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「たとへば…治すべからず」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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たとへば…ちすべからず
 
たとへば…ちすべからず
  
 通常は「たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず」と読む。 ([[信巻末#P--266|信巻 P.266]])
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 通常は「たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは[[瞻病随意の医薬]]あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず」と読む。 ([[信巻末#P--266|信巻 P.266]])
  
 
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『涅槃経』の訓
 
『涅槃経』の訓
  
:譬如 有病 必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。
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:譬如 有病 必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。當知是人 必死不疑。
::たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず。
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::たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず。まさに知るべし、この人かならず死せんこと疑はずと。→[http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C/2#.E2.86.92.E4.BF.A1.E5.B7.BB.E6.98.8E.E6.89.80.E8.A2.AB.E6.A9.9F.E9.87.88.E5.BC.95.E6.96.87.28114.29 涅槃経]
  
 
御開山の訓
 
御開山の訓
:譬如 有病必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。
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:譬如 有病必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。當知是人 必死不疑。
::たとへば病あればかならず死するに、治することなからんに、もし瞻病随意の医薬あらんがごとし。もし瞻病随意の医薬なからん、かくのごときの病、さだめて治すべからず。
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::たとへば病あればかならず死するに、治することなからんに、もし瞻病随意の医薬あらんがごとし。もし瞻病随意の医薬なからん、かくのごときの病、さだめて治すべからず。まさに知るべし、この人かならず死せんこと疑はずと。
原意は、瞻病随意の医薬があっても無くても、難治の病は治療することは不可という意。この意を瞻病随意の医薬の有ることを強調し、難治の病(謗大乘、五逆罪、一闡提)も、仏の教法(随意の医薬)によって済度される意に転じておられる。
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原意は、[[瞻病随意の医薬]]があっても無くても、難治の病は治療することは不可という意。この意を[[瞻病随意の医薬]]の有ることを強調し、難治の病(謗大乘、五逆罪、一闡提)も、仏の教法(随意の医薬)によって済度される意に転じておられる。<br />
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現代語では、
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*たとえばそのままでは治すことができずに必ず死んでしまう病にかかった時、適切な看病と名医と良薬があるようなものである。適切な看病と名医と良薬がなかったなら、これらの病は決して治すことはできず、この人が必ず死ぬことは疑いないのである。
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としている。瞻病とは看護、隨意は医師、醫藥は良薬のこと。→[[瞻病]] →[[随意の医薬]]
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:→[[仏菩薩に…発せん]]
 
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2021年2月15日 (月) 14:38時点における最新版

たとへば…ちすべからず

 通常は「たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず」と読む。 (信巻 P.266)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『涅槃経』の訓

譬如 有病 必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。當知是人 必死不疑。
たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし、もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病は定んで治すべからず。まさに知るべし、この人かならず死せんこと疑はずと。→涅槃経

御開山の訓

譬如 有病必死 難(無)治。若有瞻病隨意醫藥。若無瞻病隨意醫藥。如是之病 定不可治。當知是人 必死不疑。
たとへば病あればかならず死するに、治することなからんに、もし瞻病随意の医薬あらんがごとし。もし瞻病随意の医薬なからん、かくのごときの病、さだめて治すべからず。まさに知るべし、この人かならず死せんこと疑はずと。

原意は、瞻病随意の医薬があっても無くても、難治の病は治療することは不可という意。この意を瞻病随意の医薬の有ることを強調し、難治の病(謗大乘、五逆罪、一闡提)も、仏の教法(随意の医薬)によって済度される意に転じておられる。
現代語では、

  • たとえばそのままでは治すことができずに必ず死んでしまう病にかかった時、適切な看病と名医と良薬があるようなものである。適切な看病と名医と良薬がなかったなら、これらの病は決して治すことはできず、この人が必ず死ぬことは疑いないのである。

としている。瞻病とは看護、隨意は医師、醫藥は良薬のこと。→瞻病 →随意の医薬

仏菩薩に…発せん