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「三昧」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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さんまい
  
 
 梵語サマーディ(samādhi)の音写。心を一処にとどめて散り乱れぬ安らかで静かな状態になること。→[[禅定]](ぜんじょう)。
 
 梵語サマーディ(samādhi)の音写。心を一処にとどめて散り乱れぬ安らかで静かな状態になること。→[[禅定]](ぜんじょう)。
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 梵語サマーディ(samādhi)の音訳。定・正受などと意訳。心を一処に止めて散乱しない安らかで静かな状態になること。なお、仏やその浄土のありさまをまのあたりに観ずる三昧の境地を得ることを三昧<kana>発得(ほっとく)</kana>という。
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善導が三昧発得の人であったことを、『選択集』には「善導和尚はこれ三昧発得の人なり」([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1286|選択集 P.1286]])、『持名鈔』には「三昧発得の人師」([[持名鈔#P--1003|持名鈔 P.1003]])と述べている。 → [[禅定]]。(浄土真宗辞典)
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2017年10月28日 (土) 15:45時点における最新版

さんまい

 梵語サマーディ(samādhi)の音写。心を一処にとどめて散り乱れぬ安らかで静かな状態になること。→禅定(ぜんじょう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

三昧

 梵語サマーディ(samādhi)の音訳。定・正受などと意訳。心を一処に止めて散乱しない安らかで静かな状態になること。なお、仏やその浄土のありさまをまのあたりに観ずる三昧の境地を得ることを三昧発得(ほっとく)という。 善導が三昧発得の人であったことを、『選択集』には「善導和尚はこれ三昧発得の人なり」(選択集 P.1286)、『持名鈔』には「三昧発得の人師」(持名鈔 P.1003)と述べている。 → 禅定。(浄土真宗辞典)