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「綽空」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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   親鸞聖人が吉水の[[法然]]上人の門下であった頃の名。『拾遺古徳伝』巻六や『[[六要鈔]]』によると、このとき名を善信と改められたという。 ([[御伝鈔#P--1047|御伝鈔 P.1047]])
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  親鸞聖人が吉水の<kana>[[法然]](ほうねん)</kana>上人の門下であった頃の名。『<kana>拾遺古徳伝(しゅうい こ とくでん)</kana>』巻六や『<kana>[[六要鈔]](ろくようしょう)</kana>』によると、このとき名を<kana>善信(ぜんしん)</kana>と改められたという。 ([[御伝鈔#P--1047|御伝鈔 P.1047]])
  
 
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御開山は、比叡山時代には<kana>範宴(はんねん)</kana>と名乗っておられたのだが、法然門下に入って聖道門・浄土門を明かされた道綽禅師の'''「綽」'''と、法然聖人の源空の'''「空」'''の字を頂いて「綽空」と名乗られた。師の名前の一字を頂くことはその弟子になることであった。
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2023年1月11日 (水) 23:18時点における最新版

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  親鸞聖人が吉水の法然(ほうねん)上人の門下であった頃の名。『拾遺古徳伝(しゅうい こ とくでん)』巻六や『六要鈔(ろくようしょう)』によると、このとき名を善信(ぜんしん)と改められたという。 (御伝鈔 P.1047)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山は、比叡山時代には範宴(はんねん)と名乗っておられたのだが、法然門下に入って聖道門・浄土門を明かされた道綽禅師の「綽」と、法然聖人の源空の「空」の字を頂いて「綽空」と名乗られた。師の名前の一字を頂くことはその弟子になることであった。