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「命を説きて食とす」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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因を説く中で果について説くこと。ここでは将来得る成仏を現在の因の上([[仏性]])で説くということ。因仏性。
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因中説果(いんちゅう-せっか)。「果中説因」<br />
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原因の上に仮に結果の名を与えて説くのを因中説果、結果の上に仮に原因の名を与えて説くのを果中説因という。例えば糸と衣服という因果関係において、因である糸の上に果である衣服の名を与えて、糸を指して「衣服である」という場合が因中説果であり、果である衣服の上に因である糸の名を与えて、衣服を指して「糸である」という場合が果中説因である。(仏教学辞典)
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2024年10月16日 (水) 10:41時点における最新版

みょうをときてじきとす

 食することによって生命を維持するから、食が因、生命は果であるが、「食物が生命」と語るように果の生命を説くのに因の食をもってする。(真巻 P.349)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

因を説く中で果について説くこと。ここでは将来得る成仏を現在の因の上(仏性)で説くということ。因仏性。

因中説果(いんちゅう-せっか)。「果中説因」

原因の上に仮に結果の名を与えて説くのを因中説果、結果の上に仮に原因の名を与えて説くのを果中説因という。例えば糸と衣服という因果関係において、因である糸の上に果である衣服の名を与えて、糸を指して「衣服である」という場合が因中説果であり、果である衣服の上に因である糸の名を与えて、衣服を指して「糸である」という場合が果中説因である。(仏教学辞典)

参照WEB版浄土宗大辞典の「因中説果・果中説因」の項目