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「二惑」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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にわく
  分別によっておこす知的な煩悩である見惑(けんわく)と生れつきもっている事象に迷う煩悩である思惑(しわく)のこと。前者は見道(須陀しゅだおん)、後者は修道(しゅどう)(斯陀含しだごん以上)で滅することができる。
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 <kana>[[見惑]](けんわく)</kana>と<kana>思惑(しわく)</kana>のこと。[[煩悩]]による迷いを2種に分けたもの。見惑とは、[[見道]]によって断ぜられる煩悩のことで、真実の道理を誤認することによって生じる心の迷いをいう。
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思惑は、[[修惑]]ともいい、修道において断ぜられる煩悩のことで、感覚的・肉体的迷いをいう。(浄土真宗辞典)
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2019年11月12日 (火) 14:36時点における最新版

にわく

 見惑(けんわく)思惑(しわく)のこと。煩悩による迷いを2種に分けたもの。見惑とは、見道によって断ぜられる煩悩のことで、真実の道理を誤認することによって生じる心の迷いをいう。 思惑は、修惑ともいい、修道において断ぜられる煩悩のことで、感覚的・肉体的迷いをいう。(浄土真宗辞典)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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