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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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[けかん]
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けかん
   浄土を観想するためのてだてとして、この土の日や水や仏像を観ずること。([[愚禿下#P--530|愚禿 P.530]])
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 浄土を観想するためのてだてとして日没や水を観じ、阿弥陀仏の真身を観想するためのてだてとして仏像を観ずること。<kana>[[日観]](にっかん)</kana>(日想)・[[水観]](水想)・[[像観]](像想)の三をいう。他の十観は真観。 ([[愚禿下#P--530|愚禿下 P.530]])
  
 
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→[[十三観]]

2017年11月3日 (金) 19:30時点における最新版

けかん

 浄土を観想するためのてだてとして日没や水を観じ、阿弥陀仏の真身を観想するためのてだてとして仏像を観ずること。日観(にっかん)(日想)・水観(水想)・像観(像想)の三をいう。他の十観は真観。 (愚禿下 P.530)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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十三観