「諦」の版間の差分
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有漏(煩悩のある状態)の五陰は苦諦・集諦に関わり、無漏(煩悩のない状態)の五陰は道諦に関わることよりいう。 →[[四諦]] (したい) ([[真巻#P--353|真巻 P.353]]) | 有漏(煩悩のある状態)の五陰は苦諦・集諦に関わり、無漏(煩悩のない状態)の五陰は道諦に関わることよりいう。 →[[四諦]] (したい) ([[真巻#P--353|真巻 P.353]]) | ||
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+ | 「諦」とは、見きわめられた道理。真理。真実。 |
2023年6月4日 (日) 16:45時点における最新版
たい
有漏(煩悩のある状態)の五陰は苦諦・集諦に関わり、無漏(煩悩のない状態)の五陰は道諦に関わることよりいう。 →四諦 (したい) (真巻 P.353)
真理。 (要集 P.847)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「諦」とは、見きわめられた道理。真理。真実。