫し。即ち四方より自然の乱風起りて、国中の七宝樹を吹くに、七宝樹皆復五の音声を作せり。乱風七宝の華を吹くに、華其の国に覆蓋し、皆虚空の中に在りて下り向ふ。華甚だ香くして極めて自ら軟好なり、香国中に遍ず。華皆自ら無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。華地に堕ちて皆厚さ四寸なり。華適に小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華自然に去る。則ち四方より倶に復自然の乱風起りて、七宝樹を吹くに、七宝樹皆復自ら五の音声を作せり。乱風七宝樹の華を吹くに、華復前の如く皆自然に無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢の上に散ず。。華地に堕ちて復厚さ四寸なり。華小しく萎めば則ち自然の乱風吹きて萎める華悉く自然に去る。乱風華を吹くこと是の如く四反す。則ち第一四天王の諸天人、第二忉利天上の諸天人、第三天上の諸天人、第四天上の諸天人、第五天上の諸天人、第六天上の諸天人、第七梵天上の諸天人、上第十六天上の諸天人に到り、上三十六天上の諸天人に至るまで、皆天上万種自然の物を持ち、百種の雑色華、百種の雑香、百種の雑繒綵、百種の劫波育畳衣、万種の伎楽、転た倍して好く相勝れるを各々持ちて来り下り、無量清浄仏の為に礼を作して、則ち無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を供養す。諸の天人皆復大に伎楽を作して、無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて快楽言ふべからず。諸の天人、前に来れる者転た去りて後に来る者を避く、後に来る者転た復供養すること前の如し。更相に開避す。則ち東方無央数の仏国復計ふべからず。恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著けて、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち西方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。則ち北方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。南方無央数の諸仏の国、復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、則ち前みて無量清浄仏の為すに礼を作して去る。則ち復四角の無央数の諸仏国、各々復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数各々是の如し。諸仏各々復諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、前みて無量清浄仏の為に礼を作し已りて、頭面を仏足に著け、悉く坐して一面に却き経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。

仏言はく。八方・上下の諸の無央数の仏、更に諸の菩薩を遣はして、無量清浄仏の所に飛び到りて、経を聴きて供養し、転た更相に開避すること是の如し。則ち下面の諸の八方無央数の仏国も、一方は各々復恒水の辺の流沙の如し。一沙を一仏として其の数復是の如し。諸仏各々諸の菩薩を遣はすこと、無央数にして都て復計ふべからず。皆無量清浄仏の所に飛び到りて、前みて阿弥陀仏の為に礼を作し、頭面を以て仏足に著け、悉く却き坐して経を聴く。経を聴き竟りて諸の菩薩皆大に歓喜し、起ちて無量清浄仏の為に礼を作して去る。上方の諸仏更に諸の菩薩を遣はして、無量清浄仏の所に飛び到りて、経を聴きて供養し相開避す。前に来れる者は則ち去りて後に来る者を避く。後に来る者供養すること亦復是の如くして、終に休絶し極まる時無し。

譬えば恒沙の如き刹 東方の仏国是の如し
各各諸の菩薩をして 稽首して無量覚を礼したてまつる
西・南・北面も皆爾なり 是の如き恒沙数の土
是の諸仏菩薩を遣して 稽首して無量覚を礼したてまつる
此の十方の菩薩飛びて 皆以衣裓諸の華を以て
天の拘蚕種種の具を 往いて無量覚を供養したてまつる
諸の菩薩皆大に集ひて 稽首して無際光を礼したてまつる
遶ること三匝して叉手して住し 国尊無量覚を歎じたてまつる
皆華を持して仏の上に散じ 心清浄にして無量を称したてまつる
仏前に於て住して自ら説く 願はくは我が刹をして此の如くならしめん
散ずる所の華虚空に止りて 合成して百由旬を蓋ふ
其の柄妙厳にして飾り好く 悉く遍く衆会の上に覆ふ
諸の菩薩都て往き至る 諸尊の刹は値ふことを得難し

行巻引文(10)
是の如の人仏の名を聞きて 快く安隠にして大利を得ん
吾等が類是の徳を得ん 諸の此の刹に好き所を得ん
本国を計るに夢の若如し 無数劫にも浄きは此の土なり
菩薩の世尊を遶るを見るに 威神猛寿極無し
国覚衆甚だ清浄なること 無数劫にも思議し難し
時に無量世尊笑みたまふ 三十六億那術
此の数の光口より出で 遍く諸の無数の刹を炤す
則ち迴光還りて仏を遶り 三匝し已りて頂より入る
色霍然として復現ぜず 天亦人も皆歓喜す
廅楼亘坐より起ちて 衣服を正して稽首して問ひ
仏に白して言はく何に縁りてか笑みたまふ 唯世尊是の意を説きたまへ
願はくは我に本空の莂を授け 慈護して百福の相を成ぜしめよ
是の諸の音声を聞く者 一切の人踊躍して喜ぶ
梵の音及び雷霆 八種の音深重の声なり
仏廅楼亘に決を授けたまふ 今吾説かん仁諦かに聴け
衆の世界の諸菩薩 須阿提に到りて仏を礼し
聞きて歓喜し広く奉行して 疾く浄を得る処に至ることを得ん
已に此の厳浄の国に到りぬれば 便ち速に神足を得て倶に
眼洞かに視耳徹かに聴き 亦還て宿命を知ることを得ん
無量覚其の決を授けん 我前世に本願有り
一切の人、法を説くを聞かば 皆疾く我が国に来生せん
吾が願ずる所、皆具足せん 衆の国より来生せん者
皆悉く此の間に来到して 一生に不退転を得ん
若し菩薩更に願を興して 国をして我が刹の如くならしめんと欲せん
亦念へらく一切人を度し 各々願はくは十方に達せしめん
真巻引文(6)
速に疾く超えて便ち安楽国の世界に到るべし
無量光明土に至りて 無数の仏を供養す[1]
其れ億万の仏に奉事し 飛び変化して諸国に遍じ
恭敬し已りて歓喜して去り 便ち須摩提に還る
是の功徳有るに非ざる人は 是の経の名を聞くことを得ず[2]
唯清浄に戒を有てる者 乃し此の正法を聞くに逮べり
曽更て世尊雄を見たてまつりて 則ち是の事を信ずることを得て
謙りて恭敬し聞きて奉行して 便ち踊躍して大に歓喜す
悪と驕慢と弊と懈怠のものは 以て此の法を信ずること難し
宿世の時仏を見たてまつる者 楽みて世尊の教を聴聞せん
譬へば生れてより盲冥なる者 行きて人を開導することを得んと欲ふが如し
声聞は悉く大乗に或ふ 何に況や俗凡の諸に於てをや
天中の天は意を相知る 声聞は仏の行を了らず
辟支仏も亦是の如し 独り正覚のみ乃し此を知る
一切をして悉く作仏せしめ 其の浄慧本空を智り
復此の億万劫を過ぎて 仏智を計るとも能く及ぶこと無く
講議して説くこと無数劫にして 寿命を尽くすとも猶知らず
仏の慧は辺幅無し 是の如く清浄の致を行ず
我が教を奉じて乃し是を信ずること 唯此の人のみ能く解了す
仏の説きたまふ所皆能く受く 是則ち第一の証と為す
人の命希に得べし 仏は世に在ませども甚だ値ひ難し
信慧有りて致るべからず 若し聞見せば精進して求めよ
是の法を聞きて忘れず 便ち見て敬ひ得て大に慶ばば
則ち我が善き親厚なり 是を以ての故に道意を発せよ
設令ひ世界に満てらん火をも 此の中を過ぎて法を聞くことを得ば
会ず当に世尊と作りて将に一切生・老・死を度せんとすべし[3]

仏阿難に語りたまはく。無量清浄仏、諸の菩薩・阿羅漢の為に経を説き竟るに、諸天・人民の中に未だ須陀洹道を得ざる者有れば則ち須陀洹道を得しめ、中に未だ斯陀含道を得ざる者有れば則ち斯陀含道を得しめ、中に未だ阿那含道を得ざる者有れば則ち阿那含道を得しめ、中に未だ阿羅漢道を得ざる者有れば則ち阿羅漢道を得しめ、中に未だ阿惟越致の菩薩を得ざる者有れば、則ち阿惟越致の菩薩を得しむ。阿弥陀仏、輒ち其の本の宿命に道を求むる時心の喜願する所に随ひ、大小意に随ひて、為に経を説きて、輒ち之に授けて、其をして疾く開解得道し皆悉く明慧ならしむ。各々自ら好喜し、願ふ所の経道なれば、喜ばずといふこと莫し。誦習を楽ふ者は、則ち各々自ら諷誦して経道を通利して厭無く極無し。諸の菩薩・阿羅漢の中に経を誦する者有り、其の音雷声の如し。中に経を説く者有り、疾風暴雨の時の如し。諸の菩薩・阿羅漢、経を説き道を行ずること皆各々是の如し。一劫を尽くすとも竟終に懈り倦む時無し。皆悉く智慧勇猛に、身体皆軽く、便ち終に痛痒有ること無し。極時の行歩坐起、皆悉く才健勇猛なること、師子中の王の深林の中に在りて、当に趣向する所有るべき時、敢て当る者有ること無きが如く、無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢、経を説き道を行ずること、皆勇猛にして疑難の意有ること無し。則ち心に在りて作為する所予め計らざること百千億万倍なり。是猛師子の中の王なり。是の如きの猛師子の中の王、百千億万倍すとも、尚復我が第二の弟子の摩訶目犍連の勇猛なるに如かざること、百千億万倍なり。無量清浄国の諸の菩薩・阿羅漢、皆我が第二の弟子摩訶目犍連に勝れり。

仏言はく。摩訶目犍連の勇猛の如きは、諸仏国の諸の阿羅漢の中に於て、最も比無しと為す。摩訶目犍連の如き、飛行進止智慧勇猛に、洞かに視徹かに聴き、八方・上下、去・来・現在の事を知ること、百千億万倍なるを、都て合して一智慧勇猛と為して、当に無量清浄仏国の諸の阿羅漢の中に在らしめんに、其の徳尚復無量清浄仏国の一の阿羅漢の智慧勇猛に如かざること、千億万倍なるべし。是の時坐中に一の菩薩有り、阿逸菩薩と字く。
阿逸菩薩、則ち起ちて前みて長跪叉手し、仏に問いたてまつりて言く。阿弥陀仏国中の諸の阿羅漢、寧ろ頗る般泥洹して去る者有りやいなや、願はくは之を聞かんと欲ふ。
仏阿逸菩薩に告げたまはく。若ぢ知らんと欲せば、是の如き四天下の星、若之を見るやいなや。
阿逸菩薩言く。唯然なり、皆之を見る。
仏言はく。而ぢ我が第二の弟子、摩訶目犍連、四天下を飛行して一日一夜遍く星を数へて幾枚か有ると知らんとするも、是の如き四天下の星は甚だ衆多にして、計ふることを得べからざるもの、尚百千億万倍為るは是四天下の星なり。
仏言はく。天下の大海の水の如きは、一渧水を減じ去らば、寧ろ能く海水をして為に減ぜしむるやいなや。
阿逸菩薩言く。大海水百千億万斗石の水を減ずとも、尚復海をして減じて少ならしむること能はず。
仏言はく。阿弥陀仏国の諸の阿羅漢の中に、般泥洹し去る者有りと雖も、是の大海の一小水を減ずるが如きのみ。諸在の阿羅漢をして為に減じて少なりと知らしむること能はざるなり。
仏言はく。大海水の一渓水を減ぜば、寧ろ能く海水を減ぜんやいなや。
阿逸菩薩言く。大海の百千万億の渓水を減ずとも、尚復海水を減じて減じて少なりと知らしむること能はず。
仏言はく。阿弥陀仏国は諸の阿羅漢の中に、般泥曰して去る者有らんも、是の大海の一渓水を減ずるが如きのみ。諸在の阿羅漢を減じて為に減じて少なりと知ること能はず。
仏言はく。大海一恒水を減ぜば、寧ろ能く海水を減ぜんやいなや。
阿逸菩薩言く。大海水の百千万億の恒水を減ずとも、尚復大海水を減じて減じて少なりと知らしむること能はず。
仏言はく。阿弥陀仏国の諸の阿羅漢、般泥曰して去る者無央数なり、其の在る者の新に阿羅漢を得る者も亦無央数なり、都て増減を為さず。
仏言はく。天下の諸水をして都て流行して大海の中に入れしめんに、寧ろ能く海水をして増多為らしむるやいなや。

阿逸菩薩言く。海水をして増多ならしむること能はざるなり。所以は何ん、是の大海は天下の諸水衆善の中の王なり、故に能く爾るのみ。
仏言はく。無量清浄仏国も亦是の如し。悉く八方・上下の無央数の仏国の無央数の諸天・人民・蜎飛・蠕動の類をして、都て無量清浄仏国に往生せしめんに、其の輩甚大衆多にして復計ふべからざれども、無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢、衆の比丘僧は、都て常の如く一法にして異に増多を為さざるなり。所以は何ん、無量清浄仏国は、最も快くして八方・上下、無央数の諸仏国の中の衆の菩薩の中の王為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の中の雄国為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の中の珍宝為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の中の極長久為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の衆傑為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の中の広大為ればなり。無量清浄仏国は、諸の無央数の仏国の中の都、自然の無為為ればなり。無量清浄仏国は、最快明好、甚楽の無極為ればなり。無量清浄仏国の独勝たるは何ん、本菩薩と為りて道を求めたまひし時、所願勇猛精進にして懈らず、徳を累ねて致す所なるが故に乃し爾るのみ。

阿逸菩薩、則ち大に歓喜し、長跪叉手して言さく。仏無量清浄仏国の諸の阿羅漢、般泥洹し去る者甚だ衆多なりと説きたまふ。無央数の国土の快善の極明好最姝無比なること、乃し独り爾るや。

仏言はく。無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢の居する所の七宝の舎宅の中に、虚空の中に在りて居る者有り、中に地に在りて居る者有り。中に意に舎宅をして最も高からしめんと欲する者有らば、舎宅則ち高し、中に意に舎宅をして最大ならしめんと欲する者有らば、舎宅則ち大なり、中に意に舎宅をして虚空の中に在らしめんと欲する者有らば、舎宅則ち虚空の中に在り、皆自然に意の作為する所在るに随ふ。中に殊に其の舎宅をして意の作為する所に随はしむること能はざる者有り。所以は何ん、中に能くする者有るは皆是前世宿命に道を求むる時、慈心精進にして益々諸善を作して、徳重きが能く致す所なり。中に致すこと能はざる者有るは、皆是前世宿命に道を求むる時、慈心精進ならず、善を作すこと少なく徳小なればなり。悉く各々自然に之を得。衣被服・飲食する所は、倶に自然平等なるのみ。是の故に同じからざるは、徳に大小の別有ればなり、知んぬ勇猛なるものは衆をして見せしむるのみ。

仏阿逸菩薩に告げたまはく。若ぢ是の第六天上の天王の所居の処を見るやいなや。阿逸菩薩言さく。唯然なり。皆之を見る。
仏言はく。無量清浄仏国土の講堂舎宅、倍々復第六天王の所居の処に勝ること百千億万倍なり。無量清浄仏国は、其の諸の菩薩・阿羅漢、悉く皆洞かに視徹かに聴き、悉く復八方・上下、去・来・現在の事を見知す、復諸の無央数の天上・天下の人民及び蜎飛・蠕動の類を知る。皆悉く心意に念ずる所の善悪、口に言はんと欲する所を知る。皆何れの歳何れの劫中に度脱を得、人道を得、当に無量清浄仏国に往生すべきことを知り、菩薩の道を作り阿羅漢の道を得べきことを知り、皆予め之を知れり。無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢、其の項の中の光明、皆悉く自ら光明有りて、照らす所大小あり。其の諸の菩薩の中に、最尊の両菩薩有りて、常に無量清浄仏の左右の座辺に在りて、坐侍して政論し、無量清浄仏、常に是の両菩薩と共に対坐して、八方・上下、去・来・現在の事を議したまふ。無量清浄仏、若し是の両菩薩をして八方・上下の無央数の諸仏の所に到らしめんと欲すれば、是の両菩薩便ち飛行して、則ち八方・上下の無央数の諸仏の所に到る。心の所欲に随ひて何の方の仏所にも至到らしむ。是の両菩薩、則ち倶に飛行して則ち到る。飛行の駃く疾きこと仏の如く、勇猛なること比無し。其の一の菩薩をば廅楼亘と名け、其の一の菩薩をば摩訶那と名く。光明・智慧最も第一なり。其の両菩薩の項の中の光明は、各々他方千須弥山の仏国を焔照して、常に大に明かなり。其の諸の菩薩の項の中の光明は、各々千億万里を照らし、諸の阿羅漢の項の中の光明は、各々七丈を照らす。
仏言はく。其れ世間の人民、善男子・善女人、若し一ら急に県官に遭ふ事を恐怖する者有らば、但自ら是の廅楼亘菩薩に帰命せよ、解脱を得ざる所の者無けん。

仏説無量清浄平等覚経巻第二

仏説無量清浄平等覚経 巻第三

後漢月氏国三蔵支婁迦讖訳

仏阿逸菩薩に告げたまはく。無量清浄仏の頂中の光明は極めて大明なり。其の日月・星辰は、皆虚空の中に在りて住止すれども、亦復迴転運行せず、亦精光有ること無く、其の明皆蔽はれて復現れず。無量清浄仏の光明は、国中を照らし、及び他方仏国を焔照して、常に大に明かにして終に当に冥き時有ること無し。其の国中には一日・二日も有ること無く、十五日・一月も有ること無く、五月・十月も有ること無く、五歳・十歳も有ること無く、百歳・千歳も有ること無く、万歳・億歳・億万歳・十億万歳も有ること無く、百千億万歳も有ること無く、千億億万歳も有ること無く、一劫・十劫も有ること無く、百劫・千劫も有ること無く、万劫・十万劫も有ること無く、千万劫も有ること無く、百千億万劫も有ること無し。

仏言はく。無量清浄仏の光明は、光明かなること極無し。無量清浄仏の光明は、却後無数劫の無数劫、重復無数劫の無数劫にも復計るべからず、劫劫無央数にも終に当に冥き時有ること無し。無量清浄国土及び諸天も、終に壊敗する時有ること無し。所以は何ん、無量清浄仏は寿命極めて長く、国土も甚だ好し、故ぶ能く爾るのみ。
仏言はく。無量清浄仏の尊寿は、劫の後無数劫常無央にも般泥洹の時無し。無量清浄仏、世間に於て教授したまふ意は、八方・上下の諸の無央数の仏国の諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類を適度せんと欲してなり。皆其の国に往生せしめ、悉く泥洹の道を得しめんと欲す、其の諸有菩薩と作る者は、皆悉く作仏せしめんと欲ひ、作り已りて悉く転た八方・上下の諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類を教授せしめ、皆復悉く作仏を得しめんと欲す。作仏の時、復無央数の諸天・人民・蠕動の類を教授して、皆泥洹の道を得しめて去る。諸の教授すべき所の弟子をば、展転して復相教授し、転た相度脱して、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏道を得しむるに至る。転た相度脱して、皆泥洹の道を得しむること、悉く是の如くなれども、無量清浄仏、常に未だ般泥曰を欲したまはず。無量清浄仏の脱度したまふ所、展転して是の如し。復住すること無数劫の無数劫、不可復計劫にも、終に般泥洹の時有ること無し。八方・上下の無央数の諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、其の無量清浄仏国に生ずる者、復勝げて数ふべからず。諸の阿羅漢と作りて泥洹の道を得る者も、亦無央数にして都て復計ふべからず。無量清浄仏の恩徳、諸の布施したまふ所、八方・上下無窮無極、甚深大無量にして、快善なること言ふべからず。無量清浄仏の智慧教授、出したまふ所の経道、布く八方・上下の諸の無央数の天上・天下に告ぐるも、甚だ多くして原さず。其の経巻の数甚だ大衆くして、復計ふべからず。都て極無し。

仏阿逸菩薩に告げたまはく。若ぢ無量清浄仏の寿命無極の時を知らんと欲するやいなや。阿逸菩薩言さく。願はくは皆之を聞知せんと欲す。
仏言はく。明かに聴け、悉く八方・上下の諸の無央数の仏国の中の諸天・人民・蜎飛・蠕動の類を令て、皆人道を得しめ、悉く辟支仏・阿羅漢と作らしめて、共に坐禅して一心に、都て其の智慧を合して一と為し、勇猛に共に無量清浄仏の寿命を計知し、寿幾千億万劫歳数なるを知らんと欲すとも皆能く計知して無量清浄仏の寿を極むる者有ること無し。
仏言はく。復他方面各千須弥山仏国の中の諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類をして、皆復人道を得しめ、悉く辟支仏・阿羅漢と作らしめ、皆坐禅して一心ならしめ、共に其の智慧を合じて、都て一と為し、勇猛に共に無量清浄仏の国中の諸の菩薩・阿羅漢を数へんと欲して、千億万人をして計せしむとも、皆能く数ふる者有ること無し。仏言はく。無量清浄仏の年寿は甚だ長久にして浩浩なり。浩浩照明にして善く、甚深にして極無く底無し。誰か当に能く其を信知べしや。独り仏のみ自ら知りたまふ。

無量清浄仏 般泥洹

阿逸菩薩、仏の言を聞きて即ち大に歓喜し、長跪叉手して言さく。仏無量清浄仏の寿命の甚長、威神の大、智慧光明の巍巍として快善なることを説きたまふこと、乃し独り是の如きや。
仏言はく。無量清浄仏、其の然る後に至りて般泥洹したまはば、其廅楼亘菩薩(観音菩薩)、便ぢ当に作仏して道智典主を総領し、世間八方・上下に、過度せんとする所の諸天・人民・蜎飛・蠕動の類を教授して、皆仏泥洹の道を得しむべし。其の善福徳、当に復大師無量清浄仏の如くなることを得べし。住止すること無央数劫の無央数劫、不可復計劫の不可復計劫なり。大師に准へ法りて爾り、乃し般泥曰す、其の次に摩訶那鉢菩薩(勢至菩薩)、当に復作仏して智慧を典主し、教授を都総して。過度せらるべし。福徳も当に復大師無量清浄仏の如くなるべし。止住すること無央数劫にして、常に復般泥洹せず。展転相承受して、経道甚だ明かに、国土極善なり。其の法是の如くにして、終に断絶有ること無く、極むべからず。

阿難、長跪叉手して仏に問ひたてまつりて言さく。仏無量清浄仏の国中には須弥山有ること無しと説きたまはば、其の第一四天王、第二忉利天、皆何等に依因りて住止するや。願はくは之を聞かんと欲す。
仏阿難に告げたまはく。若ぢ仏所に疑意有りや。八方・上下に無窮無極にして辺幅有ること無き、其の諸の天下の大海の水は、一人して之を升量せんに尚枯尽して其の底を得べきや。仏智も亦是の如し、八方・上下に無窮無極にして辺幅有ること無し。
仏言はく。我が智慧の知見する所、諸の已過去の仏、我が名字釈迦文仏の如き者、復恒水の辺の流沙の一沙を一仏とするが如し、甫始めて諸の来りて作仏を求めんと欲する者、我が名字釈迦文仏の如き、復恒水の辺の流沙の一沙を一仏とするが如し、仏正坐して直に南に向ひ、南方を視見したまふに、今現在の仏、我が名字釈迦文仏の如き、復恒水の辺の流沙の一沙を一仏とするが如し。八方・上下、未・来・現在の諸仏、我が名字釈迦文仏の如き、各々十恒水の辺の流沙の一沙を一仏とするが如し。其の数是の如し。仏皆悉く予め見て之を知りたまへり。
仏言はく。往昔過去無央数劫ちり已来、一劫・十劫・百劫・千劫・万劫・億劫・万億劫・億万劫の劫の中に仏有ます、諸の已過去の仏、一仏・十仏・百仏・千仏・万仏・億仏・億万仏なり。中に仏仏各各自ら名字有れども、名字相同類せざる有り、我が名字の如くなる者有ること無し。甫始して当来の劫の諸の当来の仏、一劫・十劫・百劫・千劫・万劫・億劫・万億劫・億万劫の、劫の中に一仏・十仏・百仏・千仏・万仏・万億仏・億万仏有ます。中に仏仏各自ら名字有れども、名字各々異にして同じからざる有り。諸仏の名字、時に乃し一仏の我が名字釈迦文仏の如くなるもの有るのみ。諸の八方・上下の無央数の仏国、今現在の仏、次に他方異仏国の、一仏国・十仏国・百仏国・千仏国・万仏国・億仏国・万億仏国・億万仏国、仏国の中に仏有ます、各各自ら名字有り。名字各異に、多多にして復同ずべからず。我が名字の如くなる者有ること無し。八方・上下の無央数の諸仏の中に、時時に乃し我が名字釈迦文仏の如くなるもの有るのみ。八方・上下、去・来・現在、其の中間曠絶甚遠にして、悠悠として無窮無極なり。仏智亘然として甚だ明かに古を採り今を知り、前に無窮を知り却へに未然を覩、予め知ること極無く、都て復計るべからず。甚だ無央数なり。仏は威神尊明にして、皆悉く之を知ろしめす。仏の智慧は道徳と合明し、都て能く仏の経道を問ひて窮め極むる者有ること無し。仏の智慧は終に斗量し尽くすべからず。阿難仏の言を聞きて、則ち大に恐怖し衣毛皆起つ。

阿難仏に白して言さく。我敢て仏所に疑意有るにあらず。仏に問いたてまつる所以は、他方の仏国に皆須弥山有り、其の第一四王天、第二忉利天、皆之に依因りて住止す、我恐らくは仏般泥曰の後、儻し諸天・人民、若しは比丘僧・比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて、来りて我に問はん。無量清浄仏の国は、何を以てか独り須弥山無きや、其の第一四王天・第二忉利天、皆何等に依因りて住止するやと。我等応に之に答ふべし。今我仏に問ひたてまつらずば、仏去りたまひて後、我当に何等の語を持ちて之に答報すべきや。独り仏自ら之を知りたまふのみ。其の余の人は能く為に之を解く者有ること無けん。是を以ての故に仏に問ひたてまつるのみ。

仏言はく。阿難、若が言は是也、第三焔天、第四兜率天より、上第七梵天に至るまで、皆何等に依因りて住止するや。
阿難言さく。是の諸天は皆自然に虚空の中に在りて住止し、依因る所無し。
仏言はく。無量清浄仏の国に、須弥山有ること無きは亦是の如し。第一四王天、第二忉利天、皆自然に虚空の中に在りて住止す。依因る所無し。
仏言はく。仏の威神甚だ重し、自在に作為せんと欲する所、意に所作有らんと欲するに、予して計らず。是の諸天すら皆常に自然に虚空の中に在りて住止す、何に況や仏の威神尊重にして、作為せんと欲する所に自在なるをや。
阿難仏の言を聞きて、則ち大に歓喜し、長跪叉手して言さく。仏の智慧は八方・上下、去・来・現在の事を知りたまふこと、無窮無極にして辺幅有ること無し。甚だ高大妙絶、快善極明にして好甚比無し。威神尊重にして当るべからず。

仏阿逸菩薩に告げたまはく。其れ世間の人民、若しは善男子・善女人、無量清浄仏国に往生せんと欲願する者に三輩有り。功徳を作すに大小有り、転た相及ぶこと能はず。
仏言はく。何等をか三輩と為る。
其の最上の第一輩とは、当に家を去て妻子を捨て愛欲を断ち行じて沙門と作り、無為の道に就て当に菩薩の道を作し、六波羅蜜経を奉行する者、沙門と作りて当に経戒を虧失せず、慈心精進にして当に瞋怒せず、当に女人と交通せず、斎戒清浄にして心に貪慕する所無く、至精に願じて無量清浄仏国に生ぜんと欲し、当念じて至心に断絶せざれば、其の人便ち今世に道を求むる時、則ち自ら其の臥睡の中に於て、夢に無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢を見たてまつり、其の人寿命終らんと欲する時、無量清浄仏則ち自ら諸の菩薩・阿羅漢と、共に翻飛行して之を迎ふ、則ち無量清浄仏国に往生し、便ち七宝水池の蓮華の中に化生して、則ち自然に身を受け、長大して則ち阿惟越致の菩薩と作り、便則ち諸菩薩と、共に番輩飛行して八方・上下の諸の無央数の仏を供養したてまつり、則ち智慧勇猛にして、楽ひて経道を聴き、其の心歓楽す。居する所の七宝の舎宅、虚空の中に在りて、恣に其の意に随ひて作為せんと欲する所に在り、無量清浄仏を去ること近し。
仏言はく。諸の無量清浄仏国に往生せんと欲する者、精進して経戒を持ち、是の如きの上法を奉行すれば、無量清浄仏国に往生する者は、衆の為に尊敬せらるることを得べし。是を上の第一輩と為す。
仏言はく。其の中輩とは、其の人願じて無量清浄仏国に往生せんと欲して、家を去て妻子を捨て愛欲を断ち行じて沙門と作ること能はざる者と雖も、当に経戒を持ちて虧失を得ること無く、益々分檀布施を作して、常に仏語之深きことを信受し、当に至誠忠信を作して、沙門に飯食せしめ、仏寺を作り塔を起て香を焼き華を散らし灯を然し雑繒綵を懸く。是の如き法は、適貪する所無く、当に瞋怒せず、斎戒清浄に慈心精進して欲念を断じて、無量清浄仏国に往生せんことを欲して、一日一夜断絶せざれば、其の人今世に於て、亦復臥睡の夢中に於て、無量清浄仏を見たてまつり、其の人寿尽きんと欲する時、無量清浄仏、則ち化して其の人をして自ら無量清浄仏及び国土を見せしむ。無量清浄仏国に往生する者は、智慧勇猛なることを得べし。
仏言はく。其の人奉行施与すること是の如くなる者、若し其れ然る後中ごろ復悔ひて、心中に狐疑して、分檀布施し諸善を作せば後世に其の福を得ることを信ぜず、無量清浄仏国有ることを信ぜず、其の国中に往生することを信ぜず。爾も其の人念を続けて絶たず、暫くは信じ暫くは信ぜず、意志猶予して専らなる所無しと雖も、続きて其の善なる願を結するを本と名るに拠りて、続きて往生を得。
其の人寿命病みて終らんと欲する時、無量清浄仏、則ち自ら化して形像と作り、其の人をして目に自ら之を見、口には復言ふこと能はざれども、便ち心中に歓喜し踊躍して、意に念じて言く。我益々斎して善を作すことを知らざりしを悔ゆ、今当に無量清浄仏国に生ず。其の人則ち心中に過を悔ゆ、過を悔ゆれば過差や少きも、須つ所無し。其の人の寿命終り尽くるに及びて、則ち無量清浄仏国に生ずれども、前みて無量清浄仏の所に至ることを得ること能はず。
便ち道に無量清浄仏の国界の辺の自然七宝の城を見て、心中に便ち大に歓喜し、道に其の城中に止る。則ち七宝の水池の蓮華の中に化生して、則ち身を受け自然に長大す。城中に在ること是の間に於て五百歳なり。
其の城の広縦各々二千里、城中にも亦七宝の舎宅有り、舎宅の中に自然に内外に皆七宝の浴池有り。浴池の中にも亦自然の華有りて繞れり。浴池の上(ほとり)に亦七宝樹有りて重り行び、皆復五の音声を作せり。其の飲食の時は前に亦自然の食有り、百味を具したる食なり。欲する所に在りて得。其の人城中に於て快楽あり、其の城中比へば第二忉利天上の自然の物の如し。
其の人城中より出づることを得ること能はず、復無量清浄仏を見たてまつることを得ること能はず、但其の光明を見たてまつりて、心中に自ら悔責し、踊躍して喜ぶのみ。亦復経を聞くことを得ること能はず、亦復諸の比丘僧を見ることを得ること能はず、亦復無量清浄仏の国中の諸の菩薩・阿羅漢の状貌は何等の類と見知することを得ること能はず。其の人若ち是の如し、比へば小適するごときのみ。仏亦爾らしむるにあらず、身の諸の所作、自然に之を得しなり。皆心に自ら趣向して道に其の城中に入りしなり。
其の人本宿命に道を求めし時、心口各異にして言念誠無く、仏経を狐疑して、復之を信向せず、当に自然に悪道の中に入るべし。無量清浄仏哀愍して、威神もて之を引きて去りたまふのみ。其の人城中に於て五百歳にして、乃ち出づることを得て、無量清浄仏の所に往至して、経を聞けども心に開解せず、亦復諸の菩薩・阿羅漢・比丘僧の中に在ることを得ず、経を聴きて以て去る。居処る所の舎宅地に在りて、舎宅をして意に随ひて高大にして虚空の中に在らしむること能はず。復無量清浄仏を去ること甚だ大に遠くして、無量清浄仏に近附したてまつることを得ること能はず。
其の人智慧明かならず、経を知ることも復少くして、心歓楽せず、意開解せず。其の人久久に、亦自ら当に智慧開解して経を知るべし、明健勇猛にして心当に歓楽すべし。次で当に復上の第一輩の如くなるべし。所以は何ん、其の人但其の前世宿命に、道を求めし時、大に斎戒を持せず、経法を虧失し、心意狐疑なるに、仏語を信ぜず、仏経を信ぜず、深く分檀布施して善を作せば後世に其の福を得べきことを信ぜず、復中悔して無量清浄仏国に往生することを信ぜざるに坐せられて、徳を作すこと至心ならず、是を用ての故に第二の中輩と為す。

仏言はく。其の三輩とは、其の人願じて無量清浄仏国に生まれんと欲すれども、若しは分檀布施を用ふる所無く、亦香を焼き華を散らし灯を然し繒綵を懸け、仏寺を作り塔を起て、沙門に飲食せしむること能はざる者は、当に愛欲を断じて貪慕する所無く慈心精進にして当に瞋怒せず、斎戒清浄なれ。是の如く清浄なる者、当に一心に念じて無量清浄仏国に生ぜんと欲し、昼夜十日断絶せざれば、寿終りて則ち無量清浄仏国に往生して、復尊極にして智慧勇猛なるべし。
仏言はく。其の人是を作して已後、若し復中ころ悔ゆる心を作して、意に狐疑を用て、善を作せば後世に其の福を得べきことを信ぜず、無量清浄仏国に往生することを信ぜず、其の人爾りと雖も、続で往生することを得。其の人寿命病みて終らんと欲する時、無量清浄仏、則ち其の人をして臥睡の夢中に於て無量清浄仏の国土を見しむ。其の人心中に歓喜し、意に自ら念じて言く。我益々善を作すべきことを知らざりしを悔ゆ、今当に無量清浄仏国に生ずべし。其の人但心に是を念じて口に復言ふこと能はざれども、則ち自ら過を悔ゆ。過を悔ゆれば過差や減少きも、悔ゆる者は復する所無し。
其の人命終るに及びて、則ち無量清浄仏国に生ずるも、前みて至ることを得ること能はず。便ち道に二千里の七宝の城を見て、心中に独り歓喜し、便ち其の中に止りて、復七宝の水池の蓮華の中に化生し、則ち自然に長大す。其の城も亦復前の城の法の如く、第二忉利天上の自然の物に比す。其の人亦復城の中に於て五百歳なり。五百歳竟りて乃ち出づることを得て、無量清浄仏の所に生れ、心中に大に歓喜す。其の人経を聴聞すれども、心開解せず、意歓喜せず、智慧明かならず、経を知ること復少し。所居の舎宅地に在りて、舎宅をして意に随ひて高大にして虚空の中に在らしむること能はず。復無量清浄仏を去ること亦復是の第二輩の狐疑の者の如し。
其の人久久に、亦当に智慧開解して経を知ること勇猛なるべし。心当に歓楽すべし、次で上の第一輩の如し。所以は何ん、皆前世宿命に道を求めし時、中悔狐疑し、暫くは信じ暫くは信ぜず、善を作せば後其の福徳を得ることを信ぜざるに坐せられて、皆自然に之を得るのみ。其の功徳に鉉・不鉉有るに随ひて、各々自然に趣向す。説経行道、卓徳万殊にして、超えて相及ばず。

仏言はく。其れ求めて菩薩の道を作して無量清浄仏国に生ぜんと欲する者は、其の然して後皆当に阿惟越致の菩薩を得べし。阿惟越致の菩薩は、皆当に三十二相・紫磨金色・八十種好有るべし。皆当に作仏して心の所願に随ふべし。何方の仏国に於て作仏せんと欲ふこと在らんに、終に泥犁・禽獣・薜荔に更らず、其の精進に随ひて道を求むるに、早晩の事事同等なるのみ。道を求めて休まずば、会ず当に之を得て其の所欲の願を失せざるべし。
仏阿逸菩薩等の諸天・帝王・人民に告げたまはく。我皆若ぢらに語ぐ、諸の無量清浄仏国に生ぜんと欲して、大精進にして禅ら経戒を持つこと能はざる者なりと雖も、大に要ず当に善を作すべし。一には殺生することを得ざれ、二には盗窃することを得ざれ、三には婬妷にして他人の婦女を犯愛することを得ざれ、四には調欺することを得ざれ、五には飲酒することを得ざれ、六には両舌することを得ざれ、七には悪口することを得ざれ、八には妄言することを得ざれ、九には嫉妬することを得ざれ、十には貪欲することを得ざれ、心に慳惜する所有ることを得ざれ、瞋怒することを得ざれ、愚痴なることを得ざれ、心の嗜欲に随ふことを得ざれ、心中に中悔することを得ざれ、狐疑することを得ざれ、当に孝順を作すべし、当に至誠忠信を作すべし、当に仏の経語の深きことを受くることを作すべし、当に善を作せば後世に其の福を得ることを信ずべし。是の如き其の法を奉持して、虧失せざる者は、心の所願に在りて無量清浄仏国に往生することを得べし。至要ず当に斎戒し、一心清浄にして、昼夜に常に念じ、無量清浄仏国に往生せんと欲して、十日十夜断絶ざるべし。我皆之を慈愍して、悉く無量清浄仏の国に生ぜしめん。

仏言はく。世間の人以て賢明に慕ひ及ばんことを欲すれども、家に居て善を修し道を為さんには、妻子と共に居し、恩好愛欲の中に在りて憂念し、若し家事怱務多ければ大に斎戒し一心清浄なるに暇あらず。家を離るることを得ること能はず空閑の時有りて、自ら心意を端正にして、諸善を念じ、専精に道を行ずること、十日十夜すること殊使に爾すること能はずと雖も、自ら思惟し熟計して、身を度脱せんと欲する者は、下当に念を絶ち憂を去るべし、家事を念ずること勿れ、女人と同床すること莫れ、自ら身心を端正にして愛欲を断じ、一心に斎戒清浄にして、意を至して無量清浄仏の国に生ぜんと念じて、一日一夜断絶せざれば、寿終りて皆其の国に往生することを得、七宝の浴池の蓮華の中に在りて化生して、智慧勇猛なることを得べし。所居の七宝の舎宅、其の意の作為せんと欲する所に自在にして、次で上の第一輩の如くなるべし。

仏阿逸菩薩に語りて言く。諸の八方・上下の無央数の諸天・人民・比丘僧・比丘尼・優婆塞・優婆夷の、其の無量清浄仏の国に往生する衆等の大会は、皆共に七宝の浴池の中に於て、都て共に人人悉く自ら一の大蓮華の上に坐して、皆自ら道徳の善を陳ぶ。人人各々自ら其の前世宿命に道を求めし時、経戒を持ちて作す所の善法、従来する所の生の本末、其の好み喜む所の経道、経を知る智慧、施行する所の功徳を説く。上より下に次で転た皆遍し。経を知るに明・不明有り、深浅・大小有り、徳に優劣・厚薄有ることは、自然の道の別なるを以てなり。才能・智慧猛健に、衆相観照し礼義和順なるを知りて、皆自ら歓喜し踊躍す。智慧に勇猛有り、各々相属逮せず。

仏言はく。其の人殊に予して益々徳を作さず、善を為せども軽虧して之然することを信ぜず、徙倚懈怠にして用の爾るべき為に、時至りて都て集り経を説き道を行ずれども、自然に迫促して応答遅晩なり、道智卓殊超絶にして、才妙高猛なれども、独り辺羸に於て事に臨みて乃し悔ゆ、悔ゆとも已に其の後に出づ、当に復何の益かあらん。但心中悷し、等しからんことを慕及するのみ。

仏言はく。無量清浄仏国の諸の菩薩・阿羅漢衆等の大道聚会は、自ら都て集りて、心を拘どめ意を制し、身を端し行を正しくす、遊戯洞達して倶に相随ひて飛行す、幡輩出入し、供養すること極無し、歓心喜楽して、楽みて共に経を観道を行じ、和ら好み文を習ひ、才猛くして智慧あり。志は虚空の若く、精進求願して、心終に復中迴せず、意終に復転せず、終に懈極まる時有ること無し。道を求むるに外は遅緩の若くなりと雖も、内は独り駃く急疾にして、容容として虚空のごとく、中適にして其の中を得。中表相応し、自然に厳整、撿斂端直に、身心浄潔にして、愛欲有りとも適貪する所有ること無く、衆の悪瑕穢有ること無し。其の志願皆安定殊好にして、増欠減無く、道を求むるに和正にして誤らず、邪を傾け道法を准望し、経に随ひて約めて敢て違失蹉跌せざらしむること、縄墨の若し。八方・上下に遊びて、辺幅有ること無く、至り到らんと欲する所に自在にして、無窮無極咸く然なり。道を為すこと恢廓、慕及すること曠蕩にして、道を念じて他の念無く、憂思有ること無し。自然無為、虚無空立し、淡安無欲、徳を作し願を善くし、心を尽くして求索し、哀を含みて慈愍し、精進にして中表なり。

礼義都て合し、通洞にして違すること無く、和順副称し、表裏を苞羅し、過度解脱して、敢て泥洹に昇り入り、長へに道徳と合明し、自然に相保守す。快意之れ滋滋真真として、了かに潔白に、志願高くして上無く、清浄定安にして静に之を楽みて極有ること無く、善好なること比有ること無し。巍巍として燿き、照照として一旦に開達明徹なり。自然の中の自然の相、自然の根本有り。自然に五光を成じて九色に至り、五光より九色に至り、参迴転た数して百千更変し、最勝の自然なり。自然より七宝を成じて、横に攬りて万物を成じ、光精参はり明かにして倶に好を出す。甚だ姝きこと極有ること無し。其の国土甚だ姝好なること此の若し、何ぞ力めて善を為し、道の自然なるを念じ、上下無く洞達して辺幅無きことを著さざる。志を虚空の中に捐て、何ぞ各々精進し努力して自ら求索せざる。超絶して去つることを得べし。

無量清浄の阿弥陀仏の国に往生すれば、横に五道を截りて、悪道自ら閉塞す。道に昇るに極無し、往き易くして人有ること無し。其の国土逆違せず、自然の牽く随ところなり。何ぞ世事を棄てて行じて道徳を求めざる。極めて長生を得、寿楽極有ること無かるべし。何為ぞ世事を用て饒かに共に常有ること無きを憂へん。
世人薄俗にして共に不急の事を争ふ。共に是の処劇悪極苦の中に於て、身を勤め生を治め用て相給活す。尊と無く卑と無く、富と無く貧と無く、老と無く少と無く、男と無く女と無く、皆当に共に銭財を憂ふ。有無同じく然なり。憂思適に等し。屏営愁苦して、念を累ね思慮して、之が為に走使せられ安き時有ること無し。
田有れば田に憂へ、宅有れば宅に憂へ、牛有れば牛に憂へ、馬有れば馬に憂ふ、六畜有れば六畜にに憂へ、奴婢有れば奴婢に憂ふ。衣被・銭財・金銀・宝物、復共に之にに憂ふ。思を重ね息を累ね、憂念して愁恐を懐く。横に非常の水火・盗賊・怨家・債主の為に、漂焼せられ、唐突として没溺に繋がれて、憂毒怔忪として解くる時有ること無し。
憤を結びて心中に気を慉め毒怒して病胸腹に在り、憂苦離れず。心堅く意固くして、適に縦に捨つること無し。或は摧蔵に坐せられて、身命を終へ亡す。之を棄捐し去れば誰も随ふ者莫し。尊貴・豪富にも此の憂懼有り。勤苦此の若し。衆の寒熱を結びて痛みと共に居す。小家貧者は窮困乏無なり。田無ければ亦憂へて田有らんことを欲し、宅無ければ亦憂へて宅有らんことを欲し、牛無ければ亦憂へて牛有らんことを欲し、馬無ければ亦憂へて馬有らんことを欲し、六畜無ければ亦憂へて六畜有らんことを欲し、奴婢無ければ亦憂へて奴婢有らんことを欲し、衣被・銭財・什物・飯食の属無ければ亦憂へて之有らんことを欲す。
適々一有れば一少き、是有れば是を少く、有ること斉等ならんことを思ふ。適々小しく具へ有てば便ち復儩尽す。是の如きの苦生ず。当に復求索し思想すれども益無かるべし。時として得ること能はず、身心倶に労して坐起安からず、憂念相随ひて勤苦すること此の若し。心を焦し恚恨を離れずして独り怒る。亦衆の寒熱を結びて痛と共に居す。或時は之に坐して身を終へ命を夭ふも、亦肯て善を作し道を為さず。寿命尽きて死すれば、皆当に独り遠く去るべし。

趣向する所の善悪の道有るも、能く知る者莫し。或時は世人、父子・兄弟・夫婦・家室・中外・親属、天地の間に居して当に相敬愛すべし、当に相憎むべからず。有無当に相給与すべし、当に貪ること有るべからず。言色当に和して相違戻すること莫るべし。或は儻し心に争ひて恚怒する所有らば、今世の恨の意は微しく相嫉憎すれども、後世には転た劇しくして大なる怨と成るに至る。所以は何ん、今世の事、更に相患害せんと欲して時に臨みて急に相破して之を殺すべからずと雖も、愁毒して憤を精神に結び、自然に剋識して相離るることを得ず。皆当に対ひに相生じ、値ひて更相報復すべし。

人世間愛欲の中に在りて、独り来り独り去る、死生して当に行いて苦楽の処に至り趣くべし。身自ら之に当りて代る者有ること無し。善悪変化し殃咎処を異にす。宿予厳待して当に独り昇入すべし。遠く他処に到れば能く見る者莫し、去りて何れの所にか在る。善悪自然に追逐して往き生ず、窈窈冥冥として別離久長なり、道路同じからざれば会ひ見ること期無し、甚だ難し甚だ難し、復相値ふことを得んや。何ぞ衆事を棄て、各々勱めて強健の時、努力して力めて善を為し、力めて精進せざる、来て度世し、極めて長寿を得べし。殊に肯て道を求めずして、復何をか待たんと欲ひ何をか楽はんと欲ふや。是の如きの世人、善を作せば善を得ることを信ぜず、道を為せば道を得ることを信ぜず、死して後世に復生ずることを信ぜず、施与して其の福徳を得ることを信ぜず。都て之を信ぜず。亦以て之を然らずと謂へり。言是有ること無し。但是に坐るが故に、且く自ら之を見る。更相に看視して、前後転た相父の余せる教令を承受し、先人・祖父素より善を作さず、本より道を為さず、身愚に神闇く、心塞がり意閉ぢて、天道を見ず、殊に能く人の生死を見ること有ること無し、趣向する所有れども亦能く知る者莫し。適に善悪の道を見ること有ること無く、復語る者有ること無し。為に用て善悪を作す、
福徳・殃咎・禍罰、各々自ら競ひて之を作為し、殊に怪むこと有ること無し。生死の道に至りて、転た相続し顛倒上下して無常の根本なり。皆当に過ぎ去るべし、常に得べからず。教語開導すれども、道を信ずる者は少し、皆当に生死して休止有ること無かるべし。是の如きの曹の人は、朦冥抵突にして経語を信ぜず、各々意を快くせんと欲して、心計慮せず、愛欲に愚痴にして道徳を解らず、瞋怒に迷惑して、財色を貪猥す。之に坐せられて道を得ず。当に更に勤苦して、極めて悪処に在り、生じて終に止りて休息することを得ざるべし。之を痛むこと甚だ傷むべし。
或時は家室・中外・父子・兄弟・夫婦、生死の義に至りて、更相に哭涙し、転た相思慕す。憂念憤結し、恩愛繞続し、心意痛著して、対ひに相顧思す。昼夜解くる時有ること無し。道徳を教示すれども心開明ならず、恩愛情欲を離れず、閉塞蒙蒙として交錯覆蔽す。思計して心自ら端正に、世事を決断して、専精に道を行ふことを得ず。便旋として年を竟るに至り、寿命尽くれども道を得ること能はず。奈何ともすべきこと無し。総猥憒譊して皆愛欲を貪る。是の如きの法、道を解らざる者は多く、道を得る者は少し。

世間怱怱として聊も頼むべきもの無し。尊卑・上下・豪貴・貧富・男女・大小、各々自ら怱務し勤苦して、躬身ら各々殺毒を懐き、悪気窈冥として、惆悵せずといふこと莫し。妄に事を作すが為に、天地に悪逆して仁心道徳に従はず、非悪には先づ随ひて之に与して恣に為す所を聴す。其の寿至らざるに、便ち頓に之を奪ひて下りて悪道に入り、累世に勤苦し、展転愁毒して、数千万億歳、出づる期有ること無し。痛言ふべからず、甚だ憐愍すべし。

仏阿逸菩薩等に告げたまはく、諸天・帝王・人民に、我皆若曹に世間の事を語らん、人是を用ての故に坐せられて道を得ず。若曹熟々之を思惟して、悪をば当に縦に捨て之を遠離すべし。其の善なる者に従ひて、当に堅く之を持ちて妄に非を為すこと勿く、益々諸の善を作すべし。大小・多少の愛欲の栄、皆常に得べからず、猶当に別離すべし、楽しむべき者無し。勱めて仏世の時、其れ仏の経諸深きを信愛すること有りて、道徳を奉行せば、皆是我が小弟なり。其れ甫めて仏の経戒を学ばんと欲する者は、皆是我が弟子なり。其れ身を出で家を去て妻子を捨て財色を絶去せんと欲し、来りて沙門と作り、仏の為に比丘と作らんと欲する者有らば、皆是我が子孫なり。我が世には甚だ値ふことを得難し。其れ願じて無量清浄仏の国に生ぜんと欲する者有らば、智慧勇猛にして衆の為に尊敬せらるることを得べし。心の欲する所に随ひて経戒を虧負し人の後に在ることを得ること勿れ。儻し疑意有りて経を解らざる者は、復前みて仏に問ひたてまつれ、仏当に若が為に之を解くべし。

阿逸菩薩、長跪叉手して言さく。仏の威神は尊重にして説く所の経は快善なり、我曹仏の経語を聴きて、皆心に之を貫思す。世人実に爾なり、仏の語りたまふ所の如く異有ること無し。今仏我曹を慈哀して、天道を開視し、生路を教語したまふ、耳目聡明にして長へに度脱することを得ん。更に生るることを得るが若し。我曹仏の経語を聴きて、慈心にして歓喜し踊躍し開解せざる者莫し。我曹及び諸天・帝王・人民・蜎飛・蠕動の類、皆仏恩を蒙りて。憂苦を解脱することを得ざる者無し。仏の諸の教戒は甚深にして、極無く底無し。仏の智慧の見たまふ所。八方・上下、去・来・現在の事を知りて、無上にして辺幅無し。仏には甚だ値ふことを得難し、経道は甚だ聞くことを得難し。我曹皆仏所に慈心あり、今我曹度脱を得ることは、皆是仏前世に道を求めたまひし時、慊苦して学問精進せしが致す所なり。恩徳普く覆ひて、施行する所の福徳、相禄巍巍として光明徹照し、洞虚無極にして、泥洹に開入し、経典を教授し、制威もて消化して、八方・上下を愍動すること、無窮無極なり。仏は師法尊と為り、群聖に絶して、都て能く仏に及ぶ者無し。仏は八方・上下の諸天・帝王・人民の為に師と作り、其の心の欲願する所に随ひて、大小皆道を得しむ。今我曹仏と相見ゆることを得、無量清浄仏の声を聞くことを得たり。我曹甚だ喜びて、黠慧開明なることを得ざる者莫し。

仏阿逸菩薩に告げたまはく。若が言へること是実に当に爾るべし。若し仏所に慈心有る者は、大に喜びて実に当に仏を念ずべし。天下久久にして、乃し復仏有ますのみ。今我苦の世に於て仏と作り、出す所の経道、教授洞達にして、狐疑を截断し、端心正行にして諸の愛欲を抜き、衆悪の根本を絶ち、遊歩拘ること無し。典総の智慧、衆道の表裏、維綱を攬持して、昭然分明なり。五道を開示して、生死・泥洹の道を決正す。
仏言はく。若曹無数劫より以来、復劫を計ふべからず。若曹菩薩の道を作して、諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類を過度せんと欲してより以来、甚だ久遠なり。人若に従ひて道を得て度する者無央数なり。泥洹の道を得るに至る者も亦無央数なり。若曹及び八方・上下の諸天・帝王・人民、若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、若曹宿命に、無数劫より以来、是の五道の中に展転して、死生呼嗟し、更相に哭涙し、転た相貪慕し、憂思愁毒して痛苦言ふべからず。今世に至りて死生絶えず、乃至今日仏と相見え共に会値ひて、是に乃ち無量清浄仏の声を聞くこと甚だ快し。善い哉汝曹を助けて喜ばしむ、亦自ら死生の痛痒を厭ふべし、生時甚だ痛み甚だ苦しみ甚だ極まれり。年長大するに至りても亦苦しみ亦極まる。死する時も亦痛み亦苦しみ亦極まる。甚だ悪臭の処にして浄潔ならず、了かに可なる者有ること無し。仏故らに悉く謂語りたまふ。若曹亦自ら臭処悪露を決断すべし。若曹亦心を端しくし身を正しくして益々諸善を作すべし。是に於て常に中外を端しくし、身体を潔浄にし、心垢を洗除して、自ら相約撿し、表裏相応して、言行忠信にせよ。人能く自ら度脱して、転た相扶接し、諸の愛欲を抜き、精明至心にして、求願して転ぜず、其の善道の根本を結せよ。精進して苦むと雖も一世は須臾の間なるのみ。今世に善を為せば、後世に無量清浄仏の国に生れて、快楽甚だ極無く、長へに道と合明す。然して善く極めて相保ち守りて、長へに悪道痛痒の憂悩を去れ離り、勤苦諸悪の根本を抜き、諸の愛欲恩好を断ち、長へに無量清浄仏の国に生れて、亦諸の痛痒有ること無く、亦復諸の悪臭の処有ること無し。亦復勤苦有ること無く、亦淫泆・瞋怒・愚痴無く、亦憂思・愁毒有ること無し。無量清浄仏の国に生ずれば、寿一劫・十劫・百劫・千劫・万億劫ならんと欲せば、自ら恣なり。若し意に寿住止せんと欲はば、無央数劫にして、復数劫を計べからず。恣に汝意に随ひて皆之を得べし。食せんと欲すれば食せざれども、恣に其の意の若く、都て悉く自然に皆之を得べし。泥洹の道に次し。皆各々自ら精明に求索して、心に欲願する所狐疑を得ること勿れ。心に中悔して往生せんと欲する者は得ること無し。其の過失に坐せられて、無量清浄仏の国界の辺の自然の七宝の城の中に在りて、讁せらるること五百歳なり。
阿逸菩薩言さく。仏の厳明なる重教を受け、皆当に精進して一心に求索すべし。請ふ之を奉行して敢て疑怠せざれ。

仏説無量清浄平等覚経巻第三

仏説無量清浄平等覚経 巻第四

後漢月氏国三蔵支婁迦讖訳

仏阿逸菩薩等に告げたまはく。若曹是の世に於て、能く自ら心を制し意を正しくして、身に悪を作さざれば、是を大徳の善と為す。都て八方・上下に、最も比有ること無しと為す。所以は何ん、八方・上下の無央数の仏国の中の諸天・人民は、皆自然に善を作して大に悪を為さざれば、教化し易し。今我是の世間に於て仏と為る、五悪・五痛・五焼の中に於て仏と作ること最も劇しと為す。人民を教語して、五悪を絶たしめ、五痛を去らしめ、五焼を去らしめ、其の心を降化して、五善を持ち其の福徳・度世・長寿・泥洹の道を得しめん。
仏言はく。何等をか五悪と為し、何等をか五痛と為し、何等をか五焼の中の者と為す。何等をか五悪を消化して五善を持たしむる者と為す。何等をか五善を持ちて、其の福徳・長寿・度世・泥洹の道を得と為す。
仏言はく。其の一悪とは、諸天・人民より、下禽獣・蜎飛・蠕動の類に至るまで、衆悪を為さんと欲するに、強き者は弱きを伏して、転た相剋賊し、自ら相殺傷して、更相に食噉す。善を為すことを知らず、悪逆不道にして、其の殃罰を受く。道の自然なる、当に往いて趣向すべし。神明記識して、之を犯さば貰さず、転た相承け続ぐ。故に貪窮・下賤・乞丐・孤独なるもの有り、人に聾盲・瘖瘂・愚痴・弊悪なるもの有り、下に尫狂にして及び逮ばざるの属有り、其の尊貴・豪富・高才・明達・智慧勇猛なるもの有るは、皆其の前世宿命に、善を為し、慈孝にして恩を布き徳を施せるが故なり。官事王法の牢獄有れども、肯て畏れ慎まず、悪を作して法に入り其の過讁を受く。重罰致りて劇し、解脱を求望すれども度出することを得難し。今世に是有り、目前に現在す。寿終りて尤も劇し。其の窈冥に入りて身を受けて更た生ず、譬へば王法の劇苦極刑の若し。故に自然の泥犁・禽獣・薜荔・蜎飛・蠕動の類属有り身形を貿へ、悪を改め道を易へて、寿命短長あり。魂神命精、自然に趣に入りて、形を受け胎に寄り、当に独り値ひ向ひ、相従ひ共に生ずべし。転た相報償して当に相還復すべし。殃悪・讁罰、衆事未だ尽きず、終に離るることを得ず。其の中に展転して、世世累劫にも、出づる期有ること無く、解脱を得難し、痛言ふべからず。天地の間に、自然に是有り。時に臨みて卒暴に至らずと雖も、時に応じて恒に自然の道を取りて、皆当に善悪之に帰すべし。是を一の大悪と為し、一の痛と為し、一の焼と為す。勤苦是の如くにして、愁毒呼嗟す。比へば劇火の起りて人の身を焼くが如し。人能く自ら其の中に於て、心を一にし意を制し、身を端しくし行を正しくして、独諸の善を作し、衆の悪を為らざる者は、身独り度脱して其の福徳を得、長寿・度世・上天・泥洹の道を得べし。是を一の大善と為す。

仏言はく。其の二悪とは、世間の帝王・長吏・人民・父子・兄弟・室家・夫婦、略々義理無く、政令に従はず、転た淫奢驕慢にして各々意を快くせんと欲し、心を恣にして自在に更相に欺調(あざむ)き、殊に死を懼れず、心口各々異にして言念実無く、佞諂にして忠ならず、諛媚巧辞にして、行端正ならず、更相に嫉み憎み、転た相讒悪して、悪枉に陥入す。主上明かならず、心察かに照らさずして臣下を任用す、臣下存在して、度を践みて能く行ひ、其の形勢を知りて位に在りて正しからず、其が為に調(あざむ)からる、妄に忠良を捐じて、天心に当らず、甚だ道理に違す。臣は其の君を欺き、子は其の父を欺き、弟は其の兄を欺き、婦は其の夫を欺く、室家・中外・知識相紹ぎて、各々貪婬の心を懐き、独り恚怒・蒙聾・愚痴にして益々多く有らんことを欲す。尊卑・上下、男と無く女と無く、大と無く小と無く、心倶に同じく然なり。自ら己を厚くせんことを欲し、家を破り身を亡じて、前後・家室・親属を顧念せず、之に坐りて族を破る。或時は家の中内外・知識朋友・郷党・市里・愚民、転た共に事に従ひ、更相に利害し、銭財を争ひ闘ひ、忿怒して仇を成し、転た勝負を争ふ。富を慳み心を焦して肯て施与せず、専専に守惜し、宝を愛して貪り重んず、之に坐りて思念し心労し身苦しむ。是の如くにして竟に至り恃怙する所無し、独り来り独り去りて、一も随ふ者無し。善悪・禍福・殃咎・讁罰、命を追ひて生ずる所なり。或は楽処に在り、或は毒苦に入る、然して後乃し悔ゆとも、当に復何ぞ及ぶべし。或時は世人、心愚にして智少く、善を見ては誹謗して之を恚り、肯て慕ひ及ばんとせず、但悪を為さんと欲して妄に非法を作し、但盗窃を欲して常に毒心を懐き、他人の財物を得て用て自ら供給せんと欲ふ。消散し摩尽し、賜つくれば復求して索む。邪心にして正しからず、常に独り恐怖し、人の色しること有らんことを畏る。時に臨みて計らず、事至りて乃し悔ゆ。今世に現に長吏・牢獄在り、自然に趣向して其の殃咎を受く。世間に貧窮・乞丐・孤独あり、但し前世宿命に道徳を信ぜず、肯て善を為さざりしに坐せられて、今世に悪を為せば、天神籍を別つ。寿終りて悪道に入る。故に自然の泥犁・禽獣・薜荔・蜎飛・蠕動の類有り。其の中に展転して、世世累劫にも出づる期有ること無く、解脱を得難し、痛言ふべからず。是を二の大悪・二の痛・二の焼と為す。勤苦是の如し。比へば火の起りて人の身を焼くが如し。人能く自ら其の中に於て、心を一にし意を制し、身を端しくし行を正しくして、独り衆善を作して、衆悪を為さざれば、身独り度脱して其の福徳を得、長寿・度世・上天・泥洹の道を得べし。是を二の大善と為す。

仏言はく。其の三悪とは、世間人民、寄生し相因りて、共に天地の間に依居す。処年寿命、能く幾く歳も無し。至りて豪貴なる者・賢明・善人有り、下に貧賤・尫羸・愚者有り、中に不良の人有り、但毒悪を懐念して、身心正からず、常に婬泆を念じて、煩胸中に満つ。愛欲交錯して、坐起安からず、貪意慳惜にして、但唐らに得んことを欲ふ。細色を眄睞して悪態婬泆し、婦有れども厭ひ憎みて私かに妄に出入し家の所有を持ちて相結して非を為し、聚会して飲食して自ら共に悪を作す。兵を興し賊を作し、城を攻め格闘し、劫殺截断し、強奪不道なり。人の財物を取り、偸窃して趣かに得れども、肯て生を治せず、当に求むべき所の者、肯て之を為さず。悪心外に在りて、専ら作すこと能はず。欲に撃はりて事を成し、恐勢迫脅して、持ち帰りて家に給して、共に相生活す。心を恣にし意を快くし、身を極め楽を作す。他人の婦女を行乱し、或は其の親属に於て尊卑・長老を避けず。衆共に憎悪し、家室・中外患ひて而も之に苦しむ。亦復県官の法令を畏れず、録を避くる所無し。是の如きの悪、自然の牢獄、日月照識し、神明記取して、諸神摂録す。故に自然の泥犁・禽獣・薜荔・蜎飛・蠕動の類有り。其の中に展転して、世世累劫にも出づる期有ること無く、度脱を得難し。痛言ふべからず。是を三の大悪・三の痛・三の焼と為す。勤苦是の如し。比へば火の起りて人の 身を焼くが若し。人能く自ら其の中に於て、心を一にし意を制し、身を端しくし行を正しくして、独り衆善を作して、衆悪を為さざれば、身独り度脱して其の福徳を得、長寿・度世・上天・泥洹の道を得べし。是を三の大善と為す。

仏言はく。其の四悪とは、諸の悪人善を作すこと能はず、自ら相壊敗し、転た相教令して共に衆悪を作り、主として伝言を為し、但両舌・悪口・罵詈・妄語を欲し、相嫉みて更相に闘乱す。善人を憎嫉し、賢善を敗壊して、傍に於て悪を快ぶ。復父母に孝順し供養せず、師父・知識を軽易して信無く誠実を得難く、自ら尊貴にして道有りと言ひて、横に威武を行じて、捲力勢えお加へ、侵剋して人を易(あなど)り、自ら知ること能はず、悪を為すも自ら羞慚すること無く、自ら頗健なるを用て人をして承事し敬畏せしむ。復天地・神明・日月を敬畏せず、亦教へて善を作さしむべからず、降化すべからず、自ら用て偃蹇として、常に当に爾るべしと謂へり。亦復憂哀の心無く、亦恐懼を知らずして、恣意憍慢なること是の如し。天神記識す。其の前世宿命に頼りて頗る福徳を作すに、小善扶接し、営護して之を助く。今世に悪を作り、福徳尽儩し、諸善鬼神各々去りて之を離れ、身独り空しく立して復依る所無く、重き殃讁を受けて、寿命終るとき身の悪繞り帰して自然に迫促す。当に往いて追逐して止息することを得ざるべし。自然の衆悪共に趣き乏に頓(いた)る、其れ名籍神明の所に在ること有り、殃咎引牽して、当に値ひ相得べし、当に往いて趣向すべし。過の讁罰を受け、身心摧砕し、神形の苦極まりて、離却することを得ず。但前み行いて火鑊に入ることを得。是の時に当りて悔ゆとも復何の益かあらん、当に復何ぞ及ぶべし。天道自然にして、蹉跌することを得ず。故に泥犁・禽獣・薜荔・蜎飛・蠕動の属有り。其の中に展転して、世世累劫にも出づる期有ること無く、解脱を得難し。痛言ふべからず。是を四の大悪・四の痛・四の焼と為す。勤苦是の如し。比へば火の起りて人の身を焼くが如し。人能く其の中に於て、心を一にし意を制し、身を端しくし行を正しくして、独り衆善を作して衆悪を為さざれば、身独り度脱して其の福徳を得、長寿・度世・上天・泥洹の道を得べし。是を四の大善と為す。

仏言はく。其の五とは、世人徙倚懈惰にして肯て善を作さず、生を治せんことを念はず、妻子飢寒し、父母倶に然なり。呵して其の子を教へんと欲すれば、其の子悪心にして、目を瞋らして譍(ことば)怒り、言令に和せず、違戻反逆して野人よりも劇し、比へば怨家の若し、子無きに如かず。妄に遍く仮貸し、衆共に患へ厭ふ。尤も返復すること無く報償の心有ること無し。窮貧困乏すれども、復得ること能はず。辜較諧声し、放縦に遊散し、数々唐らに得るに串ひて、自ら用ひて賑給す。防禁を畏れず、飲食極無く、酒を喫し美を嗜み、出入期度有ること無し。魯扈抵突にして人情を知らず、睢眄強制にして、人の喜有るを見ては憎嫉して之を恚り、義無く礼無く、自ら用ひて職当して諌暁すべからず。亦復睢父母・妻子の有無を睢せず、又復卒に父母の徳に報ゆることを念はず、亦復師父の恩を念はず、心常に悪を念じ、口常に悪を言ひ、日も成就たらず、道徳を信ぜず、賢明先聖有ることを信ぜず、善を作し道を為せば度世を得べきことを信ぜず、世間に仏有ますことを信ぜず、羅漢を殺し比丘僧を闘はしめんことを欲し、常に人を殺さんことを欲し、父母・兄弟・妻子・宗親・朋友を殺さんと欲す。父母・兄弟・妻子・宗親・朋友、憎み悪みて之を見て死せしめんと欲す。仏の経語を信ぜず、人の寿命終り尽き死して後世に復生ずることを信ぜず、善を作さば善を得ることを信ぜず、悪を作さば悪を得ることを信ぜず。是の如き曹の人、男子・女人、心意倶に然なり。違戻反逆、愚痴濛澒なり、瞋怒嗜欲にして、識知する所無く、自ら快善を用て大智慧と為し、従来する所の生と死して趣向する所を知らず、肯て慈孝ならずして、天地に悪逆す、其の中間に於て僥倖を求望し、長生を得て躬ら不死を得んことを欲すれども会ず当に生死の勤苦、善悪の道に帰就すべし。身に作る所の悪、殃咎の衆趣、度脱を得ず。亦降化すべからず。善を作さしめんとして、慈心もて教語し、生死善悪の趣く所是有ることを開導すれども、復之を信ぜず。然して苦心(ねんごろ)に与に語りて度脱せしめんと欲すれども益無し。其の人心中閉塞して、意に開解せず、大命将に至り至らんとす時皆悔ゆ。其の後に乃し悔ゆとも当に復何ぞ及ぶべし。予して善を計せず、窮るに臨みて何の益かあらん。天地の間、五道分明に、恢廓窈窕、浩浩茫茫たり。転た相承受して、善悪の毒痛、身自ら之に当りて代る者有ること無し。道の自然なる、其の所行に随ひて、命を追ひて生ずる所、縦捨することを得ず。善人は善を行じ善に従ひ慈孝なれば、楽より楽に入り明より明に入る。悪人は悪を行じて苦より苦に入り冥より冥に入る。誰か能く知る者あらん、独り仏の知見したまへるのみ。人民を教語したまへども、信用する者は少し。生死休まず、悪道絶えず。是の如きの世人には、悉く道ふべからず。故に自然の泥犁・禽獣・薜茘・蜎飛・蠕動の類有り、其の中に展転して世世累劫にも出づる期有ること無く、解脱を得難し。痛言ふべからず。是を五の大悪・五の痛・五の焼と為す。勤苦是の如し。比へば火の起りて人の身を焼くが如し。人能く自ら其の中に於て、心を一にし意を制し、身を端しくし行を正しくして、言行相副(かな)ひ、至誠に所作す、語る所語の如く、心口転ぜず、独り衆善を作し、衆悪を為さざれば、身独り度脱して、其の福徳を得、長寿・度世・上天・泥洹の道を得べし。是を五の大善と為す。

仏阿逸菩薩等に告げたまはく。我皆若曹に語る、是の世の五悪勤苦是の如し。五痛を起さしめ、五焼を起さしめ、展転して相生ず、世間の人民肯て善を為さずして、衆悪を作さんと欲す、敢て此の諸の悪事を犯すこと有る者は、皆悉く自然に当に更々具に歴て悪道の中に入るべし。或は其の今世に先づ病殃を被り、死生得ず、衆に示して之を見せしむ。寿終りて至極の大苦に趣入し、愁痛酷毒、自ら相焦然し、転た相焼滅して、其の後に至りて共に怨家と作りて、更相に傷殺す。小微より起りて大困劇に至る、皆財色を貪淫し肯て忍辱して施与せざるによりてなり。各々自ら快くせんことを欲して、復曲直有ること無く、健名を得んことを欲すれども、痴欲の為に迫められ、心に随ひて思想すれども、得ること能はざるなり。憤を胸中に結びて、財色に縛束せられ、解脱有ること無く、厭足を知らず、己を厚くし欲を諍ひて省録する所無し。都て義理無く正道に随はず。富貴栄華なれども時に当りて意を快くし、忍辱すること能はず、善を施すことを知らず、威勢幾くも無し。悪名に随ひて身を焦し労苦に坐し久しくして後に大に劇し。自然に随逐し、解け已むこと有ること無し。王法施張し、自然に糾挙し、上下相応して、羅網綱紀、煢煢忪忪として当に其の中に入るべし。古今是有り、痛しい哉傷むべし。

仏阿逸菩薩等に語りたまはく。若し世に是有らんに、仏皆慈愍して之を哀みたまふ。威神摧動して、衆悪諸事、皆之を消化す。悪を去りて善に就き、所思を棄捐し、経戒を奉持し、経法を承奉し施行せざるは莫く、敢て度世・無為・泥洹の道を違失せず、善を快み楽を極めて、甚だ明かなること極無きことを違失せず。
仏言はく。若曹諸天・帝王・人民及び後世の人、仏の経語を得て熟々之を思惟し、能く自ら其の中に於て、心を端しくし行を正しくすべし。其の主上善を為して其の下を率化し撿御して人民に教語し、転た相勅令し、転た共に善を為し、転た相度脱せよ。各々自ら端しく守り、慈仁愍哀して、身を終るまで殆らず。聖を尊び孝を敬い、通洞博愛にして、仏語の教令、敢て虧負すること無く、当に度世・泥洹の道を憂へよ。当に生死の痛痒を断截し、悪の根本を抜かんことを憂へよ。当に泥犁・禽獣・薜茘・蜎飛・蠕動の類、悪苦の道を断絶せよ。当に仏世に勱めて、堅く経道を持ちて敢へて失すること無かるべし。

仏言はく。若曹当に善を作すべき者は云何、第一急に当に自ら身を端しくすべし、当に自ら心を端しくすべし、当に自ら目を端しくすべし、当に自ら耳を端しくすべし、、当に自ら鼻を端しくすべし、当に自ら口を端しくすべし、当に自ら手を端しくすべし、当に自ら足を端しくすべし。能く自ら撿斂して妄に動作すること莫く、身心浄潔にして、倶に善と相応し、中外約束して嗜欲に随ふこと勿く、諸の悪を犯さざれ。言色常に和して、身行当に専なるべし、行歩・坐起動ぜず、事を作さば為す所当に先づ熟々思慮して之を計るべし。才能を揆度し、円規を視瞻して、安定にして徐に之を作為せよ。事を作すこと倉卒にして予め熟計せず、之を為すに諦かならざれば、其の功亡ふ。夫れ敗悔後に在れば、唐らに苦みて身を亡ぼす、至誠忠信にして道を得て絶去すべし。
仏言はく。若曹是に於て益々諸の善を作して恩を布き徳を施して、能く道禁を絶たず、忍辱・精進・一心・智慧、展転して復相教化し、善を作し徳を為せ。是の如きの経法、慈心専一にして、斎戒清浄なること一日一夜なれば、無量清浄仏の国に於て善を作すこと百歳なるに勝れり。所以は何ん、無量清浄仏の国は、皆積徳衆善、無為自然にして、求索する所に在りて、諸悪の大さ毛髪の如くなるもの有ること無ければなり。
仏言はく。是に於て善を作すこと十日十夜なれば、其の福を得ること他方仏国の中の人民の善を作すこと千歳なるに勝れり。所以は何ん、他方仏国は、皆悉く善を作すに、善を作す者は多く悪を為す者は少し、皆自然の物有り、求作を行ぜずして便ち自ら之を得ればなり。是の間は悪を為す者は多く善を為す者は少し、求作を行ぜざれば、得ること能はざるなり。人能く自ら端しく制して善を作し、至心に道を求む、故に能く爾るのみ。是の間は自然有ること無し、自ら給すること能はず、当に求索を行じて勤苦して生を治むべし。転た相欺怠して、調作(あざむき)て悪を好み、其の財物を得て妻子に帰給す。苦を飲み毒を食ひ心を労し身を苦しむ。是の如くにして竟に至り、心意専ならず、周旋安からず、人能く自ら安静にして善を為し、精進して徳を作す、故に能く爾るのみ。
仏言はく。我皆若曹及び諸天・帝王・人民を哀みて、皆教へて諸善を作し、衆悪を為さざらしむ。其の所能に随ひて、輒て道を授与し、教戒開導して悉く之を奉行せしむ。則ち君は率化して善を為し、臣下に教令し、父は其の子に教へ、兄は其の弟に教へ、夫は其の婦に教へ、室家・内外・親属・朋友、転た相教語して、善を作し道を為し経を奉じ戒を持ち、各々自ら端しく守りて、上下相撿(いまし)め、尊と無く卑と無く、男と無く女と無く、斎戒清浄にして歓喜せざるは莫し。義理に和順にして勧楽慈孝、自ら相約撿す。其れ仏の経語を得ること有らば、悉く持ちて之を思へ、当に作す所犯すが如くに之を為すべからず。則ち自ら過を悔い、悪を去りて善に就き、邪を棄て正を為し、朝に聞きて夕に改め、経戒を奉持し、劇しきこと貧人の宝を得るが如く、仏の所行の処、所在の郡国に、輒ち経戒を授与す。諸天・日・月・星辰・諸神・国王・傍臣・長吏・人民・諸竜・鬼神・泥犁・禽獣も、承けて之を奉行す。則ち君改化して善を為し、斎戒精思して、浄く自ら湔ぎ洒ひ、心を端しくし行を正しくせん。位に居して厳慓に教勅し、衆を率ひて善を為し、道禁を奉行して、言令をして止ましむ、臣は其の君に事へて忠直に令を受けて敢て違負せず、父子は言令孝順に承受し、兄弟・夫婦・宗親・朋友は、上下相令して、言に順ひ理に和す。尊卑・大小、転た相敬事するに、礼を以てし義に如(かな)ひ、相違負せず、往を改め来を修し心を洒ぎ行を易(おさ)めずといふこと莫く、端正中表にして、自然に善を作し、願ふ所輒ち感を得、善く自然の道に降化す。求めて不死を欲すれば則ち長寿を得べし、求めて度世を欲すれば則ち泥洹の道を得べし。
仏言はく。仏は威神尊重にして、悪を消し善に化して度脱せずといふこと莫し。今我天下に出でて、是の悪の中に在りて、苦の世に於て仏と作り、慈愍哀傷し、教語開道す。諸天・帝王・傍臣・左右・長吏・人民、其の心に欲する所の願楽に随ひて、皆道を得しむ。
仏の諸の所行の処、更に過ぎ歴る所の郡国・県邑・丘聚・市里、豊熟せざるは莫し。天下太平にして、日月の運照倍益明かに好く、風雨時節あり、人民安寧ならん。強きは弱きを凌がず、各々其の所を得、悪歳・疾疫無く、病痩する者無く、兵革起らず、国に盗賊無く、怨抂有ること無く、拘閉の者有ること無けん。君臣人民歓喜せざること莫く、忠慈至誠にして、各々自ら端しく守り、皆自然に国を守り、雍和孝順にして歓楽せざるは莫けん。有無相与にし。恩を布き徳を施して、心歓楽し、与に皆相敬愛して、財を推し義を譲りて先に譲り、前後に礼を以て敬事すること、父の如く子の如く、兄の如く弟の如くにして、仁賢・和順・礼節ならずといふこと莫けん。都て違諍無く、快善極無からん。
仏言はく。我子曹を哀みて、之を度脱せんと欲ふこと、父母の子を念ふよりも劇し。今八方・上下の諸天・帝王・人民及び蜎飛・蠕動の類、仏の経戒を得て、仏道を奉行し、皆明慧を得、心に悉く開解して、憂苦を度過し度脱することを得ざる者莫し。今我仏と作り、五悪・五痛・五焼の中に在りて、五悪を降化し、五痛を消尽し、五焼を絶滅し、善を以て悪を攻め、毒苦を抜き去りて、五善を得て明かに好く焼悪をして起らざらしむ。我般泥洹し去りて後、経道稍稍断絶し、人民諛諂にして淳く衆悪を為り、復善を作さざれば、五焼復起り、五痛の劇苦、復前の法の如く、自然に還復し、久しくして後転た劇しからん。悉く説くべからず。我但若曹が為に小しく之を道ふのみ。

仏阿逸菩薩等に告げたまはく。若曹各々思ひて之を持てよ、展転して相教戒し、仏の経法の如くにして敢て犯すこと無かれ。
阿逸菩薩、長跪叉手して言さく。仏の説きたまふ所甚だ苦痛(ねんごろ)なり、世人悪を為すこと甚だ劇しきこと是の如く是の如し。仏皆慈哀して悉く之を度脱したまふ。皆言く、仏の重教を受けて、請ふ展転相承して、敢て犯さずと。

阿難 仏名を称す

仏阿難に告げたまはく。我若曹(なんじら)を哀みて、悉く無量清浄仏及び諸菩薩・阿羅漢所居の国土を見しめん。(なんじ)(これ)を見んことを欲するや。
阿難則ち大に喜び長跪叉手して言さく。願はくは皆之を見んことを欲す。
仏言はく。(なんじ)起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て地に著け、南無無量清浄平等覚[4]と言へと。
阿難言さく。諾。教を受けて則ち起ち、更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、南無無量清浄平等覚と言ふ。阿難起たざるに、無量清浄仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方・上下の諸の無央数の仏国に遍し、天地則ち皆為に大に震動し、諸天無央数の天地、須弥山羅宝・摩訶須弥大山羅宝、諸の天地、大界・小界、其の中の諸有大泥犁・小泥犁、諸の山林・渓谷・幽冥の処、皆則ち大に明かにして、悉く雨りて大に開闢す。
則ち阿難、諸の菩薩・阿羅漢等、諸天・帝王・人民、悉く皆無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢、国土の七宝を見已りて、心皆大に歓喜し踊躍して、悉く起ちて無量清浄仏の為に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、皆南無無量清浄三藐三仏陀と言ふ。
無量清浄仏の放ちたまふ光明威神にして、已に諸の無央数の天・人民及び蜎飛・蠕動の類、皆悉く無量清浄仏の光明を見たてまつりて、慈心歓喜して善を作さざる者莫し。諸有泥犁・禽獣・薜茘、諸有老治勤苦の処、則ち皆休止して復治せず、憂苦を解脱せざる者莫し。諸有盲者は則ち皆視ることを得、諸の跛躄蹇なる者は、則ち皆走り行くことを得、諸の病者は則ち皆愈え起ち、諸の尫者は則ち皆強健に、愚痴なる者は則ち皆更に黠慧に、諸有婬泆・瞋怒なる者は、皆悉く慈心にして善を作し、諸有毒を被る者は、毒皆行(めぐら)ず。鍾鼓・琴瑟・箜篌、楽器諸伎は鼓せざるに皆自ら音声を作し、婦女の珠環は皆自ら声を作し、百鳥畜獣は皆自ら悲鴫す。是の時に当りて、歓喜して過度を得ざる者莫し。則ち時に爾日、諸仏国中の諸天・人、天上の華香を持ちて来り下り、虚空の中に於て悉く皆諸仏及び無量清浄仏の上に供養し、散ぜずといふこと莫し。諸天各々共に、大に万種自然の伎楽を作して、諸仏及び諸の菩薩・阿羅漢を楽しましむ。是の時に当りて、甚快楽すること言ふべからず。

仏阿難・阿逸菩薩等に告げたまはく。我無量清浄仏及び諸の菩薩・阿羅漢国土の自然の七宝を説くに、当に異有ること無きや。
阿難長跪叉手して言さく。仏無量清浄仏の国土の快善なることを説きたまふ。仏の説きたまふ所の如く一も異なること有ること無し。
仏言はく。我無量清浄仏の功徳、国土の快善を説かんに、昼夜一劫すれども、尚復未だ竟へず。我但若曹が為に小しく之を説くのみ。
阿逸菩薩、則ち長跪叉手して、仏に問ひたてまつりて言く。今仏国は是の間より当に幾の阿惟越致の菩薩有りてか無量清浄仏の国に往生すべし、願はくは之を聞かん。仏言はく。若し知らんと欲はば明かに聴きて心中に著けよ。
阿逸菩薩言さく。教を受けん。
仏言はく。我が国より当に七百二十億の阿惟越致の菩薩有りて、皆無量清浄仏の国に往生すべし。一の阿惟越致菩薩は、前後無央数の諸仏を供養し、次を以て弥勒の如く、皆当に作仏すべし、及び其の余の諸の小菩薩の輩は、無央数にして復計ふべからず、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。
仏阿逸菩薩に告げたまはく。但我が国中の諸の菩薩の、無量清浄仏の国に往生すべきのみにあらず、他方異国に復仏有まして、亦復是の如し。第一の仏を光遠炤と名く、其の国に百八十億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第二の仏あり、仏を宝積と名く、其の国に九十億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第三の仏を儒無垢と名く、二百二十億の菩薩有り、皆当に阿弥陀仏の国に往生すべし。他方異国の第四の仏を無極光明と名く、其の国に二百五十億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第五の仏を於世無上と名く、其の国に六百億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第六の仏を勇光と名く、其の国に万四千の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第七の仏を具足交絡と名く、其の国に十四億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第八の仏を雄慧王と名く、其の国に八の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第九の仏を多力無過者と名く、其の国に八百一十億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第十の仏を吉良となく、其の国に万億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第十一の仏を慧弁と名く、其の国万二千の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。他方異国の第十二の仏を無上華と名く、其の国に諸の菩薩有り、無央数にして、復計ふべからず、皆阿惟越致なり。皆智慧勇猛にして、各々無央数の諸仏を供養し、一時を以て倶に心に願じて往生せんと欲すれば、皆当に無量清浄仏の国に生ずべし。他方異国の第十三の仏を楽大妙音と名く、其の国に七百九十億の菩薩有り、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。
仏言はく。是の諸の菩薩は、皆阿惟越致なり、諸の比丘僧の中、及び小菩薩の輩無央数なり、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。独り是の十四仏国の中の諸の菩薩の往生すべきのみにあらず、都て八方・上下の無央数の仏国の諸の菩薩の輩、各各是の如し、皆当に無量清浄仏の国に往生すべし。其れ無央数なり。都て共に往いて無量清浄の仏の国に会す、大に衆多にして復計ふべからず。我但八方・上下の無央数の仏の名字を説かんに、昼夜一劫すれども尚未だ竟へず。我但復仏国の諸の比丘僧、衆の菩薩の、当に無量清浄仏の国に往生すべき人数を説かんに、之を説くこと一劫にして休止せざるも、尚未だ竟へず。我但若曹が為に総攬して都て小しく之を説くのみ。

仏阿難・阿逸菩薩等に語りたまはく。其れ世間の帝王・人民・善男子・善女人、前世宿命に善を行じて致す所の相禄、迺ち当に無量清浄仏の声を聞きて、慈心歓喜すべし。我之に代りて喜ばん。
仏言はく。其れ善男子・善女人有りて、無量清浄仏の声を聞き、慈心歓喜して、一時に踊躍し、心意清浄に、衣毛為に起ちて抜け出づる者は、皆前世宿命に仏道を作せるなり。若しは他方の仏、故(もと)菩薩にして凡人に非ず。其れ人民、男子・女人有りて無量清浄仏の声を聞きて、仏有りと信ぜざる者は、仏の経語を信ぜず、比丘僧有ことを信ぜず。心中に狐疑して都て信ずる所無き者は、皆故(もと)悪道の中より来り生じて、愚蒙にして解らず、宿命の殃悪未だ尽きず、未だ当に度脱を得ず。故に心中に狐疑して信向せざるのみ。
仏言はく。我若曹に語らん、若曹作すべき所の善法は、皆当に奉行して之を信ずべし、我を般泥洹し去りて後といふ故を以てすることを得ること無かれ、若曹及び後世の人、復我無量清浄仏の国有ることを信ぜずと言ふことを得ること無かれ。我故らに若曹をして悉く無量清浄仏の国土を見、為すべき所の者は若ぢ自ら之を求めよ、我具に汝曹が為に経戒順法を道説く、若曹当に仏の法の如く之を持つべし、毀失を得ること無かれ、我是の経を持ち以て汝曹に累(つた)ふ、汝曹当に堅く之を持つべし、妄に是の経法を増減為ることを得ること無かれ。我般泥洹して去りて後、経道留止せんこと千歳せん。千歳の後、経道断絶せん。心の所願に在りて皆道を得べし。
仏言はく。師は人を開導するに、耳目・智慧明達にして、人を度脱して善く泥洹の道に舎することを得しむ。常に当に仏に慈孝すること父母の如くすべし、常に師の恩を念じて当に念じて断絶せざるべし、則ち道を得ること疾からん。
仏言はく。天下に仏有せども甚だ値ふことを得難し。人師法の経語を信受すること深きこと有る者は、亦値ふことを得難し。若しは沙門若しは師有りて、人の為に仏経を説く者にも、甚だ値ふことを得難し。仏是の経を説きたまふ時、則ち万二千億の諸天・人民、皆天眼を得て徹視し、悉く一心に皆菩薩の道を為す。則ち二百二十億の諸天・人民、皆阿那含道を得、則ち八百の沙門は、皆阿羅漢道を得、則ち四十億の菩薩は、皆阿惟越致を得たり。仏経を説き已りたまふに、諸の菩薩・阿羅漢・諸天・帝王・人民、皆大に歓喜し、前み趣きて仏の為に礼を作し、仏を遶ること三匝して、頭面を以て仏足に著けて去りにき。


仏説無量清浄平等覚経巻第四

参考:

  1. この一偈と直前の一偈は『真巻』でも引文されておられる。「正信念仏偈」の必至無量光明土 諸有衆生皆普化で親しい。
  2. この偈から以下『行巻』で引文されている「信慧有りて致るべからず 若し聞見せば精進して求めよ」までを重ねて『化巻』で引文されておられる。▽
  3. この一偈は『信巻』断四流釈でも引文されておられる。
  4. 無無量清浄平等覚は阿弥陀仏の異名。覚は覚者で仏の意味。