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倶生起

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

くしょうき

 倶生起〔分別起〕

 略して倶生(くしょう)分別(ふんべつ)とも対称される。煩悩(心の惑い)の起こり方における二形態で、それによって煩悩は二つに大別される。倶生起とは、「身が生じると同時に起こる」の意で自然発生的に起こる先天的煩悩のことであり、分別起とは邪師・邪教などによる外部からの勢力や、自らの不当な推理分別によって起こす後天的煩悩のことである。
後者は性質が強烈であるけれどもかえって断ちやすく、前者は微細であるが極めて断ち難いため、分別起の惑いは仏道実践の第一段階である見道において断たれ(従って見惑であり)、倶生起の惑いは第二段階である修道において次第に断たれる(従って修惑である)とされる。(仏教学辞典)

二惑
見惑
修惑
無漏智