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「闍那崛多」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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[じゃなくった]
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じゃなくった
   (523-600?)北インド、ガンダーラ国のクシャトリヤ出身。559年長安に来て、経典訳出に従事する。北周の廃仏(574)に際して長安を離れるが、隋の時代に入り仏教が復興すると突厥(とっくつ)より戻り、洛陽(らくよう)の大興善寺に住して訳経を続けた。訳経は『仏本行集経ぶつほんぎょうじっきょう』など三十七部百七十六巻にのぼるといわれる。([[化巻末#P--454|化巻 P.454]])
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 (523-600?)北インド、ガンダーラ国のクシャトリヤ出身。559年長安に来て、経典訳出に従事する。北周の廃仏(574)に際して長安を離れるが、隋の時代に入り仏教が復興すると<kana>突厥(とっくつ)</kana>より戻り、<kana>[[洛陽]](らくよう)</kana>の大興善寺に住して訳経を続けた。訳経は『<kana>[[仏本行集経]](ぶつほんぎょうじっきょう)</kana>』など三十七部百七十六巻にのぼるといわれる。([[化巻末#P--454|化巻 P.454]])
  
 
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2017年11月6日 (月) 23:02時点における最新版

じゃなくった

 (523-600?)北インド、ガンダーラ国のクシャトリヤ出身。559年長安に来て、経典訳出に従事する。北周の廃仏(574)に際して長安を離れるが、隋の時代に入り仏教が復興すると突厥(とっくつ)より戻り、洛陽(らくよう)の大興善寺に住して訳経を続けた。訳経は『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』など三十七部百七十六巻にのぼるといわれる。(化巻 P.454)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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